id | chap. | sec. | 熟語諺 | 漢文 | 書き下し | 現代語訳 | デジタル的考察 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
詳細 | 4 |
1 | 1 | 学習 時習 | 子曰 學而時習之 不亦説乎 有朋自遠方來 不亦樂乎 人不知而不慍 不亦君子乎 |
しいわく まなびてときにこれをならう またよろこばしからずや ともあり、えんぽうよりきたる またたのしからずや ひとしらずしていきどおらず またくんしならずや |
孔子が言った 学んだことを復習するのは 喜ばしいことだ 友人が、遠くから訪ねてくれるのは 楽しいことだ 他人に理解されなくても気にしないのは 立派なことだ(KS) 先生がいわれた、 「学んでは適当な時期におさらいする、 いかにも心嬉しいことだね。 [そのたびに理解が深まって向上していくのだから。〕 だれか友だちが遠い所からもたずねて来る、 いかにも楽しいことだね。 [同じ道について語りあえるから。] 人が分かってくれなくとも気にかけない、 いかにも君子だね。 [凡人にはできないことだから。]」(K) 先生がいわれた。 「学び続け、 常に復習する。 そうすれぱ知識が身につき、 いつでも活用できる。実にうれしいことではないか。 友人が遠くから自分を思い出して訪ねてきてくれる。 実に楽しいことではないか。 世の中の人が自分のことを分かってくれず評価してくれなくても、 怒ったりうらんだりしない。 それでこそ君子ではないか。(S) |
(1)【時習】勉強(強いて勉める)ではなく、”学習”(学んで習う)である。人にやらされるのではなく自発的な学びは一生続く (2)【真の縁】縁があれば時間と距離は関係ない、思い出したようにメールをくれる同級生などは真の友である。仕事繋がりでは人の切れ目が縁の切れ目になることがほとんどである。 (3)【承認欲求からの脱却→"心身脱落"】メールやチャットの返事がなくとも相手の事情を慮ってこそ君子である。 WEBサイトを一所懸命に制作・更新しても誰もみてくれないが、いつの日か世に出ることもある、墓碑銘になるかもしれないが、、 |
詳細 | 23 |
1 | 2 | 忠信孝悌 | 有子曰 其爲人也孝弟 而好犯上者鮮矣 不好犯上 而好作亂者 未之有也 君子務本 本立而道生 孝弟也者 其爲仁之本與 |
ゆうしいわく そのひととなりやこうていにして かみをおかすをこのむものはすくなし かみをおかすことをこのまずして らんをなすをこのむものは いまだこれあらざるなり くんしはもとをつとむ もとたちてみちしょうず こうていなるものは それじんのもとたるか |
有子が言った 家族を大切にしていて 目上の人に逆らう人は少ない 目上の人に逆らうことを好まないで 混乱を好む人は 一人もいない 人格者は基礎を大切にするものだ 基礎をしっかりして初めて道がうまれる 家族を愛することが 仁徳の基礎である(KS) 有子がいった、 「その人がらが孝行悌順でありながら、 目上にさからうことを好むようなものは、 ほとんど無い。 目上にさからうことを好まないのに、 乱れを起こすことを好むようなものは、 めったに無い。 君子は根本のことに努力する、根本が定まってはじめて [進むベ き]道もはっきりする。 孝と悌ということこそ、仁徳の根本であろう。」(K) |
何事も基礎が大切。応用はベースの上に積み重なるものである。 デジタルの世界でもコンピュータ動作やソフトウェアの原理原則を知らず、ただ動けば良いと結果オーライでコトを進めるSE(もどき)のなんと多いことか、、 また、ビジネスの仕組みを学習せず、ただプログラミングしているSEも要注意である。 |
詳細 | 5 |
1 | 3 | 巧言令色 | 子曰 巧言令色 鮮矣仁 | しいわく こうげんれいしょく すくなしじん | 孔子が言った 言葉巧みにお世辞をいい 愛想笑いの上手い人に人格者はいない(KS) 先生がいわれた、「ことば上手の顔よしでは、 ほとんど無いものだよ、仁の徳は。」(K) |
仕事は手に職足に職というが、”口に職”のひとが多い。 この手の輩の言葉は軽く、当然行動がついてこないので実績も積み上がることはない。また、人からの信用もない。 ”口だけ”という教訓は、道元が中国での修行で得た”一二三四五”のエピソードに似ている(典座教訓に詳細の記載がある) |
詳細 | 50 |
1 | 4 | 三省 | 曾子曰 吾日三省吾身 爲人謀而不忠乎 與朋友交而不信乎 傳不習乎 |
そうしいわく われひにみたびわがみをかえりみる ひとのためにはかりてちゅうならざるか ほうゆうとまじわりてしんならざるか ならわざるをつたうるか |
曾子が言った 私は一日に三度、自分のおこないを反省する 他人のために真心をこめて考えたかと 友人と誠実に付き合えたかと よく知らないことを他人に教えていないかと(KS) 曾子がい った、 「 わたしは毎日何度もわが身について反省する。 人のた めに考えてあげてまごころからできなかつたのではないか。 友だちと 交際して誠実でなかったのではないか。 よくおさらいもしないことを [受けうりで〕 人に教えたのではないかと。」(K) |
きちんと正確に理解出来ていないことは人に話さないことである。その場で注意を受けられればよいが、いい加減なことを吹聴すると人としての信頼を失うことにもなりかねない。 SNSのタイムラインに上がった情報を都合の良い部分のみ切り取り吹聴する輩もあとをたたない、それがフェイクニュースであれば社会への影響も大きい。 |
詳細 | 93 |
1 | 5 | 子曰 道千乘之國 敬事而信 節用而愛人 使民以時 |
しいわく せんじょうのくにをおさむるには ことをつつしみてしんあり ようをせっしてひとをあいし たみをつかうにときをもってす |
孔子が言った 国を統治するには 事業を慎重におこない信頼を得て 経費を節約して人々を愛し 人々を使役させるには時節を選ぶ必要がある(KS) |
||
詳細 | 94 |
1 | 6 | 子曰 弟子入則孝 出則弟 謹而信 汎愛衆而親仁 行有餘力 則以學文 |
しいわく ていしいりてはすなわちこう いでてはすなわちてい つつしみてしんあり ひろくしゅうをあいしてじんにしたしみ おこないてよりょくあらば すなわちもってぶんをまなべ |
孔子が言った 若者は家で親孝行をして 外では年長者を敬わなければならない 慎み深く誠実で 区別なく人々を愛して人格者と親しくし 彼らを手本にしなければならない その後に余力があれば学問をすべきである(KS) |
||
詳細 | 95 |
1 | 7 | 子夏曰 賢賢易色 事父母能竭其力 事君能致其身 與朋友交 言而有信 雖曰未學 吾必謂之學矣 |
しかいわく けんをけんとしていろをかえ ふぼにつかえてはよくそのちからをつくし きみにつかえてよくそのみをいたし ほうゆうとまじわり いいてしんあらば いまだまなばずというといえども われはかならずこれをまなびたりといわん |
子夏が言った 自然に賢い人を認め 真摯に両親に尽くし 主人に対して献身し 友人に対して 誠実であれば 学問を始めてすらいなくとも 私はあなたをよく学んだ人間とみなす(KS) |
||
詳細 | 30 |
1 | 8 | 過ちては改むるに憚ること勿かれ | 子曰 君子不重則不威 學則不固 主忠信 無友不如己者 過則勿憚改 | しいわく くんしおもからざればすなわちいあらず まなべばすなわちこならず ちゅうしんをしゅとし おのれにしかざるものをともとすることなかれ あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ |
孔子が言った 君子は重々しくなければ威厳を失い 学べば偏見を持たない 真心と誠実さに重きを置き 人格的に劣るものたちと付き合ってはならない そして自らに誤りがあれば正すべきである(KS) 先生がいわれた、 「君子はおもおもしくなけれぱ威厳がない 学問すれぱ頑固でなくなる。 [まごころの徳である] 忠と信とを第一 にして、 自分より劣つたものを友だちにはするな あやまちがあれぱ、ぐずぐずせずに改めよ。」(K) |
|
詳細 | 96 |
1 | 9 | 曾子曰 愼終追遠 民徳歸厚矣 |
そうしいわく おわりをつつしみとおきをおえば たみのとくあつきにきせん |
曾子が言った 葬式・先祖の供養が手厚く行われれば 民衆の徳は向上する(KS) |
||
詳細 | 97 |
1 | 10 | 子禽問於子貢曰 夫子至於是邦也 必聞其政 求之與 抑與之與 子貢曰 夫子温良恭儉譲 以得之 夫子之求之也 其諸異乎人之求之與 |
しきんしこうにといていわく ふうしのこのくににいたるや かならずそのまつりごとをきく これをもとめたるか そもそもこれをあたえたるか しこういわく ふうしはおん・りょう・きょう・けん・じょう もってこれをえたり ふうしのこれをもとむるや それこれひとのこれをもとむるとことなるか |
子禽が子貢に尋ねた 孔子が各国を訪れるたび 必ず政治の相談をうける これは孔子が求めたことですか? それとも彼らが求めたことですか? 子貢が答えた 孔子は温・良・恭・倹・譲の徳を身につけている 自然にそうなるのだ 彼らの方から孔子に会うことを望んでいる 孔子が求めれる方法は他の人々とは違う(KS) |
||
詳細 | 98 |
1 | 11 | 子曰 父在觀其志 父沒觀其行 三年無改於父之道 可謂孝矣 |
しいわく ちちいませばそのこころざしをみ ちちぼっすればそのおこないをみる さんねんちちのみちをあらたむることなきは こうというべし |
孔子が言った 父親が生きているうちは、その志で評価すべき 父親の死後は、その行為で評価すべき 父親の死後3年間、父親のやり方を変えなければ 親孝行な人間である(KS) |
||
詳細 | 99 |
1 | 12 | 有子曰 禮之用 和爲貴 先王之道斯爲美 小大由之 有所不行 知和而和 不以禮節之 亦不可行也 |
ゆうしいわく れいのようは わをたっとしとなす せんおうのみちもこれをびとなす しょうだいこれによるも おこなわれざるところあり わをしりてわするも れいをもってこれをせっせざれば またおこなうべからざるなり |
有子が言った 礼儀の意義は 社会の調和を保つこと 古代の王たちの美徳も、この点にある しかし例え調和があっても 秩序が保たれるとは限らない 調和を知り、調和の中で生きても 礼儀によって 秩序は保たれるべき(KS) |
||
詳細 | 100 |
1 | 13 | 有子曰 信近於義 言可復也 恭近於禮 遠恥辱也 因不失其親 亦可宗也 |
ゆうしいわく しんぎにちかければ げんふむべきなり きょうれいにちかければ ちじょくにとおざかる よることそのしんをわざれば またたっとぶべきなり |
有子が言った 信頼が正義にかなうとき 言葉通りに行動できる うやうやしさが礼儀に伴うならば 侮辱されることを避けられる 人選を間違わなければ その人に頼れる(KS) |
||
詳細 | 101 |
1 | 14 | 子曰君子食無求飽 居無求安 敏於事而愼於言 就有道而正焉 可謂好學也已 |
しいわく くんしはしょくにあくことをもとむるなく きょにやすきをもとむるなし ことにびんにしてげんにつつしみ ゆうどうについてただす がくをこのむというべきのみ |
孔子が言った 人格者は貪欲に食を求めたり 安楽な暮らしを求めたりしない 事にあたれば、鋭敏で、言葉を慎重に選ぶ より徳の高い人に従い、自らの行いを正す これらすべて行うのが、学問を好む人である(KS) |
||
詳細 | 47 |
1 | 15 | 切磋琢磨 | 子貢曰 貧而無諂 富而無驕 何如 子曰 可也 未若貧而樂 富而好禮者也 子貢曰 詩云 如切如磋 如琢如磨其斯之謂與 子曰 賜也 始可與言詩已 矣告諸往而 知來者也 |
しこういわく まずしくしてへつらうことなく とみておごることなきは いかん しいわく かなり いまだまずしくしてたのしみ とみてれいをこのむものにしかざるなり しこういわく しにいう せっするがごとくさするがごとく たくするがごとくまするがごとしと それこれをこれいうか しいわく しや はじめてともにしをいうべきのみ これにおうをつげて らいをしるものなり |
子貢が言った 貧しくて媚びない人 裕福で威張らない人は (人格として)どうか 孔子が言った 良い 貧しくて学問を楽しむ人 裕福で礼儀を身につけた人にはかなわない 子貢が言った 詩経で 切するが如く磋するが如く 琢するが如く磨するが如く と言っているのは、この事ですか 孔子が言った 子貢よ これから詩経について語り合うことができる あなたは一つのことがわかると すぐ次のことがわかる人物だ(KS) 子貢がい った、 「貧乏であってもヘ つらわずヽ 金持ちであつてもいばらないというのはいかがでしようか。」 先生は答えられた、 「よろしい。だが、 貧乏であっても道義を楽しみ、金持ちであつても礼儀を好むというのには及ばない。」 子貢がい った、 「詩経 (衛風漠奥篇)に 『切るが如く、磋るが如く、琢っが如く、磨くが如く、』 と 〔いやがうえにも立派にすることを] うたっているのは、 ちょうどこのことでしようね。」 先生はいわれた、 「賜よ、それでこそい っしよに詩の話ができるね。 前のことを話して聞かせるとまだ話さない後のことまで分かるのだから。」 |
一を聞いて十を知る。 |
詳細 | 62 |
1 | 16 | 人の振り見て我が振り直せ | 子曰 不患人之不己知 患不知人也 |
しいわく ひとのおのれをしらざるをうれえず ひとをしらざるをうれうるなり |
孔子が言った 他人が自分を理解してくれない事を気に病むより 自分が他人を理解出来ていない事を気にしなさい(KS) 先生がいわれた、 「人が自分を知つてくれないことを気にかけないで、 人を知らないことを気にかけることだ。 」 |
|
詳細 | 51 |
2 | 1 | 北辰=北極星 | 子曰 爲政以徳 譬如北辰居其所 而衆星共之 | しいわく まつりごとをなすにとくをもってす たとえばほくしんのそのところにいて しゅうせいのこれにむかうがごとし |
孔子が言った 徳をもって政治を行えば それはいわば北極星があり 他の星々を従えるようになる(KS) 先生がいわれた 「政治をするのに道徳によつていけぱ、 ちょうど北極星が自分の場所にいて、 多くの星がその方に向かつてあいさっしているようになるものだ。 (人心がすっかり為政者に帰服する。)(K) |
デジタルの中心はデータであるべきであるが、SAPなどのERPがデジタルの中心だと勘違いしているひとは多い。(天動説と地動説) 旧制高校中学の校歌や寮歌には北辰(=北極星)を歌い込んでいるものがある。 旧制四高(金沢)の校章は四角の星である。 |
詳細 | 102 |
2 | 2 | 子曰 詩三百 一言以蔽之 曰思無邪 |
しいわく しさんびゃく いちげんもってこれをおおえば いわくおもいよこしまなし |
孔子が言った 詩経には300以上の詩があり これらを一言であらわすと 素直な人間性のあらわれである(KS) |
||
詳細 | 53 |
2 | 3 | 手段の目的化 | 子曰 道之以政 齊之以刑 民免而無恥 道之以徳 齊之以禮 有恥且格 |
しいわく これをみちびくにまつりごとをもってし これをととのうるにけいをもってすれば たみまぬがれてはじなし これをみちびくにとくをもってし これをととのうるにれいをもってすれば はじありてかつただし |
孔子が言った 人々を法律によって道びき 刑罰によって正すならば 人々は罪を逃れ、恥とも思わなくなる 人々を道徳によって道びき 礼儀によって正すならば 人々は恥を知り正しくあろうとする(KS) 先生がいわれた、 「 [法制禁令などの小手先きの〕 政治で導びき、刑罰で統制していくなら、 人民は法網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、 道徳で導びき、 礼で統制していくなら、道徳的な羞 恥心を持ってそのうえに正しくなる。」(K) |
ガバナンスのためのガバナンスごっこ(GC)を繰り返している会社のなんと多いことか。 1)コーポレートガバナンスコード遵守 対面講習にこだわる形だけの教育強化 2)取得することが目的化したISO(EMS/QMS) 3)注意喚起だけの安全活動 |
詳細 | 52 |
2 | 4 | 志学・而立・不惑・知命・耳順 | 子曰 吾十有五而志于學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩 |
しいわく われじゅうゆうごにしてがくにこころざす さんじゅうにしてたつ しじゅうにしてまどわず ごじゅうにしててんめいをしる ろくじゅうにしてみみしたがう しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがいて のりをこえず |
孔子が言った 私は15歳で学問を志した 30歳で学問で身を立てられ 40歳で学問への迷いがなくなり 50歳で自らの天命を知った 60歳で人の言葉を偏見無く聴け 70歳で心のままに行動しても 人の道を踏み外すことが無くなった(KS) 先生がいわれた、 「わたしは十五歳で学問に志し、 三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、 五十になつて天命をわきまえ、 六十になって人のことぱがすなおに聞かれ、 七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。 」(K) |
リンク:think 守屋淳氏の(うら)解釈 14歳までは学問に志さなかった 29歳までは自立できなかった 39歳までは迷いっぱなしであった 49歳までは天命を知らなかった 59際までは他人から忠告されると馬鹿野郎と思っていた 69際までは自分の欲望に従い行動してハチャメチャをやっていた |
詳細 | 103 |
2 | 5 | 孟懿子問孝 子曰 無違 樊遲御 子告之曰 孟孫問孝於我 我對曰 無違 樊遲曰 何謂也 子曰 生事之以禮 死葬之以禮 祭之以禮 |
もういしこうをとう しいわく たがうことなかれと はんちぎょたり しこれにつげていわく もうそんこうをわれにとう われこたえていわく たがうことなかれと はんちいわく なんのいいぞやと しいわく いきてはこれにつかうるにれいをもってし ししてはこれをほうむるにれいをもってし これをまつるにれいをもってす |
孟懿子が親孝行について尋ねた 孔子が言った 間違えることがないようにと 樊遲が(孔子の)馬車御者をしていた ある日、孔子が告げた 孟懿子が親孝行について尋ねられ 孔子が答えた 間違えることがないようにと 樊遲が言った どのような意味ですか? 孔子が言った 両親が生きていれば礼儀を尽くし 亡くなった時には礼儀をもって葬儀し その後は礼儀をもって供養することだ(KS) |
||
詳細 | 104 |
2 | 6 | 孟武伯問孝 子曰 父母唯其疾之憂 |
もうぶはくこうをとう しいわく ふぼはただそのやまいをこれうれう |
孟武伯が孝について尋ねた 孔子が言った 両親には自分たちの健康だけを考えるように(KS) |
||
詳細 | 105 |
2 | 7 | 犬馬の養い | 子游問孝 子曰 今之孝者 是謂能養 至於犬馬 皆能有養 不敬何以別乎 |
しゆうこうをとう しいわく いまのこうは これよくやしなうをいう けんばにいたるまで みなよくやしなうことあり けいせずんばなにをもってわかたんや |
子游が孝について尋ねた 孔子が言った 今の孝とは 両親をよく養うこと それだけでは犬馬を養うと変わらない 敬意があるか 何で区別するというのか(KS) |
多くの会社の福利厚生は犬馬の養いレベルである。多くは外部のサービスに丸投げであり、社員の顔がみえていない。これではエンゲージメントは改善しない。 担当者は自己満足に浸っているので処置無しである。 |
詳細 | 106 |
2 | 8 | 子夏問孝 子曰 色難 有事弟子服其勞 有酒食先生饌 曾是以爲孝乎 |
しかこうをとう しいわく いろかたし ことあればていしそのろうにふくし しゅしあればせんせいにせんす すなわちここをもってこうとなさんや |
子夏が孝について尋ねた 孔子が言った 表情をどうするか難しい もし年長者に代わり雑務をして 酒食を自分より先に年長者に供した それをもって本当に孝行者といえるか?(KS) |
||
詳細 | 107 |
2 | 9 | 子曰 吾與回言終日 不違如愚 退而省其私 亦足以發 回也不愚 |
しいわく われかいということしゅうじつ たがわざることぐなるがごとし しりぞきてそのわたくしをかえりみれば またもってはっするにたる かいやぐならず |
孔子が言った 私が顔回と一日中話しても 彼は愚か者のように 私に一度も反論しない しかしその後、彼の言動をみると 顔回は愚か者ではない(KS) |
||
詳細 | 10 |
2 | 10 | 子曰 視其所以 觀其所由 察其所安 人焉廋哉 人焉廋哉 |
しいわく そのもってするところをみ そのよるところをみ そのやすんずるところをさっすれば ひといずくんぞかくさんや ひといずくんぞかくさんや |
孔子が言った その人の行動を見て 現在までの経歴を観て 未来の姿を推察すれば その人の人格が理解できる その人の人格が理解できる(KS) 先生がいわれた。「その人のふるまいを見、 その人の経歴を観察し、 その人の落ちつきどころを調べたなら、 (その人柄は) どんな人でも隠せない。 どんな人でも隠せない。」(K) |
人の素地は行動に出る。地頭力は隠せないとはよく行ったものである。 | |
詳細 | 54 |
2 | 11 | 温故知新 | 子曰 温故而知新 可以爲師矣 | しいわく ふるきをたずねてあたらしきをしれば もってしたるべし | 孔子が言った 歴史や伝統を学び現代を理解し それを活かすことができれば師になれる(KS) 先生がいわれた、「古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえてゆくなら、人の師となれる。」(K) |
|
詳細 | 108 |
2 | 12 | 子曰 君子不器 |
しいわく くんしはきならず |
孔子が言った 人格者は用途の限られた器ではない(KS) |
||
詳細 | 55 |
2 | 13 | 不言実行・一二三四五 | 子貢問君子 子曰 先行其言 而後從之 |
しこうくんしをとう しいわく まずそのげんをおこない しかるのちにこれにしたがう |
子貢が人格者について尋ねた 孔子が言った 言うことをまず実行して 後から語ることだ(KS) 子貢が君子のことをおたずねした。 先生はいわれた、 「 まずその言おうとすることを実行してから、あとでものをいうことだ。」(K) |
|
詳細 | 56 |
2 | 14 | 烏合の衆・類は友を呼ぶ | 子曰 君子周而不比 小人比而不周 |
しいわく くんしはしゅうしてひせず しょうじんはひしてしゅうせず |
孔子が言った 人格者は幅広く交際するが 非人格者は隔たった少数と交際する(KS) 先生がいわれた、 「君子はひろく親しんで 一 部の人におもねることはないが、 小人は一部でおもねりあつてひろく親しまない。」(K) |
人格に欠けている人は同じような人だけで集まろうとする傾向がある。そして、その集合のなかで優越感に浸っているから処置無しである。 |
詳細 | 57 |
2 | 15 | 考えよう!(本田宗一郎) | 子曰 學而不思則罔 思而不學則殆 | しいわく まなびでおもわざればすなわちくらし おもいてまなばざればすなわちあやうし | 孔子が言った 学んで考えなければ理解できない 学ばず考えれば独善になり危険だ(KS) 先生がいわれた、 「学んでも考えなけれぱ、 [ものごとは] はっきりしない。 考えても学ばなければ、 [独断におちいって] 危険である。」(K) |
知識を正しく学んで事実をしっかり調べても、自分の頭で考えなければ単なるアホ、たとえ懸命に考えても、正しい知識や事実関係を知ろうとしないなら単なるヤバい奴(木村岳史) |
詳細 | 58 |
2 | 16 | 子曰 攻乎異端 斯害也已 |
しいわく いたんをおさむるは これがいあるのみ |
孔子が言った 自分と異なる考えを攻撃するのは 害にしかならない(KS) 先生がいわれた 「聖人の道と違ったことを研究するのは、 ただ害があるだけだ。」(K) |
||
詳細 | 59 |
2 | 17 | 子曰 由 誨女知之乎 知之爲知之 不知爲不知 是知也 |
しいわく ゆう なんじにこれをしることをおしえんか これをしるをこれをしるとなし しらざるをしらずとなす これしるなり |
孔子が言った 仲由子路よ あなたに「知る」を教えよう 知っていることを知っていると認め 知らないことを知らないと認めること これが「知る」ということだ(KS) 先生がいわれた、「由よ、 お前に知るということを教えようか。 知ったことは知ったこととし、知らないことは知らないこととする、それが知るということだ。」(K) |
無知の知、投資の神様として知られるウォーレンバフェットも言及している。 | |
詳細 | 109 |
2 | 18 | 子張學干祿 子曰 多聞闕疑 愼言其餘 則寡尤 多見闕殆 愼行其餘 則寡悔 言寡尤 行寡悔 祿在其中矣 |
しちょうろくをもとむるをまなぶ しいわく おおくききてうたがわしきをかき つつしみてそのあまりをいえば とがめすくなし おおくみてあやうきをかき つつしみてそのあまりをおこなえば くいすくなし げんにとがめすくなく おこないにくいすくなければ ろくそのうちにあり |
子張が俸禄をもらう方法を尋ねた 孔子が言った 多くの意見を聞いて疑わしいものを除去し 意見を言うようにすれば 他人から非難されにくくなる 多くの物事を見て悪いものを除去し 行動に反映させれば 公開することが少なくなる 言葉を非難されず 行動に後悔がなければ 王の信頼を得て、願いがかなう(KS) |
||
詳細 | 36 |
2 | 19 | 哀公問曰 何爲則民服 孔子對曰 舉直錯諸枉 則民服 舉枉錯諸直 則民不服 |
あいこうとうていわく なにをなさばすなわちたみふくせん こうしこたえていわく なおきをあげてこれをまがれるにおけば すなわちたみふくせん まがれるをあげてこれをなおきにおけば すなわちたみふくせず |
哀公が質問した どうすれば民衆が従うか 孔子が答えた 誠実な人を不誠実な人の上に置けば 民衆は意志に従う 不誠実な人を誠実な人の上に置けば 民衆は意志に従わない(KS) 哀公が孔子に「どうすれば国民は服従してくれるのでしょうか。」と尋ねました。孔子がおっしゃるには、「まっすぐな志をもった人を起用して、曲がった心をもった人の上に抜擢すれば国民はみなついてくるでしょう。反対に、徳のないような曲がった人を起用し、まっすぐな志を持った人たちの上におくのであれば、国民はついてこないでしょう」とのことです |
ポストに拘り、上にゴマをする人を採用してはいけない。中途採用にあたり、人事部門はよくよく気を付ける必要がある。 | |
詳細 | 60 |
2 | 19 | 哀公問曰 何爲則民服 孔子對曰 舉直錯諸枉 則民服 舉枉錯諸直 則民不服 |
あいこうとうていわく なにをなさばすなわちたみふくせん こうしこたえていわく なおきをあげてこれをまがれるにおけば すなわちたみふくせん まがれるをあげてこれをなおきにおけば すなわちたみふくせず |
哀公が 「どうしたら人民が服従するだろうか。」 とおたずねになったので、 孔子は答えられた、 「正しい人々をひきたてて邪悪な人々の上に位づけたなら、 人民は服従いたしますが、 邪悪な人々をひきたてて正しい人々の上に 位づけたなら、 人民は服従いたしません。」(K) | 社長がバッシングされるような会社はオワコン | |
詳細 | 110 |
2 | 20 | 季康子問 使民敬忠 以勸 如之何 子曰 臨之以莊則敬 孝慈則忠 舉善而教不能則勸 |
きこうしとう たみをしてけいちゅうにして もってすすましむるには これをいかんせん しいわく これにのぞむにそうをもってすればすなわちけい こうじなればすなわちちゅう ぜんをあげてふのうをおしうればすすむ |
季康子が尋ねた 民衆から敬意忠実を受けて 民衆が仕事に励むには どうすればよいか 孔子が言った 威厳のある態度をとれば 民衆はあなたを敬う 善人を登用し未熟者を教育すれば仕事に励む(KS) |
||
詳細 | 111 |
2 | 21 | 或謂孔子曰 子奚不爲政 子曰 書云 孝乎惟孝 友于兄弟 施於有政 是亦爲政 奚其爲爲政 |
あるひとこうしにいいていわく しなんぞまつりごとをなさざる しいわく しょにいう こうなるかこれこう けいていにゆうなり ゆうせいにほどこすと これまたまつりごとをなすなり なんぞそれまつりごとをなすことをなさん |
ある人が孔子に尋ねた どうして政治にかかわらないのかと 孔子が言った 書経に 親孝行し 友達・兄弟と仲良くすれば 政治に良い影響を与える とある それもまた政治にかかわることだ なぜ実際に政治にかかわる必要があるのか(KS) |
||
詳細 | 61 |
2 | 22 | 子曰 人而無信 不知其可也 大車無輗 小車無軏 其何以行之哉 |
しいわく ひとにしてしんなくんば そのかなるをしらざるなり たいしゃにげいなく しょうしゃにげつなくんば それなにをもってかこれをやらんや |
孔子が言った 人として信義が無ければ うまくやっていくことはできない 大きな牛車に横木がなく 小さな馬車に横木止めがなければ どうして走らせることができるだろうか(KS) 先生がいわれた、 「人として信義がなけれぱ、 うまくやつていけるはずがない。 牛車にながしえのはしの横木がなく、 馬車にながしえのはしのくびき止めがないのでは、 [牛馬をっなぐこともできない] 一 体どうやって動かせようか。」(K) |
車の両輪のバランスが取れて初めて車はまっすぐに進む | |
詳細 | 112 |
2 | 23 | 子張問 十世可知也 子曰 殷因於夏禮 所損益可知也 周因於殷禮 所損益可知也 其或繼周者 雖百世可知也 |
しちょうとう じゅっせいしるべきや しいわく いんはかのれいによる そんえきするところしるべきなり しゅうはいんのれいによる そんえきするところしるべきなり それあるいはしゅうにつぐものは ひゃくせいといえどもしるべきなり |
子張が尋ねた 10世代後の世の中を予見できるか 孔子が言った 殷は夏の儀礼を受け継いでいる 何を改めたか記録でわかる 周は殷の儀礼を受け継いでいる 何を改めたか記録でわかる たとえ周をどの王朝が受け継いだとして 100世代先まで予見できる(KS) |
||
詳細 | 113 |
2 | 24 | 義をみて為さざるは勇なきなり | 子曰 非其鬼而祭之 諂也 見義不爲 無勇也 |
しいわく そのきにあらずしてこれをまつるは へつらいなり ぎをみてなさざるは ゆうなきなり |
孔子が言った 自分の祖先でもないのに祭るのは 諂うことだ 正義を行うときに行動しないのは 臆病者だ(KS) |
|
詳細 | 39 |
3 | 1 | 孔子謂季氏 八佾舞於庭 是可忍也 孰不可忍也 |
こうしきしをいう はちいつをていにまわす これをしのぶべくんば いずれをかしのぶべからざらん |
孔子が季(孫)氏を批判して言った 八列編成の舞踊を自分の庭で舞わせた この無礼が我慢できるなら 私はどんな事も我慢できる(KS) 孔子が季氏のことをこういわれた、 「八列の舞をその廟の庭で舞わせている。 その非礼までも [とがめずに] しんぼうできるなら、 どんなことだってしんぼうできよう。 (わたしにはがまんができない。)(K) |
越権行為:長期にわたり同じ業務を担当していると自分が偉くなったと勘違いして上から目線で仕事をしてしまうことがある。特に事業所の管理部門では顕著であり、”お山の大将”とはよく言ったものであろう。 | |
詳細 | 69 |
3 | 2 | 三家者以雍徹 子曰 相維辟公 天子穆穆 奚取於三家之堂 |
さんかしゃようをもっててっす しいわく たすくるはこれへきこう てんしはぼくぼくたりと なんぞさんかのどうにとらん |
(魯の)御三家が(祭礼を)雍の歌で締めた 孔子が言った 歌詞に、諸侯は天子を助けて 天子はうるわしくあられるとある よくその歌を御三家で歌わせたものだ(KS) (魯の)御三家が(祭礼を)雍の歌で締めた 孔子が言った 歌詞に、諸侯は天子を助けて 天子はうるわしくあられるとある よくその歌を御三家で歌わせたものだ |
||
詳細 | 70 |
3 | 3 | 子曰 人而不仁 如禮何 人而不仁 如樂何 |
しいわく ひとにしてふじんならば れいをいかんせん ひとにしてふじんならば がくをいかんせん |
孔子が言った 仁愛を持たぬ人が 礼儀正しくしても無意味 仁愛を持たぬ人が 音楽を奏でても無意味(KS) 孔子が言った 仁愛を持たぬ人が 礼儀正しくしても無意味 仁愛を持たぬ人が 音楽を奏でても無意味 |
||
詳細 | 71 |
3 | 4 | 林放問禮之本 子曰 大哉問 禮與其奢也寧儉 喪與其易也寧戚 |
りんぽうれいのもとをとう しいわく だいなるかなといや れいはそのおごらんよりはむしろけんせよ そうはそのおさめんよりはむしろいため |
林放が礼の基本を尋ねた 孔子が言った 良い質問だ 儀式は華美より、慎ましく 葬式は体裁より、心から悼む(KS) |
||
詳細 | 72 |
3 | 5 | 子曰 夷狄之有君 不如諸夏之亡也 |
しいわく いてきすらこれきみあり しょかのなきがごとくならず |
孔子が言った 野蛮な国々に君主がいるのに 今の中国には君主が存在していないかのようだ(KS) |
||
詳細 | 19 |
3 | 6 | 季氏旅於泰山 子謂冉有曰 女弗能救與 對曰 不能 子曰 嗚呼 曾謂泰山不如林放乎 |
きしたいざんにりょす しぜんゆうにいいていわく なんじすくうことあたわざるか こたえていわく あたわず しいわく ああ すなわちたいざんをりんぽうにしかずとおもえるか |
季(孫)氏が泰山で祭祀をしようとしていた 孔子はそれを知り冉有に尋ねた あなたは季氏の不遜な行いを止めれるか 冉有が答えた 出来ません 孔子がいった ああ あなたは神聖な泰山が林放にも劣ると思っているのか?(KS) 季氏が泰山で旅の祭をしようとした。先生が再有に向かって、「お前にはやめさせることができないのか。」 といわれるとヽ 「 できません。」と答えたので、 先生はいわれたヽ 「ああ、 泰山が林放にも及ばいと思っているのか。」 |
||
詳細 | 73 |
3 | 7 | 子曰 君子無所爭 必也射乎 揖讓而升下 而飮 其爭也君子 |
しいわく くんしはあらそうところなし かならずやしゃか ゆうじょうしてしょうかし しこうしてのましむ そのあらそいやくんしなり |
孔子が言った 人格者は争いを好まない せいぜい弓の腕前を競うくらいだ 相手に対しお互いが礼儀正しく譲り合い 酒を振る舞う これこそ君子の争いの作法だ |
||
詳細 | 74 |
3 | 8 | 子夏問曰 巧笑倩兮 美目盼兮 素以爲絢兮 何謂也 子曰 繪事後素 曰 禮後乎 子曰 起予者商也 始可與言詩已矣 |
しかといていわく こうしょうせんたり びもくはんたり そもってあやをなすとは なんのいいぞや しいわく かいじはそをのちにす いわく れいはのちなるか しいわく われをおこすものはしょうなり はじめてともにしをいうべきのみ |
子夏が尋ねた 微笑(ほほ)めばえくぼができ 目はぱっちりと美しい おしろいをつけたその顔はあでやかだ (と詩経にあるが)どうゆう意味か? 孔子が言った 絵を描くとき最後に胡粉で仕上げる様なものだ (子夏が)言った 礼とは人間の仕上げの様なものですか 孔子が言った これは私でも気づかなかった これからあなたと詩経について語り合えそうだ(KS) |
||
詳細 | 75 |
3 | 9 | 子曰 夏禮吾能言之 杞不足徴也 殷禮吾能言之 宋不足徴也 文獻不足故也 足則吾能徴之矣 |
しいわく かのれいはわれよくこれをいえども きはちょうするにたらざるなり いんのれいはわれよくこれをいえども そうはちょうするにたらざるなり ぶんけんたらざるがゆえなり たらばすなわちわれよくこれをちょうせん |
孔子が言った 私は夏王朝の礼について話せるが 杞の国には裏づけとなる資料が伝わっていない 殷王朝の礼についても話せるが 宋の国には裏づけとなる資料が伝わっていない もし十分な資料が残っていれば 私はもっとそれらから学べるのだが(KS) |
||
詳細 | 76 |
3 | 10 | 子曰 禘自既灌而往者 吾不欲觀之矣 |
しいわく ていはすでにかんしてよりのちは われこれをみるをほっせず |
孔子が言った 禘の祭事で灌の儀式が終わったあとは もう私は観る気がしない(KS) |
||
詳細 | 77 |
3 | 11 | 或問禘之説 子曰 不知也 知其説者之於天下也 其如示諸斯乎 指其掌 |
あるひとていのせつをとう しいわく しらざるなり そのせつをしるもののてんかにおけるや それこれをここにしめすがごときかと そのたなごころをさせり |
ある人が禘の祭礼について尋ねた 孔子は言った 私は知らない もしそれを知っている人がいるなら 天下をここに置いて観るようなものだろうと 自分の手のひらを指さしながら言った(KS) |
||
詳細 | 78 |
3 | 12 | 祭如在 祭神如神在 子曰 吾不與 祭如不祭 |
まつることいますがごとくす かみをまつるにはかみいますがごとくす しいわく われまつりにあずからざれば まつらざるがごとし |
祖霊を祭る時に そこに祖先がいるように執り行った 孔子が言った 私が実際に参加しないと きちんと祭祀をした気分にならないのだ(KS) |
||
詳細 | 79 |
3 | 13 | 王孫賈問曰 與其媚於奧 寧媚於竈 何謂也 子曰 不然 獲罪於天 無所禱也 |
おうそんかといていわく そのおうにこびんよりは むしろそうにこびよ とはなんのいいぞや しいわく しからず つみをてんにうれば いのるところなきなり |
王孫賈が尋ねた 応接間の神様に祈るより 竈(かまど)の神に祈る方が良いと (ことわざにあるが)どういう意味か 孔子が言った (そのことわざは)間違っている 天上の神様から罪を受ければ どの神に祈っても無駄だからである(KS) 王孫賣が 「『部屋の神のきげんどりより、 かまどの神のきげんをとれ。』 と [いう請 ] は、どういうことです。」 とたずねた。 [衛の主君よりも、権臣である自分のきげんをとれ、というなぞである。] 先生はいわれた、「[その請は〕 まちがっています。 [かまどの神や部屋の神よりも、最高の] 天に対して罪をおかしたなら、 どこにも祈りようはないものです。」 |
||
詳細 | 80 |
3 | 14 | 子曰 周監於二代 郁郁乎文哉 吾從周 |
しいわく しゅうはにだいにかんがみて いくいくとしてぶんなるかな われはしゅうにしたがわん |
孔子が言った 周の文化は2代王朝のものを受け継いでいる なんともかぐわしく華やかであろうか 私は周の文化や礼制に従う(KS) |
||
詳細 | 81 |
3 | 15 | 子入太廟 毎事問 或曰 孰謂鄹人之子知禮乎 入太廟 毎事問 子聞之曰 是禮也 |
したいびょうにいりて ことごとにとう あるひといわく たれかすうひとのこをれいをしるというや たいびょうにいりて ことごとにとう しこれをききていわく これれいなり |
孔子が太廟で祭事の責任者を務めた時 儀式について細かく先輩に尋ねた ある人が言った 誰が出自の卑しい人間が礼に詳しいというのだ 太廟での祭事で 細かく尋ねているが 孔子はそれを聞いて言った これこそ正しい礼の作法というものだ(KS) |
||
詳細 | 82 |
3 | 16 | 子曰 射不主皮 爲力不同科 古之道也 |
しいわく しゃはひをしゅとせず ちからをなすにかをおなじくせず いにしえのみちなり |
孔子が言った 弓競技では的を射抜くことが目的ではない 人々の技術力には差があるからである これは昔から伝わる作法である(KS) |
||
詳細 | 83 |
3 | 17 | 子貢 欲去告朔之餼羊 子曰 賜也 爾愛其羊 我愛其禮 |
しこう こくさくのきようをさらんとほっす しいわく しや なんじはそのひつじをおしむ われはそのれいをおしむ |
子貢が 告朔に捧げられる羊をやめようと提案した 孔子が言った 子貢よ あなたは羊を惜しむだろうが 私は伝統を重んじる(KS) |
||
詳細 | 84 |
3 | 18 | 子曰 事君盡禮 人以爲諂也 |
しいわく きみにつかうるにれいをつくせば ひともってへつらいとなすなり |
孔子が言った 主君に対して礼を尽くして仕えていると 人々は媚びているという(KS) |
||
詳細 | 85 |
3 | 19 | 定公問 君使臣 臣事君 如之何 孔子對曰 君使臣以禮 臣事君以忠 |
ていこうとう きみしんをつかい しんきみにつかうるには これをいかんせん こうしこたえていわく きみしんをつかうにれいをもってし しんきみにつかうるにちゅうをもってす |
定公が尋ねた 君主はどの様に家臣を扱い 家臣はどの様に君主に仕えるべきか どのようにしたらよいか 孔子が答えた 君主は礼儀をもって家臣を扱い 家臣は忠義をもって君主に仕える(KS) |
||
詳細 | 86 |
3 | 20 | 子曰 關雎樂而不淫 哀而不傷 |
しいわく かんしょはたのしみていんせず かなしみてやぶらず |
孔子が言った 關雎の詩は喜びを表しているが淫らではなく 哀しみを表しているが悲嘆ではない(KS) |
||
詳細 | 87 |
3 | 21 | 哀公問社於宰我 宰我對曰 夏后氏以松 殷人以栢 周人以栗 曰使民戰栗 子聞之曰 成事不説 遂事不諫 既往不咎 |
あいこうしゃをさいがにとう さいがこたえていわく かこうしはまつをもってし いんひとははくをもってし しゅうひとはくりをもってす いわくたみをしてせんりつせしむると しこれをききていわく せいじはとかず すいじはいさめず きおうはとがめず |
哀公が宰我に社の神木について尋ねた 宰我は答えた 夏の時代は松を植え 殷の時代は柏を植え 周の時代は栗を植えた 社の刑罰で人々を戦慄させるために 孔子はこれを聞いて言った 起きた事は語らない 遂げられた事は止められない 過去の過ちはとがめない(KS) |
||
詳細 | 88 |
3 | 22 | 子曰 管仲之器小哉 或曰 管仲儉乎 曰 管氏有三歸 官事不攝 焉得儉 然則管仲知禮乎 曰 邦君樹塞門 管氏亦樹塞門 邦君爲兩君之好 有反坫 管氏亦有反坫 管氏而知禮 孰不知禮 |
しいわく かんちゅうのうつわはしょうなるかな あるひといわく かんちゅうはけんなるか いわく かんしにさんきあり かんのことはかねず いずくんぞけんなるをえん しからばすなわちかんちゅうはれいをしれるか いわく ほうくんはじゅしてもんをふさぐ かんしもまたじゅしてもんをふさぐ ほうくんはりょうくんのよしみをなすに はんてんあり かんしもまたはんてんあり かんしにしてれいをしらば たれかれいをしらざらん |
孔子が言った 管仲は器の小さい人間だ ある人が言った ケチな人間と言う事ですか 孔子が言った 彼は3つの邸宅を持ち 各邸宅に役割ごとに使用人が居た どうして彼をケチと言えるだろうか ある人が、彼は礼をわきまえていましたか? 孔子は言った 諸侯は門に目隠しの生け垣を立てるが 彼は同じように生垣をたてた 諸侯同士が会う時には 盃を載せる台を用いるが 彼は同じように使用していた 彼が礼を弁えていたといえるなら みんな礼を弁えているだろう(KS) |
||
詳細 | 89 |
3 | 23 | 子語魯大師樂曰 樂其可知也 始作翕如也 從之純如也 皦如也 繹如也以成 |
しろのたいしにがくをかたりていわく がくはそれしるべきなり はじめおこすにきゅうじょたり これをはなちてじゅんじょたり きょうじょたり えきじょたりもってなる |
孔子が魯の楽官長に音楽について言った 私は音楽について理解している 始めに一斉に大きな音がなり 次に静かに調和する そして各楽器の特徴を生かした演奏がなされ 最後にすべての音が連なるように終わる(KS) |
||
詳細 | 90 |
3 | 24 | 前田利家 | 儀封人請見 曰 君子之至於斯也 吾未嘗不得見也 從者見之 出曰 二三子 何患於喪乎 天下之無道也久矣 天將以夫子爲木鐸 |
ぎのほうじんまみえんことをこう いわく くんしのここにいたるや われいまだかつてまみゆることをえずんばあらざるなり じゅうしゃこれをまみえしむ いでていわく にさんし なんぞうしなうことをうれえんや てんかのみちなきやひさし てんまさにふうしをもってぼくたくとなさんとす |
儀の関所を通る時に孔子に面会を求めた人がいた 孔子が言った すべての人格者がこの関所を通るときに 私はお目にかからないためしはありません 弟子達は彼を孔子に会わせた 面会を終えて出てきた彼が弟子たちに言った 皆さん 孔子が官職を失った事を嘆かないで下さい 天下の人々から道徳や信義が失われて随分たつ 天は孔子を各地にお遣わしなさっているのだ(KS) |
前田利家の座右の銘、書き写して懐にいれており、折りに触れて部下に見せて講釈したという。 |
詳細 | 91 |
3 | 25 | 子謂韶 盡美矣 又盡善也 謂武 盡美矣 未盡善也 |
ししょうをいう びをつくせり またぜんをつくせり ぶをいう びをつくせり いまだぜんをつくさざるなり |
孔子が韶(しょう)という曲について言った とても美しい旋律を持ち 深い感動を呼び起こす曲だ 武王の時代に演奏された曲について言った とても美しい旋律を持ってはいるが 感動という点においては今ひとつだ(KS) |
||
詳細 | 92 |
3 | 26 | 子曰 居上不寛 爲禮不敬 臨喪不哀 吾何以觀之哉 |
しいわく かみにいてかんならず れいをなしてけいせず もにのぞんでかなしまずんば われなにをもってかこれをみんや |
孔子が言った 人の上に立つが寛容さがない者 礼儀正しいが敬意を持たぬ者 葬儀に参列しながら弔意を持たぬ者 この様な人から美点は見出せない(KS) |
このような人は社長になってはいけない | |
詳細 | 114 |
4 | 1 | 子曰 里仁爲美 擇不處仁 焉得知 |
しいわく りはじんなるをよしとなす えらんでじんにおらずんば いずくんぞちなるをえん |
孔子が言った 仁愛の心に重きを置くことは美しいことだ 自分の利益のために仁愛を軽んじるなら 賢明な人間だとは決していえない(KS) |
||
詳細 | 115 |
4 | 2 | 子曰 不仁者 不可以久處約 不可以長處樂 仁者安仁 知者利仁 |
しいわく ふじんしゃは もってひさしくやくにおるべからず もってながくらくにおるべからず じんしゃはじんにやすんじ ちしゃはじんをりす |
孔子が言った 仁愛の心を持たぬ人々は みじめな生活に耐えられない 安楽な生活を続けられない 仁愛の心を持つ人々は安らいだ生活をし 知恵ある人々は仁愛の利点を知っている(KS) |
||
詳細 | 116 |
4 | 3 | 子曰 惟仁者能好人 能惡人 |
しいわく ただじんしゃのみよくひとをこのみ よくひとをにくむ |
孔子が言った 仁愛の心を持つものだけが人を愛し 憎むことができる(KS) |
||
詳細 | 117 |
4 | 4 | 子曰 苟志於仁矣 無惡也 |
しいわく いやしくもじんにこころざせば あしきことなきなり |
孔子が言った 仁者であろうとしている人は 悪いことなどしない(KS) |
||
詳細 | 118 |
4 | 5 | 子曰 富與貴 是人之所欲也 不以其道得之 不處也 貧與賤 是人之所惡也 不以其道得之 不去也 君子去仁 惡乎成名 君子 無終食之間違仁 造次必於是 巓沛必於是 |
しいわく とみとたっときとは これひとのほっするところなり そのみちをもってせざれば これをうともおらざるなり ひんとせんとは これひとのにくむところなり そのみちをもってせざれば これをうともさらざるなり くんしはじんをさりて いずくにかなをなさん くんしは しゅうしょくのかんもじんにたがうことなく ぞうじにもかならずここにおいてし てんぱいにもかならずここにおいてす |
孔子が言った 富と名誉は 人々が求めるものだ 不正でこれらを得たなら それらを受け入れてはならない 貧困と蔑みは 人々が嫌うものだ 自らの過失によってこれらを得たなら それらを受け入れなければならない 人格者ではない 仁愛の心を持たぬ者は 人格者は 食事中でも仁愛を持って行動する あわただしいときにも仁を念頭においている つまずいて倒れるときも仁を念頭においている(KS) |
||
詳細 | 119 |
4 | 6 | 子曰 我未見好仁者 惡不仁者 好仁者 無以尚之 惡不仁者 其爲仁矣 不使不仁者加乎其身 有能一日 用其力於仁矣乎 我未見力不足者 蓋有之矣 我未之見也 |
しいわく われいまだじんをこのむもの ふじんをにくむをみず じんをこのむものは もってこれにくわうるなし ふじんをにくむものは それじんをなさん ふじんしゃをしてそのみにくわえしめず よくいちじつも そのちからをじんにもちうることあらんか われいまだちからのたらざるものをみず けだしこれあらん われいまだこれをみざるなり |
孔子が言った 私は今まで仁徳を愛し不徳を憎む者を見たことが無い 仁徳を愛する者はそれだけで人として十分といえる 不徳を憎む者は仁徳に務めようと考え不徳な行いをする人たちから遠ざかる もし努力するなら人が仁徳にかなう様に仁徳に適うことが出来ると思う 非常に困難だといわれるかもしれないが私はそうは思わない(KS) |
||
詳細 | 120 |
4 | 7 | 子曰 人之過也 各於其黨 觀過斯知仁矣 |
しいわく ひとのあやまちや おのおのそのとうにおいてす あやまちをみてここにじんをしる |
孔子が言った 人はよく過ちを犯す その過ちを観察すれば その人の人柄が理解できる(KS) |
||
詳細 | 121 |
4 | 8 | 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり | 子曰 朝聞道 夕死可矣 |
しいわく あしたにみちをきかば ゆうべにしすともかなり |
孔子が言った 朝に正しい道を知ることが出来たら その日の夕方に死んでも構わない(KS) |
|
詳細 | 122 |
4 | 9 | 子曰 士志於道 而恥惡衣惡食者 未足與議也 |
しいわく しみちにこころざして あくいあくしょくをはずるものは いまだともにはかるにたらざるなり |
孔子が言った 学問の道を志しながら 粗末な服や食事を恥じる人間は 学問を語り合うのに値しない(KS) |
||
詳細 | 123 |
4 | 10 | 子曰 君子之於天下也 無適也 無莫也 義之與比 |
しいわく くんしのてんかにおけるや てきなきなり ばくなきなり ぎにこれともにひす |
孔子が言った 人格者は天下の人に対するとき 仇敵もなければ 馴れ合いもなく 正義の人とだけ親しみ合う(KS) |
||
詳細 | 124 |
4 | 11 | 子曰 君子懷徳 小人懷土 君子懷刑 小人懷惠 |
しいわく くんしとくをおもえば しょうじんはどをおもい くんしけいをおもえば しょうじんはけいをおもう |
孔子が言った 人格者は徳を求め 非人格者は土地を求める 人格者は刑の効果を思う 非人格者は自分の利益のみを思う(KS) |
||
詳細 | 125 |
4 | 12 | 子曰 放於利而行 多怨 |
しいわく りによりておこなえば うらみおおし |
孔子が言った 自分の利益のために行動すれば 人々の恨みをかう(KS) |
参照4−16 | |
詳細 | 126 |
4 | 13 | 子曰 能以禮讓爲國乎 何有 不能以禮讓爲國 如禮何 |
しいわく よくれいじょうをもってくにをおさめんか なにかあらん よくれいじょうをもってくにをおさめずんば れいをいかんせん |
孔子が言った 譲り合いの心で統治すれば国家は 治まる 譲り合いの心が欠けた形式的な礼儀などに 何の意味があるか(KS) |
||
詳細 | 66 |
4 | 14 | 子曰 不患無位 患所以立 不患莫己知 求爲可知也 |
しいわく くらいなきをうれえず たつゆえんをうれう おのれをしることなきをうれえず しらるべきをなすをもとむるなり |
孔子が言った 地位が低い事を思い悩むのならば どうしたら高い地位を得られるか考えることだ 名声が無い事を思い悩むのならば どうしたら名声が得られるのか考えることだ(KS) 先生がいわれた、 「地位のないことを気にかけないで、 地位を得るための [正しい] 方法を気にかけることだ。 自分を認めてくれる人がいないことを気にかけないでヽ 認められるだけのことをしようと つとめることだ。」(K) |
実力もスキルもないのにポストばかりを気にして、人事異動の発令がある度に部長になれない、課長になれないと愚痴を言う人へ贈りたい言葉である。 | |
詳細 | 127 |
4 | 15 | 一以て之を貫く | 子曰 參乎 吾道一以貫之 曾子曰 唯 子出 門人問曰 何謂也 曾子曰 夫子之道 忠恕而已矣 |
しいわく しんや わがみちはいつもってこれをつらぬく そうしいわく い しいず もんじんといていわく なんのいいぞや そうしいわく ふうしのみちは ちゅうじょのみ |
孔子が言った 曾子(参)よ 私の人生は一つの事を貫くためにある 曾子が言った はい 孔子が出て行かれた 弟子の一人が尋ねた どういう意味でしょうか? 曾子が言った 孔子の人生は 真心を貫く事にあるのだ |
|
詳細 | 128 |
4 | 16 | 子曰 君子喩於義 小人喩於利 |
しいわく くんしはぎにさとり しょうじんはりにさとる |
孔子が言った 人格者は正しさを求め 非人格者は利益を求める(KS) |
経営者がどれだけ「人さまのために」自分を犠牲にしているか、逆に、いかに利益本位にやっているかで、その人格、品性の程度がわかる。利益本位にことを行う人は、つまらぬ人で、論語4-12で「利に放(よ)りて行えば、怨(うらみ)多し」と言ったように、怨がついて回り、人から嫌われることになる。 | |
詳細 | 28 |
4 | 17 | 子曰 見賢思齊焉 見不賢而内自省也 |
しいわく けんをみてはひとしからんことをおもい ふけんをみてはうちにみずからかえりみるなり |
孔子が言った 賢者に出会ったら良いお手本として見習い 愚者に出会ったら悪いお手本として反省しなさい(KS) 先生がいわれた、 「すぐれた人を見れば同じようになろうと思い、 っまらない人を見たときにはわれとわが心に反省することだ。」(K) |
人の振り見て我が振り直せ | |
詳細 | 129 |
4 | 18 | 子曰 事父母幾諫 見志不從 又敬不違 勞而不怨 |
しいわく ふぼにつかうるにはきかんす こころざしのしたがわざるをみては またけいしてたがわず ろうしてうらみず |
孔子が言った 両親に忠告する時は言葉を選びなさい 忠告が聞き入れられなかったとしても 無理強いはせず 怒ったり恨んだりしてはならない(KS) |
||
詳細 | 130 |
4 | 19 | 子曰 父母在 不遠遊 遊必有方 |
しいわく ふぼいませば とおくあそばず あそぶにかならずほうあり |
孔子が言った 両親が存命中は 遠くに出かけて留守にしてはならない 出かけるにしても旅程を告げてからにしなさい(KS) |
||
詳細 | 131 |
4 | 20 | 子曰 三年 無改於父之道 可謂孝矣 |
しいわく さんねん ちちのみちをあらたむることなきは こうというべし |
孔子が言った 3年間 父親の死後、父親のやり方を変えなければ 孝行な人間である(KS) |
||
詳細 | 132 |
4 | 21 | 子曰 父母之年 不可不知也 一則以喜 一則以懼 |
しいわく ふぼのとしは しらざるべからざるなり いつにはすなわちもってよろこび いつにはすなわちもっておそる |
孔子が言った 両親の年齢を 把握していなければならない 一つは長寿を喜び もう一つは健康を気遣うために(KS) |
||
詳細 | 49 |
4 | 22 | 子曰 古者 言之不出 恥躬之不逮也 | しいわく いにしえ げんのいださざるは みのおよばざるをはずればなり | 孔子が言った 昔の人々が寡黙であったのは、言葉が行動を伴わない事を恥としたからだ(KS) ----------------------------------------------- 先生がいわれた、 「昔の人がことばを [軽々しく] 口にしなかつたのは、実践がそれに追いつけないことを恥じたからだ。」(K) |
達成出来ない見込みを発表し、結局は下方修正を余儀なくされる経営者への警鐘 | |
詳細 | 48 |
4 | 23 | 子曰 以約失之者鮮矣 | しいわく やくをもってこれをうしなうものはすくなし | 孔子が言った 何事も節度を心がければ失敗が減る(KS) ----------------------------------------- 先生がいわれた、 「つつましくしていて失敗する人は、 ほとんど無い。」(K) |
企業業績見込みは控えめに発表すべきである。外部環境を言い訳にしても下方修正は社長の通信簿に成績として記録されることになる。 | |
詳細 | 133 |
4 | 24 | 子曰 君子欲訥於言 而敏於行 |
しいわく くんしはげんにとつにして おこないにびんならんことをほっす |
孔子が言った 人格者は言葉を控え目にして 行動を機敏にしたいと思う(KS) |
||
詳細 | 134 |
4 | 25 | 子曰 徳不孤 必有鄰 |
しいわく とくはこならず かならずとなりあり |
孔子が言った 徳があれば孤立しない 必ず仲間がいるものだ(KS) |
||
詳細 | 135 |
4 | 25 | 子曰 徳不孤 必有鄰 |
しいわく とくはこならず かならずとなりあり |
|||
詳細 | 14 |
4 | 26 | 子游曰 事君數 斯辱矣 朋友數 斯疏矣 |
しゆういわく きみにつかえてしばしばすれば ここにはずかしめらる ほうゆうにしばしばすれば ここにうとんぜらる |
子游が言った 主君に対して何度も注意をすると 主君の寵愛を失う 友人に対して何度も注意をすると 友情を失う(KS) 子游がいった、「君にお仕えしてうるさくすると [いやがられて君から] 恥辱をうけることになるし、 友だちにもうるさくすると疏遠にされるものだ」(K) |
猫の尻尾を踏む、猫の髭を引っ張る | |
詳細 | 136 |
5 | 1 | 冤罪 | 子謂公冶長 可妻也 雖在縲絏之中 非其罪也 以其子妻之 |
しこうやちょうをいう めあわすべきなり るいせつのうちにありといえども そのつみにあらざるなりと そのこをもってこれにめあわす |
孔子が公冶長について言った 彼には妻をもらう資格がある 彼は誤解され罪を受け投獄されたが 彼には何の罪もなかった 孔子は娘を公冶長と結婚させた(KS) |
孔子の生きた2500年前もおなじであったように、いつの世も冤罪は無くならない。コンプライアンスという言葉だけが一人歩きし、手段の目的化が危惧される。また、SNS的感覚で讒言を弄したり、フェイクを広める輩があとをたたない。 |
詳細 | 137 |
5 | 2 | 子謂南容 邦有道不廃 邦無道免於刑戮 以其兄之子妻之 |
しなんようをいう くににみちあればはいせられず くににみちなきもけいりくよりまぬかると そのあにのこをもってこれにめあわす |
孔子が南容について言った 彼は治世においては用いられ 乱世においては刑罰を免れるだろう 孔子は兄の娘を南容と結婚させた(KS) |
||
詳細 | 138 |
5 | 3 | 子謂子賤 君子哉若人 魯無君子者 斯焉取斯 |
ししせんをいう くんしなるかなかくのごときひと ろにくんししゃなくんば これいずくにかこれをとらん |
孔子が子賎について言った 彼は人格者だ 魯の国に彼の手本となる人物がいて 彼は人格者となった(KS) |
||
詳細 | 139 |
5 | 4 | 子貢問曰 賜也何如 子曰 女器也 曰 何器也 曰 瑚璉也 |
しこうといていわく しやいかん しいわく なんじはきなり いわく なんのきぞや いわく これんなり |
子貢が孔子に尋ねた 私はいかがでしょうか? 孔子は言った あなたは器だ 子貢は言った どの様な器でしょうか? 孔子は言った 瑚璉(祭祀に用いる貴重な食器)である(KS) |
||
詳細 | 140 |
5 | 5 | 或曰 雍也仁而不佞 子曰 焉用佞 禦人以口給 屢憎於人 不知其仁 焉用佞也 |
あるひといわく ようやじんにしてねいならず しいわく いずくんぞねいをもちいん ひとをふせぐにこうきゅうをもってすれば しばしばひとににくまる そのじんなるをしらず いずくんぞねいをもちいん |
ある人が言った 雍は人格者だが口下手だ 孔子がこれを聞いておっしゃいました、 口下手でもよい 人を説得するのに弁舌をもってすれば 人から嫌われる 雍が人格者かどうかは知らないが 能弁である必要はない(KS) |
||
詳細 | 141 |
5 | 6 | 子使漆彫開仕 對曰 吾斯之未能信 子説 |
ししつちょうかいをしてつかえしむ こたえていわく われこれをこれいまだしんずることあたわず しよろこぶ |
ある人が言った 雍は人格者だが口下手だ 孔子がこれを聞いておっしゃいました、 口下手でもよい 人を説得するのに弁舌をもってすれば 人から嫌われる 雍が人格者かどうかは知らないが 能弁である必要はない(KS) |
||
詳細 | 142 |
5 | 7 | 子曰 道不行 乘桴浮于海 從我者其由與 子路聞之喜 子曰 由也好勇過我 無所取材 |
しいわく みちおこなわれず いかだにのりてうみにうかばん われにしたがうものはそれゆうなるか しろこれをききてよろこぶ しいわく ゆうやゆうをこのむことわれにすぎたり ざいをとるところなし |
孔子が言った 天下は秩序乱れている 筏にのって海外にでもいこうか もし行く場合について来るのは子路だろう 子路はこれを聞いて喜んだ 孔子は言った 子路の勇気は私以上だが 筏の材料はどうするのだ?(KS) |
||
詳細 | 143 |
5 | 8 | 一を聞いて十を知る | 孟武伯問 子路仁乎 子曰 不知也 又問 子曰 由也 千乘之國 可使治其賦也 不知其仁也 求也何如 子曰 求也 千室之邑 百乘之家 可使爲之宰也 不知其仁也 赤也何如 子曰 赤也束帶立於朝 可使與賓客言也 不知其仁也 |
もうぶはくとう しろはじんなるか しいわく しらざるなり またたとう しいわく ゆうや せんじょうのくに そのふをおさめしむべきなり そのじんをしらざるなり きゅうやいかん しいわく きゅうや せんしつのゆう ひゃくじょうのいえ これがさいたらしむべきなり そのじんをしらざるなり せきやいかん しいわく せきやそくたいしてちょうにたち ひんかくといわしむべきなり そのじんをしらざるなり |
孟武伯が尋ねた 子路は仁者ですか? 孔子が言った 解らない 孟武伯が同じ事を尋ねた 孔子が言った 子路は 諸国の 軍事長官ならば務まる 仁者であるかは解らない 孟武伯が冉求は仁者かと尋ねた 孔子が言った 冉求は 街の長官や 大貴族の 執事ならば務まる 仁者であるかは解らない 孟武伯が子華は仁者かと尋ねた 孔子が言った 子華は正装させた上で 外交官ならば勤まる 仁者であるかは解らない |
|
詳細 | 144 |
5 | 9 | 子謂子貢曰 女與回也孰愈 對曰 賜也何敢望回 回也聞一以知十 賜也聞一以知二 子曰 弗如也 吾與女弗如也 |
ししこうにいいていわく なんじとかいといずれかまされる こたえていわく しやなんぞあえてかいをのぞまん かいやいつをきいてもってじゅうをしる しやいつをきいてもってにをしるのみ しいわく しかざるなり われとなんじとしかざるなり |
孔子が子貢に尋ねた あなたと顔回はどちらが優れているか? 子貢が答えた 私は彼にとても及びません 彼は一を聞いて十を知る事が出来ますが 私は一を聞いて二を知るくらいです 孔子が言った そのとおりだ 私達はとても顔回には及ばない |
||
詳細 | 29 |
5 | 10 | 腐ったみかん | 宰予晝寝 子曰 朽木不可雕也 糞土之牆 不可杇也 於予與何誅 子曰 始吾於人也 聽其言而信其行 今吾於人也 聽其言而觀其行 於予與改是 |
さいよひるいぬ しいわく きゅうぼくはほるべからず ふんどのしょうは ぬるべからず よにおいてかなんぞせめん しいわく はじめわれひとにおけるや そのげんをききてそのおこないをしんぜり いまわれひとにおけるや そのげんをききてそのおこないをみる よにおいてかこれをあらたむ |
宰予が勉強しないで昼寝をした 孔子が言った 腐った木は彫れない 腐った土では 土塀は作れない どうやって宰予を叱ればよいだろう 孔子が言った 私は始めは 人の言葉を聞いてその行動を信じた 今は人の言葉を聞いたら その行動を見守る様になった 宰予のおかげで改めたのだ(KS) 宰予が [怠けて] 昼寝をした。 先生はいわれた、 「くさった木には彫刻できない。 ごみ土のかきねには上塗りできない。 予に対しては何を叱ろうぞ。 [叱つてもしかたがない。]」 先生は [また] いわれた、 「前にはわたしは人に対するのに、 ことぱを聞いてそれで行ないまで信用した。 今はわたしは人に対するのに、 ことぱを聞いてさらに行ないまで観察する。 予のことで改めたのだ。」(K) |
腐りきった組織には腐りきった社員が溜まる。ナマケモノに対する孔子の目は厳しい。あきらめの境地がみえる。think! 糞土の牆は杇るべからず 文字とは1,2,3,4,5かけ声だけ、仏道は行動、道元の教え |
詳細 | 145 |
5 | 11 | 子曰 吾未見剛者 或對曰申棖 子曰 棖也慾 焉得剛 |
しいわく われいまだごうしゃをみず あるひとこたえていわくしんとうと しいわく とうやよくあり いずくんぞごうなるをえん |
孔子が言った 私は今まで強い人間に会ったことがない ある人が申棖はいかがですかと尋ねた 孔子が言った 申棖は強欲だ どうして彼を強い人間といえるか |
||
詳細 | 146 |
5 | 12 | 子貢曰 我不欲人之加諸我也 吾亦欲無加諸人 子曰 賜也非爾所及也 |
しこういわく われひとのこれをわれにくわうることをほっせざるや われもまたこれをひとにくわうることなからんとほっす しいわく しやなんじのおよぶところにあらざるなり |
子貢が言った 私は人からされたく無いと思うことは 人にもしない様にしたいと思います 孔子が言った 子貢、それはお前には出来ない(KS) |
||
詳細 | 147 |
5 | 13 | 子貢曰 夫子之文章 可得而聞也 夫子之言性與天道 不可得而聞也 |
しこういわく ふうしのぶんしょうは えてきくべきなり ふうしのせいととんどうとをいうは えてきくべからざるなり |
子貢が言った 先生は道徳については 話されたのを聞いたが 人の性質や天地の法則については 話されたのはとてもわずかだった(KS) |
||
詳細 | 148 |
5 | 14 | 下問を恥じず | 子路有聞 未之能行 唯恐有聞 |
しろはきくことありて いまだこれをおこなうことあたわずんば ただきくことあるをおそる |
子路は以前に聞いた教えを 実践できるようになるまで 新しい教えを聞く事を恐れた(KS) |
|
詳細 | 149 |
5 | 15 | 子貢問曰 孔文子何以謂之文也 子曰 敏而好學 不恥下問 是以謂之文也 |
しこうといていわく こうぶんしはなにをもってこれをぶんというや しいわく びんにしてがくをこのみ かもんをはじず ここをもってこれをぶんというなり |
子貢が尋ねた 孔文子はなぜ文という諡(おくりな)をもつか 孔子が言った 彼は利発で学問を好み 目下の者に尋ねる事を恥なかった だから彼は死後に文という諡をもらった(KS) |
||
詳細 | 150 |
5 | 16 | 子謂子産 有君子之道四焉 其行己也恭 其事上也敬 其養民也惠 其使民也義 |
ししさんをいう くんしのみちよつあり そのおのれをおこなうやきょう そのかみにつかうるやけい そのたみをやしなうやけい そのたみをつかうやぎ |
孔子が子産について言った 彼は人格者で四つの美徳を備えていた 行いは恭しく 主君に忠実で 民衆には慈愛をそそぎ 民衆を使役する時には道理を重んじた(KS) |
||
詳細 | 151 |
5 | 17 | 子曰 晏平仲 善與人交 久而敬之 |
しいわく あんぺいちゅう よくひととまじわる ひさしくしてこれをけいす |
孔子が言った 晏平仲は人付き合いがよい 長い付き合いの友人に対しても 敬意を払った(KS) |
||
詳細 | 152 |
5 | 18 | 子曰 臧文仲 居蔡山節藻梲 何如其知也 |
しいわく ぞうぶんちゅう さいをおきせつをやまにしせつにそうす いかんぞそれちならんや |
孔子が言った 臧文仲は 一家臣の身で亀卜用の甲羅を所有し 柱の桝形には山の模様を 棟木を支える卯建には藻の模様を彫刻していた どうして彼が智者と言えるだろうか(KS) |
||
詳細 | 153 |
5 | 19 | 子張問曰 令尹子文 三仕爲令尹 無喜色 三已之 無慍色 舊令尹之政 必以告新令尹 何如 子曰 忠矣 曰 仁矣乎 曰 未知 焉得仁 崔子弑齊君 陳文子有馬十乘 棄而違之 至於他邦 則曰 猶吾大夫崔子也 違之 之一邦 則又曰 猶吾大夫崔子也 違之 何如 子曰 清矣 曰 仁矣乎 曰 未知 焉得仁 |
しちょうとうていわく れいいんしぶんは みたびつかえてれいいんとなりて きしょくなし みたびこれをやめて いかるいろなし きゅうれいいんのまつりごとは かならずもってしんれいいんにつぐ いかんぞや しいわく ちゅうなり いわく じんなるか いわく いまだちならず いずくんぞじんなるをえん さいしせいくんをしいす ちんぶんしうまじゅうじょうあり すててこれをさり たほうにいたる すなわちいわく なおわがたいふさいしのごときありと これをいさる いっぽうにいたりて すなわちまたいわく なおわがたいふさいしのごときありと これをさる いかんぞや しいわく せいなり いわく じんなるか いわく いまだちならず いずくんぞじんなるをえん |
子張が尋ねた 子文は 三度宰相に任命されたが 特に喜ばず 三度宰相を罷免されたが 特に不満も表さなかった 前任の宰相の政務を 後任の宰相に引継いだ いかがでしょう? 孔子が言った 忠実な人物だ 子張が言った 仁者とは言えませんか? 孔子が言った 知らない 仁者と言えるか解らない 子張が言った、崔子が主君を殺した時 陳文子は馬車十台を持っていたが それらを捨てて斉を去った そして他国を訪れた時に 言った 崔子の様な輩がこの国にも居ると言い 国を去った 次の国で また言った 崔子の様な輩がこの国にも居ると 国を去った 彼はいかがでしょうか? 孔子が言った 清廉な人物だ 子張が言った 仁者とは言えませんか? 孔子が言った 解らない 仁者と言えるかは(KS) |
||
詳細 | 7 |
5 | 20 | 季文子 三思而後行 子聞之曰 再斯可矣 |
きぶんしは みたびおもいてしかるのちにおこなう しこれをききていわく ふたたびせばこれかなり |
季文子は三度考えてからはじめて実行した。 先生はそれを聞かれるとヽ「 二度考えたらそれでよろしいよ。 [考えすぎはよくない。]」 といわれた。(K) | 考えているが実行に移せないひとへの言葉。背中を蹴ってあげることもひつようである。 |
|
詳細 | 154 |
5 | 21 | 子曰 甯武子 邦有道則知 邦無道則愚 其知可及也 其愚不可及也 |
しいわく ねいぶしは くににみちあればすなわちち くににみちなければすなわちぐなり そのちはおよぶべし そのぐはおよぶべからざるなり |
季文子は いつも物事を三度考えてから実行に移した 孔子がこれを聞いて言った 二度で十分だろう(KS) |
何事にも慎重すぎて結局タイミングを逃がしてしまうひとがいる。 出たとこ勝負も必要 |
|
詳細 | 155 |
5 | 22 | 子在陳曰 歸與歸與 吾黨之小子狂簡 斐然成章 不知所以裁之 |
しちんにありていわく かえらんかかえらんか わがとうのしょうしきょうかんにして ひぜんとしてしょうをなす これをさいするゆえんをしらず |
孔子が陳にいた時に言った さぁ帰ろう、さぁ帰ろう 故郷の若者たちの大志は まるで豪奢な錦の様だ しかし彼らはその断ち方を知らない(KS) |
||
詳細 | 156 |
5 | 23 | 子曰 伯夷叔齊 不念舊惡 怨是用希 |
しいわく はくいしゅくせいは きゅうあくをおもわず うらみここをもってまれなり |
孔子が言った 伯夷と叔齊の兄弟は 清廉で悪を憎んだ 彼らに恨みを抱く人はいない(KS) |
||
詳細 | 157 |
5 | 24 | 子曰 孰謂微生高直 或乞醯焉 乞諸其鄰而與之 |
しいわく たれかびせいこうをちょくなりというや あるひとけいをこう これをそのとなりにこいてこれにあたえたり |
孔子が言った 微生高を馬鹿正直という者がいるが 私はそうは思わない ある人が酢をもらいに彼の所に行ったら 隣人に借りてそれを与えた(KS) |
||
詳細 | 158 |
5 | 25 | 子曰 巧言令色足恭 左丘明恥之 丘亦恥之 匿怨而友其人 左丘明恥之 丘亦恥之 |
しいわく こうげんれいしょくすうきょうなるは さきゅうめいこれをはず きゅうもまたこれをはず うらみをかくしてそのひとをともとするは さきゅうめいこれをはず きゅうもまたこれをはず |
孔子が言った 左丘明は言葉巧みで愛想笑いが上手くて へつらいの上手い事を恥た 私も恥だと思う 嫌いな人間と うわべだけの交際をする事を恥とした 私も恥だと思う(KS) |
||
詳細 | 159 |
5 | 26 | 顏淵季路侍 子曰 盍各言爾志 子路曰 願車馬衣輕裘 與朋友共 敝之而無憾 顏淵曰 願無伐善 無施勞 子路曰 願聞子之志 子曰 老者安之 朋友信之 少者懷之 |
がんえんきろじす しいわく なんぞおのおのなんじのこころざしをいわざる しろいわく ねがわくはしゃばいけいきゅうを ほうゆうとともにし これをやぶりてうらみなからん がんえんいわく ねがわくはぜんにほこることなく ろうをほどこすことなからん しろいわく ねがわくはしのこころざしをきかん しいわく ろうしゃはこれをやすんじ ほうゆうはこれをしんじ しょうしゃはこれをなつけん |
顔淵と子路が孔子の側に仕えていた 孔子が言った あなたたちの志を聞かせてくれ 子路が言った 車、馬、服、何でも 友人と分かち合い それらを駄目にされても怒らない人になりたい 顔淵が言った 自分の善い行いに自惚れる事無く 人に苦労を押し付けない人になりたい 子路が言った 先生の志を聞かせてください 孔子が言った 老人から安心され 友人から信頼され 年少者から慕われる人だ(KS) |
||
詳細 | 160 |
5 | 27 | 子曰 已矣乎 吾未見能見其過 而内自訟者也 |
しいわく やんぬるかな われいまだよくそのあやまちをみて うちにみずからせむるものをみざるなり |
孔子が言った どうしようもない 私は自分の過ちを認めて 心から反省する人に会ったことがない |
||
詳細 | 161 |
5 | 28 | 子曰 十室之邑 必有忠信如丘者焉 不如丘之好學也 |
しいわく じっしつのゆう かならずちゅうしんきゅうのごときものあらん きゅうのがくをこのむにしかざるなり |
孔子が言った 家が10軒しかない村の中に 私くらい忠実な人がいるだろう しかし私くらい学問を好む人はそういない(KS) |
||
詳細 | 162 |
6 | 1 | 子曰 雍也可使南面 |
しいわく ようやなんめんせしむべし |
孔子が言った 雍は国を統治する器量がある(KS) |
||
詳細 | 163 |
6 | 2 | 仲弓問子桑伯子 子曰 可也簡 仲弓曰 居敬而行簡 以臨其民 不亦可乎 居簡而行簡 無乃大簡乎 子曰 雍之言然 |
ちゅうきゅうしそうはくしをとう しいわく かなりかんなり ちゅうきゅういわく けいにいてかんをおこない もってそのたみにのぞまば またかならずや かんにいてかんをおこなわば すなわちたいかんなることなからんや しいわく ようのげんしかり |
仲弓が子桑伯子について尋ねた 孔子が言った よい 仲弓が言った 彼が慎重に考えた上で鷹揚に事を行って 人々に接するならば 確かに良い人物です 彼がただ鷹揚であるだけならば 単に大雑把なだけでしょう 孔子が言った あなたの言うとおりだ(KS) |
||
詳細 | 164 |
6 | 3 | 哀公問 弟子孰爲好學 孔子對曰 有顔回者好學 不遷怒 不貳過 不幸短命死矣 今也則亡 未聞好學者也 |
あいこうとう ていしたれかがくをこのむとなす こうしこたえていわく がんかいなるものありてがくをこのみたり いかりをうつさず あやまちをふたたびせず ふこうたんめいにしてしせり いまやすなわちなし いまだがくをこのむものをきかざるなり |
哀公が尋ねた あなたの弟子で学問を好むのは誰ですか? 孔子は答えた 顔回という者がいて学問が好きで 他人に八つ当たりせず 同じ過ちを二度しませんでした 残念ながら若くして亡くなり 今はもういません 彼以外に学問を好むという者はいません(KS) |
||
詳細 | 165 |
6 | 4 | 子華使於齊 冉子爲其母請粟 子曰 與之釜 請益 曰 與之廋 冉子與之粟五秉 子曰 赤之適齊也 乗肥馬 衣輕裘 吾聞之也 君子周急不繼富 |
しかせいにつかいす ぜんしそのははのためにぞくをこう しいわく これにふをあたえよ まさんことをこう いわく これにゆをあたえよ ぜんしこれにぞくごへいをあたう しいわく せきのせいにゆくや ひばにのり けいきゅうをきる われこれをきく くんしはきゅうなるをすくいてとめるにつがず |
子華が斉に使いに行った 冉子が子華の母のために粟を欲した 孔子が言った 釜(一斗一升二合)を 与えなさい 冉子が言った 廋(二斗八升)を与えたい 冉子は粟を五秉(十四石)与えた 孔子が言った 子華が斉に行くとき 肥えた馬に乗り 良い毛皮の服を着ていたと わたしは聞いている 人格者は困った人を救い、富んだ人を助けない(KS) |
||
詳細 | 166 |
6 | 5 | 原思爲之宰 與之粟九百 辭 子曰 毋 以與爾鄰里郷黨乎 |
げんしこれがさいたり これにぞくきゅうひゃくをあたう じす しいわく なかれ もってなんじのりんりきょうとうにあたえんか |
原思が孔子の領地の宰となり 孔子は原思に粟九百を与えようとした 原思は辞退した 孔子は言った 遠慮しなくてよい あなたの隣近所に分け与えればよい(KS) |
||
詳細 | 167 |
6 | 6 | 子謂仲弓曰 犂牛之子 騂且角 雖欲勿用 山川其舎諸 |
しちゅうきゅうをいいていわく りぎゅうのこも あかくしてかつつのあらば もちうることなからんとほっすといえども さんせんそれこれをすてんや |
孔子が仲弓について言った 例えまだら牛であろうとも 赤毛で角があれば 祭りの生贄として用いられなくとも 山川の神が見棄てておくはずがない(KS) |
||
詳細 | 168 |
6 | 7 | 子曰 回也 其心三月不違仁 其餘則日月至焉而已矣 |
しいわく かいや そのこころさんげつじんにたがわず そのよはすなわちひにつきにいたるのみ |
孔子が言った 顔回は 3ヶ月も仁の心を忘れずにいられる 他の者では1日か、長くても1ヶ月くらいだろう(KS) |
||
詳細 | 169 |
6 | 8 | 季康子問 仲由可使從政也與 子曰 由也果 於從政乎何有 曰 賜也可使從政也與 曰 賜也達 於從政乎何有 曰 求也可使從政也與 曰 求也藝 於從政乎何有 |
きこうしとう ちゅうゆうはまつりごとにしたがわしむべきか しいわく ゆうやかなり まつりごとにしたがうにおいてかなにかあらん いわく しやまつりごとにしたがわしむべきか いわく しやたつなり まつりごとにしたがうにおいてかなにかあらん いわく きゅうやまつりごとにしたがわしむべきか いわく きゅうやげいあり まつりごとにしたがうにおいてかなにかあらん |
季康子が孔子に尋ねた 仲由に政務を任せてもよいか 孔子が言った 彼には決断力がある 政務くらい易々とこなす 季康子が言った 子貢に政務を任せてもよいか 孔子が言った 彼は道理を弁えている 政務くらい易々とこなす 季康子が言った 冉求に政務を任せてもよいか 孔子が言った 彼は多芸の持ち主だ 政務くらい易々とこなす(KS) |
||
詳細 | 170 |
6 | 9 | 季氏使 閔子騫爲費宰 閔子騫曰 善爲我辭焉 如有復我者 則吾必在汶上矣 |
きし びんしけんをしてひのさいたらしめんとす びんしけんいわく よくわがためにじせよ もしわれをふたたびするものあらば すなわちわれはかならずぶんのほとりにあらん |
季氏が使者を送った 閔子騫を費の長官に任命するため 閔子騫は使者に言った 申し訳ない辞退します もしさらに求められるようならば 私は斉との国境の汶の川沿いに引っ越す(KS) |
||
詳細 | 171 |
6 | 10 | 伯牛有疾 子問之 自牖執其手 曰 亡之命矣夫 斯人也而有斯疾也 斯人也而有斯疾也 |
はくぎゅうやまいあり しこれをとい まどよりそのてをとりて いわく これなからんめいなるかな このひとにしてこのやまいあるや このひとにしてこのやまいあるや |
伯牛が病になった 孔子は彼を見舞い 彼の手を取って 言った 天命とは無情である あなたの様な立派な人間が病にかかるとは あなたの様な立派な人間が病にかかるとは(KS) |
||
詳細 | 172 |
6 | 11 | 子曰 賢哉回也 一箪食 一瓢飮 在陋巷 人不堪其憂 回也不改其樂 賢哉回也 |
しいわく けんなるかなかいや いったんのし いっぴょうのいん ろうこうにあり ひとはそのうれいにたえず かいやそのたのしみをあらためず けんなるかなかいや |
孔子が言った 顔回は偉い 一杯のご飯と 一杯の汁だけで腹を満たし あばら家に住んでいる 普通の人ならば堪えられないだろう 顔回はむしろ楽しそうにしている 顔回はなんと偉いのだ(KS) |
||
詳細 | 11 |
6 | 12 | 冉求曰 非不説子之道 力不足也 子曰 力不足者 中道而廢 今女畫 |
ぜんきゅういわく しのみちをよろこばざるにあらず ちからたらざるなり しいわく ちからのたらざるものは ちゅうどうにしてはいす いまなんじはかぎれり |
冉求が言った 先生の教えを認めない訳ではないが 私たち凡人には難しすぎます 孔子は言った もしあなた達の能力が足りないのであれば その道の半ばで力尽きる しかしあなたはまだ始めてすらいない(KS) 冉求が「先生の道を〔学ぶことを〕うれしく思わないわけではありませんが、力が足りないのです。」といったので、先生はいわれた、「力の足りないものは〔進めるだけは進んで〕中途でやめることになるが、今お前は自分から見きりをつけている。(K) |
働き方改革とは休み方改革であるが、怠け方改革ではない。 仕事がが嫌いと公言するIT部門の管理職は自分の職務が24時間365日の緊張を強いられる職種であることを認識していない。 そのうちサーバー攻撃の餌食となり、謝罪の記者会見が待っている。 |
|
詳細 | 6 |
6 | 13 | 耳学問 | 子謂子夏曰 女爲君子儒 無爲小人儒 |
ししかにいいていわく なんじくんしのじゅとなれ しょうじんのじゅとなるなかれ |
孔子が子夏に言った 人格者としての儒学者になりなさい ただの儒学者となってはいけない(KS) 先生が子夏に向かつていわれた、 「 お前は君子としての学者になりなさい。 小人の学者にはならないように。」(K) |
耳学問として知っていることを得意げにベラベラ喋る何処ぞの管理職のようになってはいけない。 発言にはしっかりした裏打ちがなければならない |
詳細 | 173 |
6 | 14 | 子游爲武城宰 子曰 女得人焉耳乎 曰 有澹臺滅明者 行不由徑 非公事 未嘗至於偃之室也 |
しゆうぶじょうのさいとなる しいわく なんじひとをえたるか いわく たんだいめつめいなるものあり ゆくにこみちによらず こうじにあらざれば いまだかつてえんのしつにいたらざるなり |
子游が武城の長官になった 孔子が言った 誰か良い人物は見つかったか? 子游が言った 澹台滅明という者がいます 抜け道をつかって楽をしようとせず 公の用事以外で 私の部屋を訪れる事はありません(KS) |
||
詳細 | 174 |
6 | 15 | 子曰 孟之反不伐 奔而殿 將入門 策其馬曰 非敢後也 馬不進也 |
しいわく もうしはんほこらず はしりてでんたり まさにもんにいらんとす そのうまにむちうちていわく あえておくるるにあらざるなり うますすまざればなりと |
孔子が言った 孟之反は自分の手柄を自慢しない 我らが戦に負けたとき 殿(しんがり)を務めて味方の退却を援護した 城に戻ってから言った 殿(しんかり)を引き受けたのではない 馬が進まなかっただけなのだ(KS) |
||
詳細 | 175 |
6 | 16 | 子曰 不有祝鮀之佞 而有宋朝之美 難乎 免於今之世矣 |
しいわく しゅくだのねいあらずして そうちょうのびあるは かたいかな いまのよにまぬかれんこと |
孔子が言った 祝鮀の様な弁舌の才が無いのに 宋朝の様な美貌を持っていたら 難しいだろう 今の世の中を上手く渡っていくのは(KS) |
||
詳細 | 27 |
6 | 17 | 子曰 誰能出不由戸 何莫由斯道也 |
しいわく たれかよくいずるにこによらざらん なんぞこのみちによることなきや |
孔子が言った 部屋から出るには誰でも戸口を通る 生きるにあたって私の道を通らないのは何故だろうか(KS) 先生がいわれた、「だれでも出てゆくのに戸口を通らなくてよいものはない。〔人として生きてゆくのに〕どうしてこの道を通るものがないのだろうか(K) |
||
詳細 | 176 |
6 | 18 | 子曰 質勝文則野 文勝質則史 文質彬彬 然後君子 |
しいわく しつぶんにかてばすなわちやなり ぶんしつにかてばすなわちしなり ぶんしつひんぴんとして しかるのちにくんしなり |
孔子が言った 外見にこだわらず内面だけを重んじると野暮 内面にこだわらず外見だけを重んじれば薄い 内面と外見を良く保つ しかる後に人格者になる(KS) |
||
詳細 | 177 |
6 | 19 | 子曰 人之生也直 罔之生也 幸而免 |
しいわく ひとのいくるやなおし これをなみしていくるや さいわいにしてまぬかるるのみ |
孔子が言った 人が生かされているのは真っ直ぐに生きるから もし曲がった人生を送っている者がいても それはこれまで運が良かっただけだ(KS) |
||
詳細 | 178 |
6 | 20 | 子曰 知之者不如好之者 好之者不如樂之者 |
しいわく これをしるものはこれをこのむものにしかず これをこのむものはこれをたのしむものにしかず |
孔子が言った よく知る人でも、それを好む人には勝てない 好む人でも、それを楽しむ人には勝てない(KS) |
||
詳細 | 179 |
6 | 21 | 子曰 中人以上 可以語上也 中人以下 不可以語上也 |
しいわく ちゅうじんいじょうは もってかみをかたるべきなり ちゅうじんいかは もってかみをかたるべからざるなり |
孔子が言った 人並み以上の人物と 高尚な話をするのは良いが 人並み以下の人物とは 高尚な話をするべきではない(KS) |
||
詳細 | 180 |
6 | 22 | 樊遅問知 子曰 務民之義 敬鬼神而遠之 可謂知矣 問仁 曰 仁者先難而後獲 可謂仁矣 |
はんちちをとう しいわく たみのぎをつとめ きしんをけいしてこれをとおざく ちというべし じんをとう いわく じんしゃはかたきをさきにしてうるをのちにす じんというべし |
樊遅が知とは何かと尋ねた 孔子が言った 人としての義務を果たして 鬼神を敬うが鬼神に頼らない これが知というものだ 仁とは何かと尋ねた 孔子が言った 人のために尽力して報酬を期待しないこと これが仁というものだ(KS) |
||
詳細 | 181 |
6 | 23 | 子曰 知者樂水 仁者樂山 知者動 仁者静 知者樂 仁者壽 |
しいわく ちしゃはみずをたのしみ じんしゃはやまをたのしむ ちしゃはうごき じんしゃはしずかなり ちしゃはたのしみ じんしゃはいのちながし |
孔子が言った 知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ 知者は行動的で 仁者はゆったりと落ち着いている 知者は変化を楽しみ 仁者は人生を楽しむ(KS) |
||
詳細 | 182 |
6 | 24 | 子曰 齊一變至於魯 魯一變至於道 |
しいわく せいいっぺんせばろにいたらん ろいっぺんせばみちにいたらん |
孔子が言った 斉は少し変われば魯の様になれる 魯は少し変われば道徳政治の理想になれる(KS) |
||
詳細 | 183 |
6 | 25 | 子曰 觚不觚 觚哉 觚哉 |
しいわく ここならず こならんや こならんや |
孔子が言った 觚は儀礼で飲酒する盃なのに飲酒で使われている その様なものが觚と呼べるか その様なものが觚と呼べるか(KS) |
||
詳細 | 184 |
6 | 26 | 宰我問曰 仁者雖告之曰 井有仁者焉 其從之也 子曰 何爲其然也 君子可逝也 不可陥也 可欺也 不可罔也 |
さいがといていわく じんしゃはこれにつげて せいにじんありというといえども それこれにしたがわん しいわく なんすれぞそれしからんや くんしはゆかしむべきなり おとしいるべからざるなり あざむくべきなり しうべからざるなり |
宰我が尋ねた 仁者が告げたら 井戸の中に仁者がいると 彼はその人に従うでしょうか? 孔子が言った 何故そのような事をするか? 人格者ならば井戸に近づいたとしても 井戸の中に落ちるはずがない 欺こうとする言葉を聞いていも 欺かれるわけではない(KS) |
||
詳細 | 185 |
6 | 27 | 子曰 君子博學於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫 |
しいわく くんしはひろくぶんをまなび これをやくするにれいをもってせば またもってそむかざるべきか |
孔子が言った 人々が博く学んで 行動するときに礼に配慮すれば 決して正しい道を踏み外さない(KS) |
||
詳細 | 186 |
6 | 27 | 子曰 君子博學於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫 |
しいわく くんしはひろくぶんをまなび これをやくするにれいをもってせば またもってそむかざるべきか |
|||
詳細 | 187 |
6 | 28 | 子見南子 子路不説 夫子矢之曰 予所否者 天厭之 天厭之 |
しなんしをみる しろよろこばず ふうしこれにちかいていわく わがしからざるところのものは てんこれをすてん てんこれをすてん |
孔子が南子と会った 子路はこれが面白くなかった 孔子は誓いを立てて言った 私の行いに誤りがあれば 天が私を見捨てるだろう 天が私を見捨てるだろう(KS) |
||
詳細 | 188 |
6 | 29 | 子曰 中庸之爲徳也 其至矣乎 民鮮久矣 |
しいわく ちゅうようのとくたるや それいたれるかな たみすくなきことひさし |
孔子が言った 中庸の徳は 至上の価値がある それに従う人々は近頃は少ない(KS) |
||
詳細 | 189 |
6 | 30 | 子貢曰 如有博施於民 而能濟衆 何如 可謂仁乎 子曰 何事於仁 必也聖乎 堯舜其猶病諸 夫仁者 己欲立而立人 己欲達而達人 能近取譬 可謂仁之方也已 |
しこういわく もしひろくたみにほどこして よくしゅうをすくうものあらば いかん じんというべきか しいわく なんぞじんをこととせん かならずやせいか ぎょうしゅんもそれなおこれをやめり それじんしゃは おのれたたんとほっしてひとをたて おのれたっせんとほっしてひとをたっす よくちかくたとえをとる じんのほうというべきのみ |
子貢が尋ねた もし人々に施して豊かにし 多くの災難から民衆を救うとしたら どうでしょう 仁者といえますか? 孔子が言った それは仁者ではなく 聖人だ 尭舜はその事に苦労された 仁者は 自らが立ちたいと思えば他人を先に立たせ 自らが行きたいと思えば他人を先に行かせる 常に他者を自分の様に考える それが仁者の考え方というものだ(KS) |
||
詳細 | 190 |
7 | 1 | 子曰 述而不作 信而好古 竊比於我老彭 |
しいわく のべてつくらず しんじていにしえをこのむ ひそかにわがろうほうにひす |
孔子が言った 私は新たに何かを創作していない 古き良きものを信じて好むだけだ 密かに尊敬する老彭のやり方を真似ている(KS) |
||
詳細 | 191 |
7 | 2 | 子曰 默而識之 學而不厭 誨人不倦 何有於我哉 |
しいわく もくしてこれをしり まなびていとわず ひとをおしえてうまず なにかわれにあらんや |
孔子が言った 静かに物事を記憶して 熱心に学び 人に教えて怠らない これらの事は私にとっては当たり前の事だ(KS) |
||
詳細 | 192 |
7 | 3 | 子曰 徳之不脩 學之不講 聞義不能徙 不善不能改 是吾憂也 |
しいわく とくのおさまらざる がくのこうぜざる ぎをきいてうつるあたわざる ふぜんのあらたむるあたわざる これわがうれいなり |
孔子が言った 道徳に従わないこと 学問を学ばないこと 必要な時に行動できないこと 欠点を正さないこと こうならない様に私はいつも心配している(KS) |
||
詳細 | 193 |
7 | 4 | 子之燕居 申申如也 夭夭如也 |
しのえんきょするや しんしんじょたり ようようじょたり |
孔子は自宅に居る時は いつも穏やかで 和やかであった(KS) |
||
詳細 | 194 |
7 | 5 | 子曰 甚矣 吾衰也 久矣 吾不復夢見周公 |
しいわく はなはだしいかな わがおとろうるや ひさしいかな われまたゆめにしゅうこうをみず |
孔子が言った 甚だしく 私も衰えた 随分と月日が経った 最後に夢の中で周公にお会いしてから(KS) |
||
詳細 | 195 |
7 | 6 | 子曰 志於道 據於徳 依於仁 遊於藝 |
しいわく みちにこころざし とくにより じんにより げいにあそぶ |
孔子が言った 人格者たらんと志を持ち 道徳に従い 仁の心に従い 技芸を楽しみなさい(KS) |
||
詳細 | 196 |
7 | 7 | 子曰 自行束脩以上 吾未嘗無誨焉 |
しいわく そくしゅうをおこなうよりいじょうは われいまだかつておしうることなくんばあらず |
孔子が言った 授業料で一束の干し肉を持ってきたら 私は誰であろうと学問を教えてきた(KS) |
||
詳細 | 197 |
7 | 8 | 子曰 不憤不啓 不悱不發 擧一隅 不以三隅反 則不復也 |
しいわく ふんせざればけいせず ひせざればはっせず いちぐうをあげて さんぐうをもってかえさざれば すなわちふたたびせざるなり |
孔子が言った 自分で悩み考えない者は指導しない 自分の考えが口から出かけてなければ導かない 一を教えたら 三の答えや疑問を返してくるようでなければ 二度と教えない(KS) |
||
詳細 | 198 |
7 | 9 | 子食於有喪者之側 未嘗飽也 子於是日哭 則不歌 |
しもあるもののかたわらにしょくすれば いまだかつてあかざるなり しこのひにおいてこくすれば すなわちうたわず |
孔子は喪中の人の側で 腹いっぱい食べることなく 葬式で声を挙げて泣くと その日は歌わなかった(KS) |
||
詳細 | 199 |
7 | 10 | 子謂顏淵曰 用之則行 舍之則藏 唯我與爾有是夫 子路曰 子行三軍 則誰與 子曰 暴虎馮河 死而無悔者 吾不與也 必也臨事而懼 好謀而成者也 |
しがんえんにいいていわく これをもちうればすなわちおこない これをすつればすなわちかくる ただわれとなんじとのみこれあるかな しろいわく しさんぐんをやらば すなわちたれとともにせん しいわく ぼうこひょうがし ししてくいなきものは われともにせざるなり かならずやことにのぞみておそれ はかりごとをこのみてなさんものなり |
孔子が顔淵に言った 重く用いられれば全力を尽くし 用いられなければ隠者として引き篭もる この様な生き方ができるのはお前と私くらいだ 子路が言った 孔子が大軍を率いられるとしたら 誰を副官として任命しますか? 孔子が言った 虎と格闘したり黄河を泳いで渡るような 向こう見ずな者は 任命しないな 計画的に事を成す 慎重な者を任命する(KS) |
||
詳細 | 200 |
7 | 11 | 子曰 富而可求也 雖執鞭之士 吾亦爲之 如不可求 從吾所好 |
しいわく とみにしてもとむべくんば しつべんのしといえども われまたこれをなさん もしもとむべからずんば わがこのむところにしたがわん |
孔子が言った 正当な手段で富が手に入るならば 鞭を使って人々を追い払う 露払いの役を、私はしてもよい そうでなければむしろ 自分の好きな生き方をしたい(KS) |
||
詳細 | 201 |
7 | 12 | 子之所愼 齋 戰 疾 |
しのつつししむところは さいと せんと しつ |
孔子は慎重に対処した 祭祀のための斎戒 戦争 病気については |
||
詳細 | 202 |
7 | 13 | 子在齊聞韶 三月不知肉味 曰 不圖爲樂之至於斯也 |
しせいにありてしょうをきく さんげつにくのあじをしらず いわく はからざりきがくをつくることのここにいたらんとは |
孔子が斉にいる時に韶の音楽を聞いて感動し 三ヶ月間、肉の味が解らない程だった 孔子が言った 音楽がこの様な高みに達しようとは想像もしなかった(KS) |
||
詳細 | 203 |
7 | 14 | 冉有曰 夫子爲衞君乎 子貢曰 諾 吾將問之 入曰 伯夷叔齊 何人也 曰 古之賢人也 曰 怨乎 曰 求仁而得仁 又何怨 出曰 夫子不爲也 |
ぜんゆういわく ふうしはえいくんをたすけんか しこういわく だく われまさにこれをとわんとすと いりていわく はくいしゅくせいは なんぴとぞや いわく いにしえのけんじんなり いわく うらみたるか いわく じんをもとめてじんをえたり またなにをかうらみん いでていわく ふうしはたすけざるなり |
冉有が言った 先生は衛公を助けるでしょうか? 子貢が言った そうですね 私もそれが知りたかったところです 子貢が孔子の部屋に入り尋ねた 伯夷・叔斉は どのような人物ですか? 孔子が言った 古代の賢人だ 子貢が言った 彼らは君主の座を辞退して後悔しましたか? 孔子が言った 仁を為そうとして仁を得たのだ どうして後悔などしようか 子貢は退出し、冉有に言った 先生は衛公を助けないでしょう(KS) |
||
詳細 | 204 |
7 | 15 | 子曰 飯疏食飮水 曲肱而枕之 樂亦在其中矣 不義而富且貴 於我如浮雲 |
しいわく そしをくらいみずをのみ ひじをまげてこれをまくらとす たのしみまたそのうちにあり ふぎにしてとみかつたっときは われにおいてふうんのごとし |
孔子が言った 粗末な食事を食べて 肘を枕に眠る そんな生活の中にも喜びはある 不正に金を儲けて高い地位を得る そんな生き方は私にとっては浮雲のようだ(KS) |
||
詳細 | 205 |
7 | 16 | 子曰 加我數年 五十以學易 可以無大過矣 |
しいわく われにすうねんをくわえ ごじゅうにしてもってえきをまなばば もってたいかなかるべし |
孔子が言った 私がもう少し年を重ねて 50歳になった後で易経を学び直せば 大きな過ちなどしなくなるだろう(KS) |
||
詳細 | 206 |
7 | 17 | 子所雅言詩書 執禮皆雅言也 |
しのがげんするところはししょ しつれいはみながげんなり |
孔子は詩経・書経を読まれる時 儀式において文書を読み上げられる時には正しい発音で発声された(KS) |
||
詳細 | 207 |
7 | 18 | 葉公問孔子於子路 子路不對 子曰 女奚不曰 其爲人也 發憤忘食 樂以忘憂 不知老之將至云爾 |
しょうこうこうしをしろにとう しろこたえず しいわく なんじなんぞいわざる そのひととなりや いきどおりをはっしてしょくをわすれ たのしみてもってうれいをわすれ おいのまさにいたらんとするをしらざるのみと |
葉県の長官が子路に孔子の人柄を尋ねた 子路は返答しなかった 孔子が言った あなたはどうして返答しなかった? こう言ってやればよかった 孔子は学問に熱中するあまり食事も忘れ 疑問が解決すればそれまでの苦労も忘れられます ご自分の年齢を忘れられている程ですと(KS) |
||
詳細 | 208 |
7 | 19 | 子曰 我非生而知之者 好古敏以 求之者也 |
しいわく われはうまれながらにしてこれをしるものにあらず いにしえをこのみびんにしてもって これをもとめしものなり |
孔子が言った 私は生まれた時に多くを知っていなかった 古代の英知を学ぶのが好きなだけで 学問に没頭しているだけに過ぎない(KS) |
||
詳細 | 209 |
7 | 20 | 子不語怪力亂神 | しかい・りょく・らん・しんをかたらず | 孔子は怪異・暴力・猥褻・霊的な事柄を語らなかった(KS) | ||
詳細 | 210 |
7 | 21 | 子曰 三人行 必有我師焉 擇其善者而從之 其不善者而改之 |
しいわく さんにんおこなわば かならずわがしあり そのよきものをえらびてこれにしたがい そのよからざるものはこれをあらたむ |
孔子が言った 私とあと二人の人物がいたならば 私は必ず師とすべき人を見出せる 善い人の良いところを見習い 善くない人の悪いところを自分にあてはめて反省する(KS) |
||
詳細 | 211 |
7 | 22 | 子曰 天生徳於予 桓魋其如予何 |
しいわく てんとくをわれにしょうぜり かんたいそれわれをいかんせん |
孔子が言った 私は天によって徳を授かった身だ どうして桓魋が私をどうにかできようか(KS) |
||
詳細 | 8 |
7 | 23 | 子曰 二三子以我爲隱乎 吾無隱乎爾 吾無行而 不與二三子者 是丘也 |
しいわく にさんしわれをもってかくせりとなすか われかくすことなきのみ われはおこなうとして にさんしとともにせざるものなし これきゅうなり |
孔子が言った あなた達は私が何か隠し事をしていると思うか? 私はあなた達に秘密は持っていない 常に知識を分かち合っている あなた達とともに行わないことはない それが私なのだ(KS) 先生がいわれた、 「諸君はわたくしが隠しごとをしていると思うか。 わたしは隠しだてなどはしない。 わたしはどんなことでも諸君といつ しよにしないことはない。 それが 丘 (このわたくし) なのだ。」(K) |
||
詳細 | 212 |
7 | 24 | 子以四教 文行忠信 |
しはしをもっておしう ぶん・こう・ちゅう・しん |
孔子は四つの大切な事を教えてくれた 読書、実践、誠実、信義(KS) |
||
詳細 | 213 |
7 | 25 | 子曰 聖人吾不得而見之矣 得見君子者 斯可矣 子曰 善人吾不得而見之矣 得見有恒者 斯可矣 亡而爲有 虚而爲盈 約而爲泰 難乎有恒矣 |
しいわく せいじんはわれえてこれをみず くんししゃをみるをえば ここにかなり しいわく ぜんにんはわれえてこれをみず つねあるものをみるをえば ここにかなり なくしてありとなし むなしくしてみてりとなし やくにしてたいなりとなす かたいかなつねあること |
孔子が言った 聖人に会ったことはないが 人格者に会うことが出来れば それで十分だ 孔子が言った 生まれつきの善人に会ったことはないが 満足を知る人に会うことが出来れば それで十分だ その人物は物が無くても有る様に豊かで 財産なくても心が満たされていて 貧しくてものびやかに暮らす しかしその様な人物に会うのは難しい(KS) |
||
詳細 | 214 |
7 | 26 | 子釣而不綱 弋不射宿 |
しつりしてこうせず よくしてしゅくをいず |
孔子は釣りを楽しんだが網は用いなかった 狩りを楽しんだが巣の中の鳥は射なかった(KS) |
||
詳細 | 215 |
7 | 27 | 子曰 蓋有不知而作之者 我無是也 多聞擇其善者而從之 多見而識之 知之次也 |
しいわく けだししらずしてこれをつくるものあらん われはこれなきなり おおくききてそのよきものをえらびてこれにしたがい おおくみてこれをしるすは しるのつぎなり |
孔子が言った 十分な知識も無く自説を創作する人がいる 私は決してその様な事はしない 色々な話を聞いて有益なものを選んで従う 多くの書物を読んで記憶しておく これらは知識のまた別の形の一つだ |
||
詳細 | 216 |
7 | 28 | 互郷難與言 童子見 門人惑 子曰 與其進也 不與其退也 唯何甚 人絜己以進 與其絜也 不保其往也 |
ごきょうともにいいがたし どうじまみゆ もんじんまどう しいわく そのすすむにくみするなり そのしりぞくにくみせざるなり ただなんぞはなはだしきや ひとおのれをきよくしてもってすすまば そのきよきにくみするなり そのおうをほせざるなり |
互郷という風評の悪い村があった その村の少年が孔子に会いたいと来た 孔子の弟子たちは嫌な顔をした 孔子が言った 少年は自分を向上させるためやって来た 堕落するためではない 何の問題があるか 清く純真な心で尋ねてきた者の その心を信じる 帰ったあとで良い人となれるかは彼次第だ(KS) |
||
詳細 | 217 |
7 | 29 | 子曰 仁遠乎哉 我欲仁 斯仁至矣 |
しいわく じんとおからんや われじんをほっすれば ここにじんいたる |
孔子が言った 仁は遠くにあるのだろうか? 我々が仁を欲すれば すぐ隣にあるのが仁なのだ(KS) |
||
詳細 | 218 |
7 | 30 | 陳司敗問 昭公知禮乎 孔子曰 知禮 孔子退 揖巫馬期而進之曰 吾聞君子不黨 君子亦黨乎 君取於呉 爲同姓 謂之呉孟子 君而知禮 孰不知禮 巫馬期以告 子曰 丘也幸 苟有過 人必知之 |
ちんのしはいとう しょうこうはれいをしれるか こうしいわく れいをしれり こうししりぞく ふばきをゆうしてこれをすすめていわく われきくくんしはとうせずと くんしもまたとうするか きみごにめとり どうせいたり これをごもうしとおもえり きみにしてれいをしらば たれかれいをしらざらん ふばきもってつぐ しいわく きゅうやさいわいなり いやしくもあやまちあらば ひとかならずこれをしる |
陳の国の司法長官が尋ねた 昭公は礼節をわきまえたお方でしたか? 孔子が言った はい礼節をわきまえていました 孔子が部屋を退出された後 長官は側にいた巫馬期を呼び寄せて言った 人格者は身びいきをしてはならない 時には人格者でも身びいきをするようだ 昭公は呉から妻をめとった 妻が同姓であったため 呉孟子と呼んでごまかしていた この様な人が礼節をわきまえているならば 誰でも礼節をわきまえていることになる 巫馬期が孔子にこのことを告げた 孔子が言った 私はなんと幸せ者なのだろう もし私が間違いを犯しても 誰かがそれを正してくれる(KS) |
||
詳細 | 219 |
7 | 31 | 子與人歌而善 必使反之 而後和之 |
しひととうたいてよければ かならずこれをかえさしめて しかるのちにこれにわす |
孔子は誰かが善く歌った時には 必ずもう一度歌ってもらい その後で一緒に合唱された(KS) |
||
詳細 | 220 |
7 | 32 | 子曰 文莫吾猶人也 躬行君子 則吾未之有得 |
しいわく ぶんばくはわれなおひとのごときなり くんしをきゅうこうすることは すなわちわれいまだこれをうることあらず |
孔子が言った 学問では私はそれなりの自信を持っているが 人格者の実践は まだまだ自信を持つには至らない(KS) |
||
詳細 | 221 |
7 | 33 | 子曰 若聖與仁 則吾豈敢 抑爲之不厭 誨人不倦 則可謂云爾已矣 公西華曰 正唯 弟子不能學也 |
しいわく せいとじんとのごときは すなわちわれあにあえてせんや そもそもこれをなしていとわず ひとをおしえてうまざるは すなわちしかいうというべきのみ こうせいかいわく まさにこれ ていしまなぶあたわざるなり |
孔子が言った 聖人や仁者の様なことは 私にはとても出来ない それらの道を追い求めて 飽きることなく人々に教えることだけだ 私に出来るのは 公西華が言った それこそまさに 我ら弟子たちにはとても真似できぬことです(KS) |
||
詳細 | 222 |
7 | 34 | 子疾病 子路請禱 子曰 有諸 子路對曰 有之 誄曰 禱爾于上下神祇 子曰 丘之禱久矣 |
しのやまいへいす しろいのらんとこう しいわく これありや しろこたえていわく これあり るいにいわく なんじをしょうかのしんぎにいのると しいわく きゅうのいのることひさし |
孔子が病になった 子路が孔子のために祈祷をしたいと言った 孔子が言った 祈祷をする根拠はあるか? 子路が答えた はい いにしえの追悼文には 君がため天地の神に祈りを捧げん 孔子が言った 私は普段から天地の神に祈りを捧げてきた(KS) |
||
詳細 | 223 |
7 | 35 | 子曰 奢則不孫 儉則固 與其不孫也寧固 |
しいわく しゃなればすなわちふそん けんなればすなわちこなり そのふそんならんよりはむしろこなれ |
孔子が言った 贅沢に暮らすと傲慢になる 質素に暮らすと頑固になる 傲慢になるより頑固になる方がよい(KS) |
||
詳細 | 224 |
7 | 36 | 子曰 君子坦蕩蕩 小人長戚戚 |
しいわく くんしはたんとしてとうとうたり しょうじんはとこしなえにせきせきたり |
孔子が言った 人格者は穏やかでのんびりしている 非人格者は落ち着きがなく心配事が絶えない(KS) |
||
詳細 | 225 |
7 | 37 | 子温而厲 威而不猛 恭而安 |
しはおんにしてはげしく いありてたけからず きょうにしてやすし |
孔子は穏やかでありながら情熱的で 威厳がありながら粗暴な所がなく 恭しくありながら安らかであった(KS) |
||
詳細 | 226 |
8 | 1 | 子曰 泰伯其可謂至徳也已矣 三以天下讓 民無得而稱焉 |
しいわく たいはくはそれしとくというべきのみ みたびてんかをもってゆずり たみえてしょうするなし |
孔子が言った 泰伯は至高の美徳を持っていた 三度君位を辞退したが 人々がその事を知りその徳を称えることはなかった(KS) |
||
詳細 | 227 |
8 | 2 | 子曰 恭而無禮則勞 愼而無禮則葸 勇而無禮則亂 直而無禮則絞 君子篤於親 則民興於仁 故舊不遺 則民不偸 |
しいわく きょうにしてれいなければすなわちろうす しんにしてれいなければすなわちおそる ゆうにしてれいなければすなわちみだる ちょくにしてれいなければすなわちせまし くんししんにあつければ すなわちたみじんにおこる こきゅうわすれざれば すなわちたみうすからず |
孔子が言った 恭しく振舞っても礼儀を心得なければ骨が折れる 慎重に行動しても礼儀心得なければ卑屈だ 勇気があっても礼儀を心得なければ乱暴者だ 正直であっても礼儀を心得なければ辛辣な物言いになる 君主が親戚に対して手厚ければ 人々の心に仁が芽生える 君主が旧友を大切にすれば 人々は親切になる(KS) |
||
詳細 | 228 |
8 | 3 | 曾子有疾 召門弟子曰 啓予足 啓予手 詩云 戰戰兢兢 如臨深淵 如履薄冰 而今而後 吾知免夫 小子 |
そうしやまいあり もんていしをめしていわく わがあしをひらけ わがてをひらけ しにいう せんせんきょうきょうとして しんえんにのぞむがごとく はくひょうをふむがごとしと いまよりしてのち われまぬがるるをしるかな しょうし |
曾子が病になった 弟子達を集めて言った 私の足を見てくれ 手を見てくれ 詩経にこういう言葉がある おそるおそる慎重に 深い淵を覗き込む時のように 薄い氷の上を歩く時のように 今となっては その様な心配は不要だ お前たち(KS) |
||
詳細 | 229 |
8 | 4 | 曾氏有疾 孟敬子問之 曾子言曰 鳥之將死 其鳴也哀 人之將死 其言也善 君子所貴乎道者三 動容貌 斯遠暴慢矣 正顔色 斯近信矣 出辭氣 斯遠鄙倍矣 籩豆之事 則有司存 |
そうしやまいあり もうけいしこれをとう そうしいいていわく とりのまさにしなんとするや そのなくやかなし ひとのまさにしなんとするや そのいうやよし くんしのみちにたっとぶところのものさんあり ようぼうをうごかしては ここにぼうまんにとおざかる がんしょくをただしては ここにしんにちかづく じきをいだしては ここにひばいにとおざかる へんとうのことは すなわちゆうしそんす |
曾子が病で倒れた 孟敬子が見舞いにやってきた 曾子は彼に言った 鳥が死に行こうとする時 その鳴き声は悲しげである 人が死に行こうとする時 良い言葉を残す 人格者が守るべき教えが三つある 自分の振る舞いに注意し 乱暴にならないようにしなさい 自分の表情に注意し 言葉と違わぬようにしなさい 自分の言動に注意し 下品にならないようにしなさい 祭祀における些細な礼法などは 専門家にまかせてもよい(KS) |
||
詳細 | 230 |
8 | 5 | 曾子曰 以能問於不能 以多問於寡 有若無 實若虚 犯而不校 昔者吾友 嘗從事於斯矣 |
そうしいわく のうをもってふのうにとい おおきをもってすくなきにとい あれどもなきがごとく みつれどもむなしきがごとく おかさるるもこうせず むかしわがとも かつてここにじゅうじせり |
曾子が言った 才能がありながら非才の人々にも教えを乞い 博識でありながら無知な人々にも教えを乞い 多くの美徳を持ちながら まだ至らぬと謙虚に振舞い 他者から被害を受けても仕返しなどしない そういう友達が かつて私には居た(KS) |
||
詳細 | 231 |
8 | 6 | 曾子曰 可以託六尺之孤 可以寄百里之命 臨大節而不可奪也 君子人與 君子人也 |
そうしいわく もってりくせきのこをたくすべく もってひゃくりのめいをよすべし たいせつにのぞみてうばうべからず くんしじんか くんしじんなり |
曾子が言った 幼君の世話を任せることができ 国家の大命を任せることができ 大事に臨んでいささかもひるむところが無い そんな人物は人格者と呼べるだろうか まさに人格者である(KS) |
前田利家は徳川家康が豊臣秀頼から天下を奪おうとしていることを非難し、”大節に臨んで奪うべからず”としきりに言っていた。”秀頼の天下を誰も奪うな”ということである。 | |
詳細 | 24 |
8 | 7 | 子曰 君子無所爭 必也射乎 揖讓而升下 而飮 其爭也君子 |
しいわく くんしはあらそうところなし かならずやしゃか ゆうじょうしてしょうかし しこうしてのましむ そのあらそいやくんしなり |
先生がいわれた、 「君子は何事にも争わない。 あるとすれぱ弓争いだろう。 [それにしても]会釈し譲りあつて登り降りし、 さて [競技が終わると勝者が敗者に] 酒を飲ませる。 その争いは君子的だ。」(K) | ||
詳細 | 232 |
8 | 7 | 死して後やむ | 曾子曰 士不可以不弘毅 任重而道遠 仁以爲己任 不亦重乎 死而後已 不亦遠乎 |
そうしいわく しはもってこうきならざるべからず にんおもくしてみちとおし じんもっておのがにんとなす またおもからずや ししてのちやむ またとおからずや |
曾子が言った 儒学を志す者は広い心と強い意志を持つべき その使命は重く道は遠い 仁者となる事を使命とする なんと重い使命だろう その道を死ぬまで求め続ける なんと遠い道のりだろう(KS) |
死んではじめてやめるということで、生きている限りは力を尽くすということ。 |
詳細 | 233 |
8 | 8 | 詩に興り礼に立ち楽に成る | 子曰 興於詩 立於禮 成於樂 |
しいわく しにおこり れいにたち がくになる |
孔子が言った 詩によって奮い立ち 礼によって責務を自覚し 音楽によって自らを完成させる(KS) 先生が言われた。「人間は<詩>によって善の心が奮い立ち、<礼>によって安定し、音<楽>によって完成する」 |
会長の詩があり、三好の曲があって音楽の創作が始まる=猿猫音楽館 |
詳細 | 25 |
8 | 9 | 由らしむべし、知らしむべからず | 子曰 民可使由之 不可使知之 | しいわく たみはこれによらしむべし これをしらしむべからず | 孔子が言った 人々を従わせる事はできても その理由を人々に理解させるのは難しい(KS) 先生がいわれた、「人民は従わせることはできるが、その理由を知らせることはむつかしい。」(K) |
これを悪用すると”大本営発表”になる。 IT部門はこれを悪用し、愚民化政策をとっている |
詳細 | 234 |
8 | 10 | 子曰 好勇疾貧亂也 人而不仁 疾之已甚亂也 |
しいわく ゆうをこのみてひんをにくむはらんす ひとにしてふじんなる これをにくむことはなはだしきはらんす |
孔子が言った 勇気を好むものが貧困を嫌えば国は乱れる 人々が悪人を 過剰に憎めば国は乱れるだろう(KS) |
||
詳細 | 235 |
8 | 11 | 子曰 如有周公之才之美 使驕且吝 其餘不足觀也已 |
しいわく もししゅうこうのさいのびあるも おごりかつやぶさかならしめば そのよはみるにたらざるのみ |
孔子が言った 周公の様な多くの才能を持っていたとしても 人柄が傲慢でけちであったなら その他のことについて見定める必要は無い(KS) |
||
詳細 | 236 |
8 | 12 | 子曰 三年學 不至於穀 不易得也 |
しいわく さんねんまなびて こくにいたらざるは えやすからざるなり |
孔子が言った 三年間勉学に励んだ後で 仕官したがらない 人間は少ない(KS) |
||
詳細 | 20 |
8 | 13 | 前田利家座右の銘 | 子曰 篤信好學 守死善道 危邦不入 亂邦不居 天下有道則見 無道則隱 邦有道 貧且賤焉 恥也 邦無道 富且貴焉 恥也 |
しいわく あつくしんじてがくをこのみ しをまもりてみちをよくす きほうにはいらず らんぼうにはおらず てんかみちあればすなわちあらわれ みちなければすなわちかくる くににみちあるに まずしくかついやしきは はじなり くににみちなきに とみかつたっときは はじなり |
孔子が言った 学問の道を信じて熱心に勉強し 信念を守ってこの道を善くする 危うい国には入らず 乱れた国には留まらず 平和な時には積極的に活動し 乱世の時には隠遁しなさい 国に道義と秩序がある治世に 貧しく卑しい身分にあまんじるのは 恥である 国に道義無く無秩序な乱世に 富貴の生活をむさぼるのは 恥である(KS) |
前田利家が座右の銘としている。戦場でも書き写したものを肌身離さずもっていたそうである。 |
詳細 | 21 |
8 | 14 | 子曰 周監於二代 郁郁乎文哉 吾從周 |
しいわく しゅうはにだいにかんがみて いくいくとしてぶんなるかな われはしゅうにしたがわん |
孔子が言った 職位についていないのであれば 他人の仕事に口出しはしない事だ(KS) 先生がいわれた、「周 [の文化] は、 夏と設との二代を参考にて、 いかにもはなやかに立派だね。 わたしは周に従おう。」(K) |
||
詳細 | 237 |
8 | 15 | 子曰 師摯之始 關雎之亂 洋洋乎 盈耳哉 |
しいわく ししのはじめ かんしょのおわりは ようようことして みみにみてるかな |
孔子が言った 楽師長の歌い始めから 関雎の曲の終わりまでは のんびりと美しい旋律が 私の耳の中に溢れてくる様だ(KS) |
||
詳細 | 26 |
8 | 16 | 子曰 射不主皮 爲力不同科 古之道也 |
しいわく しゃはひをしゅとせず ちからをなすにかをおなじくせず いにしえのみちなり |
孔子が言った 理想家でありながら移り気で主張が変わり 無邪気でありながら真面目なところがなく 素朴な心を持っているのに誠実ではない そんな人間は私にはどうしようもない(KS) 先生がいわれた、 「弓の礼では的を第一とはしない。 [各人の] 能力には等級の違いがあるからで、 [そういうのが] 古代のやり方である。」(K) |
||
詳細 | 238 |
8 | 17 | 子曰 學如不及 猶恐失之 |
しいわく がくはおよばざるがごとくするも なおこれをうしなわんことをおそる |
孔子が言った 学問は追い求めても追いきれない それまでの学識が失われないように注意が必要だ(KS) |
||
詳細 | 239 |
8 | 18 | 子曰 巍巍乎 舜禹之有天下也 而不與焉 |
しいわく ぎぎこたり しゅんうのてんかをたもつや しこうしてあずからず |
孔子が言った 堂々としたものだ 舜と禹が天下を保ったのは 臣下に政治を任せて無為であったのだ(KS) |
||
詳細 | 240 |
8 | 19 | 子曰 大哉 堯之爲君也 巍巍乎 唯天爲大 唯堯則之 蕩蕩乎 民無能名焉 巍巍乎 其有成功也 煥乎 其有文章 |
しいわく だいなるかな ぎょうのきみたるや ぎぎたるかな ただてんをだいなりとなし ただぎょうのみこれにのっとる とうとうたるかな たみよくなづくることなし ぎぎたるかな それせいこうあり かんとして それぶんしょうあり |
孔子が言った 偉大なものだ 尭の統治者たることは 堂々として ただ天だけが偉大であったが ただ尭だけが天に則った 広々として 民はそれを言い表わせなかった 堂々として 成功し 華やかに 文化を創ったのだ(KS) |
||
詳細 | 241 |
8 | 20 | 舜有臣五人 而天下治 武王曰 予有亂臣十人 孔子曰 才難 不其然乎 唐虞之際 於斯爲盛 有婦人焉 九人而已 三分天下有其二 以服事殷 周之徳 可謂至徳也已矣 |
しゅんにしんごにんあり てんかおさまる ぶおういわく われにらんしんじゅうにんあり こうしいわく さいかたしと それしからずや とうぐのさい ここにおいてさかんなりとなす ふじんあり くにんのみ てんかをさんぶんしてそのにをたもち もっていんにふくじす しゅうのとくは しとくというべきのみ |
舜には有能な家臣が5人いて 天下はよく治まっていた 武王は言った 私には素晴らしい家臣が10人いる 孔子が言った 人材を得るのは難しい そうではないか 尭が舜に禅譲してからは 周の初めにおいて盛んであった 賢臣のうち婦人が一人いるので 賢臣は九人のみであった 天下を三分してその二を保ち それで殷に服事した 周の徳こそは 至徳というべきである(KS) |
||
詳細 | 242 |
8 | 21 | 子曰 禹吾無間然矣 菲飮食 而致孝乎鬼神 惡衣服 而致美乎黻冕 卑宮室 而盡力乎溝洫 禹吾無間然矣 |
しいわく うはわれかんぜんすることなし いんしょくをうすくして こうをきしんにいたし いふくをあしくして びをふつべんにいたし きゅうしつをひくくして ちからをこうきょくにつくす うはわれかんぜんすることなし |
孔子が言った 禹には非の打ち所がない 質素な食事を食べて その分を神々や祖先の捧げ物とし 普段の衣服を質素にして その分、儀式の礼服を立派にし 質素な宮殿に住んで その分を灌漑や治水工事に尽力した 禹には非の打ち所が無い(KS) |
||
詳細 | 243 |
9 | 1 | 子罕言利與命與仁 | しまれにりとめいとじんとをいう | 孔子が利益について語られる事はまれで、必ず天命や仁徳について言及された(KS) | ||
詳細 | 244 |
9 | 2 | 六芸(礼楽射御書数) | 逹巷黨人曰 大哉孔子 博學而無所成名 子聞之 謂門弟子曰 吾何執 執御乎 執射乎 吾執御矣 |
たっこうのとうじんいわく おおなるかなこうし はくがくにしてなをなすところなし しこれをきき もんていしにいいていわく われなにをかとらん ぎょをとらんか しゃをとらんか われはぎょをとらん |
達巷党という村から来た人が言った 孔子は何て偉大なんだろう 幅広く学び一つの分野の専門家とはならない これを聞いた孔子は 弟子達に言った 私は何の専門家になろうか 馬車の操縦か 弓術か 私は馬車の操縦の方が好みだ(KS) |
孔子の本心は一つの専門で名を成すことではなく、道を究めることにある(S) |
詳細 | 245 |
9 | 3 | 子曰 麻冕禮也 今也純儉 吾從衆 拜下禮也 今拜乎上 泰也 雖違衆 吾從下 |
しいわく まべんはれいなり いまやじゅんなるはけんなり われはしゅうにしたがわん しもにはいするはれいなり いまかみにはいするは たいなり しゅうにたがうといえども われはしもにしたがわん |
孔子が言った 麻の冠を被るのが正しい礼法であるが 最近では絹の冠を被る人もいる 私も彼らに習おうと思う 主君に宮殿の下から拝礼するのが正しいが 最近では主君と同じ高さで拝礼する人もいる これは傲慢の表れであるから 彼らに習わず 私は古来よりの礼法に従おう(KS) |
したがってよい変化とそうでない変化がある(S) | |
詳細 | 246 |
9 | 4 | 四断 | 子絶四 毋意 毋必 毋固 毋我 |
ししをたつ いなく ひつなく こなく がなし |
孔子は四つのものを断ち切っていた 独断 無理強い 執着 我欲(KS) |
|
詳細 | 247 |
9 | 5 | 子畏於匡 曰 文王既没 文不在茲乎 天之將喪斯文也 後死者 不得與於斯文也 天之未喪斯文也 匡人其如予何 |
しきょうにいす いわく ぶんおうすでにぼっし ぶんここにあらずや てんのまさにこのぶんをほろぼさんとするや こうしのもの このぶんにあずかるをえざるなり てんのいまだこのぶんをほろぼさざるや きょうひとそれわれをいかんせん |
匡の人々が孔子に危害を加えようとした 孔子が言った 文王は既に亡くなっているが 彼の始めた文化は私が受け継いでいる 天が彼の始めた文化を 滅ぼすつもりなら 私がそれを受け継げる道理が無い 私がその文化を受け継いでいる以上は 匡の人々が天に逆らって私をどうにかできるはずはない(KS) |
||
詳細 | 248 |
9 | 6 | 大宰問於子貢曰 夫子聖者與 何其多能也 子貢曰 固天縦之將聖 又多能也 子聞之曰 大宰知我乎 吾少也賤 故多能鄙事 君子多乎哉 不多也 |
たいさいしこうにといていわく ふうしはせいじゃか なんぞそれたのうなるや しこういわく もとよりてんこれをゆるしてまさにせいならんとす またたのうなり しこれをききていわく たいさいはわれをしるか われわかくしていやし ゆえにひじにたのうなり くんしはたならんや たならざるなり |
ある国の大臣が子貢に尋ねた 孔子は本当に聖人でしょうか? あまりにも多芸・多才です 子貢は答えた 天が遣わした偉大な聖人で また多芸・多才です 孔子はこれを聞いて言った 大臣は私の事をよく解っている 私は生まれが低い身分だったので 様々な事を学びながら生きてきた 人格者は多芸多才であるべきか? 私はそうは思わない(KS) |
||
詳細 | 249 |
9 | 7 | 牢曰 子云 吾不試 故藝 |
ろういわく しいう われもちいられず ゆえにげいあり |
牢が言った 先生が私におっしゃった 私は若い頃に官職に就けなかった だから様々な事を学んだと(KS) |
||
詳細 | 250 |
9 | 8 | 子曰 吾有知乎哉 無知也 有鄙夫問於我 空空如也 我叩其兩端而竭焉 |
しいわく われしることあらんや しることなきなり ひふありわれにとう こうこうじょたり われそのりょうたんをたたきてつくす |
孔子が言った 私を物知りだろうか? いいや物知りではない つまらぬ者がわたしに質問しに来て 馬鹿正直であるとしよう 私はいつでも彼の意図するところを理解しながら返答してあげているだけだ(KS) |
||
詳細 | 251 |
9 | 9 | 子曰 鳳鳥不至 河不出圖 吾已矣夫 |
しいわく ほうちょういたらずか とをいださず われやんぬるかな |
孔子が言った 鳳凰は現れない 天の英知を与える本も黄河から出てこない もうお終いだ(KS) |
||
詳細 | 252 |
9 | 10 | 子見齊衰者 冕衣裳者 與瞽者 見之雖少必作 過之必趨 |
ししさいのものと べんいしょうのものと こしゃとをみれば これをみてわかしといえどもかならずたつ これをすぐればかならずはしる |
孔子は喪服を着た人と 礼服を着た人と 盲人を見かけた時は 年少者でも立ち上がり敬意をあわらす 側を通り過ぎる時は小走りで敬意をあらわす(KS) |
||
詳細 | 253 |
9 | 11 | 博文約礼 | 顔淵喟然歎曰 仰之彌高 鑽之彌堅 瞻之在前 忽焉在後 夫子循循然 善誘人 博我以文 約我以禮 欲罷不能 既竭吾才 如有所立卓爾 雖欲從之 末由也已 |
がんえんきぜんとしてたんじていわく これをあおげばいよいよたかく これをきればいよいよかたし これをみればまえにあり こつえんとしてしりえにあり ふうしじゅんじゅんぜんとして よくひとをいざなう われをひろむるにぶんをもってし われをやくするにれいをもってす やめんとほっすれどもあたわず すでにわがさいをつくす たつところありてたくじたるがごとし これにしたがわんとほっすといえども よるなきのみ |
顔淵が溜息まじりに言った 先生の徳は見上げるほどに高く その意志は切りつけようとすれば益々固い 前に居たかと思うと 後ろに現れるように柔軟に物を考える 先生は順序よく 人々を導き 私に書物で幅広い知識を教えて下さり 礼をもって私を規制してくださった 私は先生の弟子を辞める事などできない 出来る努力を尽くしているつもりなのだが 先生は高所に立って居られるかの様に感じる 出来れば私もその様な高みに達したいが まず無理であろう(KS) |
|
詳細 | 254 |
9 | 12 | 子疾病 子路使門人爲臣 病間曰 久矣哉 由之行詐也 無臣而爲有臣 吾誰欺 欺天乎 且予與其死於臣之手也 無寧死於二三子之手乎 且予縦不得大葬 予死於道路乎 |
しやまいへいなり しろもんじんをしてしんたらしむ やまいかんなるときいわく ひさしいかな ゆうのいつわりをおこなうや しんなくしてしんありとなす われたれをかあざむかん てんをあざむかんや かつわれそのしんのてんにしせんよりは むしろにさんしのてにしせんか かつわれたといたいそうをえざるも われどうろにしせんや |
孔子が病になった 子路は弟子たちに孔子の家来のふりをさせた 病態が少しよくなった時に孔子は言った 随分長く 偽りを行っていたものだな 家来のいる身分でないのに家来がいるふりをするとは 誰を騙そうとしていたのだ 天を騙そうというのか? 家来達に弔われるよりは あなた達によって弔われたい 王侯貴族の様な盛大な葬儀でなくとも 道端で孤独に死ぬわけではない(KS) |
||
詳細 | 255 |
9 | 13 | 子貢曰 有美玉於斯 韞匵而藏諸 求善賈而沽諸 子曰 沽之哉 沽之哉 我待賈者也 |
しこういわく ここにびぎょくあり とくにおさめてこれをぞうせんか ぜんこをもとめてこれをうらんか しいわく これをうらんかな これをうらんかな われはこをまつものな |
子貢が言った ここに美しい宝玉があったとしたら 箱にしまってとっておきますか? それとも買い手を探して売りますか? 孔子は答えました、 売るだろう 売るだろう 私は良い買い手を待っているのだ(KS) |
||
詳細 | 256 |
9 | 14 | 子欲居九夷 或曰 陋如之何 子曰 君子居之 何陋之有 |
しきゅういにおらんとほっす あるひといわく ろうなりこれをいかんせん しいわく くんしこれにおらば なんのろうかこれあらん |
孔子は未開の国へ移り住みたいと考えていた ある人が尋ねました 野蛮で粗野ですが気にならないですか? 孔子が言った 人格者が移り住めば 彼らは文明と礼儀を見につける(KS) |
||
詳細 | 257 |
9 | 15 | 子曰 吾自衛反魯 然後樂正 雅頌各得其所 |
しいわく われえいよりろにかえりて しかるのちにがくただしく がしょうおのおのそのところをえたり |
孔子が言った 私が衛から魯に帰国してから 本来のあるべき形で演奏される 魯の宮廷音楽と典礼音楽が(KS) |
||
詳細 | 258 |
9 | 16 | 子曰 出則事公卿 入則事父兄 喪事不敢不勉 不爲酒困 何有於我哉 |
しいわく いでてはすなわちこうけいにつかえ いりてはすなわちふけいにつかう そうじはあえてつとめずんばあらず さけのみだれをなさず われにおいてなにかあらんや |
孔子が言った 仕事では上司によく仕え 家では父兄によく仕え 葬儀に出れば真摯に弔い 酒を飲んでも乱れない これらの事は私にとっては当然の事だ(KS) |
||
詳細 | 37 |
9 | 17 | 方丈記 | 子在川上曰 逝者如斯夫 不舍晝夜 |
しかわのほとりにありていわく ゆくものはかくのごときか ちゅうやをやめず |
孔子が川のほとりで言った 時が過ぎ去るのは速いものだ 昼も夜も止まることがない(KS) 先生が川のほとりでいわれた、「すぎゆくものはこの [流れの] ようであろうか。 昼も夜も休まない。」(K) |
行く川の流れは絶えずして、またもとのみずにあらず。 逝く者は斯くのごときかな、昼夜を舎かず |
詳細 | 17 |
9 | 18 | 子曰 吾未見好徳如好色者也 |
しいわく われはいまだとくをこのむこといろをこのむがごときものをみず |
孔子が言った 美人を愛するように自然と美徳を愛する人物に出会った事がない(KS) 先生がいわれた、 「わたしは美人を愛するほどに道徳を愛する人をまだ見たことがない。」(K) |
||
詳細 | 259 |
9 | 19 | 止吾止也 | 子曰 譬如爲山 未成一簣 止吾止也 譬如平地 雖覆一簣 進吾往也 |
しいわく たとえばやまをつくるがごとし いまだいっきをなさざるも やむはわがやむなり たとえばちをたいらかにするがごとし いっきをくつがえすといえども すすむはわがゆくなり |
孔子が言った 学問の道は山を作る作業のようなものだ もう少しで完成という時に 止めると自分が悪いのだ 学問の道は地面をならすようなものだ たった一杯分の土をならしても 自分の努力の成果なのだ(KS) |
自分で限界を決めてはいけない |
詳細 | 260 |
9 | 20 | 子曰 語之而不惰者 其回也與 |
しいわく これにかたりておこたらざるものは それかいなるか |
孔子が言った 私の話を最後まで熱心に聞くのは 顔回だけだ(KS) |
||
詳細 | 261 |
9 | 21 | 子謂顔淵曰 惜乎 吾見其進也 未見其止也 |
しがんえんをいいていわく おしいかな われそのすすむをみたるも いまだそのとどまるをみざりき |
孔子が顔淵について言った 惜しい人物を亡くしたものだ 彼は日々学問の道に精進し 決して立ち止まることがなかった(KS) |
||
詳細 | 262 |
9 | 22 | 子曰 苗而不秀者有矣夫 秀而不實者有矣夫 |
しいわく なえにしてひいでざるものあるかな ひいでてみのらざるものあるかな |
孔子が言った いつまでも苗のまま成長しない者もある 成長したとしても実らない者もある(KS) |
||
詳細 | 65 |
9 | 23 | 後世畏るべし | 子曰 後生可畏 焉知來者之不如今也 四十五十而無聞焉 斯亦不足畏也已矣 | しいわく こうせいおそるべし いずくんぞらいしゃのいまにしかざるをしらんや しじゅうごじうにしてきこゆることなくんば これまたおそるるにたらざるのみ | 孔子が言った 若者を侮ってはならない 彼らは優秀になる可能性がある 40歳や50歳になっても名声を得られないならば 彼らにはもはや見込みが無い(KS) 先生がいわれた、 「青年は恐るべきだ。 これからの人が今 [の自分] に及ぱないなどと、どうして分かるものか。 ただ四十五十の年になっても評判がたたないとすれぱ、 それはもう恐れるまでもないものだよ。」(K) |
人生30台までに何をしたかがその後の命運を決める。四十五十になって"Who?"といわれるようでは管理職にはなれない |
詳細 | 64 |
9 | 24 | 子曰 法語之言 能無從乎 改之爲貴 巽與之言 能無説乎 繹之爲貴 説而不繹 從而不改 吾末如之何也已矣 |
しいわく ほうごのげんは よくしたがうことなからんや これをあらたむるをたっとしとなす そんよのげんは よくよろこぶなからんや これをたずぬるをたっとしとなす よろこびてたずねず したがいてあらためざるは われこれをいかんともするなきのみ |
孔子が言った 筋の通った忠告には 従うほかない 忠告に従い自分を改める事が大切だ 親切な忠告は 受け入れざるを得ない 忠告の中にある真意 思いやりを汲み取る事が大切だ もし親切な忠告の真意を理解せず 忠告を聞き自分を改めないならば そんな人物のために出来る事は何もない(KS) 先生がいわれた、 「正しい表だつたことばには、 従わずにはおれない。だが 〔それで自分を] 改めることが大切だ。 ものやわらかなことぱには、 嬉しがらずにはおれない。 だが [その真意を] たずねることが大切だ。 喜ぶだけでたずねずヽ 従うだけで改めないのでは、 わたしにはどうしようもないものだよ」(K) |
ノンポリ イエスマン 同類相哀れむ |
|
詳細 | 263 |
9 | 25 | 友を選ぶ | 子曰 主忠信 毋友不如己者 過則勿憚改 |
しいわく ちゅうしんをしゅとし おのれにしかざるものをともとするなかれ あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ |
孔子が言った 真心と誠実さに重きを置いて 人格的に劣る者たちと交際してはいけない 自らに誤りがあればすぐに正すべきだ(KS) |
|
詳細 | 264 |
9 | 26 | 匹夫の志 | 子曰 三軍可奪帥也 匹夫不可奪志也 |
しいわく さんぐんもすいをうばうべきなり ひっぷもこころざしをうばうべからざるなり |
孔子が言った 大軍の将軍を捕らえる事はできる しかし一人の人間の志を奪う事はできない(KS) |
|
詳細 | 265 |
9 | 27 | 子曰 衣敝縕袍 與衣狐貉者立 而不恥者 其由也與 |
やぶれたるうんぽうをき こかくをきたるものとたちて はじざるものは それゆうなるか |
孔子が言った 破れた衣服を着て 豪華な毛皮を着た人々の側に立っても 少しも恥ずかしいと思わない者は 由だ(KS) |
||
詳細 | 266 |
9 | 28 | 不忮不求 何用不臧 子路終身誦之 子曰 是道也 何足以臧 |
そこなわずもとめず なにをもってかよからざらん しろしゅうしんこれをしょうす しいわく このみちや なんぞもってよしとするにたらん |
他人を妬まず、必要以上に欲しがらず そうすれば善人になれる 子路はこの詩経の一節を口ずさんでいた 孔子が言った それだけでは十分ではない 我々の目指す道はもっと遠くにある(KS) |
||
詳細 | 38 |
9 | 29 | 修羅場土壇場正念場 | 子曰 歳寒 然後知松柏之後彫也 |
しいわく としさむくして しかるのちにしょうはくのしぼむにおくるるをしる |
孔子が言った 冬が近づく頃になり 松や桧がまだ葉を残している事に気が付くことができる(KS) 先生がいわれた、 「気候が寒くなってから、 はじめて松や柏が散らな いで残ることが分かる。 [人も危難の時にはじめて真価が分かる。(K) |
常緑樹はただ年中緑をたたえているのではない。 人も修羅場・土壇場・正念場とくぐりぬけたかどうかが問われる。 |
詳細 | 267 |
9 | 29 | 常緑樹 | 子曰 歳寒 然後知松柏之後彫也 |
しいわく としさむくして しかるのちにしょうはくのしぼむにおくるるをしる |
孔子が言った 冬が近づく頃になり 松や桧がまだ葉を残している事に気が付くことができる |
人は厳しい局面に立たされたとき真価がわかる(S) |
詳細 | 268 |
9 | 30 | 知者・仁者・勇者 | 子曰 知者不惑 仁者不憂 勇者不懼 |
しいわく ちしゃはまどわず じんしゃはうれえず ゆうしゃはおそれず |
孔子が言った 知者は判断に迷う事はない 仁者は悩む事はない 勇者は恐れる事はない(KS) |
|
詳細 | 269 |
9 | 31 | 子曰 可與共學 未可與適道 可與適道 未可與立 可與立 未可與權 |
しいわく ともにともにまなぶべきも いまだともにみちにゆくべからず ともにみちにゆくべきも いまだともにたつべからず ともにたつべきも いまだともにはかるべからず |
共に学ぶ友人と 同じ目標を共有できるとは限らない 同じ目標を持つ友人と 同じ価値観を共有できるとは限らない 同じ価値観を持つ友人と 同じ志を抱き共に人生を歩めるとは限らない(KS) |
||
詳細 | 270 |
9 | 32 | 唐棣之華 偏其反而 豈不爾思 室是遠而 子曰 未之思也夫 何遠之有 |
とうていのはな へんとしてそれはんせり あになんじをおもわざらんや しつこれとおければなり しいわく いまだこれをおもわざるかな なんのとおきことかこれあらん |
庭桜の花が ひらひらと舞っている 君の事を恋しく思わないわけではないが 家路が少し遠いのだ 孔子が言った この男は恋人を思っていない 恋しく思っていれば距離は問題にならない(KS) |
言い訳をしているようでは本気の恋ではない | |
詳細 | 40 |
10 | 1 | 孔子於郷黨 恂恂如也 似不能言者 其在宗廟朝廷 便便言 唯謹爾 |
こうしきょうとうにおいては じゅんじゅんじょたり いうことあたわざるものににたり そのそうびょうちょうていにあるや べんべんとしていう ただつつしめるのみ |
孔子は、 郷里では恭順なありさまでヽ ものもいえない人のようであつたが、 宗廟や朝廷ではすらすらと話され、 ひたすら慎重であられた。(K) | ||
詳細 | 271 |
10 | 2 | 朝與下大夫言 侃侃如也 與上大夫言 誾誾如也 君在 踧踖如也 與與如也 |
ちょうにしてかたいふといえば かんかんじょたり じょうたいふといえば ぎんぎんじょたり きみいませば しゅくせきじょたり よよじょたり |
朝廷に出仕した孔子は下位大臣に対して 和やかに振舞われた 上位大臣に対して 慎み深く振舞われた 主君がいるときは 恭しい態度でありながらも 余裕を失わずに振舞われた(KS) |
||
詳細 | 272 |
10 | 3 | 君召使擯 色勃如也 足躩如也 揖所與立 左右手 衣前後 襜如也 趨進 翼如也 賓退 必復命 曰 賓不顧矣 |
きみめしてひんせしむれば いろぼつじょたり あしかくじょたり ともにたつところにゆうするには てをさゆうにす ころものぜんご せんじょたり はしりすすむに よくじょたり ひんしりぞくや かならずふくめいして いわく ひんかえりみずと |
君主の命令で賓客をもてなす時は 緊張してた面持ちで そろそろと小刻みに歩かれた 共に接待している大臣におじぎをする時は 両手を右や左に 礼服が前後に 優雅に動いた 小走りに歩まれる様は 翼を拡げた鳥の様であった 賓客が退出されると 君主の所まで必ず戻り 報告した 賓客は振り返ることなく帰られたと |
||
詳細 | 273 |
10 | 4 | 入公門 鞠躬如也 如不容 立不中門 行不履閾 過位 色勃如也 足躩如也 其言似不足者 攝齊升堂 鞠躬如也 屏氣似不息者 出 降一等 逞顔色 怡怡如也 没階 趨進 翼如也 復其位 踧踖如也 |
こうもんにいるに きくきゅうじょたり いれられざるがごとし たつにもんにちゅうせず ゆくにしきいをふまず くらいすぐるに いろぼつじょたり あしかくじょたり そのげんはたらざるものににたり もすそをかかげてどうにのぼるに きくきゅうじょたり きをおさめていきせざるものににたり いでて いっとうをくだれば がんしょくをはなちて いいじょたり かいをつくして はしりすすむに よくじょたり そのくらいにかえれば しゅくせきじょたり |
孔子が宮廷の御門を通る時は 身をかがめて通り過ぎた 遠慮がちに 門の中央を通らず 敷居を踏まず 主君の御席の下を通り過ぎる時は 緊張した面持ちで 小刻みに通り過ぎた 席に着いたら無言でおられた 主君のお側へ上る時は 身をかがめ裾を掴んで引きずらなかった 主君の前では息をひそめてかしこまった 階段を下る時は 一段ごとに 表情が 和やかになった 階段を下りて 席へ戻るまでは 翼を拡げた鳥の様に歩かれた 席に戻った後は 恭しい態度を保っていた |
||
詳細 | 274 |
10 | 5 | 執圭 鞠躬如也 如不勝 上如揖 下如授 勃如戰色 足蹜蹜如有循 享禮有容色 私覿 愉愉如也 |
けいをとれば きくきゅうじょたり たえざるがごとし あぐるにはゆうするがごとく さぐることさずくるがごとし ぼつじょとしてせんしょくあり あしはしゅくしゅくとしてしたがうあるがごとし きょうれいにはようしょくあり してきには ゆゆじょたり |
主君より授かった圭をもつとき 恐れ慎み 重さに耐えられないかのようだった 上げるときは挨拶するかのようで 下ろすときは物を授けるかのようだ 顔色はにわかに変わって身震いした 小股でつま先を上げてすり足で歩いた 享礼では感情が態度に現われ 私的な会談になると 愉快な表情をしていた |
||
詳細 | 275 |
10 | 6 | 君子不以紺緅飾 紅紫不以爲褻服 當暑袗絺綌 必表而出之 緇衣羔裘 素衣麑裘 黄衣狐裘 褻裘長 短右袂 必有寢衣 長一身有半 狐貉之厚以居 去喪無所不佩 非帷裳 必殺之 羔裘玄冠 不以弔 吉月 必朝服而朝 |
くんしはかんしゅうをもってかざらず こうしはもってせつふくとなさず しょにあたってはひとえのちげき かならずひょうしてこれをいだす しいにはこうきゅう そいにはげいきゅう こういにはこきゅう せつきゅうはながく うべいをみじかくす かならずしんいあり ながさいっしんゆうはん こかくのあつきもっておる もをのぞけばおびざるところなし いしょうにあらざれば かならずこれをさいす こうきゅうげんかんしては もってちょうせず きつげつには かならずちょうふくしてちょうす |
人格者は衣服を赤茶色で縁取らない 赤や紫色の衣服を普段は着ない 暑い日に単衣の薄衣を着てもよいが 外出時は透けないように上着を着る 黒服には子羊の黒い毛皮をあわせ 白服には子鹿の白い毛皮をあわせ 黄服には黄色い狐の毛皮をあわせる 普段着は長めにしつらえ 右の袂を短くする 夜は寝巻きを必ず着る 長さは身長の1.5倍ほど 床に狐や狸の厚い毛皮を敷く 喪が明けたら装飾品を身に付ける 玉の首飾りなど 喪中に外したものを 黒服と黒い冠で 弔問に訪れない 毎月一日には 朝服を着て出仕する |
||
詳細 | 276 |
10 | 7 | 齊 必有明衣 布 齊必變食 居必遷坐 |
さいするときは かならずめいいあり ぬのなり さいするときはかならずしょくをへんじ きょはかならずざをうつす |
斎戒するときは 必ずゆかたを着た 生地は麻の 斎戒するときは必ず食事を変え 住居では必ず座る場所を変えた |
||
詳細 | 277 |
10 | 8 | 食不厭精 膾不厭細 食饐而餲 魚餒而 肉敗不食 色惡不食 臭惡不食 失飪不食 不時不食 割不正不食 不得其醬不食 肉雖多 不使勝食氣 唯酒無量 不及亂 沽酒市脯不食 不撤薑食 不多食 祭於公 不宿肉 祭肉不出三日 出三日 不食之矣 食不語 寢不言 雖蔬食菜羮瓜 祭必齊如也 |
しょくしはせいなるをいとわず なますはほそきをいとわず しょくしのいしてあいし うおのたいして にくのやぶれたるはくらわず いろのあしきはくらわず においのあしきはくらわず じんをうしなえるはくらわず ときならざるはくらわず きることただしからざればくらわず そのしょうをえざればくらわず にくはおおしといえども しきにかたしめず たださけはりょうなし らんにおよばず こしゅしほはくらわず はじかみをてっせずしてくらうも おおくはくらわず こうにまつれば にくをしゅくせず さいにくはさんじつをいでず さんじつをいずれば これをくらわず くらうにかたらず いぬるにいわず そしさいこううりといえども まつるときはかならずせいじょたり |
飯の精米具合などを気にしたり なますの厚みを気にしたりしない 時間が経過して色あせた飯や 魚や 肉は食べない 変色した食べ物は食べない 悪臭のする食べ物は食べない 精気を失った食べ物は食べない 季節はずれの食べ物は食べない 切り口の雑な食べ物は食べない 適切な味付けでなければ食べない 肉は多くても 飯の量を超えて食べてはならない 酒は飲んではならない 酔うほどには 市場で買った酒と干し肉は食べない 口直しの生姜は忘れずに食べるが 食べ過ぎてはならない 主君の行う祭祀で いただいた肉はその日の内に食べる 自らの祭祀では三日以上肉を供えない 三日以上過ぎてしまった場合は その肉は食べない 食べる時には話さない 寝るときにも話さない 例え粗末な供え物であっても 祭祀で捧げる時は恭しい態度を損なわない |
||
詳細 | 278 |
10 | 9 | 席不正 不坐 |
せきただしからざれば ざせず |
座席が曲がっていたら 真っ直ぐに正してから座るべき |
これが出来ない輩が多い。 | |
詳細 | 279 |
10 | 10 | 郷人飮酒 杖者出 斯出矣 郷人儺 朝服而立於阼階 |
きょうじんのいんしゅには じょうしゃいずれば ここにいず きょうじんのだには ちょうふくしてそかいにたつ |
故郷の人と酒を飲み交わした時は 年寄りより先に 退出してはならない 故郷の人が儺をする時は 朝服を着て東側の階段に立って出迎える |
||
詳細 | 280 |
10 | 11 | 問人於他邦 再拜而送之 |
ひとをたほうにとわしむるには さいはいしてこれをおくる |
他国にいる友人に使者を出すときは 使者に対して再拝して送り出す(KS) |
||
詳細 | 281 |
10 | 12 | 康子饋藥 拜而受之 曰 丘未達 不敢嘗 |
こうしくすりをおくる はいしてこれをうけ いわく きゅういまだたっせず あえてなめず |
康子が病気見舞いで孔子に薬を贈った 孔子は丁重に受け取り 使者に対して言った 私はこの薬について何も知りません 今は口にするのを控えたい(KS) |
||
詳細 | 282 |
10 | 13 | 廐焚 子退朝 曰 傷人乎 不問馬 |
うまややけたり しちょうよりしりぞく いわく ひとをそこなえるかと うまをとわず |
馬小屋が火事で焼けた 孔子が宮廷からやってきて 言った 怪我人はいないか? 馬の事は聞かなかった(KS) |
【君子論】 人命の安全が最優先 落語のネタにもなっている |
|
詳細 | 283 |
10 | 14 | 君賜食 必正席 先嘗之 君賜腥 必熟而薦之 君賜生 必畜之 |
きみしょくをたまえば かならずせきをただして まずこれをなむ きみせいをたまえば かならずじゅくしてこれをすすむ きみせいをたまえば かならずこれをかう |
主君から食べ物を賜った時は 必ず席を正して 少し試食をして受け取られた 主君から生肉を賜った時は 火を通した後で先祖への捧げ物とした 主君から家畜を賜った時は 必ずそれらを飼育した(KS) |
||
詳細 | 284 |
10 | 15 | 侍食於君 君祭先飯 |
きみにじしょくするに きみまつればまずはんす |
主君と晩餐を取る時は 主君がお供えを祭ってる間に毒見をした(KS) |
||
詳細 | 285 |
10 | 16 | 疾 君視之 東首 加朝服 拖紳 |
やむとき きみこれをみれば とうしゅし ちょうふくをくわえ しんをひく |
病の孔子を 主君がお見舞いに訪れた時は 孔子は東枕に寝て 朝服と帯を体にかけて 主君を迎えられた(KS) |
||
詳細 | 286 |
10 | 17 | 君命召 不俟駕行矣 |
きみめいじてめせば がをまたずしてゆく |
主君が孔子を呼び出した時は 馬車の準備が終わる前に家を出た(KS) |
||
詳細 | 287 |
10 | 18 | 郷に入りては郷に従え | 入太廟 毎事問 |
たいびょうにいりて ことごとにとえり |
魯国の祖廟に入った時は 作法について事細かに先輩に尋ねた(KS) |
|
詳細 | 288 |
10 | 19 | 朋友死 無所歸 曰 於我殯 朋友之饋 雖車馬 非祭肉不拜 |
ほうゆうしして きするところなければ いわく われにおいてひんせよと ほうゆうのおくりものは しゃばといえども さいにくにあらざればはいせず |
友人が亡くなった時は 身寄りの無い場合に 孔子が言った 我が家で葬儀を執り行いましょう 友人からの贈り物は それが馬車の様なものであっても 祭祀で捧げられた肉のお裾分け以外は受け取らない(KS) |
||
詳細 | 289 |
10 | 20 | 寢不尸 居不容 |
いぬるにしせず おるにかたちづくらず |
寝る時は無様な寝姿を見せなかった 自宅ではくつろいだ雰囲気で過ごした(KS) |
||
詳細 | 290 |
10 | 21 | 見齊衰者 雖狎必變 見冕者與瞽者 雖褻必以貌 凶服者式之 式負版者 有盛饌 必變色而作 迅雷風烈必變 |
しさいしゃをみれば なれたりといえどもかならずへんず べんしゃとこしゃとをみれば なれたりといえどもかならずかたちをもってす きょうふくしゃにはこれにしょくす ふばんしゃにしょくす せいせんあれば かならずいろをへんじてたつ じんらいふうれつにはかならずへんず |
孔子は喪服を着た人に出会った時は 例え友人であっても襟を正した 礼服を着た人や盲人に出会った時も 例え友人であっても緊張した顔つきとなった 喪服を着た人に対して敬礼をし 死者の戸籍を持った役人に対しても敬礼をした 豪華な食事を御馳走になった時は 立ち上がって主人に謝意を表した 雷や風の日には居住まいを正して天に敬意を表した(KS) |
||
詳細 | 291 |
10 | 22 | 升車 必正立執綏 車中不内顧 不疾言 不親指 |
くるまにのぼるときは かならずせいりつしてすいをとる しゃちゅうにてはないこせず しつげんせず しんしせず |
馬車に乗る時は 真っ直ぐ立って体をささえる綱につかまった 馬車の中では後ろを振り返ったり 大声で話したり 人を指差したりはしなかった(KS) |
||
詳細 | 292 |
10 | 23 | 色斯舉矣 翔而後集 曰 山梁雌雉 時哉時哉 子路共之 三嗅而作 |
いろすればここにあがり かけりてしかるのちにとどまる いわく さんりょうのしち ときなるかなときなるかな しろこれをきょうす みたびかぎてたつ |
鳥は人を見て飛び立ち しばらく飛び回り安全な場所へ着地する 孔子が言った 山の橋の上に雌のキジがいる ちょうど良い、ちょうど良い 子路はこのキジを捕らえて調理してだした 孔子は三度匂いを嗅ぎ食べずに席をたった(KS) |
||
詳細 | 22 |
11 | 1 | 先進 | 子曰 先進於禮樂 野人也 後進於禮樂 君子也 如用之 則吾從先進 |
しいわく せんしんのれいがくにおけるや やじんなり こうしんのれいがくにおけるや くんしなり もしこれをもちうれば すなわちわれはせんしんにしたがわん |
孔子が言った 先輩は礼楽に対して 野蛮である 後輩は礼楽に対して 君子である いずれかを用いるとすれば わたしは先輩たちの態度に従う(KS) 先生がいわれた、 「先輩は儀礼や雅楽についてはいなか者である。 後輩は儀礼や雅楽にっいては君子である。 だが、 もしそれを行なうことになれぱ、 わたしは先輩の方に従おう。 〔質朴な先輩の方が、 かえって礼楽の本質を得ているから。(K) |
|
詳細 | 293 |
11 | 2 | 子曰 從我於陳蔡者 皆不及門也 |
しいわく われにちんさいにしたがいしものは みなもんにおよばざるなり |
孔子が言った 私に付き添い陳や蔡に行った者は みな私の元を去ってしまった(KS) |
||
詳細 | 294 |
11 | 3 | 徳行 顏淵 閔子騫 冉伯牛 仲弓 言語 宰我 子貢 政事 冉有 季路 文學 子游 子夏 |
とっこうには がんえん びんしけん ぜんはくぎゅう ちゅうきゅう げんごには さいが しこう せいじには ぜんゆう きろ ぶんがくには しゆう しか |
徳の実践に優れているのは 顔淵 閔子騫 冉伯牛 仲弓だ 弁舌に優れているのは 宰我 子貢だ 政務に優れているのは 冉有 季路だ 文学に優れているのは 子游 子夏だ |
||
詳細 | 295 |
11 | 4 | 子曰 回也 非助我者也 於吾言 無所不説 |
しいわく かいや われをたすくるものにあらざるなり わがげんにおいて よろこばざるところなし |
孔子が言った 顔回は 議論して私の説を高める者ではない 私の意見には 彼は反論しないから(KS) |
||
詳細 | 296 |
11 | 5 | 子曰 孝哉 閔子騫 人不間於其父母昆弟之言 |
しいわく こうなるかな びんしけん ひとそのふぼこんていのげんをかんせず |
孔子が言った なんて親孝行な人間だろう 閔子騫は 誰一人として彼の父母兄弟の悪口を言うものがいない(KS) |
||
詳細 | 297 |
11 | 6 | 南容 三復白圭 孔子 以其兄之子妻之 |
なんよう みたびはくけいをふくす こうし そのあにのこをもってこれにめあわす |
南容は詩を口ずさんでいた 白い玉の傷を磨いて直す事ができる 孔子は 彼を見込んで兄の娘を嫁がせた(KS) |
||
詳細 | 298 |
11 | 7 | 季康子問 弟子 孰爲好學 孔子對曰 有顏回者 好學 不幸短命死矣 今也則亡 |
きこうしとう ていし たれかがくをこのむとなす こうしこたえていわく がんかいなるあり がくをこのめり ふこうたんめいにしてしせり いまやすなわちなし |
季康子が尋ねた あなたの弟子のうち 学問を好むのは誰ですか? 孔子は答えた 顔回という者がおりました 学問が好きでしたが 残念ながら若くして亡くなり 今はもう居りません(KS) |
||
詳細 | 299 |
11 | 8 | 顏淵死 顏路請子之車 以爲之椁 子曰 才不才 亦各言其子也 鯉也死 有棺而無椁 吾 不徒行以爲之椁 以吾從大夫之後 不可徒行也 |
がんえんしす がんろしのくるまをもって これがかくをつくらんとこう しいわく さいもふさいも またおのおのそのこをいうなり りやしせしとき かんありてかくなし われと こうしてもってこれがかくをつくらざりしは われたいふのしりえにしたがい とこうすべからざるをもってなり |
顔淵が亡くなった時 顔路が孔子の馬車を 譲って欲しいと願い出た 孔子が言った 才があろうと愚かであろうと 自分の子供を愛さぬ親は居ない 息子の鯉が死んだとき 彼に外棺を作ってやれなかった 私は 外棺の為に馬車を手放せなかった 大夫を末席ながら担っているため 歩いて出仕は出来ない事だからだ(KS) |
||
詳細 | 300 |
11 | 9 | 顏淵死 子曰 噫 天喪予 天喪予 |
がんえんしす しいわく ああ てんわれをほろぼせり てんわれをほろぼせり |
顔淵が亡くなった時に 孔子が言った あぁ 天は私を滅ぼされた 天は私を滅ぼされた(KS) |
||
詳細 | 301 |
11 | 10 | 顏淵死 子哭之慟 從者曰 子慟矣 曰 有慟乎 非夫人之爲慟 而誰爲 |
がんえんしす しこれをこくしてどうす じゅうしゃいわく しどうせりと いわく どうするありしか かのひとのためにどうするにあらずして たがためにかせんと |
顔淵が亡くなった時 孔子は身を震わし声を出して泣いた 側に居た弟子が言った 先生、泣かれているのですか? 孔子が言った 私は泣いている 彼の為に涙を流さずして 誰の為に涙を流すだろうか(KS) |
||
詳細 | 302 |
11 | 11 | 顏淵死 門人 欲厚葬之 子曰 不可 門人厚葬之 子曰 回也 視予猶父也 予不得視猶子也 非我也 夫二三子也 |
がんえんしす もんじん あつくこれをほうむらんとほっす しいわく ふかなりと もんじんあつくこれをほうむる しいわく かいや われをみることなおちちのごとくせり われはみることなおこのごとくするをえざるなり われにはあらざるなり かのにさんしなり |
顔淵が亡くなった時 他の弟子達が 葬儀を手厚く執り行いたいと申し出た 孔子が言った 行ってはならない 弟子達は葬儀を手厚く執り行った 孔子が言った 顔淵は まるで父親の様に私を慕った 私は息子の様にしてやれなかった 私ではなく 他の弟子達が彼の為に何かしてやった |
||
詳細 | 303 |
11 | 12 | 季路問事鬼神 子曰 未能事人 焉能事鬼 曰 敢問死 曰 未知生 焉知死 |
きろきしんにつかうることをとう しいわく いまだひとにつかうることあたわず いずくんぞよくきにつかえん いわく あえてしをとう いわく いまだせいをしらず いずくんぞしをしらん |
季路が鬼神(霊魂)に仕える方法を尋ねた 孔子が答えた まだ人に仕える事さえ出来ないのに どうして霊魂に仕える事ができようか 季路は 死について尋ねた 孔子が言った まだ生について理解していないのに どうして死を理解できるだろうか(KS) |
||
詳細 | 304 |
11 | 13 | 閔子侍側 誾誾如也 子路 行行如也 冉有 子貢 侃侃如也 子樂 若由也不得其死然 |
びんしかたわらにじす ぎんぎんじょたり しろ こうこうじょたり ぜんゆう しこう かんかんじょたり したのしむ ゆうのごときはそのしをえざらん |
閔子騫が孔子の側に居る時は 恭しい態度であった 子路は 武骨な態度であった 冉有と 子貢は 和やかな態度であった 孔子は彼らと過ごすことを楽しんだ 子路の様な男はまっとうな死に方ができないだろう(KS) |
||
詳細 | 305 |
11 | 14 | 魯人爲長府 閔子騫曰 仍舊貫 如之何 何必改作 子曰 夫人不言 言必有中 |
ろひとちょうふをつくる びんしけんいわく きゅうかんによらば これをいかん なんぞかならずしもあらためつくらん しいわく かのひといわず いえばかならずあたるあり |
魯の人々が国の倉庫を改築しようとした 閔子騫が言った 昔ながらの様式で建てるのは いかがでしょうか どうして新しい様式で建てる必要がありますか? これを聞いた孔子が言った 彼はめったに話さないが 彼の言葉はいつも的を射ている(KS) |
||
詳細 | 306 |
11 | 15 | 子曰 由之瑟 奚爲於丘之門 門人不敬子路 子曰 由也升堂矣 未入於室也 |
しいわく ゆうのしつ なんすれぞきゅうのもんにおいてせんと もんじんしろをけいせず しいわく ゆうやどうにのぼれり いまだしつにいらざるなり |
孔子が言った 子路は琴が上手くない 私の門人にしては 他の弟子は子路を尊敬しないようになった 孔子は言った 子路には宮殿に上がれる程の腕はある ただ主君の御前で披露する程ではない(KS) |
||
詳細 | 307 |
11 | 16 | 子貢問 師與商也孰賢 子曰 師也過 商也不及 曰 然則師愈與 子曰 過猶不及 |
しこうとう しとしょうといずれかまされる しいわく しやすぎたり しょうやおよばず いわく しからばすなわちしまされるか しいわく すぎたるはなおおよばざるがごとし |
子貢が尋ねた 子張と子夏はどちらが優れているか? 孔子が答えた 子張にはやり過ぎる面がある 子夏には物足りない面がある 子貢が言った それでは子張の方が優れていますか? 孔子が言った 過ぎたるは猶お及ばざるがごとし(KS) |
||
詳細 | 308 |
11 | 17 | 季氏富於周公 而求也 爲之聚斂 而附益之 子曰 非吾徒也 小子鳴鼓而攻之 可也 |
きししゅうこうよりもとめり しこうしてきゅうや これがためにしゅうれんして これにふえきす しいわく わがとにあらざるなり しょうしこをならしてこれをせめて かなり |
季孫氏は魯の君主より裕福だった それなのに冉求は 季孫氏のために税金を徴収をして 益々季孫氏を豊かにした 孔子が言った 彼はもはや私の弟子ではない 諸君、鼓を鳴らして彼を非難して やって欲しい(KS) |
||
詳細 | 309 |
11 | 18 | 柴也愚 參也魯 師也辟 由也喭 |
さいやぐ しんやろ しやへき ゆうやがんなり |
子羔は愚かで 曽参はのろま 子張は見栄っ張りで 子路は粗暴だ(KS) |
||
詳細 | 310 |
11 | 19 | 子曰 回也其庶乎 屢空 賜不受命 而貨殖焉 億則屢中 |
しいわく かいやそれちかからんか しばしばむなし しはめいをうけずして かしょくす はかればすなわちしばしばあたる |
孔子が言った 顔回は私の理想に近い 理想のため貧しい生活をしている 子貢は頼まれてもいないのに 金儲けをしている 彼の予想はよく当たる(KS) |
||
詳細 | 311 |
11 | 20 | 子張問善人之道 子曰 不踐迹 亦不入於室 |
しちょうぜんにんのみちをとう しいわく あとをふまざれば またしつにいらず |
子張が善人の取るべき道を尋ねた 孔子が言った まず先人の歩んだ道をたどる そうでなければ先人の域に達っせない(KS) |
||
詳細 | 312 |
11 | 21 | 言うだけ番長 | 子曰 論篤是與 君子者乎 色莊者乎 |
しいわく ろんのあつきにこれくみせば くんししゃか しきそうしゃか |
孔子が言った 弁舌が誠実そうに聞こえても 本当の人格者か うわべだけの人格者か区別できない(KS) |
|
詳細 | 313 |
11 | 22 | 子路問 聞斯行諸 子曰 有父兄在 如之何其 聞斯行之 冉有問 聞斯行諸 子曰 聞斯行之 公西華曰 由也問 聞斯行諸 子曰 有父兄在 求也問 聞斯行諸 子曰 聞斯行之 赤也惑 敢問子曰 求也退 故進之 由也兼人 故退之 |
しろとう きくがままにここにこれをおこなわんか しいわく ふけいのいますあり これをいかんぞそれ きくがままにここにこれをおこなわん ぜんゆうとう きくがままにここにこれをおこなわんか しいわく きくがままにここにこれをおこなえ こうせいかいわく ゆうやとう きくがままにここにこれをおこなわんかと しいわく ふけいのいますありと きゅうやとう きくがままにここにこれをおこなわんかと しいわく きくがままにここにこれをおこなえと せきやまどう あえてとうしいわく きゅうやしりぞく ゆえにこれをすすむ ゆうやひとをかぬ ゆえにこれをしりぞく |
子路が尋ねた 聞いたらすぐに実行すべきですか? 孔子が言った 父親や年長者がいるだろう 彼らの意見を まずは聞きなさい 冉有が尋ねた 聞いたらすぐに実行すべきですか? 孔子が言った すぐに実行しなさい 公西華が尋ねた 「子路が尋ねた 聞いたらすぐに実行すべきですか?」に 「孔子が言った 父親や年長者がいるだろう」と 「冉有が尋ねた 聞いたらすぐに実行すべきですか?」に 「孔子が言った すぐに実行しなさい」と 公西華は困惑した様子で 孔子に尋ね、孔子が言った 冉有は引っ込み思案 だからうながしてやった 子路は積極的すぎる だから抑制してやった(KS) |
||
詳細 | 314 |
11 | 23 | 子畏於匡 顏淵後 子曰 吾以女爲死矣 曰 子在 回何敢死 |
しきょうにいす がんえんおくる しいわく われなんじをもってしせりとなす いわく しいます かいなんぞあえてしせん |
匡の人々が孔子に危害を加えかけた 顔淵は遅れて合流した 孔子が言った 私はお前が死んだと思った 顔淵が言った 先生が生きている間 易々と死ねません(KS) |
||
詳細 | 315 |
11 | 24 | 季子然問 仲由冉求 可謂大臣與 子曰 吾以子 爲異之問 曾由與求之問 所謂大臣者 以道事君 不可則止 今由與求也 可謂具臣矣 曰 然則從之者與 子曰 弑父與君 亦不從也 |
きしぜんとう ちゅうゆうぜんきゅうは だいじんというべきか しいわく われしをもって ことなるをこれとうとなす すなわちゆうときゅうとをこれとう いわゆるだいじんとは みちをもってきみにつかえ ふかなればすなわちやむ いまゆうときゅうとは ぐしんというべし いわく しからばすなわちこれにしたがうものか しいわく ちちときみとをしいせんには またしたがわざるなり |
季子然が尋ねた 仲由と冉求は 素晴らしい家臣と言えますか? 孔子が言った 私はあなたが もっと別の事を尋ねると思っていた 仲由と冉求ですか 素晴らしい家臣は 正道をもって主君に仕えて かなわぬ時は職を辞する 彼らはそれもせずにいる ただの数合わせの家臣に過ぎない 季子然が言った 彼らは言いなりになる家臣ですか? 孔子が言った 父親や主君を殺すなどの 命令には従いません(KS) |
||
詳細 | 316 |
11 | 25 | 子路使子羔 爲費宰 子曰 賊夫人之子 子路曰 有民人焉 有社稷焉 何必讀書 然後爲學 子曰 是故惡夫佞者 |
しろしこうをして ひのさいたらしむ しいわく かのひとのこをそこなわん しろいわく みんじんあり しゃしょくあり なんぞかならずしもしょをよみて しかるのちにがくとなさん しいわく このゆえにかのねいしゃをにくむ |
子路が子羔を 費の長官にした 孔子が言った 未熟で学び足りない彼を駄目にする 子路が言った かの街には人民が住んでおり 子羔は彼らを統治せねばなりません 何も本を読むばかりが 学ぶ道ではないでしょう 孔子が言った これだから口先の上手い輩は嫌いだ(KS) |
||
詳細 | 317 |
11 | 26 | 子路 曾晳 冉有 公西華 侍坐 子曰 以吾一日長乎爾 毋吾以也 居則曰 不吾知也 如或知爾 則何以哉 |
しろ そうせき ぜんゆう こうせいか じざす しいわく われいちじつなんじよりちょうぜるをもって われをもってすることなかれ おりてはすなわちいわく われをしらざるなりと もしなんじをしるものあらば すなわちなにをもってせんや |
子路 曾皙 冉有 公西華が 側に控えていた 孔子が言った 私が年長者だからと 遠慮しないでいい あなた達はいつも嘆いている 自分達が評価されない事を もし評価されたら どのように報いるか(KS) |
||
詳細 | 41 |
12 | 1 | 顏淵問仁 子曰 克己復禮爲仁 一日克己復禮 天下歸仁焉 爲仁由己 而由人乎哉 顏淵曰請問其目 子曰 非禮勿視 非禮勿聽 非禮勿言 非禮勿動 顏淵曰 回雖不敏 請事斯語矣 |
がんえんじんをとう しいわく おのれにかちてれいにかえるをじんとなす いちじつおのれにかちてれいにかえれば てんかじんにきせん じんをなすはおのれによる しこうしてひとによらんや がんえんいわくそのもくをこいとう しいわく ひれいはみることなかれ ひれいはきくことなかれ ひれいはいうことなかれ ひれいはうごくことなかれ がんえんいわく かいふびんなりといえども こうこのごをこととせん |
顔淵が仁のことをおたずねした。先生はいわれた、 「[内に〕わが身をつつしんで [外は] 礼 〔の規範] にたちもどるのが仁ということだ。 一 日でも身をつっしんで礼にたちもどれぱ、 世界じゆうが仁になつくようになる。 仁を行なうのは自分しだいだ。 どうして人だのみできようか。」 顔淵が 「どうかその要点をお聞かせ下さい。」 とい ったので、先生はいわれた、 「礼にはずれたことは見ず、 礼にはずれたことは聞かず、 礼にはずれたことは言わず、 礼にはずれたことはしないことだ。」顔淵はい つた、 「 回はおろかではございますが、 このおことぱを実行させていただきましよう。 」(K) |
||
詳細 | 318 |
12 | 2 | 仲弓問仁 子曰 出門如見大賓 使民如承大祭 己所不欲 勿施於人 在邦無怨 在家無怨 仲弓曰 雍雖不敏 請事斯語矣 |
ちゅうきゅうじんをとう しいわく もんをいでてはたいひんをみるがごとくし たみをつかうにはたいさいをうくるがごとくす おのれのほっせざるところは ひとにほどこすことなかれ くににありてもうらみなく いえにありてもうらみなしと ちゅうきゅういわく ようふびんなりといえども こうこのごをこととせんと |
仲弓が仁について尋ねた 孔子が言った 外で人と会う時は賓客の様に扱いなさい 民を使役する時は祭祀を務める様にしなさい 自分がされて嫌な事を 他人にしてはいけない そうすれば人々から恨みを抱かれたり その人々の家族からも恨みを抱かれない 仲弓が言った 私は愚か者ですが 先生のお言葉を実践したいと思います |
||
詳細 | 319 |
12 | 3 | 司馬牛問仁 子曰 仁者其言也訒 曰 其言也訒 斯謂之仁已乎 子曰 爲之難 言之得無訒乎 |
しばぎゅうじんをとう しいわく じんしゃはそのいうやじんす いわく そのいうやじんす ここにこれをじんというか しいわく これをなすことかたし これをいいてじんするなきをえんや |
司馬牛が仁について尋ねた 孔子が言った 仁者は、言葉を慎み深くする 司馬牛が言った たったそれだけで 仁者と呼べるのですか? 孔子が言った 仁の実践は難しい だから仁者の言葉は慎み深くなる |
||
詳細 | 320 |
12 | 4 | 司馬牛問君子 子曰 君子不憂不懼 曰 不憂不懼 斯謂之君子已乎 子曰 内省不疚 夫何憂何懼 |
しばぎゅうくんしをとう しいわく くんしはうれえずおそれず いわく うれえずおそれず ここにこれをくんしというか しいわく うちにかえりみてやましからずんば それなにをかうれえなにをかおそれん |
司馬牛が人格者について尋ねた 孔子が言った 人格者は心配や恐れを抱かない 司馬牛が言った 心配や恐れを抱かないだけで 人格者と呼べるのですか? 孔子が言った 自ら反省してやましくなければ 何を心配や恐れる必要があるか |
||
詳細 | 67 |
12 | 5 | 歓喜の歌 | 司馬牛憂曰 人皆有兄弟 我獨亡 子夏曰 商聞之矣 死生有命 富貴在天 君子敬而無失 與人恭而有禮 四海之内 皆兄弟也 君子何患乎無兄弟也 |
しばぎゅううれえていわく ひとはみなけいていあり われにひとりなし しかいわく しょうこれをきく しせいめいあり ふうきてんにあり くんしけいしてうしなうなく ひととまじわるにうやうやしくしてれいあらば しかいのうち みなけいていなり くんしなんぞけいていなきをうれえんや |
司馬牛が嘆いて言った みんなは兄弟と仲良くやっているのに 私だけが兄弟が居ないかの様だ 子夏が言った 私は聞いている 生死は天命だと 富や尊きは天にあると 人格者が他者を敬って落ち度が無く 恭しく振舞って礼に違うことがなければ この世の全てが みな兄弟と言える 人格者がどうして兄弟が居ないと嘆く必要がありますか(KS) [兄の桓離が無法もので今にも身を亡ぼしそうであつたので、] 司馬牛 は悲しんでいったヽ 「人々にはみな兄弟があるのに、 わたくしだけには ない。」子夏はいった、 「商 (このわたくし) はこういうことを聞いてい る、 『死ぬも生きるもさだめあり、 富みも尊さもままならぬ。』 と。 [あなたの兄さんのこともヽ しかたがない。〕 君子は慎しんでおちどな く、 人と交わるのにていねいにして礼を守つてゆけば、 世界じゆうの 人はみな兄弟になる。 君子は兄弟のないことなどどうして気にかける ことがあろう。」(K) |
Alle menschen welde bruder all mei sanfter flugel welt! |
詳細 | 68 |
12 | 6 | 聡明明智 | 子張問明 子曰 浸潤之譖 膚受之愬 不行焉 可謂明也已矣 浸潤之譖 膚受之愬 不行焉 可謂遠也已矣 |
しちょうめいをとう しいわく しんじゅんのそしり ふじゅのうったえ おこなわれざるは めいというべきのみ しんじゅんのそしり ふじゅのうったえ おこなわれざるは えんというべきのみ |
子張が聡明さについて尋ねた 孔子が言った 誹謗中傷や 事実無根の訴えを 無視できる ならば聡明だ 誹謗中傷や 事実無根の訴えを 無視できる ならば聡明だ(KS) 子張が聡明ということをおたずねした。 先生はいわれたヽ 「 しみこむような [じわじわとくる] 悪口や、 肌身に受けるような [痛切な] うったえ [には人は動かされやすいものだがヽ よく判断できてそれら〕 が通用しないようなら、 聡明といつてよいだろう。 しみこむような [じ わじわとくる] 悪口や、 肌身に受けるような [痛切な] うったえが、[よく判断できて]通用しないようならヽ 見とおしがきくといってよい だろう。」(K) |
明=(聡明、明智) |
詳細 | 321 |
12 | 7 | 子貢問政 子曰 足食 足兵 民信之矣 |
しこうまつりごとをとう しいわく しょくをたらし へいをたらし たみこれをしんず |
子貢が政治について尋ねた 孔子が言った 食糧をいきわたらせること 軍備を整えること 人々に信義を植え付けることだ 子貢が言った 三つのうち一つを犠牲にする場合 どれを犠牲にしますか? 孔子が言った 軍備だ 子貢が言った 残った二つで一つを犠牲にするなら どちらを犠牲にしますか? 孔子が言った 次は食糧だ 昔から死は避けられないものだが 信義がなければ人間社会は成立しない(KS) |
||
詳細 | 322 |
12 | 8 | 棘子成曰 君子質而已矣 何以文爲 子貢曰 惜乎 夫子之説君子也 駟不及舌 文猶質也 質猶文也 虎豹之鞟 猶犬羊之鞟 |
きょくしせいいわく くんしはしつのみ なんぞぶんをもってなさんと しこういわく おしいかな ふうしのくんしをとくや しもしたにおよばず ぶんはなおしつのごとく しつはなおぶんのごときなり こひょうのかくはなお けんようのかくのごとし |
棘子成が言った 人格者は己の本質を大切にすべきだ 教養を身に付ける必要はない 子貢が言った 残念だ あの人の「人格者の意見」は誤りだ 失言を取り消すことはできない 教養は人間性に深く関係し 人間性は教養と深く関係する 虎や豹の毛皮から毛を抜くと 犬や羊の革と見分けがつかない |
||
詳細 | 323 |
12 | 9 | 哀公 問於有若曰 年饑用不足 如之何 有若對曰 盍徹乎 曰 二吾猶不足 如之何其徹也 對曰 百姓足 君孰與不足 百姓不足 君孰與足 |
あいこう ゆうじゃくにといていわく としうえてようたらず これをいかんせん ゆうじゃくこたえていわく なんぞてっせざるや いわく にだにもわれなおたらず これをいかんぞそれてっせんや こたえていわく ひゃくせいたらば きみたれとともにかたらざらん ひゃくせいたらずんば きみたれとともにかたらん |
哀公が 有若に尋ねた 今年は不作で歳入が足らない どうしたら良いだろうか? 有若が答えた 年貢を一割に下げては? 哀公が言った 二割でも不足なのに 一割に下げる理由は? 有若が答えた 人民が豊かならば 君主が貧しいでしょう 人民が貧しいのに どうして君主が豊かになれますか(KS) |
||
詳細 | 324 |
12 | 10 | 子張 問崇徳辨惑 子曰 主忠信徙義 崇徳也 愛之欲其生 惡之欲其死 既欲其生 又欲其死 是惑也 |
しちょう とくをたっとびまどいをべんずるをとう しいわく ちゅうしんをしゅとしぎにうつるは とくをたかくするなり これをあいしてはそのせいをほっし これをにくんではそのしをほっす すでにそのせいをほっし またそのしをほっす これまどいなり |
子張が 徳を高め惑いを断ち切る方法を尋ねた 孔子が言った 真心と誠実さに重きをおけば 徳を高めることができる 人は愛する人の生を望み 憎い人間の死を望む 同じ人間の生を願ったり 同じ人間の死を願ったりする この心の動きこそが惑いだ(KS) |
||
詳細 | 325 |
12 | 11 | 齊景公 問政於孔子 孔子對曰 君君臣臣 父父子子 公曰 善哉 信如君不君 臣不臣 父不父 子不子 雖有粟 吾得而食諸 |
せいのけいこう まつりごとをこうしにとう こうしこたえていわく きみきみたりしんしんたり ちちちちたりここたり こういわく よいかな まことにもしきみきみたらず しんしんたらず ちちちちたらず ここたらずんば ぞくありといえども われえてこれをくらわんや |
景公が 政治について孔子に尋ねた 孔子が言った 君主は君主らしく臣下は臣下らしく 父は父らしく子は子らしく振舞うのが重要 景公が言った そのとおりだ 君主は君主らしくなく 臣下は臣下らしくなく 父は父らしくなく 子は子らしくなければ 財政が豊かであっても それを食べることはできないだろう(KS) |
||
詳細 | 326 |
12 | 12 | 子曰 片言可以折獄者 其由也與 子路無宿諾 |
しいわく へんげんもってうったえをさだむべきものは それゆうなるか しろはしゅくだくなし |
孔子が言った 一方の意見だけを聞き判決が下せるのは 子路ぐらいなものだ 子路は物事を引き受けたらすぐ実行する(KS) |
||
詳細 | 327 |
12 | 13 | 子曰 聽訟 吾猶人也 必也使無訟乎 |
しいわく うったえをきくは われなおひとのごとし かならずやうったえなからしめんか |
孔子が言った 訴訟の審理判決では 私も人と変ったところはない それよりは訴訟自体を減らしたい(KS) |
||
詳細 | 328 |
12 | 14 | 子張問政 子曰 居之無倦 行之以忠 |
しちょうまつりごとをとう しいわく これにおりてうむことなく これをおこなうにちゅうをもってす |
子張が政治について尋ねた 孔子が言った 職務に専念せねばならない 人々に対し誠実さで統治せねばならない(KS) |
||
詳細 | 329 |
12 | 15 | 子曰 博學於文 約之以禮 亦可以弗畔矣夫 |
しいわく ひろくぶんをまなび これをやくするにれいをもってすれば またもってそむかざるべし |
孔子が言った 人々が博く学び 行動する際に礼に配慮すれば 彼らは決して正道を踏み外すことはない(KS) |
||
詳細 | 330 |
12 | 16 | 子曰 君子成人之美 不成人之惡 小人反是 |
しいわく くんしはひとのびをなし ひとのあくをなさず しょうじんはこれにはんす |
孔子が言った 人格者は人の善行・美点を励まし 悪行・欠点を正すものだ 非人格者はこれと反対のことをする(KS) |
||
詳細 | 331 |
12 | 17 | 季康子 問政於孔子 孔子對曰 政者正也 子帥以正 孰敢不正 |
きこうし まつりごとをこうしにとう こうしこたえていわく せいなるものはせいなり しひきいるにせいをもってせば たれかあえてただしからざらん |
季康子が 政治について孔子に尋ねた 孔子が答えた 政治とは正道を行くこと あなたが率先して正道を行けば 誰もがあなたと同じ正道を行く(KS) |
||
詳細 | 332 |
12 | 18 | 季康子患盜 問於孔子 孔子對曰 苟子之不欲 雖賞之不竊 |
きこうしとうをうれえて こうしにとう こうしこたえていわく いやしくもしのほっするなくんば これをしょうすといえどもぬすまず |
季康子が盗賊の事を心配して 孔子に尋ねた 孔子が答えた あなたが私利私欲を持たなければ 賞金を与えても人々は盗みを働かなくなる(KS) |
||
詳細 | 333 |
12 | 19 | 季康子 問政於孔子曰 如殺無道 以就有道 何如 孔子對曰 子爲政 焉用殺 子欲善而民善矣 君子之徳風 小人之徳草 草上之風必偃 |
きこうし まつりごとをこうしにといていわく もしむどうをころして もってゆうどうをなさば いかん こうしこたえていわく しまつりごとをなすに いずくんぞさつをもちいん しぜんをほっすればたみぜんなり くんしのとくはかぜなり しょうじんのとくはくさなり くさこれにかぜをくわうればかならずふす |
季康子が 孔子に政治について尋ねた 無道の者達を殺して 人々を正道につかせるのは いかがでしょうか? 孔子が答えた どうして政治を行うのに 人々を殺す必要があるのですか あなたが善を追い求めれば人々は善くなる 人格者の性質は風です 他の人々の性質は草です 草の上を風が吹けば頭を垂れる(KS) |
||
詳細 | 334 |
12 | 20 | 子張問 士何如 斯可謂之達矣 子曰 何哉 爾所謂達者 子張對曰 在邦必聞 在家必聞 |
しちょうとう しはいかなるを ここにこれをたつというべきか しいわく なんぞや なんじのいわゆるたつとは しちょうこたえていわく くににありてもかならずきこえ いえにありてもかならずきこゆ |
子張が尋ねた 士人はどのようであれば 達したと言えますか 孔子が言った どう思うか お前は達したといえるものを 子張が答えた 国政に携われば評判を得て 地元に帰っても評判を得ることです 孔子が言った いま聞いたことは 達したとは言えない 達した人物とは 実直にして正義を重んじ 人の言葉を聞いて表情をよく読み 遠慮してへりくだった態度でいる 国政に携わってもこの態度で望み 地元に帰ってもこの態度を貫く それに比べて人気者なだけの人物とは 仁徳があるようでその行動は仁徳と違う そんな自分に矛盾すら感じない 国政に携われば評判を得て 地元に帰っても評判を得てしまう |
||
詳細 | 335 |
12 | 21 | 樊遅 從遊於舞雩之下 曰 敢問崇徳 脩慝 辨惑 子曰 善哉問 先事後得 非崇徳與 攻其惡 無攻人之惡 非脩慝與 一朝之忿 忘其身以及其親 非惑與 |
はんち したがいてぶうのもとにあそぶ いわく あえてとくをたっとび とくをおさめ まどいをべんずるをとう しいわく よいかなといや ことをさきにしてうるをのちにす とくをたっとぶにあらずや そのあくをせめ ひとのあくをせめず とくをおさむるにあらずや いっちょうのいかりにそのみをわすれ もってそのしんにおよぶ まどいにあらずや |
樊遅を 伴って舞台に出かけたとき樊遅が 尋ねた どのようにしたら自分の徳を高め 邪心を払って 惑いを取り除けますか? 孔子が言った 良い質問だ 行動を先にして利益を後回しにすれば 徳を高められる 自らの行いを反省して 他人のあら探しをしなければ 邪心を払える 一時の怒りに その身を忘れて家族を巻き込まなければ 惑いを取り除ける(KS) |
||
詳細 | 336 |
12 | 22 | 樊遅問仁 子曰 愛人 問知 子曰 知人 樊遅未達 |
はんちじんをとう しいわく ひとをあいす ちをとう しいわく ひとをしる はんちいまだたっせず |
樊遅が仁について尋ねた 孔子が言った 人を愛することだ 樊遅が知について尋ねた 孔子が言った 人を知ることだ 樊遅が理解していないようだった 孔子が言った 誠実な人を登用し不誠実な人を監督すれば 不誠実な人を矯正できる 樊遅は部屋を退出した その後で子夏に会って尋ねた 先生に知について尋ねたが 先生は 誠実な人を登用し不誠実な人を監督すれば 不誠実な人を矯正できると言った これはどういう意味ですか? 子夏が言った 大変深い意味がある 舜が天下を治めていた時 大勢から皐陶を抜擢して司法長官に任命した そしたら悪人が減った 湯王が天下を治めていた時 大勢から伊尹を抜擢して宰相に任命した そしたら悪人が減った(KS) |
||
詳細 | 337 |
12 | 23 | 子貢問友 子曰 忠告而善道之 不可則止 毋自辱焉 |
しこうともをとう しいわく ちゅうこくしてこれをぜんどうし ふかなればすなわちやむ みずからはずかしめらるることなかれ |
子貢が友情について尋ねた 孔子が言った 友人に忠告して善い方向に導いてあげなさい しかし無理強いをしてはいけない 無理強いすると自分自身をはずかしめる結果になる |
||
詳細 | 338 |
12 | 24 | 学問と友 | 曾子曰 君子以文會友 以友輔仁 |
そうしいわく くんしはぶんをもってともをかいし ともをもってじんをたすく |
曾子が言った 人格者は学問を通じて友人をつくり 交友を通じて互いに仁徳を高めあう(KS) |
|
詳細 | 42 |
13 | 1 | 子路問政 子曰 先之勞之 請益 曰 無倦 |
しろまつりごとをとう しいわく これにさきんじこれをねぎらう えきをこう いわく うむことなかれ |
子路が政治について尋ねた 孔子が言った 率先して行動し 他人をいたわることだ 孔子が言った 途中で投げ出してはいけない(KS) 子路が政治のことをおたずねしたQ 先生はいわれたヽ 「率先すること、ねぎらうことだ。」 いま少しとおねがいするとヽ 「怠ることのないように。」 といわれた。(K) |
||
詳細 | 339 |
13 | 2 | 仲弓爲季氏宰 問政 子曰 先有司 赦小過 舉賢才 曰 焉知賢才而舉之 曰 舉爾所知 爾所不知 人其舎諸 |
ちゅうきゅうきしのさいとなり まつりごとをとう しいわく ゆうしをさきにし しょうかをゆるし けんさいをあげよ いわく いずくんぞけんさいをしりてこれをあげん いわく なんじのしるところをあげよ なんじのしらざるところは ひとそれこれをすてんや |
仲弓が季氏の街の長官になった時 政治について尋ねた 孔子が言った まず部下の役人達の事からはじめなさい 小さな過失は許して 有能な者たちを抜擢しなさい 仲弓が言った どのように有能な者を見つければよいか? 孔子が言った 知人の中から有能な者を抜擢すれば 周囲の人間がこぞって 有能な者たちを推薦してくる(KS) |
||
詳細 | 340 |
13 | 3 | 子路曰 衛君待子而爲政 子將奚先 子曰 必也正名乎 子路曰 有是哉 子之迂也 奚其正 |
しろいわく えいくんしをまちてまつりごとをなさば しはまさになにをかさきにせんとする しいわく かならずやをたださんか しろいわく これあるかな しのうなるや なんぞそれたださん |
子路が孔子に尋ねた 衛公が先生を迎えて政治をするならば 先生はまず何をなさいますか? 孔子が言った まず名の秩序を正すつもりだ 子路が言った これだから先生は 本当に遠回りがお好きですね どうして名の秩序を正すのですか? 孔子が言った がさつだね お前は 人格者は 自分に解らぬことには 口出ししないものだ 名の秩序が正しくなければ 言葉の意味が混乱する 言葉の意味が混乱すれば 何事もできなくなってしまう 何事もできなければ 礼儀や音楽が盛んになることもない 文化が盛んでなければ 刑罰で公正に人を裁けなくなる 刑罰が公正でなければ 人々は安心して体を休められない だから人格者は正しい名で正しく話す 話したら必ず実行しなければならない 人格者は慎重に言葉を選び 軽々しい口を利いてはならない(KS) |
||
詳細 | 341 |
13 | 4 | 樊遅請學稼 子曰 吾不如老農 請學爲圃 曰 吾不如老圃 樊遅出 子曰 小人哉 樊須也 上好禮 則民莫敢不敬 上好義 則民莫敢不服 上好信 則民莫敢不用情 夫如是 則四方之民 襁負其子而至矣 焉用稼 |
はんちかをまなばんとこう しいわく われはろうのうにしかず ほをつくることをまなばんとこう いわく われはろうほにしかず はんちいず しいわく しょうじんなるかな はんすや かみれいをこのめば すなわちたみあえてけいせざるなし かみぎをこのめば すなわちたみあえてふくせざるなし かみしんをこのめば すなわちたみあえてじょうをもちいざるなし それかくのごとくならば すなわちしほうのたみ そのこをきょうふしていたらん いずくんぞかをもちいん |
樊遅が穀物作りを学びたいと申し出た 孔子が言った 私よりお年寄りの農夫の方が詳しい 樊遅が野菜作りを学びたいと申し出た 孔子が言った 私よりお年寄りの農夫の方が詳しい 樊遅が退出すると 孔子が言った 解っていない 樊遅は 上に立つ人間が礼儀を重んじれば 人々は彼らを尊敬するだろう 上に立つ人間が正義を重んじれば 人々は彼らに従うだろう 上に立つ人間が信義を重んじれば 人々は真心をもって行動するだろう 人の上に立つ人間さえこの様であれば 人々が方々から 子供を背負ってやってくる どうして農業など学ぶ必要があるか(KS) |
||
詳細 | 342 |
13 | 5 | 子曰 誦詩三百 授之 以政不達 使於四方 不能專對 雖多亦奚以爲 |
しいわく しさんびゃくをしょうすれども これにさずくるに まつりごとをもってしてたっせず しほうにつかいして せんたいすることあたわずんば おおしといえどもまたなにをもってなさん |
孔子が言った 300以上の詩を暗誦 できても 政務をこなせず 外交交渉も まとめられないならば 学んだ詩文に何の意味があるか(KS) |
単なる物知りではいかないよ | |
詳細 | 343 |
13 | 6 | 子曰 其身正 不令而行 其身不正 雖令不從 |
しいわく そのみただしければ れいせずしておこなわる そのみただしからざれば れいすといえどもしたがわれず |
孔子が言った 自分自身が正しくさえあれば 命令なしでも人々は行動する 自分自身が正しくなければ 命令しても人々は従わない(KS) |
||
詳細 | 344 |
13 | 7 | 子曰 魯衛之政 兄弟也 |
しいわく ろえいのまつりごとは けいていなり |
孔子が言った 魯と衛の政治は まるで兄弟のようなものだ(KS) |
||
詳細 | 345 |
13 | 8 | 子謂衛公子荊 善居室 始有曰 苟合矣 少有曰 苟完矣 富有曰 苟美矣 |
しえいのこうしけいをいう よくしつにおる はじめてあるにいわく いささかあつまる すこしくあるにいわく いささかまったし さかんにあるにいわく いささかよし |
孔子が衛の公子荊について言った 彼は蓄財が上手い 自宅を持ち蓄財を始めた頃に なんとかやり繰りできると言い 少し財産ができた頃に なんとか体裁が整ったと言い かなりの財産ができた頃に ようやく一人前の財産ができたと言った(KS) |
||
詳細 | 346 |
13 | 9 | 子適衛 冉有僕 子曰 庶矣哉 冉有曰 既庶矣 又何加焉 曰 富之 曰 既富矣 又何加焉 曰 教之 |
しえいにゆく ぜんゆうぼくたり しいわく おおきかな ぜんゆういわく すでにおおし またなにをかくわえん いわく これをとまさん いわく すでにとめり またなにをかくわえん いわく これをおしえん |
孔子が衛の国を訪れたとき 冉有が御者を務めていた 孔子が言った 人口が多いな 冉有が言った すでに人口が多い国で先生は 何をしますか 孔子が言った 人々を豊かにするだろう 冉有が言った すでに人々が豊かであれば 何をしますか 孔子が言った 彼らを教育するだろう(KS) |
||
詳細 | 347 |
13 | 10 | 子曰 苟有用我者 期月而已可也 三年有成 |
しいわく いやしくもわれをもちうるものあらば きげつのみにしてかなり さんねんにしてなることあらん |
孔子が言った 私を重用する国があれば 一年で成果を出してみせる 三年もあれば理想を達成してみせるのだが(KS) |
||
詳細 | 348 |
13 | 11 | 子曰 善人 爲邦百年 亦可以勝殘去殺矣 誠哉是言也 |
しいわく ぜんにん くにをおさむることひゃくねんならば またもってざんにかちさつをさるべしと まことなるかなこのげんや |
孔子が言った 普通の善人でも 国を100年も治めれば 犯罪を減らし死刑を無くせるというが この言葉は本当だと私は思う(KS) |
||
詳細 | 349 |
13 | 12 | 子曰 如有王者 必世而後仁 |
しいわく もしおうじゃあるも かならずよにしてのちにじんならん |
孔子が言った 天命を受けた王者が世を治めても 仁が国中にいきわたるには30年かかる(KS) |
||
詳細 | 350 |
13 | 13 | 子曰 苟正其身矣 於從政乎何有 不能正其身 如正人何 |
しいわく いやしくもそのみをただしくせば まつりごとにしたがうにおいてなにかあらん そのみをただしくするあたわずんば ひとをただしくするをいかんせん |
孔子が言った 自らが正しければ 政治を行うぐらいは何でもない 自らが正しくなければ どうやって他人を正しく導けるだろうか(KS) |
||
詳細 | 351 |
13 | 14 | 冉子退朝 子曰 何晏也 對曰 有政 子曰 其事也 如有政 雖不吾以 吾其與聞之 |
ぜんしちょうよりしりぞく しいわく なんぞおそきや こたえていわく まつりごとあり しいわく それことならん もしまつりごとあらば われをもちいずといえども われそれこれをあずかりきかん |
冉子が朝廷から戻った 孔子が言った 随分遅かったな 冉子が答えた 国務上の問題があった 孔子が言った 国務ではなく季孫氏の私事だろう もし国務上の問題であれば 私に任せないとしても 何らかの相談があるはずだ(KS) |
||
詳細 | 352 |
13 | 15 | 定公問 一言 而可以興邦 有諸 孔子對曰 言不可以若 是其幾也 人之言曰 爲君難 爲臣不易 如知爲君之難也 不幾乎一言而興邦乎 |
ていこうとう いちげん にしてもってくにをおこすべきもの これあるか こうしこたえていわく げんはもってかくのごとく それきすべからざるなり ひとのげんにいわく きみたるはかたく しんたるもやすからずと もしきみたるのかたきをしらば いちげんにしてくにをおこすにちかからずや |
定公が尋ねた 一言で 国を盛んにするような そんな言葉はあるだろうか? 孔子が答えた 言葉が国を盛んに する事はできないが それに近い意味の言葉がある 君主である事は難しい 家臣である事は簡単ではない あなたが君主の難しさを理解されていれば この言葉は国を盛んにできます 定公が言った 一言で国を滅ぼすような そんな言葉はあるだろうか? 孔子が答えた 言葉が国を滅ぼす事はできませんが それに近い意味の言葉があります 私は君主である事を楽しむのではない 人々が私の命令に 従う事を楽しむのだ あなたの命令が正しければ 人々が命令に従うのも 正しいと言えます しかしあなたの命令が正しくなく 人々がその命令に従うとしたら この言葉は国を滅ぼす事ができます(KS) |
||
詳細 | 353 |
13 | 16 | 葉公問政 子曰 近者説 遠者來 |
しょうこうまつりごとをとう しいわく ちかきものよろこべば とおきものきたる |
葉県の長官が政治について尋ねた 孔子が言った 近くの者が喜ぶような政治をすれば 遠くの者がそれを慕ってやって来ます(KS) |
||
詳細 | 354 |
13 | 17 | 子夏爲莒父宰 問政 子曰 無欲速 無見小利 欲速則不達 見小利則大事不成 |
しかきょほのさいとなり まつりごとをとう しいわく すみやかならんとほっすることなかれ しょうりをみることなかれ すみやかならんとほっせばすなわちたっせず しょうりをみればすなわちだいじならず |
子夏が筥父の長官になった時に 政治について尋ねた 孔子が言った 事を急いではいけない 小さな利益にとらわれてはいけない 急げば事は失敗に終わり 小さな利益にとらわれると大事を成せない(KS) |
||
詳細 | 355 |
13 | 18 | 葉公語孔子曰 吾黨有直躬者 其父攘羊 而子證之 孔子曰 吾黨之直者異於是 父爲子隱 子爲父隱 直在其中矣 |
しょうこうこうしにかたりていわく わがとうにちょくきゅうなるものあり そのちちひつじをぬすみて しこうしてここれをしょうせり こうしいわく わがとうのなおきものはこれにことなり ちちはこのためにかくし こはちちのためにかくす なおきことそのうちにあり |
葉県の長官が孔子に言った 私の村にはとても正直な者がいる 彼の父親が羊を盗んだとき 彼の父親を訴えました 孔子が言った 私の村の正直はそれとは違います 父は子のために罪を隠し 子は父のために罪を隠します 本当の正直とはその心の中にあります(KS) |
||
詳細 | 356 |
13 | 19 | 樊遅問仁 子曰 居處恭 執事敬 與人忠 雖之夷狄 不可棄也 |
はんちじんをとう しいわく きょしょするにうやうやしく ことをとるにつつしみ ひとにまじわりてちゅうならば いてきにゆくといえども すつべからざるなり |
樊遅が仁について尋ねた 孔子が言った 家では恭しく 仕事では慎重に 人に対して誠実に振る舞いなさい これらは例え未開の地でも 忘れてはならない事です(KS) |
||
詳細 | 357 |
13 | 20 | 子貢問曰 何如 斯可謂之士矣 子曰 行己有恥 使於四方 不辱君命 可謂士矣 曰 敢問其次 曰 宗族稱孝焉 郷黨稱弟焉 |
しこうといていわく いかんなれば これこれをしというべきか しいわく おのれをおこなうにはじあり しほうにつかいして くんめいをはずかしめざるを しというべし いわく あえてそのつぎをとう いわく そうぞくはこうをしょうし きょうとうはていをしょうす |
子貢が尋ねた どんな人物ならば 士人と呼べるでますか? 孔子が言った 恥を知り 他国に使いに行った時に 主君の名誉を傷つけなければ 士人として十分だろう 子貢が言った 次善はどのような人物でしょうか? 孔子が言った 家族親戚から孝行者とほめられ 地元の人々から悌順だとほめられる人だ 子貢が言った 次善はどのような人物でしょうか? 孔子が言った 言葉には嘘が無く 行動は果断で最後までやる 下手をすると つまらない頑固者になりかねないが 士人と呼べるだろう 子貢が言った 近頃政治に携わっている人はどうでしょう? 孔子が言った ああ あの偏狭な人々か? 彼らは数のうちに入らない(KS) |
||
詳細 | 358 |
13 | 21 | 子曰 不得中行而與之 必也狂狷乎 狂者進取 狷者有所不爲也 |
しいわく ちゅうこうをえてこれにくみせずんば かならずやきょうけんか きょうしゃはすすみてとり けんしゃはなさざるところあるなり |
孔子が言った 中庸の徳を心得た人と交際できなければ 理想家か頑固者と交際するとよい 理想家は進んで善い事を受け入れる 頑固者は悪い事をしないからだ(KS) |
||
詳細 | 359 |
13 | 22 | 子曰 南人有言曰 人而無恆 不可以作巫醫 善夫 不恆其徳 或承之羞 子曰 不占而已矣 |
しいわく なんじんいえることありいわく ひとにしてつねなくば もってふいをなすべべからずと よいかな そのとくをつねにせざれば あるいはこれにはじをうくと しいわく うらなわざるのみ |
孔子が言った 南方のことわざに 変わらぬ信念を持たぬ者は 巫覡や医者にはなれない とある 私もそう思う 徳を常に心に持っていなければ いつか辱めを受ける ということわざに関して孔子が言った この言葉は占い・予測でなく、間違いない事実だ(KS) |
||
詳細 | 360 |
13 | 23 | 子曰 君子和而不同 小人同而不和 |
しいわく くんしはわしてどうぜず しょうじんはどうじてわせず |
孔子が言った 人格者は他人と調和し、媚びたりしない 非人格者は他人に媚び、調和しない(KS) |
||
詳細 | 361 |
13 | 24 | 子貢問曰 郷人 皆好之何如 子曰 未可也 郷人 皆惡之何如 子曰 未可也 不如郷人之善者好之 其不善者 惡之 |
しこうといていわく きょうじん みなこれをこのまばいかん しいわく いまだかならざるなり きょうじん みなこれをにくまばいかん しいわく いまだかならざるなり きょうじんのよきものこれをこのみ そのよからざるもの これをにくむにしかざるなり |
子貢が尋ねた 地元の人々 全員から称賛される人はいかがですか? 孔子が言った それでは十分ではない 地元の人々 全員から憎まれる人はいかがですか? 孔子が言った それでは十分ではない 最も良いのは地元の善人から称賛され 悪人からは 憎まれる様な人だ(KS) |
||
詳細 | 362 |
13 | 25 | 子曰 君子 易事而難説也 説之不以道 不説也 及其使人也 器之 小人 難事而易説也 説之雖不以道 説也 及其使人也 求備焉 |
しいわく くんしは つかえやすくしてよろこばせがたきなり これをよろこばすにみちをもってせざれば よろこばざるなり そのひとをつかうにおよびてや これをきにす しょうじんは つかえがたくしてよろこばせやすきなり これをよろこばすにみちをもってせずといえども よろこぶなり そのひとをつかうにおよびてや そなわるをもとむ |
孔子が言った 人格者に 仕えるのは簡単だが喜ばすのは難しい 喜ばせるには正道を用いねば 喜ばない 人を使う時は 適材を適所に採用してくれるからだ つまらない人間に 仕えるのは難しいが喜ばすのは簡単だ 正道を用いずとも簡単に 喜んでくれる 人を使う時は すべての点で優れていることを求める(KS) |
||
詳細 | 363 |
13 | 26 | 子曰 君子 泰而不驕 小人 驕而不泰 |
しいわく くんしは たいにしてきょうならず しょうじんは きょうにしてたいならず |
孔子が言った 人格者は 落ち着いて、驕り高ぶらない つまらない人間は 驕り高ぶり、ゆったり構えられない(KS) |
||
詳細 | 364 |
13 | 27 | 子曰 剛毅木訥 近仁 |
しいわく ごうきぼくとつは じんにちかし |
孔子が言った 剛毅で朴訥な人物は 仁者に近い(KS) |
||
詳細 | 365 |
13 | 28 | 子路問曰 何如 斯可謂之士矣 子曰 切切偲偲 怡怡如也 可謂士矣 朋友 切切偲偲 兄弟怡怡 |
しろといていわく いかなるを これこれをしというべきか しいわく せつせつしし いいじょたるを しというべし ほうゆうには せつせつしし けいていにはいい |
子路が尋ねた いかがでしょうか どの様な人物が士人でしょうか 孔子が言った 他者を励まして 和やかに接する事ができれば 士人と呼べるだろう 友人を 励まして 兄弟に和やかに接するのだ(KS) |
||
詳細 | 366 |
13 | 29 | 子曰 善人教民七年亦可以即戎矣 |
しいわく ぜんにんたみをおしうることしちねんならばまたもってじゅうにつかしむべし |
孔子が言った 民衆を戦争に行かせるのならば、その前に7年間は教育を施さねばならない(KS) |
||
詳細 | 367 |
13 | 30 | 子曰 以不教民戰 是謂棄之 |
しいわく おしえざるのたみをもってたたかう これこれをすつという |
孔子が言った 教育してない民を戦場に送る事は 民を見捨てるのと同じ事だ(KS) |
||
詳細 | 368 |
14 | 1 | 憲問恥 子曰 邦有道穀 邦無道穀 恥也 |
けんはじをとう しいわく くにみちあればこくす くにみちなくしてこくするは はじなり |
原憲が恥について尋ねた 孔子が言った 国に秩序ある時は仕えて俸禄を受け取ってよい 国が乱れている時は仕えて俸禄を受け取るのは 恥だ(KS) |
||
詳細 | 369 |
14 | 2 | 克伐怨欲不行焉 可以爲仁矣 子曰 可以爲難矣 仁則吾不知也 |
こくばつえんよくおこなわれざる もってじんとなすべきか しいわく もってかたしとなすべし じんはすなわちわれしらざるなり |
競争心、慢心、怨み、欲望を自制できたら 仁者と呼べるでしょうか? 孔子が言った とても難しいことだ それでも仁者と呼べるかは解らない(KS) |
||
詳細 | 12 |
14 | 3 | 子曰 士而懐居 不足以爲士矣 |
しいわく しにしてきょをおもうは もってしとなすにたらず |
孔子が言った 快適に暮らす事を望む輩は 士人とは言えない(KS) ----------------------------------------- 先生がいわれたヽ 「国家に道があれぱ、 ことばをきびしくし行ないもきびしくする。 国家に道がなけれぱ、 行ないをきびしくしてことぱは[害にあわないように] やわらげる。 」(K) |
||
詳細 | 370 |
14 | 4 | 子曰 邦有道 危言危行 邦無道 危行言孫 |
しいわく くににみちあるときは げんをたかくしおこないをたかくす くににみちなきときは おこないをたかくしげんはしたがう |
孔子が言った 国に秩序がある時は 言葉と行動を積極的にした方がよい 国が乱れている時は 行動を積極的にして言葉は控えめにした方がよい(KS) |
||
詳細 | 371 |
14 | 5 | 子曰 有徳者必有言 有言者不必有徳 仁者必有勇 勇者不必有仁 |
しいわく とくあるものはかならずげんあり げんあるものはかならずしもとくあらず じんしゃはかならずゆうあり ゆうしゃはかならずしもじんあらず |
孔子が言った 徳のある者は善い言葉を話すが 善い言葉を話す者すべてが徳が高い訳ではない 仁者には勇気があるが 勇気のある者すべてが仁者という訳ではない(KS) |
||
詳細 | 372 |
14 | 6 | 南宮适 問於孔子曰 羿善射 奡盪舟 倶不得其死然 禹稷躬稼而有天下 夫子不答 南宮适出 子曰 君子哉若人 尚徳哉若人 |
なんきゅうかつ こうしにといていわく げいはしゃをよくし ごうはふねをうごかす ともにそのしのしかるをえず うしょくはみずからかしててんかをたもつと ふうしこたえず なんきゅうかついず しいわく くんしなるかなかくのごときひと とくをたっとぶかなかくのごときひと |
南宮括が 孔子に尋ねた 羿は弓の名人で 奡は怪力でしたが 二人とも普通の死に方はできなかった 禹と稷は田畑を耕し天下に業績を残した 孔子は何も答えられなかった 南宮括が退出した後 孔子が言った 彼は人格者である 徳の本質を知らないうちに見抜いている(KS) |
||
詳細 | 373 |
14 | 7 | 子曰 君子而不仁者有矣夫 未有小人而仁者也 |
しいわく くんしにしてふじんなるものあらんか いまだしょうじんにしてじんなるものあらざるなり |
孔子が言った 仁者とは異なる人格者もいるかも知れない 仁者であり、つまらない人間はいない(KS) |
||
詳細 | 31 |
14 | 8 | 子曰 愛之 能勿勞乎 忠焉 能勿誨乎 |
しいわく これをあいしては よくろうすることなからんや ちゅうならば よくおしうることなからんや |
孔子が言った 人を愛したら 労らずにいられるか 人に誠実であれば 忠告をせずにいられるか(KS) ------------------------------------ 先生がいわれた。「 [人を] 愛するからにははげまさないでおれようか。 [人に] 誠実であるからには教えないでおれようか。」(K) |
||
詳細 | 375 |
14 | 9 | 子曰 爲命 裨諶草創之 世叔討論之 行人子羽脩飾之 東里子産潤色之 |
しいわく めいをつくるに ひじんこれをそうそうし せいしゅくこれをとうろんし こうじんしうこれをしゅうしょくし とうりのしさんこれをじゅんしょくせり |
孔子が言った 鄭の外交文書は 裨?が草案を作成し 世叔が内容を検証し 外交官の子羽が添削を行い 東里の子産が色付けし作成している(KS) |
||
詳細 | 376 |
14 | 10 | 或問子産 子曰 惠人也 問子西 曰 彼哉彼哉 問管仲 曰 人也 奪伯氏駢邑三百 飯疏食 没齒無怨言 |
あるひとしさんをとう しいわく けいじんなり しせいをとう いわく かれをやかれをや かんちゅうをとう いわく ひとや はくしのべんゆうさんびゃくをうばう そしをくらい よわいをぼっするまでえんげんなかりき |
ある人が子産について尋ねた 孔子が言った 彼は慎み深い人だ 子西について尋ねた 孔子が言った あの人か 管仲について尋ねた 孔子が言った 彼は 伯氏から駢邑という三百戸の領地を取り上げた 伯氏はそのために貧しい暮らしをした にも関わらず死ぬまで不平を言う事がなかった(KS) |
||
詳細 | 377 |
14 | 11 | 子曰 貧而無怨難 富而無驕易 |
しいわく ひんにしてうらむことなきはかたく とみておごることなきはやすし |
孔子が言った 貧乏なのに人を羨まないのは難しいが 金持ちで傲慢にならないのは簡単だ(KS) |
||
詳細 | 378 |
14 | 12 | 子曰 孟公綽爲 趙魏老則優 不可以爲滕薛大夫也 |
しいわく もうこうしゃくは ちょうぎのろうとなればすなわちゆうなり もってとうせつのたいふとなすべからず |
孔子が言った 孟公綽は 趙氏や魏氏など大国の家老として優秀だが 膝や薛といった小国の大臣には相応しくない(KS) |
||
詳細 | 379 |
14 | 13 | 子路問成人 子曰 若臧武仲之知 公綽之不欲 卞莊子之勇 冉求之藝 文之以禮樂 亦可以爲成人矣 曰 今之成人者 何必然 見利思義 見危授命 久要不忘平生之言 亦可以爲成人矣 |
しろせいじんをとう しいわく ぞうぶちゅうのち こうしゃくのふよく べんそうしのゆう ぜんきゅうのげいのごとき これをかざるにれいがくをもってせば またもってせいじんとなすべし いわく いまのせいじんなるものは なんぞかならずしもしからん りをみてはぎをおもい あやうきをみてはめいをさずけ きゅうようにへいぜいのげんをわすれざれば またもってせいじんとなすべし |
子路が完成された人物について尋ねた 孔子が言った 臧武仲の知恵 孟公綽の無欲さ 卞荘子の勇気 冉求の多芸さを持ち 礼法と音楽を学んだなら 完成された人物と言えるだろう 続けて言った 今の完成された人物にそこまで求めるのは難しい もしも 利益より正義を優先し 危険に身命をなげうつ覚悟があり 昔交わした約束を忘れないならば 完成された人物と言えるだろう(KS) |
||
詳細 | 380 |
14 | 14 | 子問公叔文子於 公明賈曰 信乎 夫子 不言不笑不取乎 公明賈對曰 以告者過也 夫子時然後言 人不厭其言 樂然後笑 人不厭其笑 義然後取 人不厭其取 子曰 其然 豈其然乎 |
しこうしゅくぶんしを こうめいかにといていわく まことなるか ふうしは いわずわらわずとらずとは こうめいかこたえていわく もってつぐるもののあやまちなり ふうしはときにしてしかるのちにいう ひとそのいうことをいとわず たのしみてしかるのちにわらう ひとそのわらうことをいとわず ぎにしてしかるのちにとる ひとそのとることをいとわず しいわく それしかり あにそれしからんや |
孔子が公叔文子ついて 公明賈に尋ねた 本当でしょうか あの人は 言わず笑わず贈物も受取らないとは 公明賈が答えた そんな事はありません あの人は話すべき時以外に話さないので 誰も彼の言葉を嫌がらないのです 楽しい時以外には笑われないので 誰も彼の笑い声を嫌がらないのです 正当な理由なく贈物を受取らないので 誰も彼が賄賂を取っていると言わないのです 孔子が言った そうでしょう 噂はただの噂ですな(KS) |
||
詳細 | 381 |
14 | 15 | 子曰 臧武仲 以防求爲後於魯 雖曰不要君 吾不信也 |
しいわく ぞうぶちゅう ぼうをもってのちをなすをろにもとむ きみをようせずというといえども われはしんぜざるなり |
孔子が言った 臧武仲は 魯公に防を一族が引続き領有できるように頼んだ 強要していないといわれているが 私はそうは思わない(KS) |
||
詳細 | 382 |
14 | 16 | 子曰 晉文公 譎而不正 齊桓公 正而不譎 |
しいわく しんのぶんこうは いつわりてただしからず せいのかんこうは ただしくしていつわらず |
孔子が言った 晉の文公は 策謀を用いて正道を踏まなかった 斉の桓公は 正道を踏んで策謀を用いなかった(KS) |
||
詳細 | 383 |
14 | 17 | 子路曰 桓公殺公子糾 召忽死之 管仲不死 曰 未仁乎 子曰 桓公九合諸侯 不以兵車 管仲之力也 如其仁 如其仁 |
しろいわく かんこうこうしきゅうをころす しょうこつはこれにしし かんちゅうはしせず いわく いまだじんならざるかと しいわく かんこうしょこうをきゅうごうし へいしゃをもってせざるは かんちゅうのちからなり そのじんにしかんや そのじんにしかんや |
子路が尋ねた 斉の桓公が政敵の公子糾を殺した時 召忽は共に殉死したが 管仲は死ななかった 続けて言った 彼は仁者とは言えませんね 孔子が言った 桓公が諸侯を集めて会盟を開いた時 桓公は武力を用いなかった これは管仲の功績で 誰がその仁に及ぶ事ができようか 誰がその仁に及ぶ事ができようか(KS) |
||
詳細 | 384 |
14 | 18 | 子貢曰 管仲非仁者與 桓公殺公子糾 不能死 又相之 子曰 管仲相桓公 覇諸侯 一匡天下 民到于今受其賜 微管仲 吾其被髪左衽矣 豈若匹夫匹婦之爲諒也 自經於溝瀆而莫之知也 |
しこういわく かんちゅうはじんしゃにあらざるか かんこうこうしきゅうをころすに しするあたわず またこれをたすく しいわく かんちゅうかんこうをたすけて しょこうにはたらしめ てんかをいっきょうす たみいまにいたるまでそのしをうく かんちゅうなかりせば われそれはつをこうむりえりをひだりにせん あにひっぷひっぷのまことをなすや みずからこうとくにくびれてこれをしるものなきがごとくならんや |
子貢が尋ねた 管仲は仁者ではありませんね 桓公が主君の公子糾を殺したのに 自分は殉死せず 桓公に仕えるのですから 孔子が言った 管仲は桓公を 覇者にして 天下を正した 人々は今でもその恩恵を受けている もし管仲がいなければ 我々はざんばら髪で服を左前に着る 蛮族の支配下で生活させられていた 溝で心中をはかり気づいてもらえない男女の誠実さと比べてよいか(KS) |
||
詳細 | 385 |
14 | 19 | 公叔文子之臣大夫僎 與文子同升諸公 子聞之曰 可以爲文矣 |
こうしゅくぶんしのしんのたいふせん ぶんしとおなじくこれをこうにのぼす しこれをききていわく もってぶんとなすべし |
公叔文子は家臣の僎を 自分と同じ大臣として推挙した 孔子がこれを聞いて言った まさに文の名に相応しい人だ(KS) |
||
詳細 | 386 |
14 | 20 | 子言衛霊公之無道也 康子曰 夫如是 奚而不喪 孔子曰 仲叔圉治賓客 祝鮀治宗廟 王孫賈治軍旅 夫如是 奚其喪 |
しえいのれいこうのむどうをいう こうしいわく それかくのごとくんば なんぞほろびざる こうしいわく ちゅうしゅくぎょはひんかくをおさめ しゅくだはそうびょうをおさめ おうそんかはぐんりょをおさむ それかくのごとくんば なんぞそれほろびん |
孔子が衛の霊公の無道さを批判した 魯の季康子が言った それだけ無道で どうして衛は滅びないのですか? 孔子が言った 仲叔圉が他国の使者を接待し 祝鴕が先祖の祭祀を行い 王孫賈が軍を統率しています だから 衛が滅びないのです(KS) |
||
詳細 | 35 |
14 | 21 | 大言荘語 | 子曰 其言之不怍 則爲之也難 |
しいわく それげんのはじざるは すなわちこれをなすやかたし |
孔子が言った 自分の言ったことと違う事を恥と思わないなら 人は何も成し遂げられない(KS) ======================= 先生がいわれた、 「自分のことぱに恥じを知らないようでは、 それを実行するのはむつかしい。 [ことぱは慎しんでこそ、 それを実行できる。]」(K) 先生がいわれた、「自分のことばに恥じを知らないようでは、それを実行するのはむつかしい。〔ことばは慎しんでこそ、それを実行できる) 恥ずかしげもなくえらそうなことをいうようでは、実行はあやしいものである」(下村湖人『現代訳論語』) |
バフェットも言う、”知っている”と出来ているには大きすぎる違いがある。 知っている・わかっている・できるの氷山モデル 水面上の氷山は水面下の10分のいち オバカは判ったつもりでベラベラとしゃべり失敗する |
詳細 | 387 |
14 | 22 | 陳成子弑簡公 孔子沐浴而朝 告於哀公曰 陳恆弑其君 請討之 公曰 告夫三子 孔子曰 以吾從大夫之後 不敢不告也 君曰 告夫三子者 之三子告 不可 孔子曰 以吾從大夫之後 不敢不告也 |
ちんせいしかんこうをしいす こうしもくよくしてちょうし あいこうにつげていわく ちんこうそのきみをしいす こうこれをうたん こういわく かのさんしにつげよ こうしいわく われはたいふのしりえにしたがうをもって あえてつげずんばあらざるなり きみはいわく かのさんししゃにつげよと さんしにゆきてつぐ きかれず こうしいわく われはたいふのしりえにしたがうをもって あえてつげずんばあらざるなりと |
陳成子が斉の簡公を殺害した 孔子は沐浴の後に宮殿に上がり 魯の哀公に言った 陳恒が主君を殺害した どうかこの無道者をお討ち取り下さい 哀公が言った 御三家の当主たちに聞け 孔子は言った 哀公の前から退出した後に 申し上げずにはいられなかった 哀公がおっしゃるとは 御三家の当主に聞けと 御三家に聞いたが 討伐はできないと言われた 孔子は言った 哀公の前から退出した後に 申し上げずにはいられなかった(KS) |
||
詳細 | 13 |
14 | 23 | 耳の痛いこと | 子路問事君 子曰 勿欺也 而犯之 |
しろきみにつかえんことをとう しいわく あざむくことなかれ しこうしてこれをおかせ |
子路が主君に仕える事を尋ねた 孔子が言った 嘘をついてはいけない しかし主君の誤りは躊躇せずにいさめよ(KS) ------------------------------------------ 子路が主君に仕えることをおたずねした。 先生はいわれた、 「欺いてはいけない。 そしてさからってでも諌めよ。」(K) |
耳の痛いこと |
詳細 | 388 |
14 | 24 | 子曰 君子上達 小人下達 |
しいわく くんしはじょうたつし しょうじんはかたつす |
孔子が言った 人格者は高尚な事柄に精通する つまらない人間は下賎な事柄に精通する(KS) |
||
詳細 | 389 |
14 | 25 | 子曰 古之學者 爲己 今之學者 爲人 |
しいわく いにしえのがくしゃは おのれのためにす いまのがくしゃは ひとのためにす |
孔子が言った 昔の人々は学んだ 自分を向上させるために 今の人々は学ぶ 地位と名誉のために(KS) --------------------------------- |
||
詳細 | 390 |
14 | 26 | 蘧伯玉 使人於孔子 孔子 與之坐而問焉 曰 夫子何爲 對曰 夫子 欲寡其過而 未能也 使者出 子曰 使乎使乎 |
きょはくぎょく ひとをこうしにつかわす こうし これにざをあたえてとう いわく ふうしはなにをかなす こたえていわく ふうしは そのあやまちをすくなくせんとほっするも いまだあたわざるなり ししゃいず しいわく つかいなるかなつかいなるかな |
遽伯玉が 孔子に使者をよこした 孔子が 使者を座らせて尋ねた 孔子が言った 主人はいかがですか? 使者が言った あの方は 過ちを少なくしたいと思っているが 達成できていない 使者が帰った後 孔子が言った 立派な使者だ、立派な使者だ(KS) |
||
詳細 | 391 |
14 | 27 | 子曰 不在其位 不謀其政 |
しいわく そのくらいにあらざれば そのまつりごとをはからず |
孔子が言った その位についていないのであれば 他人の仕事に余計な口出しはしない事だ(KS) |
||
詳細 | 392 |
14 | 28 | 曾子曰 君子思不出其位 |
そうしいわく くんしはおもうことそのくらいよりいでず |
曾子が言った 人格者は自分の職分を越える事については考えない(KS) |
||
詳細 | 393 |
14 | 29 | 子曰 君子恥其言而過其行 |
しいわく くんしはそのげんのそのおこないにすぐるをはず |
孔子が言った 人格者はその言動がその行動を上回る事を恥じる(KS) |
||
詳細 | 394 |
14 | 30 | 子曰 君子道者三 我無能焉 仁者不憂 知者不惑 勇者不懼 子貢曰 夫子自道也 |
しいわく くんしのみちなるものさんあり われよくするなし じんしゃはうれえず ちしゃはまどわず ゆうしゃはおそれず しこういわく ふうしみずからいうなり |
孔子が言った 人格者の条件が三つある 私にはとてもできない事だ 仁者は悩まない 知者は迷わない 勇者は恐れない 子貢が言った 先生は謙遜されている、まさに先生の事ではないか(KS) |
||
詳細 | 395 |
14 | 31 | 子貢方人 子曰 賜也賢乎哉 夫我則不暇 |
しこうひとをたくらぶ しいわく しやけんなるかな それわれはすなわちいとまあらず |
子貢が他人の悪口を言った 孔子が言った お前はどれほど賢いつもりか? 私はお前みたいな暇は持ち合わせていない(KS) |
||
詳細 | 396 |
14 | 32 | 子曰 不患人之不己知 患其不能也 |
しいわく ひとのおのれをしらざるをうれえず そのふのうをうれうるなり |
孔子が言った 他人が評価してくれない事を気に病むより 自分に能力が無い事を気にしなさい(KS) |
||
詳細 | 397 |
14 | 33 | 子曰 不逆詐 不億不信 抑亦先覺者 是賢乎 |
しいわく いつわりをむかえず まことならざるをはからず そもそもまたまずさとるものは これけんなるか |
孔子が言った 人を疑って身構えたりせず 人から信じてもらえない事に不安を覚えず 様々な事を察する事ができる人物は 賢者といえる(KS) |
||
詳細 | 398 |
14 | 34 | 微生畝謂孔子曰 丘何爲 是栖栖者與 無乃爲佞乎 孔子曰 非敢爲佞也 疾固也 |
びせいほこうしをいいていわく きゅうなんぞ このせいせいたるものをなすか すなわちねいをなすなからんやと こうしいわく あえてねいをなすにあらざるなり こをにくむなり |
微生畝が孔子に言った あなたは何故 忙しそうにしてるのですか? 世間に媚びようとはしていないか? 孔子が言った 世間に媚びたていません 頑固で独りよがりになるのが嫌なのです(KS) |
||
詳細 | 399 |
14 | 35 | 子曰 驥不称其力 称其徳也 |
しいわく きはそのちからをしょうせず そのとくをしょうするなり |
孔子が言った 名馬はその力を称賛されるのではなく その徳質を称賛される(KS) |
||
詳細 | 400 |
14 | 36 | 或曰 以徳報怨 何如 子曰 何以報徳 以直報怨 以徳報徳 |
あるひといわく とくをもってうらみにむくゆる いかん しいわく なにをもってとくにむくいん なおきをもってうらみにむくい とくをもってとくにむくいん |
ある人が尋ねた 受けた怨みに対して徳をもって報いるのは いかがでしょう? 孔子が言った 受けた徳には何をもって報いますか? 私は怨みに対しては誠実さで報いて 徳に対しては徳で報いる(KS) |
||
詳細 | 401 |
14 | 37 | 子曰 莫我知也夫 子貢曰 何爲其莫知子也 子曰 不怨天 不尤人 下學而上達 知我者其天乎 |
しいわく われをしるものなきかな しこういわく なんすれぞそれしをしるなからんや しいわく てんをうらみず ひとをとがめず かがくしてじょうたつす われをしるものはそれてんか |
孔子が言った 私の事を理解してくれる者が誰もいない 子貢が言った 先生を理解できない者がおりましょうか 孔子が言った 天に怨みを持たず 人を非難せず 身近な事から高尚な事まで学んできた 天のみが私を理解してくれる(KS) |
||
詳細 | 402 |
14 | 38 | 公伯寮 愬子路於季孫 子服景伯以告曰 夫子 固有惑志於公伯寮 吾力猶能肆諸市朝 子曰 道之將行也與 命也 道之將廢也與 命也 公伯寮其如命何 |
こうはくりょう しろをきそんにうったう しふくけいはくもってつげていわく ふうし もとよりこうはくりょうにわくしあり わがちからなおよくこれをしちょうにさらさん しいわく みちのまさにおこなわれんとするや めいなり みちのまさにすたれんとするや めいなり こうはくりょうそれめいをいかんせん |
公伯寮が 子路の事を季孫氏に訴えた 子服景伯がこのことを孔子に報告した 季孫の殿は 公伯寮の言葉を鵜呑みにしています お望みならば私の権限で公伯寮を死刑にできる 孔子が言った 人生が道理に適うのは 天命だ 人生が道理に適わないは 天命だ 公伯寮が天命をどうにかできない(KS) |
||
詳細 | 403 |
14 | 39 | 子曰 賢者辟世 其次辟地 其次辟色 其次辟言 子曰 作者 七人矣 |
しいわく けんじゃはよをさく そのつぎはちをさく そのつぎはいろをさく そのつぎはげんをさく しいわく たつもの しちにんなり |
孔子が言った 賢者は俗世を避ける 次善は乱れた土地を避け その次善は人の顔色を見て危険を避け その次善は人の言葉を聞き危険を避ける 孔子が言った これらを行った人物は 7人いる(KS) |
||
詳細 | 404 |
14 | 40 | 子路宿於石門 晨門曰 奚自 子路曰 自孔氏 曰 是知其不可 而爲之者與 |
しろせきもんにしゅくす しんもんいわく いずれよりする しろいわく こうしよりす いわく これそのふかなるをしりて しかもこれをなさんとするものか |
子路が石門で一夜を過ごしていた 門番が子路に言った どちらからおいでですか? 子路が言った 私は孔先生の弟子だ 門番が言った 無理と知りながら 理想を追ってる人の弟子ですか(KS) |
||
詳細 | 405 |
14 | 41 | 子撃磬於衞 有荷蕢而過孔氏之門者 曰 有心哉撃磬乎 既而曰 鄙哉 硜硜乎 莫己知也 斯已而已矣 深則厲 淺則掲 子曰 果哉 末之難矣 |
しけいをえいにうつ きをにないてこうしのもんをすぐるものあり いわく こころあるかなけいをうつやと すでにしていわく ひなるかな こうこうこたり おのれをしるなくんば これやまんのみ ふかければすなわちれいし あさければすなわちけいすと しいわく かなるかな これをかたしとするなし |
衛で滞在中に孔子が磬を鳴らしていた 荷物を担いだ人が家の前を通りがかり 言った 音色にあなたの心が表れていますね そしてしばらく聞いた後で言った つまらない音色だ 音が固くなりすぎている 己を知る者がなければ 止めればよい 詩でも言うでしょう 深い川では衣を脱いで渡り 浅い川では裾をまくり渡ると 孔子が言った 思い切りの善い考え方ですね でも私は気楽にやっています(KS) |
||
詳細 | 406 |
14 | 42 | 子張曰 書云 高宗諒陰三年不言 何謂也 子曰 何必高宗 古之人皆然 君薨 百官緫己 以聽於冢宰三年 |
しちょういわく しょにいう こうそうりょうあんさんねんものいわずと なんのいいぞや しいわく なんぞかならずしもこうそうのみならん いにしえのひとはみなしかり きみこうずれば ひゃくかんおのれをすべて もってちょうさいにきくことさんねんなり |
子張が尋ねた 書経には 高宗は喪に服して三年間、話さなかったとある どうしてですか? 孔子が言った 高宗だけではない 昔の人は皆そうしていた 君主が亡くなった時は すべての家臣は仕事をやり終えて 跡継ぎの君が三年喪に服している間は摂政の命に従った(KS) |
||
詳細 | 407 |
14 | 43 | 子曰 上好禮 則民易使也 |
しいわく かみれいをこのめば すなわちたみつかいやすきなり |
孔子が言った 上に立つものが礼儀を重んじれば 人々は従順で従わせ易くなる(KS) |
||
詳細 | 408 |
14 | 44 | 子路問君子 子曰 脩己以敬 曰 如斯而已乎 曰 脩己以安人 曰 如斯而已乎 曰 脩己以安百姓 脩己以安百姓 堯舜其猶病諸 |
しろくんしをとう しいわく おのれをおさめてもってけいす いわく かくのごときのみか いわく おのれをおさめてもってひとをやすんず いわく かくのごときのみか いわく おのれをおさめてもってひゃくせいをやすんず おのれをおさめてもってひゃくせいをやすんずるは ぎょうしゅんもそれなおこれをやめり |
子路が人格者について尋ねた 孔子が言った 自ら修養して人々を敬う事だ 子路が言った それだけで良いのですか? 孔子が言った 自ら修養して人々を安らかにする事だ 子路が言った それだけで良いのですか? 孔子が言った 自ら修養して万人を安らかにする事だ 自ら修養して万人を安らかにする事は 聖帝の尭舜でさえ苦労された程だ(KS) |
||
詳細 | 409 |
14 | 45 | 原壌夷俟 子曰 幼而不孫弟 長而無述焉 老而不死 是爲賊 以杖叩其脛 |
げんじょういしてまつ しいわく ようにしてそんていならず ちょうじてのぶることなく おいてしせず これをぞくとなすと つえをもってそのすねをたたく |
原壌が道にうずくまって孔子を待っていた 孔子が言った 子供の頃には反抗的で 大人になっても大した事もせず 無駄に年を取ってまだ死なずにいる こんな輩は社会に害を為す賊だ そして、その脛を杖で叩かれた(KS) |
||
詳細 | 410 |
14 | 46 | 闕黨童子將命 或問之曰 益者與 子曰 吾見其居於位也 見其與先生並行也 非求益者也 欲速成者也 |
けっとうのどうじめいをおこなう あるひとこれをといていわく えきするものか しいわく われそのくらいにおるをみる そのせんせいとならびゆくをみる えきをもとむるものにあらざるなり すみやかにならんとほっするものなり |
闕の村の少年が孔子の来客の取次ぎをしていた ある人が孔子に言った あの少年には見込みがありますか? 孔子が言った 私はあの子が大人と座っているのを見た 先輩と並んで歩いているのも見た 彼は自分を向上させたいのではなく 早く大人の仲間入りをしたいだけです(KS) |
||
詳細 | 33 |
15 | 1 | 衛靈公問陳於孔子 孔子對曰 俎豆之事 則嘗聞之矣 軍旅之事 未之學也 明日遂行 |
えいのれいこうじんをこうしにとう こうしこたえていわく そとうのことは すなわちかつてこれをきけり ぐんりょのことは いまだこれをまなばざるなりと めいじつついにさる |
衛の霊公が孔子に陣立てについて尋ねた 孔子が答えた 祭祀の礼法については 学びましたが 軍事については 学んだ事はありません 孔子は翌日、衛を去った(KS) ------------------------------------------ 衛の霊公が孔子に戦陣のことをたずねられた。 孔子はお答えして 「お供えの器のことなら前から聞いておりますが、軍隊のことはまだ学んでおりません」 といわれると、 あくる日にすぐ [衛の国から] 立たれた(K) |
||
詳細 | 63 |
15 | 2 | 貧すれば鈍する | 在陳絶糧 從者病莫能興 子路慍見曰 君子亦有窮乎 子曰 君子固窮 小人窮斯濫矣 |
ちんにありてりょうをたつ じゅうしゃやみてよくたつことなし しろいかりてまみえていわく くんしもまたきゅうすることあるか しいわく くんしもとよりきゅうす しょうじんきゅうすればここにみだる |
「君子にも窮するということがありましょうか」 すると、先師がいわれた。―― 「君子もむろん窮することがある。しかし、窮してもとりみださない。小人は窮すると、すぐにとりみだすのだ」(KS) 陳の国で食糧がなくなり、 お供の人々は疲れはてて立ち上がることもできなかつた。 子路が腹をたててお目みえすると[修養をつんだ]君子でも困窮することがあるのですか。 と言った。 先生はいわれた、「君子ももちろん困窮する、 だが 小人は困窮するとでたらめになるよ。」(K) |
小心者の経営者は会社の経営状況が悪くなるとコストカットなどの目先の対応で切り抜けようとする。さらには人事や組織に手を入れ社内の不平不満から目を反らさせるなどの策を弄する。 |
詳細 | 411 |
15 | 3 | 子曰 賜也 女以予爲 多學 而識之者與 對曰然 非與 曰 非也 予一以貫之 |
しいわく しや なんじはわれをもって おおくまなびて これをしるものとなすか こたえていわくしかり ひなるか いわく ひなり われはいつもってこれをつらぬく |
孔子が言った 子貢よ あなたは私が 多くを学んで それらすべてを理解していると思うか? 子貢が答えた はい、思ってますが違うのですか? 孔子が言った 違う 私はただ一つの事を貫いているだけだ(KS) |
||
詳細 | 412 |
15 | 4 | 子曰 由 知徳者鮮矣 |
しいわく ゆう とくをしるものはすくなし |
孔子が言った 子路よ 徳を理解している者は少ない(KS) |
||
詳細 | 413 |
15 | 5 | 子曰 無爲而治者 其舜也與 夫何爲哉 恭己正南面而已矣 |
しいわく むいにしておさむるものは それしゅんか それなにをかなすや おのれをうやうやしくしただしくなんめんするのみ |
孔子が言った 自らは何もせずに天下を治めたのは 舜だけだ いったい何をしたのだろう 恭しい態度で君主として堂々と統治されただけだ(KS) |
||
詳細 | 414 |
15 | 6 | 子張問行 子曰 言忠信 行篤敬 雖蠻貊之邦行矣 言不忠信 行不篤敬 雖州里行乎哉 立則見其參於前也 在輿則見其倚於衡也 夫然後行 子張書諸紳 |
しちょうおこなわれんことをとう しいわく げんちゅうしん こうとくけいならば ばんぱくのくにといえどもおこなわれん げんちゅうしんならず こうとくけいならずんば しゅうりといえどもおこなわれんや たてばすなわちそのまえにまじわるをみるなり よにありてはすなわちそのこうによるをみるなり それしかるのちにおこなわれん ちしょうこれをしんにしょす |
子張が人々が指示に従う方法を尋ねた 孔子が言った 日頃の言葉に誠実さがあり 行いに真心があれば 野蛮な国の人々でさえ指示に従うだろう 日頃の言葉に誠実さがなく 行いに真心がなければ 故郷の人々でさえ指示に従ってはくれない 歩く時にも馬車に乗る時にも油断せず 正しく振舞う事ができてはじめて 人々は指示に従うようになる 子張はこの言葉を忘れないため自分の帯に書き留めた(KS) |
||
詳細 | 415 |
15 | 7 | 子曰 直哉史魚 邦有道如矢 邦無道如矢 君子哉蘧伯玉 邦有道則仕 邦無道則可卷而懷之 |
しいわく ちょくなるかなしぎょ くににみちあればやのごとく くににみちなきもやのごとし くんしなるかなきょはくぎょく くににみちあればすなわちつかえ くににみちなければすなわちまきてこれをふところにすべし |
孔子が言った 史魚という人は何と実直なのだろう 国が治まっている時には矢の様に真っ直ぐに仕え 国が乱れても矢の様に真っ直ぐに仕えた 遽伯玉は人格者だ 国が治まっている時には国に仕え 国が乱れたら世を避けて才能を悪用されるのを防いだ(KS) |
||
詳細 | 416 |
15 | 8 | 子曰 可與言 而不與之言 失人 不可與言 而與之言 失言 知者不失人 亦不失言 |
しいわく ともにいうべくして これといわざれば ひとをうしなう ともにいうべからずして これといえば げんをうしなう ちしゃはひとをうしなわず またげんをうしなわず |
孔子が言った 語るに値する人物と 語り合わなければ その人との関係を失う 語るに値しない人物と 語り合うと 言葉を無駄にする 知恵ある者は重要な人を失わないし 無駄口もきかない(KS) |
||
詳細 | 417 |
15 | 9 | 子曰 志士仁人 無求生 以害仁 有殺身 以成仁 |
しいわく ししじんじんは せいをもとめて もってじんをがいすることなし みをころして もってじんをなすことあり |
孔子が言った 志のある人物や仁者は 我が身惜しさに 仁の道にはずれるような事はしない むしろ命をなげうって 仁を達成する事もある(KS) |
||
詳細 | 418 |
15 | 10 | 子貢問爲仁 子曰 工欲善其事 必先利其器 居是邦也 事其大夫之賢者 友其士之仁者也 |
しこうじんをなすことをとう しいわく こうそのことをよくせんとほっせば かならずまずそのきをりにす このくににおるや そのたいふのけんなるものにつかえ そのしのじんなるものをともとす |
子貢が仁を身につける方法を尋ねた 孔子が言った 大工が良い仕事をしようと思ったら まず道具を良く研ぐものだ 国にいるときは 賢い大臣に仕えて 仁徳のある友人を作りなさい(KS) |
||
詳細 | 419 |
15 | 11 | 顏淵問爲邦 子曰 行夏之時 乘殷之輅 服周之冕 樂則韶舞 放鄭聲 遠佞人 鄭聲淫 佞人殆 |
がんえんくにをおさむることをとう しいわく かのときをおこない いんのろにのり しゅうのべんをふくし がくはすなわちしょうぶし ていせいをはなち ねいじんをとおざく ていせいはいんにして ねんじんはあやうし |
顔淵が国を治める方法を尋ねた 孔子が言った 夏の暦を用い 殷の馬車に乗り 周の礼服を着て 舞楽は韶を演奏しなさい 鄭の音楽は禁止して 口先だけの輩と付き合ってはならない 鄭の音楽は淫らで風紀に良くないし 口先だけの輩は国を危うくするからだ(KS) |
||
詳細 | 420 |
15 | 12 | 子曰 人無遠慮 必有近憂 |
しいわく ひととおきおもんぱかりなければ かならずちかきうれいあり |
孔子が言った 先々の事を考えて行動しないと 禍は身近な所からやってくる(KS) |
||
詳細 | 421 |
15 | 13 | 子曰 已矣乎 吾未見好徳如好色者也 |
しいわく やんぬるかな われいまだとくをこのむこといろをこのむがごときものをみざるなり |
孔子が言った どうしようもないな 私は美人を愛するように自然と美徳を愛する人物に会った事がない(KS) |
||
詳細 | 422 |
15 | 14 | 子曰 臧文仲 其竊位者與 知柳下惠之賢 而不與立也 |
しいわく ぞうぶんちゅうは それくらいをぬすむものか りゅうかけいのけんをしりて しかもともにたたざるなり |
孔子が言った 臧文仲は 宰相としての職責を果たしていない 柳下恵の才能を知りながら 彼を推挙しなかったのだから(KS) |
||
詳細 | 423 |
15 | 15 | 子曰 躬自厚而 薄責於人 則遠怨矣 |
しいわく みみずからあつくして うすくひとをせむれば すなわちうらみにとおざか |
孔子が言った 自分に厳しく 他人に寛大に接すれば 怨みごとから避けられる(KS) |
||
詳細 | 424 |
15 | 16 | 子曰 不曰如之何如之何者 吾末如之何也已矣 |
しいわく これをいかんせんこれをいかんせんといわざるものは われこれをいかんともすることなきのみ |
孔子が言った どうしたら良いだろうかと悩まない人に してやれる事は私には何も無い |
||
詳細 | 34 |
15 | 17 | 浅知恵 | 子曰 羣居終日 言不及義 好行小慧 難矣哉 |
しいわく ぐんきょしゅうじつ げんぎにおよばず このんでしょうけいをおこなう かたいかな |
孔子が言った 大勢で集まって議論しながら 誰も義について語らない 小賢しい知恵を競いあっている どうしようもない(KS) ---------------------------------- 先生がいわれた、「一日じゅう集まっていて、話が道義のことには及ばず、好んで浅知恵をひけらかすというのでは、困ったものだね(K) |
一日中Zoom会議、仕事をしていると勘違いしている連中。 会議が多くて考える時間がないとうそぶく連中 |
詳細 | 425 |
15 | 18 | 子曰 君子 義以爲質 禮以行之 孫以出之 信以成之 君子哉 |
しいわく くんしは ぎもってしつとなし れいもってこれをおこない そんもってこれをいだし しんもってこれをなす くんしなるかな |
孔子が言った 人格者は 義を根本とし 礼に従って行動し 謙遜の心で発言し 誠実さで自分を完成させる それが人格者である(KS) |
||
詳細 | 426 |
15 | 19 | 子曰 君子 病無能焉 不病人之不己知也 |
しいわく くんしは むのうをうれう ひとのおのれをしらざるをうれえざるなり |
孔子が言った 人格者は 自分の能力が足りない事を気にかける 他人に評価されない事など気にしない(KS) |
||
詳細 | 427 |
15 | 20 | 子曰 君子 疾没丗而名不稱焉 |
しいわく くんしは よをぼっするまでなのしょうせられざるをにくむ |
孔子が言った 人格者は 死後の名誉を重んじる(KS) |
||
詳細 | 428 |
15 | 21 | 子曰 君子求諸己 小人求諸人 |
しいわく くんしはこれをおのれにもとめ しょうじんはこれをひとにもとむ |
孔子が言った 人格者は正しさを自分に求める つまらない人間は正しさを他人に求める(KS) |
||
詳細 | 429 |
15 | 22 | 子曰 君子 矜而不爭 羣而不黨 |
しいわく くんしは きょうにしてあらそわず ぐんしてとうせず |
孔子が言った 人格者は 厳格だが他人と言い争ったりしない 広く交際をするが徒党を組んだりしない(KS) |
||
詳細 | 430 |
15 | 23 | 子曰 君子 不以言舉人 不以人廢言 |
しいわく くんしは げんをもってひとをあげず ひとをもってげんをはいせず |
孔子が言った 人格者は 言う事が立派だという理由で人を推薦しない 誰が言ったからという理由で意見を拒んだりしない(KS) |
||
詳細 | 431 |
15 | 24 | 子貢問曰 有一言而 可以終身行之者乎 子曰 其恕乎 己所不欲 勿施於人 |
しこうといていわく いちげんにして もってしゅうしんこれをおこなうべきものありや。 しいわく それじょか おのれのほっせざるところは ひとにほどこすことなかれ |
子貢が尋ねた 言葉はありますか? 一生守り続けるような 孔子が言った 思いやりだ 自分がされて嫌な事は 他人にしてはいけない(KS) |
||
詳細 | 432 |
15 | 25 | 子曰 吾之於人也 誰毀誰譽 如有所譽者 其有所試矣 斯民也 三代之所以直道而行也 |
しいわく われのひとにおけるや たれをかそしりたれをかほめん もしほむるところあるものは それこころみしところあるなり このたみや さんだいのちょくどうにしておこなうゆえんなり |
孔子が言った 私は無闇に人を 褒めたり非難したりしない 人を褒める時には 必ず理由がある 全ての人々は 夏・殷・周の三代のいずれかの子孫で性質を受け継いでいる(KS) |
||
詳細 | 433 |
15 | 26 | 子曰 吾猶及史之闕文也 有馬者借人乘之 今亡矣夫 |
しいわく われはなおしのけつぶんにおよべり うまあるものはひとにかしてこれにのらしむ いまはなきかな |
孔子が言った 史料には残っていないが 昔は馬を他人に貸すような信頼関係があった 今では誰もそんな事はしない(KS) |
||
詳細 | 434 |
15 | 27 | 子曰 巧言亂徳 小不忍 則亂大謀 |
しいわく こうげんはとくをみだる しょうをしのばざれば すなわちたいぼうをみだる |
孔子が言った 巧みな言葉は徳を損ねる 些細な事が我慢できないと 大きな事は成し遂げられない(KS) |
||
詳細 | 435 |
15 | 28 | 子曰 衆惡之 必察焉 衆好之 必察焉 |
しいわく しゅうこれをにくむも かならずさっす しゅうこれをこのむも かならずさっす |
孔子が言った 大勢が嫌うからといって 確認せずに鵜呑みにすべきではない 大勢が好むからといって 確認せずに鵜呑みにすべきではない(KS) |
||
詳細 | 436 |
15 | 29 | 子曰 人能弘道 非道弘人 |
しいわく ひとよくみちをひろむ みちひとをひろむるにあらざるなり |
孔子が言った 人々が真理の道を高める 真理の道が人々を高めるのではない(KS) |
||
詳細 | 32 |
15 | 30 | 本当の過ち | 子曰 過而不改 是謂過矣 |
しいわく あやまちてあらためざる これをあやまちという |
孔子が言った 過ちを改めない これこそ過ちだ(KS) --------------------------------- 先生がいわれたヽ 「過ちをしても改めない、 これを [本当の〕 過ちというのだ。」(K) |
|
詳細 | 437 |
15 | 31 | 子曰 吾嘗終日不食 終夜不寝 以思 無益 不如學也 |
しいわく われかつてしゅうじつくらわず しゅうやいねず もっておもう えきなし まなぶにしかざるなり |
孔子が言った 私は以前に一日中食事を取らず 眠りもせずに 考えた事があるが 無意味だった 学ぶことの方が良いな(KS) ----------------------------- |
||
詳細 | 438 |
15 | 32 | 子曰 君子 謀道不謀食 耕也 餧在其中矣 學也 禄在其中矣 君子 憂道不憂貧 |
くんしは みちをはかりてしょくをはからず たがやすや うえそのうちにあり まなぶや ろくそのうちにあり くんしは みちをうれえてひんをうれえず |
孔子が言った 人格者は 道を追い求めるが食を得ようとはしない 自ら耕して 生活しながら飢えることさえある 学んでいれば その内に俸禄を得られるものだ 人格者は 道の事を考えても自分の貧しさは気にしない(KS) |
||
詳細 | 439 |
15 | 33 | 子曰 知及之 仁不能守之 雖得之必失之 知及之 仁能守之 不莊以涖之 則民不敬 知及之 仁能守之 莊以涖之 動之不以禮 未善也 |
しいわく ちこれにおよぶも じんこれをまもるあたわずんば これをうといえどもかならずこれをうしなう ちこれにおよび じんよくこれをまもるも そうもってこれにのぞまざれば すなわちたみけいせず ちこれにおよび じんよくこれをまもり そうもってこれにのぞむも これをうごかすにれいをもってせざれば いまだよからざるなり |
孔子が言った 知恵が十分にあっても 仁の心がなければ 人民は離れていってしまう 知恵が十分にあっても 仁の心があっても 威厳をもって接しなければ 人民は尊敬しないだろう 知恵が十分にあっても 仁の心があっても 威厳をもって接したとしても 礼法をもって統治しなければ まだ十分とは言えない(KS) |
||
詳細 | 440 |
15 | 34 | 子曰 君子 不可小知 而可大受也 小人 不可大受 而可小知也 |
しいわく くんしは しょうちせしむべからずして たいじゅせしむべきなり しょうじんは たいじゅせしむべからずして しょうちせしむべきなり |
孔子が言った 人格者には 小さな仕事を任せられないが 大きな仕事を任せられる つまらない人間は 大きな仕事を任せられないが 小さな仕事を任せられる(KS) |
||
詳細 | 441 |
15 | 35 | 子曰 民之於仁也 甚於水火 水火 吾見蹈而死者矣 未見蹈仁而死者也 |
しいわく たみのじんにおけるや すいかよりもはなはだし すいかは われふみてしするものをみる いまだじんをふみてしするものをみざるなり |
孔子が言った 人々には仁徳が必要だ 彼らが水や火を必要とする以上に 水や火のせいで 死んだ人を見たことがあるが 仁徳のせいで死んだ人を見たことがない(KS) |
||
詳細 | 442 |
15 | 36 | 子曰 當仁 不譲於師 |
しいわく じんにあたりては しにゆずらず |
孔子が言った 仁を実践する時は 師匠に対しても遠慮しなくてよい(KS) |
||
詳細 | 443 |
15 | 37 | 子曰 君子貞而不諒 |
しいわく くんしはていにしてりょうならず |
孔子が言った 人格者は貞節で簡単に自分を曲げないが頑迷という訳ではない(KS) |
||
詳細 | 444 |
15 | 38 | 子曰 事君敬 其事而後其食 |
しいわく きみにつかうるには そのことをつつしみてそのしょくをのちにす |
孔子が言った 主君にお仕えする時は 自分の責務に専心して給料の事は後回しにしなさい(KS) |
||
詳細 | 445 |
15 | 39 | 子曰 有教無類 |
しいわく おしえありてるいなし |
孔子が言った 人は教育により良くも悪くもなり生まれついた性質に違いはない(KS) |
||
詳細 | 446 |
15 | 40 | 子曰 道不同 不相爲謀 |
しいわく みちおなじからざれば あいためにはからず |
孔子が言った 同じ志を共有できない人物と 互いに相談し合うべきではない(KS) |
||
詳細 | 447 |
15 | 41 | 子曰 辭達而已矣 |
しいわく じはたっするのみ |
孔子が言った 言葉は考えが伝わればよい(KS) |
||
詳細 | 448 |
15 | 42 | 子冕見 及階 子曰 階也 及席 子曰 席也 皆坐 子告之曰 某在斯 某在斯 師冕出 子張問曰 與師言之道與 子曰 然 固相師之道也 |
しべんまみゆ かいにおよぶ しいわく かいなり せきにおよぶ しいわく せきなり みなざす しこれにつげていわく それがしはここにあり それがしはここにありと しべんいず しちょうといていわく しというのみちか しいわく しかり もとよりしをたすくるのみちなり |
冕という盲人の楽師が孔子を訪問した 楽師が階段まで来ると 孔子が言った 階段があります 楽師が席まで来ると 孔子が言った ここがあなたの席です 皆が着席すると 孔子が楽師に紹介して言った こちらが誰々です あちらが誰々です 楽師が帰った後に 子張が尋ねた これが目の不自由な方に対する作法ですか? 孔子が言った そうです 目の不自由な楽師をお助けする作法です(KS) |
||
詳細 | 449 |
16 | 1 | 季子 將伐顓臾 冉有季路 見於孔子曰 季氏 將有事於顓臾 孔子曰 求 無乃爾是過與 夫顓臾 昔者先王以 爲東蒙主 且在邦域之中矣 是社稷之臣也 何以伐爲 冉有曰 夫子欲之 吾二臣者 皆不欲也 孔子曰 求 周任有言 曰 陳力就列 不能者止 危而不持 顛而不扶 則將焉用彼相矣 且爾言過矣 虎兕出於柙 龜玉毀於櫝中 是誰之過與 冉有曰 今夫顓臾 固而 近於費 今不取 後丗必爲子孫憂 孔子曰 求 君子疾夫舎曰欲之 而必爲之辭 丘也聞 有國有家者 不患寡而 患不均 不患貧而 患不安 蓋均無貧 和無寡 安無傾 夫如是 故遠人不服 則脩文徳 以來之 既來之 則安之 今由與求也 相夫子 遠人不服 而不能來也 邦文崩離析 而不能守也 而謀動干戈於邦内 吾恐季孫之憂 不在顓臾 而在蕭牆之内也 |
きし まさにせんゆをうたんとす ぜんゆうきろ こうしにまみえていわく きし まさにせんゆにことあらんとす こうしいわく きゅう すなわちなんじこれあやまてることなきか それせんゆは むかしせんおうもって とうもうのしゅとなせり かつほういきのうちにあり これしゃしょくのしんなり なんぞうつことをもってなさん ぜんゆういわく ふうしこれをほっす われにしんのものは みなほっせざるなり こうしいわく きゅう しゅうじんいえるあり いわく ちからをのべてれつにつき あたわざればやむと あやうくしてじせず くつがえりてたすけずんば すなわちはたいずくんぞかのしょうをもちいん かつなんじのげんあやまてり こじこうよりいで きぎょくとくちゅうにやぶれなば これたれのあやまちぞ ぜんゆういわく いまかのせんゆは かたくして ひにちかし いまとらずんば こうせいかならずしそんのうれいとならん こうしいわく きゅう くんしはかのこれをほっすというをおきて かならずこれがじをなすをにくむ きゅうやきく くにをたもちいえをたもつものは すくなきをうれえずして ひとしからざるをうれう まずしきをうれえずして やすからざるをうれうと けだしひとしければまずしきことなく わすればすくなきことなく やすければかたむくことなし それかくのごとし ゆえにえんじんふくせざれば すなわちぶんとくをおさめて もってこれをきたす すでにこれをきたせば すなわちこれをやすんず いまゆうときゅうや ふうしをたすけ えんじんふくせずして しかもきたすことあたわず くにぶんほうりせきして しかもまもることあたわざるなり しこうしてかんかをほうないにうごかさんとはかる われきそんのうれいは せんゆにあらずして しょうしょうのうちにあらんことをおそるるなり |
季孫氏が 顓臾の街を討伐しようとした 冉有と季路が 孔子に会い言った 季孫氏が 顓臾を討伐する事になった 孔子が言った 冉有よ 何かの間違いではないか? 顓臾は 昔に周王が認めた 東蒙の山の 祭祀を司る一族の 属領だ どうして討伐する必要があるか? 冉有が言った 季孫のお考えです 我々家臣が 望んだ事ではありません 孔子が言った 冉有よ 昔の周任が言った 言葉に 全力を尽くし家臣の義務を果たし 果たせぬ時は職を辞すとある 主君の危機に 助けないならば どうやって義務を果たすのだ あなたは勘違いをしている 檻の中の猛獣が逃げ出し 箱の中の宝石が壊れたら 誰の責任になるのだ? 冉有が言った 顓臾は 堅固に軍備を整え 季孫氏の領有する費の近くにある 今討伐しないと 後世の子孫たちに心配事を残す 孔子が言った 冉有よ 人格者は望んでいるといわないで 言い訳する者を憎む 私はこんな言葉を聞いた事がある 国を保ち家を保つ者は 少なさを心配せず 等しくないことを心配し 貧しいことを心配せず 安らかでないことを心配すると 等しいときは貧しいことがなく 和すれば少ないことがなく 安らかであれば傾くことがない このようにすればよい 遠国の人々が服従しないときは 文徳を修めて 来させ すでに来させたときは 安定させてやる 今、子路と冉有は 季氏を助けながら 遠国の人々が服従させられず 来させることができず 国家が分離しても 守ることもできない 軍隊を国内で動かそうと謀っている わたしは季孫の憂いは 顓臾ではなく 彼の家臣の中にあることを恐れている |
||
詳細 | 450 |
16 | 2 | 子曰 天下 有道 則禮樂征伐 自天子出 天下無道 則禮樂征伐 自諸侯出 自諸侯出 蓋十丗 希不失矣 自大夫出 五丗 希不失矣 陪臣執國命 三丗 希不失矣 天下有道 則政不在大夫 天下有道 則庶人不議 |
こうしいわく てんかにみちあれば すなわちれいがくせいばつ てんしよりいず てんかにみちなければ すなわちれいがくせいばつ しょこうよりいず しょこうよりいずれば けだしじっせいにして うしなわざることまれなり たいふよりいずれば ごせいにして うしなわざることまれなり ばいしんこくめいをとれば さんせいにして うしなわざることまれなり てんかにみちあれば すなわちまつりごとたいふにあらず てんかにみちあれば すなわちしょじんぎせず |
孔子が言った 天下に道があれば 礼法や音楽や異民族の征伐は 天子から起こる 天下に道が無ければ 礼法や音楽や異民族の征伐は 諸侯から起こる 諸侯から起こった場合 10世代以上続く事は 少ない 諸侯に仕える大臣達から起こった場合 5世代以上続く事は 少ない さらにその家臣達から起こった場合 3世代以上続く事は 少ない 天下に道があれば 大臣達が政治権力を握ることなどない 天下に道があれば 民衆が政治に文句を言う事もない(KS) |
||
詳細 | 451 |
16 | 3 | 孔子曰 禄之去公室 五丗矣 政逮於大夫 四丗矣 故夫三桓之子孫 微矣 |
こうしいわく ろくのこうしつをさること ごせいなり まつりごとのたいふにおよぶこと しせいなり ゆえにかのさんかんのしそんは びなり |
孔子が言った 魯の公室が人事権を失い 5世代になる 大臣達が政治の実権を握り 4世代になる だから実権を握る三桓氏の子孫の 力は衰退していく(KS) |
||
詳細 | 9 |
16 | 4 | 孔子曰 益者三友 損者三友 友直 友諒 友多聞 益矣 友便辟 友善柔 友便佞 損矣 |
こうしいわく えきしゃさんゆう そんしゃさんゆう ちょくをともとし りょうをともとし たぶんをともとするは えきなり べんぺきをともとし ぜんじゅうをともとし べんねいをともとするは そんなり |
孔子が言った 良い友人には3種類ある 悪い友人にも3種類ある 正直な友 誠実な友 博識な友は 良い友人だ 見栄っ張りな友 媚びへつらう友 口達者な友は 悪い友人だ(KS) 孔子がいわれた、「有益な友だちが三種、 有害な友だちが三種。 正直な人を友だちにしヽ 誠心の人を友だちにし、もの知りを友だちにするのは、 有益だ。 体裁ぶったのを友だちにし、 うわべだけのヘ っらいものを友だちにしヽ 口だけたつしゃなのを友だちにするのは害だ。」(K) |
||
詳細 | 452 |
16 | 5 | 孔子曰 益者三樂 損者三樂 樂節禮樂 樂道人之善 樂多賢友 益矣 樂驕樂 樂佚遊 樂宴樂 損矣 |
こうしいわく えきしゃさんらく そんしゃさんらく れいがくをせっするをたのしみ ひとのぜんをいうをたのしみ けんゆうおおきをたのしむは えきなり きょうらくをたのしみ いつゆうをたのしみ えんらくをたのしむは そんなり |
孔子が言った 良い楽しみには3種類ある 悪い楽しみにも3種類ある 礼法と音楽を楽しむ事 他人の美点を褒める事 優れた友人との交際を楽しむ事は 良い楽しみだ 傲慢に振舞う事 怠惰に暮らす事 酒宴にふける事は 悪い楽しみだ(KS) |
||
詳細 | 453 |
16 | 6 | 子曰 侍於君子有三愆 言未及之而言 謂之躁 言及之而不言 謂之隱 未見顏色而言 謂之瞽 |
こうしいわく くんしにじするにさんけんあり げんいまだこれにおよばずしていう これをそうという げんこれにおよびていわず これをいんという いまだがんしょくをみずしていう これをこという |
孔子が言った 君子に仕える時にしがちな過ちが三つある 言うべきで無い時に余計な事を言うのを 躁と言う 言うべき時に必要な事を言わないのを 隠と言う 君子の顔色も見ないで自分勝手に言うのを 瞽と言う(KS) |
||
詳細 | 454 |
16 | 7 | 孔子曰 君子有三戒 少之時 血氣未定 戒之在色 及其壯也 血氣方剛 戒之在鬭 及其老也 血氣既衰 戒之在得 |
こうしいわく くんしにさんかいあり わかきときは けっきいまださだまらず これをいましむることいろにあり そのそうなるにおよびてや けっきまさにごうなり これをいましむることとうにあり そのおいるにおよびてや けっきすでにおとろう これをいましむることうるにあり |
孔子が言った 人格者には三つの戒めがある 若い時には 血気や感情が不安定だから 色欲を抑制せねばならない 壮年期には 血気盛んになるので 闘争心を抑制せねばならない 老いると 血気は衰えてくるが 得たものへの執着やさらに得たいと思う欲望を抑制せねばならない(KS) |
||
詳細 | 455 |
16 | 8 | 孔子曰 君子有三畏 畏天命 畏大人 畏聖人之言 小人 不知天命 而不畏也 狎大人 侮聖人之言 |
こうしいわく くんしにさんいあり てんめいをおそれ たいじんをおそれ せいじんのげんをおそる しょうじんは てんめいをしらずして おそれざるなり たいじんになれ せいじんのげんをあなどる |
孔子が言った 人格者は三つのものを畏れ敬う 天の意志を畏れ 徳の優れた偉大な人を畏れ 聖人の言葉を畏れる つまらない人間は 天の意志を理解できず 畏れ敬う事も無く 偉大な人になれなれしくし 聖人の言葉を侮る(KS) |
||
詳細 | 456 |
16 | 9 | 孔子曰 生而 知之者上也 學而 知之者次也 困而 學之又其次也 困而不學 民斯爲下矣 |
こうしいわく うまれながらにして これをしるものはじょうなり まなびて これをしるものはつぎなり くるしみて これをまなぶはまたそのつぎなり くるしみてまなばざるは たみにしてこれをげとなす |
孔子が言った 生まれつきの 物知りは最も良い 学んで 物知りとなった者は次に良い 努力して 学んでいる最中の者は次に良い 努力もせずに学びもしない者は 人として最低だ(KS) |
||
詳細 | 457 |
16 | 10 | 孔子曰 君子有九思 視思明 聽思聰 色思温 貌思恭 言思忠 事思敬 疑思問 忿思難 見得思義 |
こうしいわく くんしにきゅうしあり みるにはめいをおもい きくにはそうをおもい いろはおんをおもい かたちはきょうをおもい げんはちゅうをおもい ことはけいをおもい うたがいにはとうをおもい いかりにはなんをおもい うるをみてはぎをおもう |
孔子が言った 人格者には九つの心掛けがある 物事をはっきり視る事 人の話は詳細に聞く事 温和な表情を保つ事 恭しい態度を保つ事 誠実に話す事 慎重に仕事をなす事 不確かな事は確認する事 怒る前に後の事を考える事 利益を得る前に道理に適っているか考える事だ(KS) |
||
詳細 | 458 |
16 | 11 | 孔子曰 見善如不及 見不善如探湯 吾見其人矣 吾聞其語矣 隱居以求其志 行義以達其道 吾聞其語矣 未見其人也 |
こうしいわく ぜんをみてはおよばざるがごとくし ふぜんをみてはゆをさぐるがごとくす われそのひとをみる われそのごをきく いんきょしてもってそのこころざしをもとめ ぎをおこないてもってそのみちをたっす われそのごをきく いまだそのひとをみざるなり |
孔子が言った 善行は手が届かないかのように追求し 悪行は熱湯に手を入れるように避ける 私はそんな人物に会った事もあるし 私はそんな話を聞いた事もある 隠居して理想を求め 正義を実践して理想を達成している 私はそんな話を聞いた事はあるが そんな人物を見た事が無い(KS) |
||
詳細 | 459 |
16 | 12 | 誠不以富 亦祇以異 齊景公有馬千駟 死之日 民無徳而称焉 伯夷叔齊 餓于首陽之下 民到于今称之 其斯之謂與 |
まことにとみをもってせず またただいをもってす せいのけいこうにはうませんしあり しするのひ たみとくとしてしょうするなし はくい・しゅくせいは しゅようのもとにうう たみいまにいたるまでこれをしょうす それこれのいいか |
人間の価値は富とは 違うもので決まると詩経にあるが 斉の景公は馬4000頭も飼うほど裕福だったのに 彼が死んだ時に 人々は少しも称賛しなかった 伯夷・叔斉は 首陽山で餓死したが 人々は今でも彼らを称賛している 詩経はこの事を言ってるのだ(KS) |
||
詳細 | 460 |
16 | 13 | 陳亢問於伯魚曰 子亦有異聞乎 對曰 未也 嘗獨立 鯉趨而過庭 曰 學詩乎 對曰 未也 不學詩 無以言 鯉退而學詩 他日又獨立 鯉趨而過庭 曰 學禮乎 對曰 未也 不學禮 無以立 鯉退而學禮 聞斯二者 陳亢退而喜曰 問一得三 聞詩聞禮 又聞君子之遠其子也 |
ちんこうはくぎょにといていわく しもまたいぶんあるか こたえていわく いまだし かつてひとりたつ りはしりてにわをすぐ いわく しをまなびたるか こたえていわく いまだし しをまなばざれば もっていうことなしと りしりぞきてをまなぶ たじつまたひとりたつ りはしりてにわをすぐ いわく れいをまなびたるか こたえていわく いまだし れいをまなばざれば もってたつなしと りしりぞきてれいをまなぶ このにしゃをきけり ちんこうしりぞきてよろこんでいわく いちをといてさんをえたり しをききれいをきき またくんしのそのこをとおざくるをきけり |
陳亢が伯魚に尋ねた 孔子から何か特別な事を教わりましたか? 鯉(伯魚)が答えた 特別な事は何も教わっていません ある日父上が一人で庭におられた時 私がその前を小走りで通り過ぎました 孔子が言った 詩はもう学んだか? 鯉が答えた まだです 孔子は、詩を学ばなければ 一人前に話す事はできないと言った 鯉は退き、詩を学ぶ事にした 別の日に父上が一人で庭におられた時 鯉がその前を小走りで通り過ぎました 孔子が言った 礼はもう学んだか? 鯉が答えた まだです 孔子は、礼を学ばなければ 一人前に振舞う事はできないと言った 鯉は退き、礼を学ぶ事にした 私(鯉)が聞いたのはこの二つです 陳亢は部屋出た後に大喜びで言った 一つの質問で三つの教訓を得た 詩の事、礼の事、 人格者は自分の子供を特別扱いしないという事だ(KS) |
||
詳細 | 461 |
16 | 14 | 邦君之妻 君稱之曰夫人 夫人自稱 曰小童 邦人稱之 曰君夫人 稱諸異邦 曰寡小君 異邦人稱之亦 曰君夫人 |
ほうくんのつま きみこれをししょうてふじんといい ふじんみずからしょうして しょうどうという ほうじんこれをしょうして くんふじんという これをいほうにしょうして かしょうくんという いほうのひとこれをしょうしてまた くんふじんという |
君主の妻を 君主は夫人と呼ぶ 彼女は自分の事は 小童と呼ぶ 領民は彼女を 君夫人と呼ぶ 異国の人々に対しては 寡小君と呼ぶ 異国の人々も 君夫人と呼ぶ(KS) |
||
詳細 | 462 |
17 | 1 | 陽貨欲見孔子 孔子不見 歸孔子豚 孔子 時其亡也 而往拝之 遇諸塗 謂孔子曰 來 予與爾言曰 懷其寳而迷其邦 可謂仁乎 曰 不可 好從事而亟失時 可謂知乎 曰 不可 日月逝矣 歳不我與 孔子曰 諾 吾將仕矣 |
ようかこうしをみんとほっす こうしまみえず こうしにいのこをおくる こうし そのなきをときとして ゆきてこれをはいす これにみちにあう こうしにいいていわく きたれ われなんじといわん そのたからをいだきてそのくにをまよわすは じんというべきかと いわく ふかなりと ことにしたがうをこのみてしばしばときをうしなうは ちというべきかと いわく ふかなりと じつげつはゆく としわれとともにせず こうしいわく だく われまさにつかえんとすと |
陽貨が孔子に会いたがった 孔子は会わなかった 陽貨は孔子に豚を贈った 孔子は 陽貨の留守に返礼に赴いたが 道の途中で陽貨に出会った 陽貨は 孔子に言った 来てください やっと私はあなたと話ができる 乱世を救う宝玉の知恵を持ち見過ごしている それが仁と言えますか? 孔子が言った いいえ 政治に携わりたいと考えながら見過ごしている それが知と言えますか? 孔子が言った いいえ 日々は過ぎて行き 年月も待ってはくれません 孔子が言った 解りました いずれあなたにお仕えしましょう(KS) |
||
詳細 | 43 |
17 | 2 | 失われた30年 | 子曰 性相近也 習相遠也 | しいわく せいあいちかし ならいあいとおし | 孔子が言った 人は同じような性質を持って生まれるが 学習によって様々な人格に変化する(KS) 先生がいわれた、 「生まれつきは似かよっているが、 しつけ (習慣や教養) でヘだたる。」(K) |
中学生のときは同じような成績だった者が全くレベルの違う大学に進学していることがある。同様に祖業が同じ会社でも会社規模や利益に桁違いの差がついていることがある。 学ぶこと=文化を変えることができたか否かでこの差が生まれる。 社会はこれを“失われた30年”と呼ぶ |
詳細 | 463 |
17 | 3 | 2:6:2の法則 | 子曰 唯上知與下愚不移 |
しいわく ただじょうちとかぐとはうつらず |
孔子が言った 本当に賢い人間と本当に愚かな人間だけは変わる事がない(KS) |
2割の本当に賢い人は自律的に学習し、伸びる。2割のどうしようもない人は学習しないので現状維持を望む。限られている経営資源は中間の6割に投下して底上げを図るべきである。 |
詳細 | 464 |
17 | 4 | 子之武城 聞弦歌之聲 夫子莞爾而笑曰 割雞 焉用牛刀 子游對曰 昔者偃也 聞諸夫子曰 君子 學道則愛人 小人 學道則易使也 子曰 二三子 偃之言是也 前言戲之耳 |
しぶじょうにゆき げんかのこえをきく ふうしかんじとしてわらいていわく にわとりをさくに いずくんぞぎゅうとうをもちいん しゆうこたえていわく むかしえんや これをふうしにきくいわく くんし みちをまなべばすなわちひとをあいし しょうじん みちをまなべばすなわちつかいやすしと しいわく にさんし えんのげんぜなり ぜんげんはこれにたわむれしのみ |
孔子達が武城の街を訪れた時 琴の音にあわせて歌声が聞こえた 孔子はにっこりと笑って言った 鶏をさばくのに 牛刀を用いる必要は無いだろう 子游が答えた 以前に 先生から聞きました 人格者は 礼楽を学び人を愛するようになり つまらぬ人間は 礼楽を学び扱いが楽になると 孔子が言った あなた達 子游の言葉は正しい 先の言葉は冗談だよ(KS) |
孔子のような人格者でも冗談を言う | |
詳細 | 465 |
17 | 5 | 公山弗擾 以費畔 召 子欲往 子路不説曰 末之也已 何必公山氏之之也 子曰 夫召我者 而豈徒哉 如有用我者 吾其爲東周乎 |
こうざんふつじょう ひをもってそむく めす しゆかんとほっす しろよろこばずしていわく ゆくなからんのみ なんぞかならずしもこうざんしにこれゆかんや しいわく それわれをめすものは あにいたずらならんや もしわれをもちうるものあらば われはそれとうしゅうとなさんか |
公山不擾が 費の街で反乱を起こした 彼は孔子を家臣として招き 孔子はそれに乗り気だった 子路がその事を不快そうに言った 行かなくても良いでしょう どうしてあんな奴に仕えようとなさるのです 孔子が言った 私を招くのだから それなりの理由があるのだろう もし誰かが私の理想に同意すれば 私はかつての周を取り戻すつもりだ(KS) |
||
詳細 | 466 |
17 | 6 | 子張問仁於孔子 孔子曰 能行五者於天下爲仁矣 請問之 曰 恭寛信敏惠 恭則不侮 寛則得衆 信則人任焉 敏則有功 惠則足以使人 |
しちょうじんをこうしにとう こうしいわく よくごしゃをてんかにおこなうをじんとなす これをこいとう いわく きょう・かん・しん・びん・けいなり きょうなればすなわちあなどられず かんなればすなわちしゅうをう しんなればすなわちひとにんじ びんなればすなわちこうあり けいなればすなわちもってひとをつかうにたる |
子張が仁について尋ねた 孔子が言った 五つの徳目を実践できたら仁者と言える 子張がぜひ教えてくださいと頼んだ 孔子が言った 恭しさ寛容さ誠実さ機敏さ恵み深さだ 恭しく振舞えば人から侮られない 寛容であれば人から好かれる 誠実であれば人から信頼される 機敏であれば功績を立てられる 恵み深ければ人の上に立って彼らを上手く使える(KS) |
||
詳細 | 467 |
17 | 7 | 佛肸召 子欲往 子路曰 昔者由也聞諸夫子曰 親於其身爲不善者 君子不入也 佛肸以中牟畔 子之往也 如之何 子曰 然 有是言也 不曰堅乎 磨而不磷 不曰白乎 涅而不緇 吾豈匏瓜也哉 焉能繋而不食 |
ひつきつめす しゆかんとほっす しろいわく むかしゆうやこれをふうしにきけりいわく みずからそのみにおいてふぜんをなすものには くんしはいらざるなりと ひつきつちゅうぼうをもってそむく しのゆくや これをいかんと しいわく しかり このげんあるなり かたきをいわずや ますれどもうすらがず しろきをいわずや でつしてくろまず われあにほうかならんや いずくんぞよくかかりてくわれざらんや |
仏肸が孔子を家臣として招き 孔子はそれに乗り気だった 子路が言った 以前に先生から聞いた 進んで悪事を働くような輩と 人格者は付き合わないと 仏肸は中牟の街で反乱を起こした 先生が彼の下へ行くのは どうしてですか? 孔子が言った そうだな しかしこんな言葉もある 本当に硬い物は 磨いても薄くならない 本当に白い物は 染めても黒くならない 私は苦瓜のように ぶら下がったままでいる訳にはいかない(KS) |
||
詳細 | 468 |
17 | 8 | 子曰 由也 女聞六言六蔽矣乎 對曰 未也 居 吾語女 好仁不好學 其蔽也愚 好知不好學 其蔽也蕩 好信不好學 其蔽也賊 好直不好學 其蔽也絞 好勇不好學 其蔽也亂 好剛不好學 其蔽也狂 |
しいわく ゆうや なんじりくげんりくへいをきけるか こたえていわく いまだし おれ われなんじにかたらん じんをこのみてがくをこのまざれば そのへいやぐ ちをこのみてがくをこのまざれば そのへいやとう しんをこのみてがくをこのまざれば そのへいやぞく ちょくをこのみてがくをこのまざれば そのへいやこう ゆうをこのみてがくをこのまざれば そのへいやらん ごうをこのみてがくをこのまざれば そのへいやきょうなり |
孔子が言った 子路よ 六つの言葉の六つの弊害を教えた事があるか? 子路が答えた いいえ、まだ教わってません 座りなさい 今からあなたに教えます 仁を好んでも学問を好まないと 愚か者になる 知を好んでも学問を好まないと どうしたら良いか解らなくなる 信頼を好んでも学問を好まないと 盲信してしまう事になる 正直さを好んでも学問を好まないと 窮屈になる 勇気を好んでも学問を好まないと 乱暴者になる 強さを好んでも学問を好まないと 狂乱に陥ってしまう(KS) |
何をするにも学問がベース | |
詳細 | 469 |
17 | 9 | 子曰 小子 何莫學夫詩 詩可以興 可以觀 可以羣 可以怨 邇之事父 遠之事君 多識於鳥獣草木之名 |
しいわく しょうし なんぞかのしをまなぶことなきや しはもっておこすべく もってみるべく もってぐんすべく もってうらむべし これをちかくしてはちちにつかえ これをとおくしてはきみにつかう おおくちょうじゅうそうもくのなをしる |
孔子が言った あなた達 どうして詩を学ばないのだ 詩はあなたの心を奮い立たせてる 観察眼を鍛えてくれる 人間関係を良くしてくれる 恨み言さえ上手くなる 家では親孝行でき 主君には忠実になれる また鳥・動物・草木の名を憶える事ができる(KS) |
||
詳細 | 470 |
17 | 10 | 子謂伯魚曰 女 爲周南召南矣乎 人而不爲周南召南 其猶正牆面而立也與 |
しはくぎょにいいていわく なんじは しゅうなん・しょうなんをまなびたるか ひとにしてしゅうなんしょうなんをまなばずんば それなおただしくしょうにめんしてたつがごときか |
孔子が伯魚に言った あなたは 詩経の周南、召南はもう学んだか? 周南、召南を学ばなければ ただ壁の正面に立ち尽くすだけの人間になってしまう(KS) |
||
詳細 | 471 |
17 | 11 | 本質論 | 子曰 禮云禮云 玉帛云乎哉 樂云樂云 鍾鼓云乎哉 |
しいわく れいといいれいという ぎょくはくをいわんや がくといいがくという しょうこをいわんや |
孔子が言った 礼の本質は 神にささげる供物にあるのではない 音楽の本質は 楽器にあるのではない(KS) |
|
詳細 | 472 |
17 | 12 | 子曰 色厲而内荏 譬諸小人 其猶穿窬盜也與 |
しいわく いろれいにしてうちじんなるは これをしょうじんにたとうれば それなおせんゆのとうのごときか |
孔子が言った 上辺の表情では強面を作っているのに 内心はびくびく怖気づいてる様な人間は 悪人に例えればこそ泥みたいなものだ(KS) |
||
詳細 | 473 |
17 | 13 | 子曰 郷原徳之賊也 |
しいわく きょうげんはとくのぞくなり |
孔子が言った 地元で人気取りをしてる似非君子は徳を損なう賊だ(KS) |
||
詳細 | 474 |
17 | 14 | 子曰 道聽而塗説 徳之棄也 |
しいわく みちにききてみちにとくは とくをこれすつるなり |
孔子が言った 中途半端に理解した事を他人に教えるのは 自分の徳を損なう行為だ(KS) |
メール転送を”JOB”にしている社員が多く存在する。この社員が管理職で部下に仕事を丸投げ(パススルー)する体質だと目も当てられない。 | |
詳細 | 475 |
17 | 15 | 鄙夫可與事君也與哉 其未得之也 患得之 既得之 患失之 苟患失之 無所不至矣 |
しいわく ひふはともにきみにつかうべけんや そのいまだこれをえざるや これをえんとうれう すでにこれをうれば これをうしなわんことをうれう いやしくもこれをうしなわんことをうれうれば いたらざるところなし |
孔子が言った 心の卑しい人間と共に君主に仕えるものではない まだ得ぬ物を 得ようとするし 得たものを 失うまいとする 失わないためには どんな事でもするのだから(KS) |
||
詳細 | 476 |
17 | 16 | 子曰 古者民有三疾 今也或是之亡也 古之狂也肆 今之狂也蕩 古之矜也廉 今之矜也忿戻 古之愚也直 今之愚也詐而已矣 |
しいわく いにしえはたみにさんしつあり いまやあるいはこれなきなり いにしえのきょうやし いまのきょうやとうなり いにしえのきょうやれん いまのきょうやふんれいなり いにしえのぐやちょく いまのぐやいつわりのみ |
孔子が言った 昔の人々には三つの欠点があったが 今はさらに悪くなってる 昔の理想家は自分の信念に従って行動したが 今はだた無秩序に行動する 昔の頑固者は清廉だったが 今はすぐ怒る癇癪持ちだ 昔の愚か者は素直だったが 今はただの嘘つきだ(KS) |
||
詳細 | 477 |
17 | 17 | 巧言令色 | 子曰 巧言令色 鮮矣仁 |
しいわく こうげんれいしょく すくないかなじん |
孔子が言った 言葉巧みに世辞を言い愛想笑いの上手い人に 人格者はいない(KS) |
|
詳細 | 478 |
17 | 18 | 子曰 惡紫之奪朱也 惡鄭聲之亂雅樂也 惡利口之覆邦家者 |
しいわく むらさきのしゅをうばうをにくむ ていせいのががくをみだるをにくむ りこうのほうかをくつがすものをにくむ |
孔子が言った 間色の紫が正色の赤を圧倒するのが憎い 鄭の淫らな音楽が宮廷の音楽を乱すのが憎い 口が上手いだけの輩が国をひっくり返すのが憎い(KS) |
||
詳細 | 479 |
17 | 19 | 子曰 予欲無言 子貢曰 子如不言 則小子何述焉 子曰 天何言哉 四時行焉 百物生焉 天何言哉 |
しいわく われいうことなからんとほっす しこういわく しもしいわずんば すなわちしょうしなにをかのべん しいわく てんなにをかいわんや しじおこなわれ ひゃくぶつず てんなにをかいわんや |
孔子が言った 私はもう何も言わない事にする 子貢が言った 先生が何もおっしゃらなかったら 我々は何を論じれば良いのですか 孔子が言った 天は何も語らない しかし四季は巡り 生命は誕生する 天は何も語らない(KS) |
||
詳細 | 480 |
17 | 20 | 孺悲欲見孔子 孔子辭以疾 將命者出戸 取瑟而歌 使之聞之 |
じゅひこうしにまみえんとほっす こうしじするにしつをもってす めいをおこなうものこをいず しつをとりてうたい これをしてこれをきかしむ |
孺悲が孔子に会おうと訪れたが 孔子は仮病を使って会わなかった 取次ぎの者が戸口を出るとき 孔子は瑟を奏で歌って 仮病だと解るようした(KS) |
||
詳細 | 481 |
17 | 21 | 宰我問 三年之喪 期已久矣 君子三年不爲禮 禮必壊 三年不爲樂 樂必崩 舊穀既沒 新穀既升 鑚燧改火 期可已矣 |
さいがとう さんねんのもは きすでにひさし くんしさんねんれいをなさざれば れいかならずやぶれん さんねんがくをなさざれば がくかならずくずれん きゅうこくすでにつきて しんこくすでにみのる すいをきりてひをあらたむ きにしてやむべし |
宰我が尋ねた 三年の服喪は長すぎませんか? 私は一年で十分だと考えます 人格者が三年も礼を行わないのでは 礼が廃れます 三年も音楽から遠ざかるのと 音楽が廃れます 一年で古米はなくなり 新米が実ります 火起こしに使う摺木も一年で取替えます 一年で十分ではないでしょうか? 孔子が言った たった一年でおいしく御飯を食べ 立派な服を着て それでなんとも思わないのか? 宰我が言った なんとも思いません 孔子はそれなら好きにするとよいと言った 喪中の君子は 御飯を食べてもおいしくなく 音楽を聴いても楽しくなく 家にいても気持ちが安らがない だからそうしないのだ なんとも思わないのであれば 好きなようにするとよい 宰我が部屋を出た後で 孔子が言った 彼に仁の心はない 生まれて来た子供は三年間 両親の腕の中で育つ だから三年の喪が 習慣として定着している 彼もまた両親の腕の中で愛情を受けたであろうに(KS) |
||
詳細 | 482 |
17 | 22 | 子曰 飽食終日 無所用心 難矣哉 不有博奕者乎 爲之猶賢乎已 |
しいわく ほうしょくしゅうじつ こころをもちうるところなきは かたいかな ばくえきなるものあらずや これをなすはなおやむにまされり |
孔子が言った 腹一杯食べるだけで 一日何もせず何も考えない 困り者だ 囲碁や将棋というものがあるだろう たとえ遊びでも何もしないよりは役に立つ(KS) |
||
詳細 | 483 |
17 | 23 | 子路曰 君子尚勇乎 子曰 君子義以爲上 君子有勇 而無義爲亂 小人有勇 而無義爲盜 |
しろいわく くんしはゆうをとうとぶか しいわく くんしはぎもってじょうとなす くんしゆうありて ぎなければらんをなす しょうじんゆうありて ぎなければとうをなす |
子路が尋ねた 人格者は勇気を尊びますか? 孔子が言った 人格者は勇気よりも正義を重んじる 人格者に勇気があっても 正義感がなければ争いの種となる つまらない人間に勇気があっても 正義感がなければ盗賊になるだけだ(KS) |
||
詳細 | 484 |
17 | 24 | 子貢曰 君子亦有惡乎 子曰 有惡 惡称人之惡者 惡居下流而訕上者 惡勇而無禮者 惡果敢而窒者 曰 賜也亦有惡乎 惡徼以爲知者 惡不孫以爲勇者 惡訐以爲直者 |
しこういわく くんしもまたにくむことあるか しいわく にくむことあり ひとのあくをしょうするものをにくむ かりゅうにいてかみをそしるものをにくむ ゆうにしてれいなきものをにくむ かかんにしてふさがるものをにくむ いわく しやまたにくむことあるか かすめてもってちとなすものをにくむ ふそんにしてもってゆうとなすものをにくむ あばいてもってちょくとなすものをにくむ |
子貢が尋ねた 人格者でも他人を憎む事がありますか? 孔子が言った 憎むこともある 人の悪口を言う者を憎む 部下が上司を誹謗するのを憎む 勇気がありながら礼を弁えない者を憎む 決断力がありながら道理を弁えない者を憎む 孔子が言った あなたは他人を憎む事があるか? 他人の知恵を掠め取り自分の知恵にする者を憎む 傲慢な自分を勇気があると思っている者を憎む 他人の欠点を暴いて自分が正直だと思っている者を憎む(KS) |
||
詳細 | 485 |
17 | 25 | 曰 唯女子與小人 爲難養也 近之則不孫 遠之則怨 |
しいわく ただじょしとしょうじんとは やしないがたしとなすなり これをちかづくればすなわちふそん これをとおざくればすなわちうらむ |
孔子が言った 女と取るに足らぬ男は 扱いにくい 親切にすれば調子に乗るし 親切にしなければ恨まれる(KS) |
||
詳細 | 486 |
17 | 26 | 子曰 年四十而見惡焉 其終也已 |
しいわく とししじゅうにしてにくまる それおわらんのみ |
孔子が言った 40歳を過ぎて他人から嫌われるようでは 私としてもどうしようもない(KS) |
||
詳細 | 44 |
18 | 1 | 微子去之 箕子爲之奴 比干諫而死 孔子曰 殷有三仁焉 |
びしはこれをさり きしはこれがどとなり ひかんはいさめてしす こうしいわく いんにさんじんあり |
微子は殷を去り 箕子は狂人のふりをして奴隷に身をやつし 比干は紂王を諌めて死罪となった 孔子が言った 殷には三人の仁者が居た(KS) [殷王朝の末に 紺王が乱暴であったので、〕微子は逃げ去り、箕子は[狂人のまねをして]奴隷となり、比干は諌めて殺された。 孔子はいわれた、 「殷には三人の仁の人がいた。 [しわざは違うけれども、みな国を憂え民を愛する至誠の人であった。]」(K) |
||
詳細 | 487 |
18 | 2 | 柳下惠爲士師 三黜 人曰 子未可以去乎 曰 直道而事人 焉往而 不三黜 枉道而事人 何必去父母之邦 |
りゅうかけいはししとなりて みたびしりぞけらる ひといわく しいまだもってさるべからざるか いわく みちをなおくしてひとにつかうれば いずくにゆくとして みたびしりぞけられざらんや みちをまげてひとにつかうれば なんぞかならずしもふぼのくにをさらん |
柳下恵が司法長官となった時 三回も罷免された ある人が言った どうして罷免されてこの国を去らない? 柳下恵が言った 真っ正直に仕えれば どこの国でも 三回くらいは罷免される 不正直に仕えるくらいなら 生まれ故郷の国を見捨てる必要はない |
||
詳細 | 488 |
18 | 3 | 齊景公待孔子曰 若季氏 則吾不能 以季孟之間待之 曰 吾老矣 不能用也 孔子行 |
せいのけいこうこうしをまつにいわく きしのごとくするは すなわちわれあたわず きもうのかんをもってこれをまたん いわく われおいたり もちうることあたわざるなりと こうしさる |
斉の景公が孔子の待遇について言った 魯の季孫氏ほどの 待遇はできませんが 季孫氏と孟孫氏の間ほどの待遇であなたを用いる しばらく後に、景公が言った 私も年をとった あなたを用いる事はできない 孔子は斉を去った(KS) |
||
詳細 | 489 |
18 | 4 | 美女軍団 | 齊人歸女樂 季桓子受之 三日不朝 孔子行 |
せいじんじょがくをおくる きかんしこれをうけて さんじつちょうせず こうしさる |
斉が魯に女性の舞踊楽団を贈った 魯の宰相・季桓子はこれを受け取り 三日も通って朝廷に上がらなかった 孔子は失望して魯を去った(KS) |
専制国家が美女軍団を政治の武器として使うのは2500年も前からのことである。 |
詳細 | 490 |
18 | 5 | 楚狂接輿 歌而過孔子曰 鳳兮鳳兮 何徳之衰 往者不可諫 來者猶可追 已而已而 今之從政者殆而 孔子下欲與之言 趨而辟之 不得與之言 |
そのきょうせつよ うたいてこうしをすぎていわく ほうやほうや なんぞとくのおとろえたる ゆくものはいさむべからず きたるものはなおおうべし やみなんやみなん いまのまつりごとにしたがうものはあやうし こうしくだりてこれといわんとほっす はしりてこれをさけ これというをえざりき |
楚の狂人・接輿が 孔子の側を歌いながら通り過ぎた 鳳よ鳳よ なんと徳を衰えさせたものだ 過ぎた事を言っても仕方ないが これからの事はまだ間に合う 止めなさい止めなさい 今の世に政治に関わるのは危険だ 孔子は馬車から降りて語り合おうとしたが 接輿は走って逃げてしまったので 話ができなかった(KS) |
||
詳細 | 491 |
18 | 6 | 長沮桀溺耦而耕 孔子過之 使子路問津焉 長沮曰 夫執輿者爲誰 |
ちょうそとけつできとぐうしてたがやす こうしこれをすぎ しろをしてしんをとわしむ ちょうそいわく かのたづなをとるものはたれとな |
長沮・桀溺が畑を耕していた 孔子一行が側を通りがかり 孔子は子路に渡し場の位置を尋ねるよう命じた 長沮が言った 馬車の上に居るお方は誰ですか? 子路が言った 孔子です 長沮が言った 魯の孔子ですか? 子路が言った はい 長沮が言った 孔子なら渡し場を知ってませんか 子路が桀溺に渡し場の場所を尋ねた 桀溺が言った あなたは誰ですか? 子路が言った 仲由子路です 桀溺が言った 孔子のお弟子の子路さんですか? 子路が答えた はい 桀溺が言った 時代の流れに逆らっても無駄だ 今は世の中全体が乱れている あの人は誰とこの流れを変えようと言うのか? あなたも自分が認めぬ人間を捨てる人に従うより 乱れた世を捨てる我々に従った方が良くはないか? 彼らはその間もずっと畑を耕していた 子路が孔子の元へ戻り彼らの話を告げると 孔子は憮然とした表情で言った 鳥や獣とだけ 生活するわけにはいかない 私が人と苦労を共にしないで 誰がどうするのか? 世の中が乱れていなければ 私がこの流れを変える必要もない(KS) |
||
詳細 | 492 |
18 | 7 | 子路從而後 遇丈人以杖荷蓧 子路問曰 子見夫子乎 丈人曰 四體不勤 五穀不分 孰爲夫子 植其杖而芸 子路拱而立 止子路宿 殺雞 爲黍而食之 見其二子焉 明日子路行以告 子曰 隠者也 使子路反見之 至則行矣 子路曰 不仕無義 長幼之節 不可廢也 君臣之義 如之何 其可廢之 欲絜其身 而亂大倫 君子之仕也 行其義也 道之不行 已知之矣 |
しろしたがいておくる じょうじんのつえをもってかごをになうにあう しろといていわく しふうしをみたるか じょうじんいわく したいつとめず ごこくわかたず たれをかふうしとなすと そのつえをたててくさぎる しろきょうしてたつ しろをとどめてしゅくせしめ にわとりをころし しょをつくりてこれをくらわしめ そのにしをまみえしむ めいじつしろゆきてもってつぐ しいわく いんじゃなりと しろをしてかえりてこれをみせしむ いたればすなわちされり しろいわく つかえざればぎなし ちょうようのせつは はいすべからざるなり くんしんのぎは これをいかんぞ それこれをはいせん そのみをいさぎよくせんとほっして たいりんをみだる くんしのつかうるや そのぎをおこなうなり みちのおこなわれざるは すでにこれをしれり |
子路が一行から遅れた 孔子を探す道で杖つき籠を背負った老人に会った 子路が尋ねた 私の先生を見ませんでしたか? 老人が言った 体を動かして働きもせず 穀物を自分で見分ける事もできない そんな人を先生と呼ぶのか? 老人は杖を地面に突き刺して草刈りを始めた 子路が敬意を表して腕を組んで立っていると 老人は子路を家に泊めて 鶏と 黍飯を食べさせ 二人の息子を紹介した 翌日に追いついた子路がこの事を告げると 孔子が言った (その老人は)隠者だ 子路にもう一度老人に会うよう命じた 子路は老人を訪ね留守なので 息子に伝言した 仕官しなければ家臣の義務も生じない 年長者と年少者の 区別はそれでも必要です 君主と家臣の義務も どうにかして しないわけにはいかない あなたは自分が潔くあろうとして 人の道を台無しにしている 人格者が主君に仕える事は 正義を為す事です 今の世の中が乱れている事など 孔子はとっくに理解している(KS) |
||
詳細 | 493 |
18 | 8 | 逸民 伯夷 叔齊 虞仲 夷逸 朱張 柳下惠 少連 子曰 不降其志 不辱其身 伯夷叔齊與 謂柳下惠少連 降志辱身矣 言中倫 行中慮 其斯而已矣 謂虞仲夷逸 隠居放言 身中清 廢中權 我則異於是 無可無不可 |
いつみんには はくい しゅくせい ぐちゅう いいつ しゅちょう りゅうかけい しょうれんあり しいわく そのこころざしをくださず そのみをはづかしめざるは はくいしゅくせいか りゅうかけいしょうれんをいう こころざしをくだしみをはずかしむるも げんはりんにあたり おこないはりょにあたる それこれのみ ぐちゅういいつをいう いんきょしてほうげんし みはせいにあたり はいはけんにあたる われはすなわちこれにことなり かもなくふかもなし |
七人の高名な隠者が居た 伯夷 叔斉 虞仲 夷逸 朱張 柳下恵 少連である 孔子が言った 志を捨てずに 潔癖さを守ったのは 伯夷と叔斉だ 柳下惠と少連は 志を曲げてその身を汚したが 言葉は道理に適い 行動は思慮深かった その点は良いと言える 虞仲と夷逸は 隠棲して言いたい放題だったが 潔癖さを守り 隠棲するにも上手であった 私は彼らとは違う 仕えるのも仕えないのも自らの道に適うか否かだ(KS) |
||
詳細 | 494 |
18 | 9 | 大師摯適齊 亞飯干適楚 三飯繚適蔡 四飯缺適秦 鼓方叔 入於河 播鼗武 入於漢 少師陽 撃磬襄 入於海 |
たいししはせいにゆく あはんかんはそにゆく さんぱんりょうはさいにゆく しはんけつはしんにゆく こほうしゅくは かにいる はとうぶは かんにいる しょうしよう げきけいじょうは うみにいる |
楽師長の摯は斉に去った 二番目の楽師の干は楚に去った 三番目の楽師の繚は蔡に去った 四番目の楽師の缺は秦に去った 太鼓担当の方叔は 黄河流域へ去った 振り鼓担当の武は 漢水流域へ去った 楽師長補佐役の陽と 石太鼓担当の襄は 海の島へ去った(KS) |
||
詳細 | 495 |
18 | 10 | 周公謂魯公曰 君子不施其親 不使大臣怨乎不以 故舊無大故 則不棄也 無求備於一人 |
しゅうこうろこうにいいていわく くんしはそのしんをすてず たいじんをしてもちいられざるをうらましめず こきゅうはたいこなければ すなわちすてざるなり そなわるをいちにんにもとむることなかれ |
周公が息子の魯公に言った 君子は親族の事を忘れてはならない 大臣を上手く用い恨まれないようになさい 古い友人は余程の事が無い限り 見捨ててはならない 人々に対して完全を求めてはならない(KS) |
||
詳細 | 496 |
18 | 11 | 周有八士 伯達 伯适 仲突 仲忽 叔夜 叔夏 季隨 季騧 |
しゅうにはっしあり はくたつ はくかつ ちゅうとつ ちゅうこつ しゅくや しゅくか きずい きか |
周には八人の人物が居た 伯達 伯適 仲突 仲忽 叔夜 叔夏 季随 季騧だ(KS) |
||
詳細 | 45 |
19 | 1 | 子張曰 士見危致命 見得思義 祭思敬 喪思哀 其可已矣 |
しちょういわく しはあやうきをみてはいのちをいたし うるをみてはぎをおもい まつりにはけいをおもい もにはあいをおもう それかなるのみ |
子張が言った 国に仕える士人は危険を前に命を投げ出し 利益を得る前に道義に適うか考え 祭祀では敬意を払い 葬儀や喪では悲しむ そのようなものだ(KS) 子張がいった、「 士人は危険を見れば 命 を投げ出し、利得を見れば道義を考え、祭りには敬うことを思い、喪には悲しみを思う、まあそれで宜しかろう。」(K) |
士とは一流の人物の意味であるが、民間資格の乱立で”士”の価値はさげすまれて誤解されている。難関資格と講習で寝ていても取れる資格の違いを明確に示すことはできないものだろうか?例えば、WEB3技術を用いたデジタルバッジなどが考えられる。またこの応用として卒業や学位の証明に使えば、学歴詐称や学位詐称はなくなるのでは? | |
詳細 | 497 |
19 | 2 | 子張曰 執徳不弘 信道不篤 焉能爲有 焉能爲亡 |
しちょういわく とくをとることひろからず みちをしんずることあつからずんば いずくんぞよくありとなし いずくんぞよくなしとなさん |
子張が言った 徳を熱心に守り 道を篤く信じなければ 生きてようが価値が無い 死んでようが価値が無い(KS) |
||
詳細 | 498 |
19 | 3 | 子夏之門人 問交於子張 子張曰 子夏云何 對曰 子夏曰 可者與之 其不可者拒之 子張曰 異乎吾所聞 君子尊賢 而容衆 嘉善而矜不能 我之大賢與 於人何所不容 我之不賢與 人將拒我 如之何其拒人也 |
しかのもんじん まじわりをしちょうにとう しちょういわく しかはなにとかいえる こたえていわく しかいわく かなるものはこれにくみし そのふかなるものはこれをこばめと しちょういわく わがきくところにことなり くんしはけんをたっとびて しゅうをいれ ぜんをよみしてふのうをあわれむ われのたいけんならんか ひとにおいてなんのいれざるところぞ われのふけんならんか ひとまさにわれをこばまんとす これをいかんぞそれひとをこばまんや |
子夏の弟子が 子張に友人との交際を尋ねた 子張が言った 子夏は何と言っていた? 子夏の弟子が答えた 子夏先生は言っていた 善い人間と付き合い 悪い人間と付き合うなと 子張が言った 私は(孔子から)別の意見を聞いた 人格者は優れた人を敬い 人々を包容すると 人の善い所を褒め悪い所を憐れむ 自分が優れていれば 人々を包容すべきだし 自分が劣っていれば 人々から拒まれるだろう 自分から人々を拒む必要などない(KS) |
||
詳細 | 499 |
19 | 4 | 子夏曰 雖小道 必有可觀者焉 致遠恐泥 是以君子不爲也 |
しかいわく しょうどうといえども かならずみるべきものあり とおきをいたすにはなずまんことをおそる ここをもってくんしはなさざるなり |
子夏が言った 小道を歩いても 素晴らしい景色に出会う事もある 遠い道のりを歩けば泥まみれになる だから人格者は余計な事を学ばず君子の道だけを学ぶ(KS) |
||
詳細 | 500 |
19 | 5 | 子夏曰 日知其所亡 月無忘其所能 可謂好學也已矣 |
しかいわく ひにそのなきところをしり つきにそのよくするところをわするることなきは がくをこのむというべきのみ |
子夏が言った 日々新しい事を学び 月々学んだ事を復習して忘れないようにすれば 本当に学問を好むと言ってよい(KS) |
||
詳細 | 501 |
19 | 6 | 子夏曰 博學而篤志 切問而近思 仁在其中矣 |
しかいわく ひろくまなびてあつくこころざし せつにといてちかくおもう じんそのうちにあり |
子夏が言った 博く学んで熱心に理想を求め 真剣に質問し身近な問題として考えれば 仁はその心の中にある(KS) |
||
詳細 | 502 |
19 | 7 | 子夏曰 百工 居肆以成其事 君子學 以致其道 |
しかいわく ひゃくこうは しにいてもってそのことをなし くんしはまなびて もってそのみちをいたす |
子夏が言った 職人は 彼らの仕事場でその仕事を完成させる 人格者は学問によって その道を完成させる(KS) |
||
詳細 | 503 |
19 | 8 | 子夏曰 小人 之過也必文 |
しかいわく しょうじんの あやまちやかならずかざる |
子夏が言った つまらない人間は いつも自分の間違いを誤魔化そうとする(KS) |
||
詳細 | 504 |
19 | 9 | 子夏曰 君子有三變 望之儼然 即之也温 聽其言也厲 |
しかいわく くんしにさんぺんあり これをのぞめばげんぜんたり これにつくやおんなり そのげんをきくやはげし |
子夏が言った 人格者には三つの側面がある 遠くから見れば厳然としており 近くから見れば和やかで 言葉には厳粛な響きがある(KS) |
||
詳細 | 505 |
19 | 10 | 子夏曰 君子信而後 勞其民 未信 則以爲厲己也 信而後諫 未信 則以爲謗己也 |
しかいわく くんしはしんぜられてしかるのちに そのたみをろうす いまだしんぜられざれば すなわちもっておのれをやましむとなすなり しんぜられてしかるのちにいさむ いまだしんぜられざれば すなわちもっておのれをそしるとなすなり |
子夏が言った 人格者は信頼を得てから 人々を使役する 信頼を得なければ 人々は苦しめさせられると思うだろう 主君を諌める前に主君からの信頼を得る 信頼を得なければ 主君は侮辱されると思うだろう(KS) |
||
詳細 | 506 |
19 | 11 | 子夏曰 大徳不踰閑 小徳出入可也 |
しかいわく だいとくはのりをこえず しょうとくはしゅつにゅうすともかなり |
子夏が言った 守るべき美徳は細かな部分でも犯してはならない 日常の些細な規則に関しては多少の違反はかまわない(KS) |
||
詳細 | 507 |
19 | 12 | 本末転倒 | 子游曰 子夏之門人小子 當洒掃應對進退 則可矣 抑末也 本之則無 如之何 子夏聞之曰 噫 言游過矣 君子之道 孰先傳焉 孰後倦焉 譬諸草木區以別矣 君子之道 焉可誣也 有始有卒者 其唯聖人乎 |
しゆういわく しかのもんじんしょうしは さいそうおうたいしんたいにあたりては すなわちかなり そもそもすえなり これをもとづくるはすなわちなし これをいかん しかこれをききていわく ああ げんゆうあやまてり くんしのみちは いずれをかさきにしてつたえ いずれをかのちにうまん これをそうもくのくにしてもってべつあるにたとう くんしのみちは いずくんぞしうべけんや はじめありおわりあるものは それただせいじんか |
子游が言った 子夏の門人達は 掃除や接客や所作は結構だが そんなものは 瑣末な事だ 根本的な所がなっていない どうかと思う これを聞いた子夏が言った あぁ 子游は間違っている 人格者を育てるには まず何を伝えて 後に何を伝えるかが大事だ 例えば草木の栽培に様々な方法があるように 人格者を育てるには 誰にも同じやり方ではいけない 終始、同じやり方ができるのは 聖人だけだ(KS) |
|
詳細 | 508 |
19 | 13 | 子夏曰 仕而優則學 學而優則仕 |
しかいわく つかえてゆうなればすなわちまなび まなびてゆうなればすなわちつかう |
子夏が言った 仕事をして余力があれば学ぶべきだ 学んで余力があれば仕事に就いてもよい(KS) |
||
詳細 | 509 |
19 | 14 | 子游曰 喪致乎哀而止 |
しゆういわく もはあいをいたしてやむ |
子游が言った 喪では、ただ心を尽くして悲しむだけでよい(KS) |
||
詳細 | 510 |
19 | 15 | 子游曰 吾友張也 爲難能也 然而未仁 |
しゆういわく われがともちょうや よくしがたきをなす しかれどもいまだじんならず |
子游が言った 私の友人の子張は 他人には難しい事をする まだ仁者とは言えない(KS) |
||
詳細 | 511 |
19 | 16 | 曾子曰 堂堂乎張也 難與並爲仁矣 |
そうしいわく どうどうたるかなちょうや ともにならびてじんをなしがたし |
曾子が言った 子張は堂々としている しかし共に仁を為しえる人物ではない(KS) |
||
詳細 | 512 |
19 | 17 | 曾子曰 吾聞諸夫子 人未有自致也者 必也親喪乎 |
そうしいわく われこれをふうしにきく ひといまだみずからいたすものあらざるなり かならずやおやのもかと |
曾子が言った 私は以前に孔子から聞いた 人は感情を出し切る事はできない 両親の喪中を除いては(KS) |
||
詳細 | 513 |
19 | 18 | 曾子曰 吾聞諸夫子 孟莊子之孝也 其他可能也 其不改父之臣與父之政 是難能也 |
そうしいわく われこれをふうしにきけり もうそうしのこうや そのたはよくすべきなり そのちちのしんとちちのまつりごととをあらためざるは これよくしがたきなりと |
曾子が言った 私は以前に孔子から聞いた 孟荘子の孝行は 他は真似できたとしても 父親の家臣と政治を改めない姿勢は 簡単に真似はできない事だ(KS) |
||
詳細 | 514 |
19 | 19 | 孟氏使陽膚爲士師 問於曾子 曾子曰 上失其道 民散久矣 如得其情 則哀矜而勿喜 |
もうしようふをしてししたらしむ そうしにとう そうしいわく かみそのみちをうしない たみさんずることひさし もしそのじょうをえば すなわちあいきょうしてよろこぶことなかれ |
孟孫氏が陽膚を司法長官に任命した 陽膚が曾子に尋ねた 曾子が言った 上の者達が道を失い 人々の規範が緩み随分経っている 例え犯罪情報を得たとしても 喜んではならず、むしろ哀れむべきだ(KS) |
||
詳細 | 515 |
19 | 20 | 子貢曰 紂之不善 不如是之甚也 是以君子 惡居下流 天下之惡皆歸焉 |
しこういわく ちゅうのふぜんは かくのごとくこれはなはだしからざりしなり ここをもってくんしは かりゅうにおることをにくむ てんかのあくみなこれにきすればなり |
子貢が言った 殷の紂王は 伝説ほどの悪人ではなかった 人格者は 少しでも悪い立場に居る事を嫌う 世界中の悪評が彼の元に集まってくるから(KS) |
||
詳細 | 516 |
19 | 21 | 天地明察 | 子貢曰 君子之過也 如日月之食焉 過也人皆見之 更也人皆仰之 |
しこういわく くんしのあやまちや じつげつのしょくのごとし あやまつやひとみなこれをみる あらたむるやひとみなこれをあおぐ |
子貢が言った 人格者が過ちを犯した時は 日食や月食のようだ 過ちを犯せば珍しいので人々は注目し 過ちを正せば人々は仰ぎ見上げる(KS) |
|
詳細 | 517 |
19 | 22 | 衛公孫朝 問於子貢曰 仲尼焉學 子貢曰 文武之道 未墜於地 在人 賢者識其大者 不賢者識其小者 莫不有文武之道焉 夫子焉不學 而亦何常師之有 |
えいのこうそんちょう しこうにといていわく ちゅうじはいずくにかまなべる しこういわく ぶんぶのみち いまだちにおちずして ひとにあり けんじゃはそのだいなるものをしり ふけんじゃはそのしょうなるものをしる ぶんぶのみちあらざることなし ふうしいずくにかまなばざらん しこうしてまたなんのじょうしかこれあらん |
衛の公孫朝が 子貢に尋ねた 孔子は一体誰から礼楽を学びましたか? 子貢が言った 周の文王、武王の道は まだ生き続けています 人々の間に 賢者はその中の重要な物を伝え 賢者でない者は重要でない物を伝える 文王、武王の道はどこででも学べます 孔子は誰からでも学び 特定の師を持ちませんでした(KS) |
||
詳細 | 518 |
19 | 23 | 叔孫武叔 語大夫於朝曰 子貢賢於仲尼 子服景伯以告子貢 子貢曰 譬之宮牆 賜之牆也及肩 闚見室家之好 夫子之牆數仞 不得其門而入 不見宗廟之美百官之富 得其門者或寡矣 夫子之云 不亦宜乎 |
しゅくそんぶしゅく たいふにちょうにかたりていわく しこうはちゅうじよりまされり しふくけいはくもってしこうにつぐ しこういわく これをきゅうしょうにたとうれば しのしょうやかたにおよぶ しっかのよきをうかがいみる ふうしのしょうはすうじんなり そのもんをえていらざれば そうびょうのびひゃくかんのとみをみず そのもんをうるものあるいはすくなし ふうしのいえること またうべならずや |
叔孫武叔が 宮廷の会議で言った 子貢は孔子より優れている 子服景伯がこの事を子貢に告げた 子貢が言った 屋敷の塀に例えれば 私など肩の高さ程度しかありません だから屋敷の中を簡単にうかがい見れます 孔子の徳は10メートル以上あります 屋敷の美しい装飾や 宝物を外から見れません しかも中に入る門さえ見つけられないので 叔孫武叔が 勘違いなされるのも無理はありません(KS) |
||
詳細 | 519 |
19 | 24 | 叔孫武叔 毀仲尼 子貢曰 無以爲也 仲尼不可毀也 他人之賢者 丘陵也 猶可踰也 仲尼日月也 無得而踰焉 人雖欲自絶 其何傷於日月乎 多見其不知量也 |
しゅくそんぶしゅく ちゅうじをそしる しこういわく もってなすなきなり ちゅうじはそしるべからざるなり たにんのけんじゃは きゅうりょうなり なおこゆべきなり ちゅうじはじつげつなり えてこゆるなし ひとみずからたたんとほっすといえども それなんぞじつげつをやぶらんや まさにそのりょうをしらざるをあらわすなり |
叔孫武叔が 孔子の悪口を言った それを聞いた子貢が言った およしなさい 孔子の悪口を言うのは 他の賢者の人々は 小高い丘のようなもので 乗り越える事もできるでしょう 孔子の徳は太陽や月のようなものだから 乗り越える事などできない 無視しようとして何になるのですか 太陽や月を 自らの限界を思い知るのが関の山です(KS) |
||
詳細 | 520 |
19 | 25 | 陳子禽謂子貢曰 子爲恭也 仲尼豈賢於子乎 子貢曰 君子一言以爲知 一言以爲不知 言不可不慎也 夫子之不可及也 猶天之不可階而升也 夫子之得邦家者 所謂立之斯立 道之斯行 綏之斯來 動之斯和 其生也榮 其死也哀 如之何 其可及也 |
ちんしきんしこうにいいていわく しはきょうをなすなり ちゅうじあにしよりもまさらんや しこういわく くんしはいちげんもってとなし いちげんもってふちとなす げんはつつしまざるべからざるなり ふうしのおよぶべからざるや なおてんのかいしてのぼるべからざるがごときなり ふうしのほうかをえんには いわゆるこれをたつればここにたち これをみちびけばここにゆき これをやすんずればここにきたり これをうごかせばここにやわらぐ そのいくるやさかえ そのしするやかなしむ これをいかんぞそれおよぶべけんや |
陳子禽が子貢に言った あなたは謙遜していませんか? 孔子があなたより優れているとは思えません 子貢が言った 人格者はその言葉によって知者と言われ その言葉によって愚者とも言われるので うかつな事を言うものではありません 孔子の徳に及ぶなど 天に梯子を使って昇ろうとするようなもの 孔子が国家を治めたら 立てと言えば人々は立ち 導けば人々は従い 安らげば人々は集まり 励ませば人々はそれに応える 孔子が生きておられる限り国は栄え 孔子が亡くなられたら国中が悲しむ いかがでしょう 誰も孔子には及ばない(KS) |
||
詳細 | 521 |
20 | 1 | 尭曰 舜 天之暦數 在爾躬 允執其中 四海困窮 天禄永終 舜亦以命禹 曰 予小子履 敢用玄牡 敢昭 告于皇皇后帝 有罪不敢赦 帝臣不蔽 簡在帝心 朕躬有罪 無以萬方 萬方有罪 罪在朕躬 周有大賚 善人是富 雖有周親 不如仁人 百姓有過 在予一人 |
ぎょういわく ああなんじしゅん てんのれきすう なんじのみにあり まことにそのちゅうをとれ しかいこんきゅうせば てんろくながくおわらんと しゅんもまたもってうにめいず いわく われしょうしり あえてげんぼをもちいて あえてあきらかに こうこうたるこうていにつぐ つみあるはあえてゆるさず ていしんおおわず えらぶことていのこころにあり わがみにつみあらば ばんぽうをもってするなかれ ばんぽうにつみあらば つみはわがみにありと しゅうにたいらいあり ぜんにんこれとめり しゅうしんありといえども じんじんにしかず ひゃくせいあやまちあらば われいちにんにあり |
尭が言った あぁ舜よ 天命は今や お前の双肩にある 極端ではなく中庸を守り世を治めよ 天下の人々は困窮している 天の恵みが永遠に続かん事を願う 舜もまた禹に帝位を譲る時に同じ事を命じた (殷の湯王が)言った ふつつかな私ですが 黒い牡牛を供物として捧げて 謹んで申し上げます 天におわす上帝陛下に 天に罪ある者は決して許しません 天下の賢人は隠さず用いて 陛下の御心にかなうように致します もし私に罪があったとしても どうか人々に罰を与えないで下さい もし人々に罪があったとしたら どうか私に罰をお与え下さい 周には多くの天恵があり 人々は豊かであった 私には多くの親族がいるが 仁の心を持った人物にはかなわない もし人々に罪があったとしたら それは全て私の罪だ(KS) |
||
詳細 | 46 |
20 | 2 | 謹權量 審法度 脩廢官 四方之政行焉 興滅國 繼絶世 舉逸民 天下之民歸心焉 所重民食喪祭 |
けんりょうをつつしみ ほうどをつまびらかにし はいかんをおさむれば しほうのまつりごとおこなわれん めっこくをおこし ぜっせいをつぎ いつみんをあぐれば てんかのたみこころをきす おもんずるところはたみのしょくとそうとさいなり |
度量衡などの単位を整え 法令を明らかにし 廃れた官位を復活させれば 天下の政治は上手く行くだろう 滅んだ国を復興させ 廃れた家を継がせ 野に居る賢人を用いれば 天下の人々は心から帰服するだろう 民衆と食物、喪礼と儀式を重んじなければならない(KS) めかた、 ますめを慎しみ、 礼楽制度をよく定め、 すたれた官職を整備すれぱ、 四方の政治はうまくゆく。 滅んだ国を復興させ、 絶えた家がらをひきつがせ、 世すて人を用いれぱ、 天下の民は心を寄せる。 重んずることは、 人民と食糧と喪と祭り。(K) |
||
詳細 | 522 |
20 | 3 | 寛則得衆 信則民任焉 敏則有功 公則説 |
かんなればすなわちしゅうをえ しんなればすなわちたみにんず びんなればすなわちこうあり こうなればすなわちよろこぶ |
寛容であれば人望を得られる 誠実であれば信頼を得られる 鋭敏であれば功績を得られる 公平であれば人々が喜ぶ(KS) |
||
詳細 | 523 |
20 | 4 | 子張問於孔子曰 何如斯可以從政矣 子曰 尊五美 屏四惡 斯可以從政矣 子張曰 何謂五美 子曰 君子惠而不費 勞而不怨 欲而不貪 泰而不驕 威而不猛 子張曰 何謂惠而不費 子曰 因民之所利而利之 斯不亦惠而不費乎 擇可勞而勞之 又誰怨 欲仁而得仁 又焉貧 君子無衆寡 無小大 無敢慢 斯不亦泰而不驕乎 君子正其衣冠 尊其瞻視 儼然人望而畏之 斯不亦威而不猛乎 子張曰 何謂四惡 子曰 不教而殺 謂之虐 不戒視成 謂之暴 慢令致期 謂之賊 猶之與人也 出納之吝 謂之有司 |
しちょうこうしにといていわく いかなればこれもってまつりごとにしたがうべきか しいわく ごびをたっとび しあくをしりぞくれば ここにもってまつりごとにしたがうべし しちょういわく なにをかごびという しいわく くんしはけいしてついやさず ろうしてうらまず ほっしてむさぼらず たいにしておごらず いありてたけからず しちょういわく なにをかけいしてついやさずという しいわく たみのりするところによりてこれをりす これまたけいしてついやさざるにあらずや ろうすべきをえらびてこれをろうす またたれをかうらまん じんをほっしてじんをえたり またいずくんぞむさぼらん くんしはしゅうかとなく しょうだいとなく あえてあなどるなし これまたたいにしておごらざるにあらずや くんしはそのいかんをただしくし そのせんしをたっとくす げんぜんとしてひとのぞみてこれをおそる これまたいありてたけからざるにあらずや しちょういわく なにをかしあくという しいわく おしえずしてころす これをぎゃくという いましめずしてなるをみる これをぼうという れいをみだりにしてきをいたす これをぞくという これをひとしくひとにあたうるなり すいとうのやぶさかなる これをゆうしという |
子張が孔子に尋ねた どうやって政治に携わるべきですか? 孔子が言った 五つの美徳を尊び 四つの悪徳を退ければ 政治に携わってもよいだろう 子張が言った その五つの美徳とは何ですか? 孔子が言った 人格者は恩恵を施すときは無駄はしない 労働させるときは恨みを買わない 欲する物があっても貪欲にならない ゆったりとして傲慢にならない 威厳を保って乱暴はしない 子張が言った 恩恵を施すときは無駄はしないとは? 孔子が言った 人々の利益を考え 恩恵を施すから無駄はない 人々を納得させてから労働させるので 誰からも恨みは買わない 仁を得ようとして仁を得られるのだから 他の物に貪欲にはならない 人格者は人を貧富や貴賎によって 侮る事が無いので ゆったりとて 傲慢にはならない 人格者は正しく礼服を身にまとって 視線も振る舞いも厳かにするから 人々は君子を見て畏敬の念を抱く だから乱暴などせずとも威厳が保たれる 子張が言った 四つの悪徳とは何ですか? 孔子が言った 教育も施さずに死刑にする これを残虐と言う 指導せずに成果を出させようとする これを乱暴と言う いいかげんな規則を与え厳しく取り締まる これを国を害する賊と言う 人々に施しをするのに 出し惜しみをする これを役人根性と言う(KS) |
||
詳細 | 524 |
20 | 5 | 孔子曰 不知命 無以爲君子也 不知禮 無以立也 不知言 無以知人也 |
こうしいわく めいをしらざれば もってくんしとなすなきなり れいをしらざれば もってたつなきなり げんをしらざれば もってひとをしるなきなり |
孔子が言った 与えられた天命を理解しなければ 人格者として指導できない 礼の持つ意味を理解しなければ 人として立つ事はできない 言葉を理解しようとしなければ 人を理解する事などできない(KS) |