明解(迷解!) 3年4組 用語(酔う誤)字典 
第三版

とうとう300語突破 まだまだ増えます
3年4組の昔と今を繋ぐ用語集
 HP内容を深く理解(?)するために!

投票機能を追加、
あなたの選ぶ「3年4組のトリビア」はどれ?

リンクも充実、ミニクラス会の「予習」「復習」に最適!

2003年3月11日 初版発行
2004年1月24日 増補改訂版発行
2004年2月11日 増補の増補
2005年2月xx日 第3版発行




NyanNyanSoft Inc.(変?)
KAMISHIMA Enterprise 監修

初版項目 増補・改訂版項目 第3版項目


あ行

****
青葉城恋唄
赤尾の豆単
赤と赤
秋吉
悪女
ANA
アニリン
Abandon
あやまち医者
アルファとベータ
いきがい
生き霊
育児疲れ
医師と歯科医師
いしばし
一戸建て
一升ビン
イッヒ・リーベ・ディッヒ
イヌとネコ
芋女
いるかにどうしても乗りたい中年
いるかに乗れない中年
いるかにのれない中年(2)
ウォンテッド
卯辰山
打ち上げ その1
打ち上げ その2
運動会
運命
英会話
ST
越州村
エマニュエル夫人
エントロピー
大井町のネコ
大きな腹時計
大雪
オールド
沖縄
奥田中学
遅年会
おでんや
おはら節
重いコンダーラ

か行

開運招き猫音頭
外国語
外国語の効用
格技館
学習生活実態調査
学生服と帽子
学帽
カクレ4組
家族サービス
合唱コンクール
かっぱえびせん
家庭科
家庭訪問
上滝線
神頼み
「神ちゃん」と「あみちゃん」
カラー
カラオケ
カラオケ狂団
幹事
漢字忘れ症候群
神田川
漢文
記憶
帰省
君の名は
90回生
教育県
教室の掃除
共通一次
清らなるもの額に迫る
吟醸酒と純米酒

クマ
組長
クリミア戦争
黒部川物語
けいこ
経済
芸術科目
刑務所
契約
軽四とバイク
外科医
げげげの鬼太郎
下宿
Chemistry
ゲロ袋
研究社
現国
校閲
甲乙
校歌
後悔
公会堂
後期組長
校長室
更年期障害
ゴールドフィンガー
こきりこ節
極楽坂遠足
護国神社
心を亡くすとどうなるか
個人面談
五福の飲み屋

さ行

斉藤トラベルサービス
酒場と居酒屋
さくら
桜木町
酒飲みともだち
ささやん
猿と子猿
山岳部
サングリア
三十三間堂
サンドイッチマン
3年1組
3年4組
3年4組の川柳
三バカトリオ
司会者
指揮者
しけたん
市電
自転車通学
社会科教室
修学旅行
住環境
柔剣道
就職
10大ニュース
18歳
十八歳(2)
修業
酒席研究員
出席順
純粋数学
上界と下界
紹興酒
焼酎
浄土真宗
常楽
諸行無常
職員室
食堂
白玉
新宿駅新南口
身体測定
シンデレラーズ
進路指導
スイヘイリーベ
数学
数V
ステーションデパート
スプリングコンサート
政経・倫社
成績段階
制服
生物
西武百貨店
清明堂
西暦2019年
世界史
席替え
セクハラ
切腹
総曲輪
総務課長
卒業式
卒業写真
卒業証書と合格証書
ソムリエ

た行

大学
大学院
大喜のラーメン
第九
大和
竪穴式住居
たてやま
立山黒部百万年の輝き
立山そば
立山に雷鳥映える
他人のそら似
旅芸人
『だら』
だら考
太郎丸
團 伊玖磨
チーム関東
チェリオ
地上の星
知的財産
地ビール
チャート
中央通
中高年の定義
チューリップ1
チューリップ2
追試
通学バス
つくば
DV
ディープな中華街
定年
デコレーション
デジカメ
哲学
デビュー
電機紙芝居
てんしょく
頭狂と狂頭
動物園
TOEIC
図書館
突撃電話
外山
富山駅
富山からの海外旅行
富山賢人会
富山県の高校
富山県の大学
富山高校生の体力と痴力
富山高校訪問
富山港線
富山市科学文化センター
富山女子高校
富山中部と高岡
富山弁
トラウマ
ドラゴンへの道(1)
ドラゴンへの道(2)
トリビア
とんかつ

な行

内地と外地
ながいくん
涙そうそう
七越
鍋見張り係
なまくら
奈良女
西山ラーメンと8番ラーメン
22歳の別れ
日本史
NyanNyanSoft
入院
入室許可証
ネーミング
ネギシ写真館
狙い打ち
のんだくれ

は行

ハードディスク
バイ貝
はがき作戦
爆弾発言
化学
走れメロス
花火大会
馬肉
はやし
バレンタインデー
反面教師
ビールとウイスキー
ビールまつり
ピエロ
美女軍団
微積分
百人一首
4STEP(1)
4STEP(2)
ブックオフ
ブラス
ブラックアウト
不良
ふるさと
プロジェクトX
不惑
文活
文系
ベクトル
別荘計画
ぺっぺふき
勉強と学習(1)
勉強と学習(2)
『へんさ値』
ホームページ
ホームページ(2)
ホクギン
北辰
保健室
補講
ほたるいか
ほたるいか(2)
北海道計画
ホッピー
堀川中学
ホワイト
ホワイトイン

ま行

麻雀
マイウェイ
マイルドセブン
前田藩
ますの寿司
町田
松尾芭蕉
マック
ママゴト
ミカド
南富山
ミニクラス会
ミルクホール(1)
ミルクホール(2)
民謡同好会
ムヒ
名簿
メーリングリスト
メモリーグラスとブランデーグラス
目標と現実
模試(1)
模試(2)
文字化け

や行

ヤキヤマ
ヤククレ
安野屋の交差点
雪景色
行方不明者
YUMIKA Enterprise
夢分析
酔う誤字典
ようすい
横浜
予餞会
よっぱらい
喜び組
4組の教室

ら行

ラーメンと中年脂肪
理系
両国
倫社
歴史
恋愛症候群
老眼
浪人
ローエングリン
ロックアップ
ROM

わ行

ワインの格付け
ワンパターン

お気に入りの用語・「これは3年4組のトリビアだ」という酔う誤がありましたら、『へぇ』ボタンをクリックしてください
後日発表の投票結果をお楽しみに
(「トリビアの泉」のように何回押すばあいは、1秒以上間隔をあけてください)
(ちなみに「満へぇ」は10回です)
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あ 行
**** (****)
 この用語事典のトップを飾るにふさわしい単語。 いまさら説明する必要もありません。一生我々の脳味噌に焼き付いて離れない偉大なる担任様のお名前。 絶対に忘れませんよ!(2003/03)
青葉城恋唄 (あおばじょうこいうた)
 HP管理人が酔うとほぼ必ず歌う唄。ところで「唄」という字は、「口を貝のように閉ざす」ように見えるが、管理人が唄うと「貝を口で舐めながら大声でうたう」ように見えるのはどうしてだろうか?でも、彼の唄は聴く人の心を癒す。(2003/03) カラオケルームへ
赤尾の豆単 (あかおのまめたん)
 これを高校当時に使っていた人も多いはず。コンパクトな体裁であり、しかも安かった。しかし、この本を有効に使っていたという人もほとんど聞かない。やはりアルファベット順がいけないのか。abandonの関は容易には越えられない。(2003/03)
赤と赤 (あかとあか)
 トルストイではない。彼は人生を赤と黒に二分化した。人生はそんなに完全に割り切れるものではない。ミニクラス会は楽しい。赤で始まり、赤のまま終わる。楽しいではないですか。でも調子に乗ると、青に変わり、最後はなんともいえない色に変化するので要注意。(2004/01)
秋吉 (あきよし)
 青春の館のこと。昭和50年代当時は、1本30円程度だったと思う。一度行くとひとりで50本くらいはぺろりと食べた記憶がある。就職し、東京でこの看板を見かけた時は感動を覚えたが、最近は全然行っていない。残念ながら、東京の秋吉には、キャベツのざく切りは売っていない。(2003/03) 秋吉のページへ
 渋谷にあった秋吉はなくなってしまったようです。(2005/01)
悪女 (あくじょ)
 「悪女」という言葉はあるが、「悪男」という言葉は使われることはまずない。女は魔性の性といわれる所以である。ミニクラス会に目を転じると参加者の女性方は皆、人の心の痛みがよく分かる天使のような存在であり、とても悪女と呼べるような片側ではない。男性参加者はいつも感謝の念を持ち続けている。しかし、天使の中には“弓矢”を手に持っているのも存在していることを忘れてはならない。(2005/01)
ANA (あな)
 富山から所用で飛行機に乗る場合、当時はこの航空会社しかなかった。なぜこの会社だけだったのだろう。オール・ニッポン・エアウェイズというなんだか英語と日本語が混じったような会社名は面白いが、それ以外にとりたててほめるところがない。でも、座席前においてあるゲロ袋はミニクラス会で使えるのでよしとしよう。(2004/01)
 追記:2002年7月から日本航空(JAL)の東京便が2往復就航している。
アニリン (あにりん)
 高校時代の試験勉強中に、仲間の一人が組長に、アニンなるものを教えてくれたのだが、これがいけなかった。まさか、本当の名前がリンだとは。これは教えてくれたのは2002〜2003年で幸せの絶頂にいるはずのK氏だが、彼はこのことを覚えているだろうか。もし覚えていなかったら、今後彼のことを「アニン君」と呼ぼう。(2003/03)
Abandon (あばんだん)
 “vt. 見捨てる、断念する” 英和辞典の1ページ目に必ずある動詞。 重要単語集でも1番目に出てくる。折角、勉強しようと思ったのに、こんな単語が最初に来るのでは全くやる気がなくなってしまうではないかと理由をつけて英語の勉強を怠ると、逆に英語のほうからabandonされてしまうのである。(2003/03)
あやまち医者 (あやまちいしゃ)
 実家に帰省したとき、息子がばあちゃんから「あやまちしられんな」と言われた。富山弁で言う「あやまち」は怪我のことであるが、息子は最近世の中を騒がせている少年犯罪のことだと思ったらしい。ちなみに、整形外科医や整復師のことを「あやまち医者」と言うが、4組卒業生の「あやまち医者」はどのように理解されるのであろうか? (2004/01) 類義語:外科医
アルファとベータ (あるふぁとべーた)
 アルファー(α)はギリシア文字だと最近知ったのも実に恥ずかしいが、これがギリシア文字の最初の文字なら、最後の文字がオメガ(Ω)だと言うことも最近知ってがく然とした。高校の数学でアルファーとベータはどちらが難しいのだろうか。ミニクラス会で、岡田さんとこれを肴に飲んでみたいものだ。(2003/03)
いきがい (いきがい)
 高校時代で生きがいを感じたのは、運動会、その打ち上げと極楽坂の恐怖くらいか。いまはなんだろう。 寝食を忘れてやりたい、そういうものを持っている人はぜひ3年4組ホームページにご連絡を。それにより何人かは救われるかもしれない。(2003/03)
生き霊 (いきりょう)
 昔、女性にいろいろな悪さをして心にやましいことがあると悪夢と共に枕元にお出ましになることがある。どれだけ懺悔しても決して許してはくれることはない。あまりの恐怖に目が覚めると汗びっしょり、息も切れ切れである。 YUMIKA先生の見立てでは、この症状を乗り切るためにはお酒でお清めをやらなければならないそうである。そのためにわれわれは死ぬまでミニクラス会へ出続けなければならないのである。(2004/01)
育児疲れ (いくじつかれ)
 3年4組のメンバーの家族構成も様々だろう。子どもが大きくなっていて、手がかからない人もいるだろうし、その逆にまだ子どもが小さくて日々疲れている人もいるだろう。そんな人にこそ、ミニクラス会に来てほしい。必ず子どもに手がかからない人も参加しているので、昔をしのんでしばし預かってくれるかもしれない。(2003/03)
医師と歯科医師 (いしとしかいし)
 命を預かる職業の人は尊敬に値する。仕事がら神経をすごくすり減らす。したがって、オフの時には自分を取り戻さなければとミニクラス会で暴れるのは彼ら、彼女らだが、気持ちよく翌日の仕事に専念できるように、勘弁してあげよう。それが結果的には我々の幸福につながるのだから・・・。(2003/03)
いしばし (いしばし)
 当時、誰かが言った。「石橋を たたいて 殺せ」と。その当時の、石橋さんといえば、「アイ ティンク ザッツ 〜」の彼しかいないではないか。この名言をいまだに忘れられないのは、これを言った人物が意外だったからだ。彼はこの名言を覚えているだろうか。 (2003/03)
一戸建て (いっこだて)
 富山県人は家好きだ。一定年齢になると、家を持っていないと何か悪いことをしているような罪悪感にさいなまれるらしい。確かに富山の土地は関東や関西に比べると安いが、それでも家を含めるとかなりの値段になる。第一生命のサラ川に「一戸建て まわりを見れば 一戸だけ」というのがあった。これは笑うに笑えない.(2005/01)
一升ビン (いっしょうびん)
 最近、紙パックの日本酒、焼酎が多い。すぐに捨てられるし、何と言っても価格が安い。だが、安いものには裏がある。なぜ、これまで一升ビンが、しかも茶褐色だったかをよく考えてほしい。理由があったはずだ。今後のミニクラス会では、日本酒にせよ、焼酎にせよ、ワインにせよ、すべて一升ビンにしよう。味が違う。でも一升以上飲むと、結局は一緒だ。(2003/03)
イッヒ・リーベ・ディッヒ (いっひりーべでぃっひ)
 大学でドイツ語を選択したものは多いと思うが、今覚えていることばはどれくらいだろう。そして今までにどれくらい役に立ったことがあるだろうか。イッヒ・リーベ・ディッヒくらいなら、実は小さい子どもレベルである。だって、子どもでもイッヒッヒッヒくらいは教えてもらわなくても言える。でも第九を歌う人には役に立っているのかもしれない。(2004/01)
イヌとネコ (いぬとねこ)
 ホームページ管理人は大のネコ好きである。理由はあえて詳しく聞かない。一方、イヌが好きな人も多い。組長としてはどちらがかわいいかと聞かれると困ってしまう。この裁決は、ムヒ氏にまかせよう。きっと変な答えが返ってくるはずだ。(2003/03)
芋女 (いもおんな)
 ミニクラス会にはいろいろなモノが場を盛り上げる小道具として持ち込まれることがある。それが食べ物であるときはとっても嬉しい。なかでも小前さんが持ってきてくれた『ほしいも』は極めて美味であり、我々がカラオクを歌い続けるためのエネルギー源となった。この故事をもとに彼女に“芋女”の称号を贈りたい。ちなみに一緒に持ってきてくれた納豆も極めて美味だったことを付記しておこう。(2005/01)
いるかにどうしても乗りたい中年 (いるかにどうしてものりたいちゅねん)
 城みちるも今では完全に中年である。いや高年である。彼の願望は今でもいるかに乗って颯爽と登場したいということではないか。前期組長は彼の気持ちを汲みつつ、当時の振り付けを日夜研究していることは誰も知らない。(2004/01)
いるかに乗れない中年 (いるかにのれないちゅうねん)
 昔はいるかに乗れる程スリムだったはずだが、いまはどうだろう。子どもが残す食事をもったいないと思う気持ちは大切だが、代わりに全部食べると、自分のお腹に脂がたまることになり、結局いるかにまで嫌われることになる。要注意!(2003/03)
いるかにのれない中年(2) (いるかにのれないちゅうねん)
 その当時、爆発的に売れた「イルかにのった少年」を何度も聞いたはずだが、今になって、うけを狙ってやってみたが、歌えない。そんな悲しい40歳台をこのように呼んであげよう。(2004/01)
ウォンテッド (うぉんてっど)
 ピンクレディーの歌ではない。3年4組の行方不明者のことだ。ホームページ管理人の必死の捜索にもかかわらず、まだ数名が行方不明である。民法の規定では、7年間行方が知れないときに失踪宣告されると「死亡」したものと扱われるそうであるが、そうならないうちに、皆さん捜索にご協力を!(2004/01)
卯辰山 (うたつやま)
 小高い丘のような山である。ホームページ管理人はこの山が好きであろう。当時、兼六園の石川門から金沢大学に道が続いていたが、そのキャンパスから近くにこの山があった。ここで彼は人生というものを考えたに違いない。残念だが、金沢大学は今では移転していて、その跡地に公園ができている。だが、金沢の地を愛する彼が、カラオケで歌う歌が青葉城恋唄なのはなぜだろう。今度は、必ずや「加賀の女(ひと)」を歌ってもらいたい。(2004/01)
打ち上げ その1 (うちあげ1)
 運動会が終わった週末、応援団およびデコレーション組が行った秘密会議。 会場は目立たないように応援団は秘境・上市、デコレーションは島田さんの家の離れの二階(旧島田医院の建物)で行われた。 担任らの手入れが予想されていたが、そんなことはお構いなしに宴は盛り上がり、終了時にはダルマが数本床に転がっていた。(2003/03)
打ち上げ その2 (うちあげ2)
 昭和53年3月11日 卒業式終了後、秘密裏に行われた卒業祝賀会。場所は西中野公民館。 大学入試が終了しているので、飲めや歌えやの大騒ぎ。 一升瓶が何本も空き、やかん酒にコップ酒 あれだけのヨッパライが制服のままで全員補導されずに帰宅したのは奇跡ではないだろうか? しかし、その数日後、国立一期校の合格発表があり、受験生へ戻ることを余儀なくされる者が多数出現するのである。(2003/03)
運動会 (うんどうかい)
 4組は1組と合同で青龍団を組織した。 団長は1組の佐伯君。 競技・応援とも控えている実力テストなどものともせず頑張ったのだが、結果的には黄鷲団に僅か2点及ばず2位に終わった。 しかし、なんと言っても特筆すべきは最後の団別リレーでおーた・どうじんが牛蒡抜きで1着でゴールしたことである。(2003/03)
運命 (うんめい)
「ジャジャジャ・ジャ〜〜ン」で始まるのはベートーベンの運命交響曲であるが、「運命はかの如く扉をたたく」と解説されている。3年4組の運命は最後の1人になるまでミニクラス会を続け続けることであり、その内容はHPに永久に記録される。(2004/01)
英会話 (えいかいわ)
 思えば高校時代には英語の授業はあったが英会話の授業は皆無であった。そのためか、頭の中には変な発音(アイ・ティンク ザッツ・うぉず)がこびりついている。TOEICでのヒアリングのスコアが上がらない言い訳にしたいのだが、理解してくれる人は90回生の皆さんだけであろう。(2004/01)
ST (えす・ティー)
 2限と3限の間に偉大なる担任様がお出ましになる毎日のお勤め。 日々の学習を怠っているものにとってはありがたいお話に15分間をひたすら堪え忍ばなければならないのである。(2003/03)
越州村 (えっしゅうむら)
 富山高校から歩いてわずか10分のロケーションにあったレジャーランド。丸善パンの前の小径を行けば最短でパチンコ屋に到達することができた。昼休みに一稼ぎも可能な距離であるが、本当に実行した者がいたかどうかは定かではない。(2003/03)
エマニュエル夫人 (えまにゅえるふじん)
 このはなしは少々エッチだが、この時代はまだ遠慮があった。恥じらいがまだ少しはあった。今の映画はえげつないものが多い。ところで、我々はどうか。当時は少しは遠慮があったが、いまはおじさんも、おばさんも恥じらいがかなり消えて、強く強くなってしまった。60代になってしわしわになったら、きっと混浴の露天風呂の中で酒を酌み交わすミニクラス会ができることだろう。(2003/03)
エントロピー (えんとろぴー)
 マクロな系の「乱雑さ」を示す用語である。エントロピーは増大する方向に向かうのは定説であり、これは3年4組ミニクラス会での騒ぎ方が時間とともに増大することにもあてはまる。(2004/01)
大井町のネコ (おおいまちのねこ)
 ホームページ管理人と前期組長が密会する場所のひとつがこの大井町。何と言うことはない街なのだが、立ち飲み屋が多い。そして、町の繁華街の中心に魚屋が何件かある。そうするとネコがあちこちから集まってくる。すると、ホームページ管理人の頬がゆるむ。そして嬉しくなり飲みすぎることになる。出来たら東京・神奈川のミニクラス会をここでやりたい。もちろん、立ち飲みだ。1000円でお釣りがきてしまう。特に冷たい風が吹く日は嬉しくなってしまう。(2003/03)
大きな腹時計 (おおきなはらどけい)
 大きなデブの腹時計、お父さんのおなか
 :
 全然休まずにたっぷんたっぷん
 お母さんも一緒にたっぷんたっぷん
 いまは、もう、しぼまない、そのお〜な〜か〜(2004/01)
大雪 (おおゆき)
 我々の高校時代は概して暖冬傾向であったため、雪のために難儀した記憶は少ないのだが、昭和52年の冬(2年)には、富山市の最高積雪が141センチメートルを記録している。しかし、こんな日でも富山高校は休校にもならず、多少の学校にたどり着けない生徒・教師をものともせず授業が粛々と行われていたのは今から思えばすごいことである。でも、さすがに市電も止まり、家から8キロ近くを歩いて通学したときは疲労困憊であった。(2003/03)
オールド (おーるど)
 別名『だるま』、この酒を学生時代に常時服用できた人は幸せである。きっと貧乏とは無縁の優雅な生活を送ったに違いない。貧乏学生には「レッド」や一升瓶の「全国無名ウィスキー」がよく似合う(2004/01)
沖縄 (おきなわ)
 おーた・どうじん氏は沖縄のことに詳しい。今度、科学文化センターで沖縄特集を企画するので足繁く沖縄に通っているようである。カラオケでは沖縄に絡んだ唄もうたうし沖縄の酒にも蘊蓄があるようだ。いつかどうじん氏の企画で沖縄ミニクラス会をやってみたいものである。(2005/01)
奥田中学 (おくだちゅうがく)
 1974年当時、生徒数1200余名を抱えていた、県下最大のマンモス中学校。1学年で10クラスもあり。奥田・奥田北・柳町・豊田・広田の各小学校からの生徒が入り交じっていた。10クラス、400人も生徒がいると同窓生の顔など殆ど思い出せないのだが、なぜが3年4組には奥田中学出身者が4名も在籍していた。(学年では16名) そして、殆どの方がミニクラス会の常連(+これから常連になる)になっている。 (2003/03)
遅年会 (おそねんかい)
 新年会が“遅く”なってしまったので神島組長がネーミングしたミニクラス会の呼称、ミニクラス会のボルテージは間隔の長さに比例する(かもしれない)(2004/01)
おでんや (おでんや)
 おでんといえば、銀座のお多幸が有名だ。しかし、あえてこれに反して、東京都大井町のおでんやをすすめたい。なんのことはない。やりておばあさんの頑固おでんやである。『お兄さん! 私ビール飲んでもい〜い?』とお客のお金で勝手にビールを飲んでしまうばあさんだが、妙ににくめない。できれば、ここでミニクラス会をやってみたいが。参加者はおじさんしかいないだろう。ちなみに、このおでんやには「ベッカム」と呼ばれている猫がおり時折勝手口から入ってくる。今度行くときは、猫缶を持っていってあげることにしよう。(2003/03)
おはら節 (おはらぶし)
 一説によると、その当時、腹(はら)を出して踊リ、五穀豊穣を祈ったということらしい。おはら節といえば、富山県出身者はかならず越中おはら節を思い出すが、おはら節と名のつく民謡は実は全国に多い。その目的を考えればそうだろう。(2005/01)
重いコンダーラ (おもいこんだーら)
 これが分かる人は天才である。星飛雄馬が泣いて喜ぶに違いない。おもいこんだーらー、しれんのみーちーを♪、がなぜ、重いコンダーラに聞こえるのだろうか。そもそも、コンダーラとはなんだろうか。歌は心である。歌詞の意味をよく味わって歌いたいものだ。今度のミニクラス会では巨人の星をフルコーラスで歌いたい。待てよ、コードネームYUMIKA」にまた消されるか?(2003/03)


か 行
開運招き猫音頭 (かいうんまねこねこおんど)
 知ってる人は知っている有名な(?)歌である。組長がこれをホームページ管理人に贈呈した。これを彼は会社仲間とのカラオケで披露し、かなりのひんしゅくを買い有名になったとのこと。歌っている歌手は細川たかし。ひんしゅくを買ったとはいえ、組長としてはこの歌をミニクラス会のオープニングソングにともくろんでいる。(もちろん、エンディングソングは富山高校校歌だ。)が、そのためには[コードネーム YUMIKA」を攻略しないといけない。かなり前、あるカラオケでこの曲がかかった瞬間、なんと組長が歌う前に、この曲は彼女に消されてしまったのだ。あぁ・・・。(2003/03) 註:この曲は5題目まであり、全てうたうとしらけてしまう。2番程度で止めておくのが身のためである。
外国語 (がいこくご)
 ミニクラス会の3次会あたりで、お店の女性に、誰かが酔っ払って使い出す変なことばのこと。しらふの人が冷静に聞いたらとてもまともとは思えないが、本人は結構まじめな顔をして話している。変な英語、変な韓国語、変なロシア語、そして変なタガログ語等々。そして翌日は何を話したかほとんど記憶にないのである。 (2003/03)
外国語の効用 (がいこくごのこうよう)
 学校時代に学んだ外国語が今でも仕事で役に立っている人もいるだろうが、ほとんどの人はそうでもないだろう。しかし、変な外国はけっこう役に立つ。富山の桜木町や田舎の場末の飲み屋では中途半端な外国語風のことばがそれなりに通用する。最近、中国語や韓国語までけっこう人気があるようだが、飲み屋の女性の国籍とも関係があるのだろうか。(2004/01)
格技館 (かくぎかん)
 名前からして剣道や柔道をやるところなのだが、一般生徒にとってはここは“学年集会”の名の下に長時間の説教を聞かされる場である。とくに、長期の休みの前の説教は長く、○○のしおりなどというありがたい名前の冊子が配られ、詳細な説明が延々と続くのである。(2004/01)
学習生活実態調査 (がくしゅうせいかつじったいちょうさ)
 3年生に進学した4月に我々に対して行われたアンケート。 みな如何に勉強していないかが客観的に分かってしまい。先生方の“勉強せんかい”“こんな成績でちゃ、どこもはいれんちゃ”が日常的に我々の耳に届くことになる。(2003/03)
学生服と帽子 (がくせいふくとぼうし)
 高校三年生のときに帽子を被っていたかどうか記憶がない。当時は真面目だったからやはり被っていたか?当時の帽子を持っているのは、ホームページ管理人くらいか?あったら今度ホームページで公開願いたい。(2004/01)こちらをクリック
学帽 (がくぼう)
 今は存在しているのだろうか?、我々のころはかぶってこないと『コラ』と教育的指導がはいったものだが。真面目に3年間かぶり通した輩も何人かおり、そのなかの1名は4組のK君であったことをここに記録しておこう。ちなみにこの学帽、HP管理人の実家に>保存されている。(2003/03)
カクレ4組 (かくれよんくみ)
 04年、ミニクラス会は新たな局面を迎えた。新たな血が流れ始め、クラス間の融合が始まったのである。首都圏でのミニクラス会では従来の酒飲み友達からの脱皮が測られつつある。この原動力となっているのが「カクレ4組」の存在である。 飲んだくれているとまるで4組だったような錯覚に陥ることがある。でもまてよ、実はみんな最低1年間は****先生のクラスだったんだよね。あの空間と時間を共有したことは何事にも代え難い経験だ。(2005/01)
家族サービス (かぞくさーびす)
  もう四十路も半ば近くであるので当然大多数の方々には家族がいる。頻発するミニクラス会はいわゆる同窓会の常識を超越しており、出席にあたっては家族の理解が欠かせないので、常連さんは一部の方をのぞいて週末はマラソンで1キロ走るとか尻の皮がめくれるまで滑り台に乗るとか家族サービスに励まなければならないのである。 (2003/03)
合唱コンクール (がっしょうこんくーる)
 3年次のイベントではないが、ミニクラス会のときによく話題に上るイベント。 有名な混声合唱曲に挑戦したり、特に2年の時には自作の合唱曲を演奏した披露したクラスもあった。 “若い”ということは恐いもの無しだったのだなと感慨にふけるにはまだ早すぎるのであろうか?(2003/03) 
当時の曲目から→     
かっぱえびせん (かっぱえびせん)
 やめられない、とまらない、カルビーのかっぱえびせん。この宣伝を知っている人にあると、なぜかほっとする。ついこの前までこの宣伝があったような気がするが、いずれにしてもこの商品はロングランだ。三年四組のミニクラス会も次第に人が増えてきていて、まさに、やめられない、とまらない状態でうれしい悲鳴だ。(2005/01)
家庭科 (かていか)
 1,2年のとき、男子生徒がチャンバラや畳掃除をやっている間に女子生徒だけに課された科目。伝え聞くところによると、被服・調理ともその授業および試験は結構シビアなものだったという。なかでも、調理の時間、大根を使っての“かつらむき”の試験があったそうだが、極楽坂遠足で活躍した某女子生徒がどうやってこの試験をパスしたのかは謎に包まれている。(2004/01)
家庭訪問 (かていほうもん)
 その昔、管理人が小学生の時、兄の高校の先生が夏休みに突然やってきた。家庭訪問だという。その災難が、自分の身にも同じように降りかかるとは思ってもみなかった。 3年の夏休み某日、朝の爆睡中に****先生が「○○君、勉強しとりますか」と、自転車で突然やってきた。一番近いからだという。(もっと近い人がいるのに) こりゃかなわん、ということで。 夏休みも毎日登校して教室で勉強する羽目になったのは私だけではなかろう。(2003/03)
上滝線 (かみだきせん)
 立山山麓方面や秘境上市方面から通学する連中が使用していた交通機関。(実際は稲荷町-南富山間は不二越線) 当時、市電があまりにも混むためかどうかは知らないが、市電の定期券で電鉄富山-南富山間の乗車が認められていた。市電で****先生たちと顔を合わせたくない連中にとってはとっておきのバイパスであったことは想像にかたくない。(2003/03)
神頼み (かみだのみ)
 人生四十路になると運を天に任せることが何度もある。しかし、必ず願いを叶えてくれるわけではなく出雲の神様にお願いしたのに配偶者に恵まれなかった人や太宰府の天神様にお願いしたのに学業で苦労した人もたくさん居る。こんな人は神島組長にお願いしてみよう。名字に『神』が入っているのだから、きっと御先祖様になんらかの神様がいて、紹介してくれるにちがいない。しかし、その神様が貧乏神であったり、酒の神「バッカス」だったとしても責任はとってくれないので念のため。(2004/01)
「神ちゃん」と「あみちゃん」 (かみちゃんとあみちゃん)
 神島組長は時折、MLのなかで自分のことを「神ちゃん」と称することがある。また、「あみちゃん」とは月岡先生の家のヘルパーさんであり、ヨコハマ・ビール祭りでは突撃電話でご登場頂き、神島組長をはじめ、酔っ払いのお相手をしていただいた。発音が極めて似ているが、いまのところ何の関係もない。今度、町田で一緒に飲んでお友達になりたいものだ。(2004/01)
カラー (からー)
 学生服の襟のカラーはすぐ割れる。そして、その割れ目が首に触れると痛い。それで応急処置としてセロテープを巻く。それでも、がさがさして気持ちが悪い。気持ちが悪いと授業に集中できない。集中できないので、別のことを考える。別のことを考えると楽しい。だからやはり授業に集中できない。このような態度は今でも変わらない。(2004/01)
カラオケ (からおけ)
 ミニクラス会の二次会または三次会は間違いなくカラオケとなるのだが、誰が何を歌ったのかをHP管理人は全て手帳に書き留めており、後日ホームページで公開される。ワンパターンではあるが、考察やコメントが結構面白い。 統計的な解析も行われており、これも、結構楽しめる。(2003/03)
カラオケ狂団 (からおけきょうだん)
 一次会でけっこう盛り上がり、気がつくと二次会または三次会でカラオケのマイクを奪い合っていることがある。毎回、ワンパターンと言われても、結局ここにいる自分たちに気づくことになる。まるで、『またかよー』と最初は文句たらたらだが、始まると目が真剣になるビンゴゲームに似ている。ちなみに、神奈川近郊のミニクラス会の狂祖はYUMIKAか?(2004/01)
幹事 (かんじ)
 幹事といえば、やはりホームページ管理人だろう。実に流れるようにミニクラス会を運営してくれている。だが、その裏には影の管理人がいる。自分の思うとおりにならないと彼女に蹴飛ばされるのである。誰かって?言うまでもないだろう。(2004/01)
漢字忘れ症候群 (かんじわすれしょうこうぐん)
 幹事が欠けない。「かんじがかけない」とパソコンで書いたらこのようになった。パソコンは頭がいいと思っていたが、なんだ大したことないじゃないと思ってしまう。でも、漢字が間違っていても書けるのはいい方だ。あの漢字はなんだっけとペンが進まない自分に唖然とするのは自分だけであろうか。ところで、幹事が欠けない、というのはどういう意味だろう。幹事が欠けることがないということは、常に幹事がいるということか。ならばミニクラス会は永遠に続くことになる。(2004/01)
神田川 (かんだがわ)
 東京でこの川を実際に見たことのある人は、その昔流行った歌の本当の意味合いを理解できることであろう。この川を夕暮れ時に見ると本当になんともやるせない気持ちになる。そしていま東京には銭湯が数えるほどしかなくなっている。また三畳一間のサイズの下宿はもうないだろう。当時、豊島区に住んでいたムヒ氏のアパートでさえもう少し広かった。(2004/01)
漢文 (かんぶん)
 高校時代漢文に難儀した方は多いと思う。特にH教諭の漢文の授業は「白文」を読ませられるので大変だった。しかしそのおかげで耳に残る漢詩の一節がある。 
「勧君更尽一盃酒」「一盃一盃又一盃」飲んだくれの我々にとってなんとすばらしい響きであろうか。(2004/01)
記憶 (きおく)
 ある本のなかのくだりに、「ひとは一度であったひとと終生別れることはできない、それは人が人である証である。なぜなら、人には記憶があるからである」という一節があった。我々の記憶の中には生まれて以来出会った多くの人の記憶が残されているはずである。皆さん、4組の連中の一人一人を思い出すことはできますか? 記憶が曖昧な人はこちらのめいぼスペシャル版へどうぞ。(2004/01)
帰省 (きせい)
 訳あって県外に居住している者が富山に帰る時期はお盆か、正月だ。だからミニクラス会はその時期に設定している。もう少し出席者が多いとさらに楽しいと思うが、毎年出席者が増えているのは嬉しい限りだ。でもその費用までは、いまのところミニクラス会では面倒見切れない。(2004/01)
君の名は (きみのなは)
 この年になってくると、人によりその程度はちがうものの、記憶力の減退を感じる。特に、いろんな仕事上の情報などを、項目ごとに分類して保存している人に多い。情報を分類した、その分類名が思い出せないのだ。これを俗に、君の名はシンドロームという。いっそのこと、分類をやめれば、この問題はバッチリ解決する。(2003/03)
90回生 (きゅうじゅっかいせい)
 ひょんなことで富山高校の卒業生と遭遇したりすると、「何回生ですか?」と聞かれることがよくある。その際、自信を持って90回卒ですと答えられる方は希有な存在であろう。酔っぱらっていたりすると±5は当たり前、中には兄弟姉妹や親の回と一緒の回数を答えてしまう輩もいる。しかし、先生の名前で話が合わなくなり結局自分が何回生か分からなくなってしまうのである。(2005/01)
教育県 (きょういくけん)
  就職してから『富山県出身』と自己紹介すると、『勉強が大変だったでしょう』と哀れみの声をかけられた。首都圏では、富山というと、長野とともに『教育県』の代表格と思われており、子供は自由に遊ぶことも出来ない県と認識されているのである。(2003/03)
教室の掃除 (きょうしつのそうじ)
 授業終了後に、教室の掃除はみんなでやっていたと思うが、最近の学校ではそんなことをあまりしなくなったと聞いた。すべて専門の業者がやるのだそうである。それでいいのだろうかという疑問もあるが、考えてみると、働いている今、仕事が終わった後に我々も職場の掃除を自分でやっているわけではない。これとそれは違うか?(2004/01)
共通一次 (きょうつういちじ)
 3年4組のときに、全員で共通一次のプレテストを受験したはずである。が、ラッキーなことに本試験を受けたものは少ない。前期組長と後期組長はそろいも揃って本試験を受けざるを得なくなった。科目は国語、数学、英語、理科二科目、社会二科目の合計七科目だが、もしいま受験したら半分くらい取れるだろうか?(まぁ、無理だろう・・・)(2004/01)
清らなるもの額に迫る (きよななるものぬかにせまる)
 何度聞いても、意味がよく分からない。こういうことかなーという気がするのだが、だれか正確に教えていただきたい。まてよ、この字であっているんだっけ?(2003/03)
校歌の歌詞
吟醸酒と純米酒 (ぎんじょうしゅとじゅんまいしゅ)
 これからのミニクラス会では日本酒の銘柄よりも、製造方法にこだわりたい。あと、お酒を飲めても多分57年間くらいだろう。だとすれば、厳選して楽しく飲まなければいけない。ということで、醸造用アルコールを添加した日本酒はなるべく避けたい。そして、飲む量にこだわってはいけない。年齢を考えながら、適量をなめるようにして味わおう。今度のミニクラスでのお酒は、銀盤または幻の瀧の吟醸または贅沢して大吟醸にしてみよう。そしたら、きっとコードネーム「YUMIKA」も、哲おじさんも泣いて喜ぶぞ。(2003/03)
空 (くう)
 「そら」とか「から」ではなく、できれば「くう」と読んでもらいたい。別に仏教の宣伝ではない。この世のすべてのものには常なるもの、永遠のものはないという意味だそうだ。その証拠に、ミニクラス会で盛り上がっていろんな話が出るが、それを翌日に実行することはおろか、記憶すらしていないことがほとんどだ。だが、ホームページ管理人だけはすべてを覚えていて、翌日の朝にはその状況を実況報告する天才だ。今後、彼のことを「尊誤空」さんと呼ぼう。(2003/03)
クマ (くま)
 04年の富山県はクマの当たり年であった。年間の負傷者数は全国トップ。そして11月にはムヒの実家にまで出現している。 ここで忙しくなったのは植物学者のお〜た・どうじん氏、なんとエサに関する解説でNHK全国放送にまで登場した。 怖いクマは勘弁であるが、同級生のクマちゃんには是非ミニクラス会に出てきてほしいものである。(2005/01)
組長 (くみちょう)
(1) 闇の組織の代表者。
(2) 3年4組の代表者。このホームページでは神島組長のことをさす。 町の中で飲んだくれて『おい、組長! 次はどこだ』などと言っていると周囲の方が何事かと振り向く。神島組、KAMISHIMA ENTERPRIZEなどの組織名で存在しており、その下部組織には『ボス』と名乗る男や『コードネームYUMIKA』という女も存在する。(2003/03)
クリミア戦争 (くりみあせんそう)
 これは1853年に起きた。だからどうしたと言われそうだが、別に深い意味はない。今でのこれをおぼえている人はおめでたい。同じ時期に日本で起きた出来事はなんだっただろう。江戸時代の末期だが、世界がますます狭くなり始めた頃だ。共通一次では役に立った知識だが、いまはまったく必要がない。まるでトリビアみたいだ(2005/01)
黒部川物語 (くろべがわものがたり)
 おーた・どうじん氏が一部を執筆した黒部川に関する本。氏はこの中で「アキグミ」についての章を担当しておりそのなかで人間が自然を破壊し人工的なものに変えていくことがいかに怖いことなのかを切々と書いている。(2005/01) どうじん氏執筆分はこちらから読めます。
けいこ (けいこ)
 3年4組には「けいこ」さんが3人いる。「大門桂子」さん、「長瀬啓子」さん、「西原圭子」さんである。 彼女ら3人の共通点は?? そう、3人とも酔っ払い集団を恐れずにミニクラス会に参加してくれた方々である。 1回出れば免疫(?)ができるのでこれからもきっと出席してくれることであろう。(2004/01)
経済 (けいざい)
 景気がよくない、とよく言われるが、果たしてそうだろうか。経という字は「縦糸」を意味するそうだ。今は、縦糸と横糸がうまくからみあっていないのだろうか。こういうときは、ミニクラス会も『和民』か『魚民』クラスになるかもしれないが、それでもいい仲間が集まれば楽しいものだ。今度は『和民』にしよう。
(和民(わたみ)、魚民(うおたみ)と発音する。首都圏の安い飲み屋チェーンの代表各、学生がいてうるさい店も多い。ミニクラス会はこのような店ではやりたくない)(2003/03)
芸術科目 (げいじゅつかもく)
 2年の時までは音楽・美術・書道から1科目を選択できたが、何故か4組は音楽選択者が多い。これと、ミニクラス会におけるカラオケの興隆と無関係でないことは危険率1%以下で有為である。また、カラオケの最後に歌われる心の歌、『富山高校校歌』が混声四部合唱になるのもすばらしい。 ♪清らなるもの額にせま〜る♪(2003/03)
刑務所 (けいむしょ)
 いまの富山科学センター(?)があるところに、我々が高校生の頃は刑務所があった。悪いことをすると、じんだはんに捕まってあそこに容れられると脅されたものである。時代が変わり、そこは広い公園ができ、また科学と芸術の館ができた。しかも、そこには大田氏がどっしりといるではないか。これも何かの縁であろう。(2004/01)
契約 (けいやく)
 男と女の契約は結婚である。3年4組の仲間通しには何の契約もない。それではつまらないので、たとえば、5回続けて参加すると、1回他の参加者のご馳走になれるという契約を結んだらどうだろう。結ぶと、ご馳走する義務も生じる。果たして賛同者はいるだろうか? (2003/03)
軽四とバイク (けいよんとばいく)
 今を去ること20+α年前、日本全国至る所で目撃された某組長の諸国漫遊につかわれた交通機関。 諸国漫遊は単独で行われたが、その目的はいまだに謎である。 しかし、1カ所に数日間は滞在し、その周辺に住む同級生の下宿等に泊まり、毎日へべれけになるまで飲んだくれていたのは事実である。なかでも、昭和55年頃に敢行された、金沢・弘前・東京への漫遊は有名である。(2003/03)
外科医 (げかい)
 大根や人参を切ることはできないが、胃ガンや大腸ガンは手術で切ることができるブラックジャックににもひけをとらないすばらしい腕をもつ4組卒業生のお医者さんのこと。 (2003/03)類義語:あやまち医者
げげげの鬼太郎 (げげげのきたろう)
 げげげの鬼太郎といえば水木しげるであり、この絵が車両の外側全体に描いてある鳥取県境港市が有名だ。当時、げげげの鬼太郎をよく見た人もいるだろうが、他に妖怪人間ベム、ベラ、ベロも不気味だった。ど根性がえるもあったし、アタックナンバーワン、ひょっこりひょうたん島もあった。ところで、その当時やっていたガボテン島というマンガを知っている人はどれくらいいるだろうか。(2005/01)
下宿 (げしゅく)
 『三畳〜一間の〜小さな下宿〜♪』 我々は神田川に歌われたような間借りを経験した最後の世代ではないだろうか。昔は、コンパ有り・麻雀有りとハチャメチャができる環境が整っていた。今の学生の小綺麗なワンルームマンションではとてもそのようなことをやりそうにはない。ミニクラス会のハチャメチャも当時を偲んでの所作なのだろうかと考えてしまう。(2003/03)
Chemistry (けみすとりー)
 HP管理人の浮き世の職業のこと。01年に『課長!ケミストリーって知ってます?』の宣伝があったが、この質問を家族から出され、『化学にきまっとろうが』と胸を張って答え、失笑を買い、今でも家中のからかいのネタにされている。これではあまりにも悔しいので、1曲ぐらいは歌いたいと、必死で練習中である。『な〜つぐさが〜♪』。(2003/03)
ゲロ袋 (げろぶくろ)
 飛行機や長距離バスの座席に備え付けてある防水処理を施した袋。“気分が悪くなったときにお使いください”と書いてある。 ここでのゲロ袋とはスーパーでもらった茶色のレジ袋であり、20数年ぶりにミニクラス会に出席した月岡嬢が神島組長に持参することを要求し、2001年の忘年会で実際に登場したが使われたどうかは定かではない。 (2003/03)
研究社 (けんきゅうしゃ)
 この出版社の辞書はすばらしい。これのすばらしさが本当に分かる者は、高校の英語の時間中にS先生に頭をすこぶるたたかれたものだけだ。ずしーんとくる。でもこういうことを生徒にするとやがて本人に天罰が下ることになる。(2003/03)
現国 (げんこく)
 「現代国語」のことである。小説が題材の試験で、「主人公の心情を述べよ」等の設問があったが、そんなことは著者にしか分からない。大きなお世話だと答案に書いたら、H先生に大目玉を食らった輩がいたとかいないとか。(2004/01)
校閲 (こうえつ)
(1)書籍等の文章表現に間違いや不適切な箇所がないかをしらべること。(2)この用語事典の内容を校閲することを目的としてミニクラス会を行うこと。もちろん酔っぱらっているので正常な判断を下せるわけがなく、内容の校閲状況はごらんの通りである。(2003/03)
甲乙 (こうおつ)
 「甲乙」といえば、英語を想い出してしまうのは富山高校卒業生の性(さが)である。ところで、何故、リーダーが「甲」、文法が「乙」なのであろうか?だれか詳しく説明してくだされ。(2004/01)
校歌 (こうか)
 ミニクラス会の二次会・カラオケが、お開きというときになるとHP管理人の指揮により歌われる心の歌。参加者に音楽選択者が多いので混声四部合唱になる。『きよらな〜るものぬかにせま〜る♪』。(2003/03)
校歌の歌詞
後悔 (こうかい)
 よく、後から後悔するよ、などと言っているのを耳にする。事が起こる前には後悔できないから、後から後悔するというのは変な日本語だ。これは、馬から落ちて落馬する、と言うのと同じではないですか。高校時代には後悔することが山ほどあった人も、ぜひミニクラス会においでください。それこそ、後で後悔はさせませんぞ。(2005/01)
公会堂 (こうかいどう)
 地方出身者にとっては、富山市の公会堂は憧れだった。中学生のときに、かぐや姫のコンサートを見たのがここ。それ以外に入ったことはないが、いつかまたいってみたい。ところで、いまも当時の公会堂はあのまま、あそこにあるのでしょうか?(2005/01)
公会堂のあった場所には全日空ホテルが建っています。いつかここで大クラス会をやってみたいものである。
後期組長 (こうきくみちょう)
 いまのところ沈黙を守っている、元3年4組のシャドープレジデントのこと。一見、ハードボイルド風だが、はにかんだ微笑がかわゆい、と言う女性が多い。前期組長としてもこんなふうに言ってもらいたいとは常日頃思っている。(2003/03)
校長室 (こうちょうしつ)
 富山高校を卒業した後に母校に行ったことのある人もいると思うが、校長室がどこにあったか記憶しているだろうか。そして自分たちが入学したときと、卒業したときの校長先生の名前と顔が一致するだろうか。残念ながら記憶にない人が多いのでは?組織の長は常に変わるので覚えにくいものだ。(2004/01) 註:入学したときは「八十島喜助」先生、卒業の時は「屋敷平州」先生ですぞ!
更年期障害 (こうねんきしょうがい)
 四十路も半ばとなるとからだのあちこちにガタがくる。脳味噌が足りないのはもともとなのだが、肩こりや手足の冷えはボディーブローのように我々を苦しめる。更年期障害は男性にも存在し男性ホルモンの分泌不良が原因であることがわかっているが、その程度は昔やった悪行の程度に正比例するそうである。このような症状を抱えている人はYUMIKA先生に相談してみよう。きっと完治するまで面倒を見てくれるはずである。しかし、その治療がどんなものであっても文句をつけてはいけない。(2004/01)
ゴールドフィンガー (ごーるどふぃんがー)
 フルートを吹くときのホームページ管理人の指はまさにショーンコネリーも顔まけである。そして見たことはないが、患者を野菜のように扱えるユミカの指もそうに違いない。それに比べ、酒を飲まないと震えが止まらない人はどうしたらいいのだろう。高校時代にはこんなことはなかったのだが・・・。(2004/01)
こきりこ節 (こきりこぶし)
 富山県人なら歌えなくてはいけない、おらが県の名曲だ。当時の中学2年の教科書にもちゃんと入っていた。(今はどうなのだろう)この歌が、三番まであることを知っている人は少ない。(2005/01)
極楽坂遠足 (ごくらくざかえんそく)
 受験勉強のストレスのガス抜きのために企画された野外料理大会。我が3年4組は理系のクラスながら16名者もの女子生徒を擁しており、皆、料理は得意(?)なので誰の班になっても安心とたかをくくっていたかどうかは定かではないが、至上の幸福を味わった者、エサを求めてさまよった者とが入り乱れ阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられようとは誰も思っていなかったに違いない。 この話はクラス会が消滅するまで語り継がれることであろう。(2003/03)
護国神社 (ごこくじんじゃ)
 その昔、日本人は、人知を超えるものに神性を抱いたらしい。その象徴の最たるものがいまの神社であり、富山にもある。東京の靖国神社は大きい。こういう神社でさわいで飲むお酒は格別だ。それを、お神酒という。でも神様にも少しあげないと、ばちが当たることになる。(2003/03)
心を亡くすとどうなるか (こころをなくす)
 中間管理職は忙しくつらい。「忙しい」という字は、心を亡くすと書く。そして「忘れる」という字も、同様に心を亡くすと書く。これはまさに忙しさは忘れることに通じる。逆もまた同様か。心を亡くさない方法の一つは、大勢の人と楽しいひと時を持つことだ。仲間を連れ添ってぜひ最低でも年二回はミニクラス会へどうぞ。(2004/01)
個人面談 (こじんめんだん)
 『こんな成績でちゃ、どこも入れんちゃ』 『なに夢みとんがけ、いいかげんにしられ』『何勉強しとんがいね』『やる気あんがかよ』お小言を担任様よりいただく面談。これらの言葉は保護者へも伝わっており、我々に何倍も増幅されて跳ね返ってくるのである。(2003/03) 註:このような言葉をかけられなかった優等生も存在している。
五福の飲み屋 (ごふくののみや)
 昭和55年夏。 第一回のクラス会が開かれたのは富山大学近くの飲み屋であった。首謀者である神島組長は無謀にも月岡嬢と一気のみのじゃんけん対決をやり、負け続け、そして完全に潰されてしまった。組長と月岡嬢との因縁の対決は20数年を経た今、場所を富山・横浜・町田・新宿・渋谷と変えながらいつ果てるともなく続くのである。(2003/03)


さ 行
斉藤トラベルサービス (さいとうとらべるさーびす)
 ミナト・ヨコハマを知り尽くした斉藤哲氏のパーソナルカンパニー。横浜で行われるミニクラス会の企画・運営はこの会社が受け持っている、特に中華街は彼のシマであり、店探しは彼に任せておけば間違いはない。 KAMISHIMA Enterprizeの関連会社であるかどうかはさだかではない。(2004/01)
酒場と居酒屋 (さかばといざかや)
 酒場とは単に酒が飲めればいいところ、居酒屋とはゆったりと座って話をしながら呑むところのはずであるが、最近、この言葉は誤用されていることがある。よく場末の酒場などというが、そういうところに入ると賑やか過ぎて興ざめすることがある。でも三年四組の飲み会場所にはいいかもしれない。(2004/01)
さくら (さくら)
 富山高校には桜の木が多い。森山直太郎の唄う「さくら」の一節「さくら並木のあの下で、いつか、会えるよ」を聞くと校庭南側の桜並木を想い出す。しかし、この桜の木、毛虫が多く、ブラスの連中が練習中に楽器を這ってきた毛虫に刺され指が普通の2倍の太さになってしまうのは日常茶飯事であった。(2004/01)
桜木町 (さくらぎちょう)
 一般に桜木町といえば、横浜・みなとみらいの最寄り駅。ランドマークタワーやコスモクロックへ行くにはここで降りる。しかし、富山に育った我々は違う。桜木町といえばそれは禁断の町。高校生の時は近寄ることもできなかったが、社会へ出ればこっちのもの。二次会・三次会...n次会と楽しみは広がります。ここでは外国語ができる方がもてる。英語はもとより東南アジア系言語がいいらしい。 それと最近は、北方のロシア語などを片言でも話すことができればもっと楽しめるらしい。(2003/03)
酒飲みともだち (さけのみともだち)
 横浜・川崎・町田近辺に住むおじさん・おばさん4人組のことをさす。02年は同じメンバーで5回ものミニクラス会を行い、二次会のカラオケでは毎回終電まで歌い続けた。当然、酒量も相当なものであり、某組長は毎回記憶をなくし、会費を払ったかどうかまで思い出せないブラックアウト状態になる。何が彼らをここまで駆り立てるのか、それは、そこにミニクラス会があるからだと言っておこう。(2003/03)
ささやん (ささやん)
 別名「すだれ満月」ともいう。これほどの愛称を持って呼ばれた先生も珍しい。彼は我々をバカにはしなかったので、やっぱりいい先生であった。今後も彼をだめおやじと呼んではいけない。元気にされてるであろうか?(2003/03) 註:ささやんは雄峰高校の校長を最後に教職を引退された。時折総曲輪のパチンコ屋で目撃されるとのことである(2005/01)
猿と子猿 (さるとこざる)
 3年4組の最前列で『うぎゃ〜、あぎゃ〜』奇声を発し、後方からうるさいと某女子生徒に足蹴にされていた約2名をさす。時には怒りの鉄拳が飛ぶこともあった。(2003/03)
山岳部 (さんがくぶ)
 富山高校の運動系部活動の中では数少ない高校総体レベルを誇る。しかし、我々にとっての山岳部の印象とはやっぱりS君の歌う『女子校のうた』である。「♪じょ〜しこうの おね〜ちゃ〜んと○○やりたいな♪」(2003/03)
サングリア (さんぐりあ)
 赤ワイン、ジュース、炭酸水を混ぜてつくったお酒のこと。語源はスペイン語のsangre(血)だと聞いた。ミニクラス会のあと、これを飲ませろという命令により一杯だけ注文したが、もう一杯!さらに一杯ということになった人がいた。場所は東京都町田市にちかい、とある私鉄の構内ドリンクバーだ。後日、大丈夫だったかと聞いたら、本人は全く覚えていなかった。本人の名誉のために名前は言わないが、血を見ても怖くない職業の人であることは確かだ。(2003/03)
三十三間堂 (さんじゅうさんげんどう)
 京都の観光場所のことではない。昭和64年1月2日にクラス会を催した場所。いまでもこの店はあるのだろうか。ちなみに、 出席者は19名。女性は、中塩、石崎さん。男性は、寺島、松森、鏑木、高松、斉藤(哲)、稲場、宮本、小林、城生越、斉藤(修)、泉、河上、池田、狐塚、太田、北川、神島。30歳前後のときで、皆まだ足腰はしっかりしていた。最近会えない仲間がその当時はいたが、いまどうしているのだろう(2003/03)
サンドイッチマン (さんどいっちまん)
 これはかなり昔、流行った唄である。サンドイッチマンとは胸と背に看板をぶら下げて人ごみを歩く人間のことであるが、そうではなくてサンドイッチを作る人のことを言うのだろうと思っていた自分が恥ずかしい。ちなみに、我々の高校卒業のときにこの歌を披露してくださったのは、あの****様である。(2004/01)
3年1組 (さんねんいちくみ)
 運動会では合同で青団『青龍団』を組織した。4組同様、2年7組出身の連中が多く、結構思考回路が似ていたのではないかと思う。(異説に青団のことをアホ団という人もいる)合同でクラス会ができれば、ざぞ濃いキャラがそろっているので盛り上がることは間違いないであろう。しかし、その後はどうなるか想像もつかない。 一度やってみませんか? >> 3年1組の皆さん(2003/03)
3年4組 (さんねんよんくみ)
 言わずとしれた我がクラス。選択科目の混成部隊を考察してみると...
[理科]物理・化学、生物・化学の選択者が存在している。生物選択者の多くは物理を嫌っての選択であるが、『志』をもって生物を選択した方も少なからず存在する。しかし、当時、理系の学部は例え医薬系であっても物理・化学必修が圧倒的に多く、生物・化学の選択には志望校の幅が狭まるというリスクをおして相当の決断が必要だったと思われる。
[社会]世界史・日本史・地理の選択者が存在する。日本史・地理は2年次からの継続であるが、世界史は1年次に「ちょこっと」やっただけであり、僅か1年で全範囲をカバーしようとする世界史選択者は『無謀』な賭けにでたのである。
つまるところ、選択科目の半端者が押し込まれたのが3年4組と言えよう。しかし、4組は理系のクラスながら女子生徒数が16名と純文系クラスである5組と遜色ない人数を誇っていた。この数字が吉と出たか凶とでたかは卒業後20数年たった今でも結論はでていない。(2003/03)
3年4組の川柳 (さんねんよんくみのせんりゅう)
 第一生命のサラリーマン川柳はおもしろい。たとえば、「やせてやる これ食ってから やせてやる」「ボディコンを むりして着れば ボンレスハム」などなど。最近、法律の中にもみつけた。民法第882条「相続は 死亡によって 開始する」・・・法曹の中にもおくゆかしい人がいて安心しました。ところで、3年4組川柳コーナーを設けませんか。そしてその年のベスト3位までは、日本酒「立山」2合を一気飲みする権利をあげよう。「立山や あぁ立山や 立山や」(2004/01)
三バカトリオ (さんばかとりお)
 高校時代に、三バカトリオと言えばA、B、Cだが(いったい誰だろう?ヒントはNとMとMだ。)、その中に我が3年4組のメンバーが一人も入っていないのはまことに残念だった。悔しいので、中年になったいま、3年4組出身者から3バカトリオを出そう!といっても、現状からして、もうすでに10バカ位いるかもしれない。(2003/03)
司会者 (しかいしゃ)
 今を去ること約15年前、神島組長は多くの知人の結婚式の司会者を務めていた。その仕事ぶりはプロの司会者をしのぎ、本業として十分やっていけるレベルのものであった。但し、これらの技は司会をやっている間にもある液体を体内へ連続的に補給することによって維持されていたということも補筆しておこう。(2003/03)
指揮者 (しきしゃ)
 ミニクラス会のお開きが近くなると我が富山高校校歌を高らかに歌い上げるのであるが、そのとき管理人がマドラーやポッキーを手に指揮者をやる。これは中学校から大学までフルートを吹く傍ら、指揮者稼業もやっていたなごりであり、本人は条件反射である言っている。確かに音楽の事に関しては彼は確かに『識者』であるのだが、彼の行状を考えると人によっては『色者』の間違いであると主張する人もいる。(2003/03)
しけたん (しけたん)
 試験に出る英単語、という本があった。これはいまでもベストセラーの一角を占めているそうである。これは通常の単語集とは違い、アルファベット順ではなく、試験に出る頻度順でならんでいるため、aから始めてabandonで諦めるということはない。が、それでもやっぱり頭に入りにくい。ということで、こんな、しけたものは使ってはいけない。反論大いに結構。(2003/03)
市電 (しでん)
 富山高校のかなりの人及び教師が通学通勤に使用する交通機関。朝の8時から8時30分の間の混雑は大変なものであったが、まわりが女子校のおね〜ちゃんばかりだとその日一日がいきいきしていた輩もたくさんいた。 しかし、****先生と同じ電車に乗り合わせると大変。殆どの男子生徒は制帽などかぶってこないため、電車の中および大町電停から教室までの道のりはスリルとサスペンスにあふれた修羅場と化すのである。(2003/03)
自転車通学 (じてんしゃつうがく)
 富山市はほとんどが平野であるため、自転車通学をしていた人はかなり多い。片道10キロメートル程度までは十分通学可能な範囲であった。しかし、天候がよいときはいいが、雨・みぞれ・雪の時は到底まともに通学が出来ないため、たいていの人は公共交通機関に乗り換えるのだが、なかには雪の中、自転車を担いで通学する猛者がいたことは特筆すべきことであろう。また、女子高生がいる市電にも乗りたいが富山港線や北陸線の本数が少ないことを理由として富山駅裏に自転車を停める『半自転車通学生』もいたことも記録しておこう (2003/03)
社会科教室 (しゃかいかきょうしつ)
 富山高校へ入ったとき、「理科室や音楽室は当然として、なんで社会科教室があるのだろう」と不思議に思った。授業で使われることはなかったが、ここは、3年の1、2月、学校へは来るのだが、4組の教室へは行きたくない連中に格好の勉強(?)場所を提供してくれた。時間に縛られることもなく、授業中に堂々と食堂へ行くことも出来た。(2003/03)
修学旅行 (しゅうがくりょこう)
 富山高校には修学旅行はない。それどころか、富山県下の普通科高校には修学旅行はない。 大学へ入ってから、修学旅行とは中学生が行くものとおもっていた富山県人は他県人の九州や北海道へ行ったという話を聞き、カルチャーショックに陥るのである。 しかし、修学旅行の代わりが『極楽坂遠足』だとしたら、それはなんという仕打ちなのだろうと思ってしまうのは私だけではないだろう。(2003/03)
住環境 (じゅうかんきょう)
 富山県は住みやすさ全国ナンバーワンだということが、毎年のように新聞や雑誌に出るのを見るが、どのようなデータをとっているのか一度詳細に見てみたい。そして逆にどのようなデータが入っていないのかも見てみたい。自分たちが生まれ育った県なので評価されるのは嬉しいことだが、暖冬という噂にもかかわらず最近の大雪で住みやすさナンバーワンはどうなのだろう。でも富山県ばんざい。(2004/01)
柔剣道 (じゅうけんどう)
 高校の体育の授業では選択制で、柔道か剣道があった。夏はいいのだが、冬は寒くて苦痛だった。我が三年四組では、北川氏ががぜん光っていたように記憶している。彼は今いずこにいるのだろう。またカムバックしてほしい。そして気前よくまたおごってほしい。おーい、きたがわさーん!(2004/01)
就職 (しゅうしょく)
 三年四組のみんなは今どこで働いているのだろう。医師、歯科医師、教師、技術者、社長、公務員が何人かはいるが、サラリーマンがやはり一番多いのではないだろうか。医師、歯科医師、教師は俗に先生と呼ばれることが多いはずだが、二次会で桜木町に行くと、それ以外のものも含めて全員が先生と呼ばれる。しかし、そのように呼ばれるための料金は決して安くはない。(2004/01)
10大ニュース (じゅうだいにゅーす)
 京都・清水寺恒例の04年の時は「災」 10大ニュースでは「災」に関するトピックスが上位に入った。3年4組の10大ニュースでもYUMIAK入院やクマ騒動が上位にはいった。我々ももう若くはない。無理をせずに「災」に合わぬようながーく生きたいものである。(2005/01)
18歳 (じゅうはっさい)
 神島組長の発声による「皆さん、十八歳に還って飲みましょう」でミニクラス会は始まる。 すると、「18歳は未成年だ飲んではいけない」の声が挙がる。しかし、まてよ、当時、運動会の打ち上げ等で既に飲んでいたではないか、堅苦しい項とは言わず、ま、一杯 「かんぱ〜い」(2004/01)
十八歳(2) (じゅうはっさい(2))
 一部の人を除いて、私たちは十八歳で富山高校を卒業した。そして、卒業式の後の酒盛りの盛大だったこと。何よりもよく飲んだ。だから、今のミニクラス会においては乾杯のときに、「十八歳のときの気分に戻って、かんぱ〜い」と言っている。気分だけ過去に戻るのがミソだ。からだは正直すぎて、お願いしても戻ってくれない。(2005/01)
修業 (しゅぎょう)
 人生は修行だと誰かが言った。水戸のご老公様の取り巻きも歌っている。人生、楽ありゃ、苦もあるさ。でも3年4組のメンバーはミニクラス会では、楽の追求をしよう。じーんせーいー、でーきればーらーくしーたーい・・・♪。(2003/03)
酒席研究員 (しゅせきけんきゅういん)
 HP管理人の職名。そのむかし、神島組長に名刺を渡したら、『ミスプリ発見』と修正されてしまいました。理由など説明するまでもなかろう。(2003/03)
出席順 (しゅっせきじゅん)
 3年4組の出席順1番は浅野達也氏。今どこでどうしているのだろう。出席順の最後は森山千佳子さん。彼女も今どこでどうしているのだろうか。たまには連絡をもらいたいものだ。が、消息を知っているものはいないみたいだ。おーい(2003/03)
純粋数学 (じゅんすいすうがく)
 クラスのホームルームでの、「純粋数学を勉強したいと言う気持ちが分からない。」との組長の一言が、Oさんの逆鱗に触れてしまった。その後、彼女の消息は不明である。組長としては、是非お詫びをしたいので、首を長くして連絡を待ち続けている。 (2003/03)
上界と下界 (じょうかいとげかい)
 仏教用語ではない。非日常の世界のことだ。もう少し言うと、懐かしい友に会い、杯を傾けハイな気分になると上界といい、いい気分で飲みすぎて家路の途中で気分が悪くなると、そこは下界だ。それでは上界でもなく、下界でもない世界とはどういうものなのだろうか。誰か教えてほしい。(2003/03)
紹興酒 (しょうこうしゅ)
 このお酒は不思議なお酒だ。横浜のとある中華料理屋で1本だけ注文すると、2本目以降は無料になるというのだから。でも、誰でも可能というわけではない。長年の経験と熟練技をもったS君にしかこの芸当はできない。素人がやると、1本で3本分くらいの料金を吹っかけられるかもしれない。この技を見たい人は是非ミニクラス会へ(2003/03)
焼酎 (しょうちゅう)
 焼酎というと昔はあまり良いイメージを持っていない。焼酎=アル中の図式が自分の存在と重なってしまう読者の方もいるであろう。しかし、時代は変わった! 焼酎のマイナーなイメージは払拭され、いまや全国を席巻する勢いである。ミニクラス会でも是非「焼酎の会」を開催してみたいものである。(2004/01)
浄土真宗 (じょうどしんしゅう)
 富山は浄土真宗の県である。親鸞聖人の影響だということだが、果たして三年四組のメンバーにそのような意識はあるのだろうか。また自分たちの親が仏壇の前で手を合わせているのを何度も見たことがあるだろうが、その親も本当にこの宗教を心から信じているのだろうか。たまに、あなたは何宗ですかと聞かれて困ることがある。「本州です」とか「日本酒うです」と言ったらひんしゅくを買うだろうか。(2004/01)
常楽 (じょうらく)
 常備薬のことではない。富山高校で音楽の真髄を教えてくれた先生の名前である。名は人を表すというが、常に楽しそうに楽器を演奏したり歌ったりされていた。自分もあんなふうに人生を楽しそうに生きられたらと思ってしまう。いま、元気であろうか。(2004/01)
諸行無常 (しょぎょうむじょう)
 その昔、習った一節に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」のようにあったようだが、3年4組のメンバーはこの言葉にめげてはいけない。酒行無上でなくてはいけない。そして、2次会では、カラオケの響きありでなくてはいけない。(2003/03)
職員室 (しょくいんしつ)
 出来の悪い生徒にとっては間違っても自分の意志では入りたくない部屋である。入ったら最後、あちこちから声が掛かり、脱出するまでに小一時間はかかってしまう。しかし、あの当時、校舎の中は灼熱なのに職員室だけは冷房が入っていた。このときばかりは、説教を子守歌に涼みに行ってみようとの悪魔のささやきが聞こえたものだ。(2004/01)
食堂 (しょくどう)
 うどんとラーメンしかありませんでしたが、今思えばよくあの値段で食べさせてくれたものと感謝しています。(たしか1年の時うどん90円、ラーメン100円)。
うどんは列が長くても温めて汁をかけるだけなので比較的早く食べられるが、ラーメンは数分ゆでなければならないため、タイミングが悪いと結構待つことになる。3限と4限の間の休みにラーメンを注文するのは勇気がいることであり、ありつけるのがチャイムぎりぎりになると遅刻をとるかラーメンをとるかの決断を迫られることになるのである。(2003/03)
白玉 (しらたま)
 こよなく酒を愛する人はこの言葉も愛する。やはり、白玉の歯にしみとおる・・・にあるとおり、酒は静かに飲むべしということか。でもミニクラス会では白玉だろうが、赤玉だろうが、おかまいなしである。でも飲みすぎると、顔が青くなるかもしれない。(2004/01)
新宿駅新南口 (しんじゅくえきしんみなみぐち)
 東京・神奈川及び近郊在住者のミニクラス会では、ここを待ち合わせ場所にするとけっこう便利だ。でも命が惜しいので、歌舞伎町には行かない。そんなところに行かなくても、平日、休日を問わず、昼11時から大手を振って飲めるビアレストランがある。これは最高だ。(2003/03)
身体測定 (しんたいそくてい)
 今は知らないが、当時、富山高校では健康診断と言わず、身体測定と言っていた。体育館の中で体重とか身長とかを測定されたような気がするが、他にどんな検査のようなものがあったのだろう。当時は身体の悪いところを指摘された記憶はほとんどないが、今では指摘されないところの方が多くなってきたのは悲しい。(2005/01)
シンデレラーズ (しんでれらーず)
 ミニクラス会への出席者が拡がるにつれ、遠方から参加される方が増えつつある。しかし、さすがに午前様はまずいので都心でやると9時頃には帰らねばならない。これからはシンデレラーズに配慮してミニクラス会のスタート時間を早くすることを検討中である。(2004/01) 註:20047月4日に行われたビール祭りでは集合時間はなんと午前10時、12時間にわたるロングランミニクラス会であった。その後も可能な限り開始時間は早めに設定される傾向にある。
進路指導 (しんろしどう)
 富山高校の進路指導はきわめて偏屈である。志望校選択も国公立大学に偏重しており、私立大学を第一志望にするなどということは基本的に想定されていなかった。生徒の個性や希望は“実力試験の偏差値”を振りかざされると風前の灯火であり、親も先生の言うことが絶対と圧力をかけてくる。当然、教師や親との軋轢が生じ、時には険悪な空気が流れることもあった。『もう知らん、勝手にせんかい』と匙を投げられた方も多かったのではないかと思う。価値観の多様化を認めないこの進路指導方針は21世紀になった今も伝統として堅持されているのであろうか?(2004/01)
スイヘイリーベ (すいへいりーべ)
 ドイツ語の「愛してる」ではない。この言葉を聞いてすぐに、ははーんときた人は、多分苦しい高校生活を強いられたに違いない。しかし、高校時代にこの言葉に苦しめられずに、いまなお103個全ての元素名と記号をすらすら言えるのは、ホームページ管理人とムヒ氏だけだろう。今度のミニクラス会の余興で是非やってもらおう。(2003/03)
数学 (すうがく)
 富山高校では何故かαとβに分かれていた。3年次はαが週4コマ、βが週3コマであり、木曜日の1,2時間目はαのダブルヘッダーであった。(2003/03)
数V (すうさん)
 数列の極限、微分・積分、確率・統計が主な単元であり、大学入試に占めるウェイトが大きかった科目。今でもインテグラル(∫)をみると条件反射的に拒否反応がでるのは****先生のおかげである。(2004/01)
ステーションデパート (すてーしょんでぱーと)
 富山駅の2階にある商店街と3階にある食堂街。富山港線や北陸線の列車を待つ間の時間つぶしには格好の場所であり、よく富山高校の制服を見かけたものだ。あれから25年+αが経過しているが、形を変えて存続している。新幹線が開通すればなくなってしまうのであろうか?(2003/03)
スプリングコンサート (すぷりんぐこんさーと)
 吹奏楽部による定期演奏会。毎年春休みに開催されるため、3学期の期末試験が終わってからは、ひたすら練習練習であり、朝の9時から夜の9時、10時まで練習が続くことはざらである。あまりにも腹が減るのでいつでもカップラーメンが食べられるようミルクホールのストーブの上には特大のやかんが載せてあった。 さて、コンサートが終わったら、すぐに進級、実力テストがあるわけだが、勉強などしている訳がなく、結果は少数の例外の方を除き火を見るより明らかであった。(2003/03)
政経・倫社 (せいけい・りんしゃ)
 この科目は笹やんの教える科目であった。当時は受験科目でもないため真剣に聞いた者は少ないだろう。しかし、共通一時を経験する羽目になった者は、この科目をもう少し真面目に勉強していればよかったと後悔したものも多かったのではないか。(組長談:あれだけ真面目に勉強した世界史よりも、慌てて二ヶ月ほど直前に勉強した政経・倫社のほうが点がよかったのはなぜ?)(2004/01)
成績段階 (せいせきだんかい)
 中間試験・期末試験・成績通知票につけられていた1から10までの数字。完全な相対評価であり、自分が普通科のなかでどれくらいの位置にいるのかが一目瞭然でわかってしまう。定期試験で『こんどこそ、段階10をめざすぞ!』とがんばっても、初日で『ゼロ消えた』とつぶやくことになる輩も多い。(2003/03)
制服 (せいふく)
 最近、富山へ帰省すると高校生の制服が変化しており、一見して何処の高校か見分けがつかない。簡単に見分けがつくのは富山高校と富山女子高校ぐらいだった。富山高校の制服は多分近未来も続き、えんじ・緑・藤色の三色リボンにこれからもお目にかかることができるであろう。しかし、女子校は02年に共学となってしまい、現女子校の制服がみられるのは04年3月までである。『あの制服よかったんだよな〜』と回顧しているのは我々だけではあるまい。(2003/03)
生物 (せいぶつ)
 我がクラスは理系で唯一生物選択者がいたクラスである。選択者はきっと生物が大好きだったので、社会に出てからも「生物」を扱うことを職業とする方が多いのであろう。ここで「生物」には生身の人間も当然含まれており、ミニクラス会で実験対象にされるかもしれない。ご用心ご用心!(2004/01)
西武百貨店 (せいぶひゃっかてん)
 富山でのミニクラス会の待ち合わせ場所のひとつ。富山を離れている者は富山をかなり忘れているが、ここは不思議と覚えている。このさき、この店はずっとあるのだろうか。万が一の場合は、待ち合わせ場所を再度考えなければならない。(2003/03)
清明堂 (せいめいどう)
 富山高校生の図書館のひとつ。よく立ち読みをしたが、文句を言われた記憶はない。1階の本のほうがおもしろそうなのに、2階の参考書コーナーに行かざるを得なかった当時が悔やまれる。今は暇なのに、1階にさえあまり行かない。ミニクラス会の待ち合わせ場所としては今後使えるか?(2003/03)
西暦2019年 (せいれき2019ねん)
 この年に、われわれは六十歳になるはずである。年金では三人の若者が一人の老人を養うことになる年度である。毎日が日曜日になっている者、まだ現役でがんばっている者、天国にいる者とその状況はさまざまだろうが、この日を迎えると、三年四組のメンバー全員が混浴で露天風呂に入ることになっている。みなさん、嬉しい?あの世に行っているものが入れないって?大丈夫だ。お盆の時期にすればいい。だって還ってくるじゃないですか。みんなで楽しもう。(2004/01)
世界史 (せかいし)
 日本史・地理を捨てた(捨てられた?)者が藁にもすがる思いで選択した社会の教科。たった1年間では膨大な範囲を消化できるわけはなく、当時の選択者は『無謀者』と呼ばれた。 どんな授業が行われていたのかはほとんど記憶にないが、世界史の授業中はT先生の声を子守歌にするか自習するかのどちらかであった。それでも、参考書の緑色を覚えていませんか?(2003/03)
席替え (せきがえ)
 クラスの主要人物が休むと決まって席替えが行われた。 生け贄はセンターフォワードに座らされ、次の席替えまで堪え忍ばなければならない。3年4組でも結構席替えが行われていたが、前方・後方に行く人間は決まっていた。 また、席順表を書いて、教卓に貼り付けておくのだが、なぜか、後方の机のないはずのところに、先生方の名前が書いてあることあった。(2003/03)
セクハラ (せくはら)
 我々の高校生当時、セクハラなどという言葉は存在していなかった。思えば、吹奏楽部で後輩を指導するにあたって、顔を至近距離に近づける・指にふれる・自分の口を付けた楽器で吹かせる・1対1でネチネチと指導する などは、きっと今ではセクハラとして訴えられるのかもしれない。 いい時代だったのだなと胸をなでおろしているところである.(2004/01)
切腹 (せっぷく)
 ミニクラス会において出席者の突然予期しない話題が出て愁傷狼狽してしまうこと。 ミニクラス会での話題は回を重ねるにつれてマンネリ傾向にあるのだが、そんなことは知らないデビュー出席者から発せられる話題は時として我々を斬る鋭利な刃物になるのである。そして、その話題にピントを外さずにとどめを刺す出席者がいることも忘れてはいけない。切腹!(2005/01)
総曲輪 (そうがわ)
 ここは相変わらず繁盛しているように見える。ここの途中を路地に入ると、約20年前に同窓会を開催した「とんかつ屋」がある。1次会のあと、2次会も秋吉の近くの一杯飲み屋へ。ここで、その当時唯一の社会人であった北川氏にかなりご馳走になった者はかなり多いはずだ。彼に足を向けて寝てはいけない。(2003/03)
総務課長 (そうむかちょう)
 神島組長の表の世界の職名。この仕事は表の世界と裏の世界を使い分けなければならないので、常人には勤まらない。(2004/01)
卒業式 (そつぎょうしき)
 90回生の卒業式は昭和53年3月11日挙行された。卒業生は普通科308名、理数科40名の合計348名である。富山県下の卒業式は3月1日に富山商業高校が行うのが通例で、最後が富山高校と中部高校である。これは、当時東大が2回に分けて試験を行っており、2回目の試験が9日までかかることを配慮してとのことである。 さて、当日、一期校の試験結果をはかなんで卒業式をさぼる人間はいなかった。しかし、この日以降、3年4組の連中には大きな災難が降りかかるのであるが、ぱ〜っといこうということで、式の後打ち上げへ繰り出すのであった。(2003/03)
卒業写真 (そつぎょうしゃしん)
 卒業アルバムの集合写真はなぜか卒業の10ヶ月も前、5月の中間試験の最終日に撮影された。この日ならばサボるやつなどいるまいという先生方の暖かい(?)配慮かどうかは知らないが、試験終了後の我々は寝ぼけ眼有り、焦点の定まらない視線有り、寝不足のための肌荒れありと散々な風貌であり、とてもユーミンの歌のように『卒業写真のあの人は〜♪優しい目をし〜てた〜♪』のようにはいかないのである。(2003/03)
卒業証書と合格証書 (そつぎょうしょうしょとごうかくしょうしょ)
 大学を卒業した証に卒業証書をもらえる。正直言って、これをもらってもそんなに感動はない。その証拠に、卒業式のときに見たきりで、いまどこにあるのかもわからない人は多い。ところで、大学により卒業証書と合格証書の二種類がある。合格証書というと、いかにも合格した感じがするが、卒業だと成績がどうあれ卒業できたというような響きがある。あたなの証書は、どちら?(2005/01)
ソムリエ (そむりえ)
 神島組長を単なる『のんべ』と思っている方も多いと思います。これは正解で定説でもあります。しかし、彼はワインに精通しており、03年1月、新宿のイタリアンで行われた新年会では素晴らしいソムリエぶりを発揮してくれたのであった。(2003/03)


た 行
大学 (だいがく)
 大きく学ぶと書くが、何を学んだのだろう。社会勉強をしたのだろうか。頭の「へんさ」値(変さ値)を取り除き、自分を取り戻し社会に正常に復帰するための期間だったのだろうか。その割には、いままた生活に疲れ、変さ値が上がっているような気がするが・・・。その解消にはミニクラス会が一番だ。みんな、集まれ!(2003/03)
大学院 (だいがくいん)
 我々の頃、大学院へ進学する者は大学卒業生の5%程度であったのだが、4組連中はかなりの数が進学している。しかし、進学の動機に『学問を究める』が含まれていたかは少数の人を除いてきわめて疑問であり、『飲む・打つ・買う』を究めるために親のすねをかじっていたことになる。2年間の所業を思い返してみると、世間体のいい『留年』だったのではなかろうかと思ってしまう今日この頃である。(2004/01)類義語:入院
大喜のラーメン (たいきのらーめん)
 こってりしょうゆ味のチャーシューたっぷりのラーメンが食いたい。ただ、40歳を越えた今となっては、昼間ならともかく、夜の2次会のあとはこういうラーメンは食べられない。中性脂肪値がバッチリすぐに上がるぞ。おまけに血圧急上昇だ。ところで、このラーメン屋さんはまだあるのだろうか。(註:大喜の本店は大田口通りに健在である。あのうなぎの寝床のような店もむかしのままである。最近、ビジネスを広げており、駅前や郊外に進出している。そのうち1軒はHP管理人の実家から40メートルの至近距離にある)(2003/03)
第九 (だいく)
 これを聞くと、年末に無性にクラス会を大々的に催したくなる。なぜだろう。華やかな曲だが、年末にこれを聞くと少し淋しさを感じるのはなぜか。ということで、やっぱり出来たら年末年始だけは、ミニクラス会ではなく、大クラス会をやろう。『ふろいで しぇーねる げってる ふんけん ♪』(2003/03)
大和 (だいわ)
 3年4組のメンバーにとって、これは「やまと」ではない。「だいわ」である。しかし、富山以外では、戦艦やまと、やまと生命、やまとなでしこなど、「やまと」と読ませる言葉のほうが多いのである。もともとの意味が、大いなる協調だからしょうがないのか。最近、近くにある大和銀行が、りそな銀行に変わってしまった。これでは、富山がますます孤立する。(2003/03)
竪穴式住居 (たてあなしきじゅうきょ)
 富山高校の日本史で習った竪穴式住居を見るために、静岡の登呂遺跡に行ったことがある。平日だったので観光客が少なく、ゆっくりと観察できた。つくり方がシンプルで、まるでアフリカ原住民の住家のようだった。現代は競争社会でそれなりに苦労するが、この時代での苦労は食料と外敵からの防御だったろうか。ちなみに富山にもこの手の遺跡はたくさんある。(2005/01)
たてやま (たてやま)
 千葉県にもたてやまがあるが、北陸ではやはり富山の立山が有名である。しかし、3年4組のメンバーにおいては、この言葉を「山」ととってはいけない。この言葉を聞くとすぐに日本酒を思い浮かべないと、通とはいえない。これを県外の飲み屋でみると、つい1本、2本と飲んでしまい、翌朝後悔することになる。(2003/03)
立山黒部百万年の輝き (たてやまくろべひゃくまんねんのかがやき)
 北日本新聞社が創刊100年を記念して制作した大冊の名称。お〜た・どうじん氏が執筆しており、どうじん氏の好意でみんなで回し読みをし、みんなで感動を共有できたことは何にも代え難い財産であった。(2005/01)
立山そば (たてやまそば)
 ミニクラス会のあとの一杯のラーメンは美味しい。が、近くにない場合は、富山駅構内のこのそばで代用する。本当に寒い夜だけはうまい。立ち食いではあるが、最近はおばさんだけでなく若い女性も多いので、おじさんとしては圧倒されて安心して食べられない。(2003/03)
立山に雷鳥映える (たてやまにらいちょうはえる)
 これは富山大学の合格電文だったように記憶しているが(そうだっけ?)、これをもらった人は気持ちよかったに違いない。試験を受けてこれはやばいと思った人は、電報をお願いするだろうか?因みに、「無念再起を期せ」という電報を受け取った経験のある前期組長としては、合格電報をお願いするときは自信のあるときだけにした方がよいのではないかと思う。ところで、今後のミニクラス会の参加表明のことばは「立山に雷鳥酔う」にしたらどうだろう?(2004/01)
他人のそら似 (たにんのそらに)
 世の中にはそっくりな人が3人はいると言われている。街を歩いていて、偶然見かけた人が昔の○○とそっくりだったりすると妙にドキドキしてしまう。妖しい飲み屋で、店のおねーちゃんに『あんた、高校の同級生にそっくりだよ』と口説いていたら、実は本物だったということもあながちあり得ない話ではないかもしれない。ご用心ご用心。(2004/01)
旅芸人 (たびげいにん)
 HP管理人が若かりしころ、フルートを抱えて全国津々浦々で行われた同級生・先輩後輩・親戚・会社の知人等の結婚式に出席し、お祝いの演奏を行ったことからつけられた異名。このようなとき、おめでたいご当人に『何をやればいい?』と聞くと、九分九厘『なんでもいいよ』と幸せそうに答えるのだが、これまでただ一人、『マイウェイ』を指定してきた人が、某組長であったことは案外知られていない。(2003/03)
『だら』 (だら)
 最も偉大な富山弁はなにかと問われたら、ほぼ全ての富山県民は胸をはって『だら』と答えるであろう。そして、4組で最も『だら』な奴を選べといわれたらあなたは誰に投票しますか? ぜひホームページで人気投票(?)をやってみたいものである。(2004/01)
だら考 (だらこう)
 だらという言葉は魅力的だ。富山と石川で通じる。福井に行くともう通じない。静岡では、年輩の人は「○○だら」のように、だらという言葉を会話の最後につける。だらだらしている人間はろくな者になれない、と昔の人はよく言った。もしかしたら、祖のような人をばかにするような言葉を詰めたのが、だらではないか。そんな気がしている。正確な情報を持っている人は教えてください。(2005/01)
太郎丸 (たろうまる)
 富山高校がある場所の地名だが、なぜ太郎丸なのだろう?その昔、海があって船が行き来していたのだろうか。大学で歴史を研究した人に教えてもらいたい。近くに次郎丸はないのだろうか。三郎丸は?(2003/03)
團 伊玖磨 (だん・いくま)
 あるとき、ホームページ管理人を思い浮かべて、ふとこの人の名前を思い出した。実は、前期組長の出身小学校の校歌はこの人が作曲しているのだ。だからどうしたと言われそうだが、この人が富山の校歌を作曲したものが他にあれば教えてほしい。(管理人注釈:團氏の作曲による校歌は富山県内にかなりの数が存在している。(15校) お隣の富山女子高校の校歌も氏の作曲である。しかし、女子校は既になく、綺麗なメロディーのあの女声三部合唱を聴くことはもうできないのである。)(2004/01)
チーム関東 (ちーむかんとう)
 以前は横浜周辺の“酒飲み友達”であったが、美女軍団が加わりミニクラス会出席者の居住範囲が拡がったことからつけられた名称。出席者は茨城・埼玉・東京・神奈川の4都県にまたがっており、JRの特急に乗ってやってくる遠距離参加者も珍しくはない。(2005/01)
チェリオ (ちぇりお)
 以前、前期組長と後期組長の密談によく使った喫茶店。総曲輪の途中少し中に入ったところにある。向かいに、かつてミニクラス会を開いたとんかつ屋がある。そのサテンに入るとなんのことはない、コーヒーを飲むだけだが、悪さはいろいろそこで考える。(ここでは近くにお住まいの某女性への襲撃を企て実行したのだが、成果が芳しくなかったの。二人は自暴自棄となり飲んだくれて荒れていた?そうである)(2003/03)
地上の星 (ちじょうのほし)
 “地上の星”は、ご存じ中島みゆきの中年世代への応援歌である。しかし、文字通り地上の星となれるのは、きっと品行方正な努力家の人ばかりなので、我々のような飲んだくれはせめて『痴情の星』となり、ドブの中で輝くことにしよう。(2003/03)
知的財産 (ちてきざいさん)
 3年4組の連中は理系のクラスらしく研究職などの「知的」な職業に就いている方が多い。これは立派な「知的財産である」。 しかし、お酒を飲むと、多くは「病だれ」を被ってしまい。「痴的財産」に変身してしまう。 この変換確率は限りなく100%に近いことは定説である。(2004/01)
地ビール (ぢびーる)
 最近、日本でも全国各地に地ビールが登場しビール好きにはうれしい限りである。最も多くミニクラス会を開催している都市である横浜にも地ビールがあり、醸造元で出来たてを味わうことができる。当然、ミニクラス会のテーマにもなっており、03年7月開催のビール祭りでは蚊をムヒで撃退しながら8種類の地ビールを飲み続けた。季節が良くなったら是非次をやりたいものである。(2004/01)
チャート (ちゃーと)
 本来は海図のことなのだが、数学や物理、化学に関しては一押しの参考書のこと。結構簡潔明瞭に説明がなされており、学校の授業よりよくわかった(と思っている)。この本は今でも重宝しており、数学V・化学TUは会社の机の引き出しに入り、座右の書となっている(2004/01)
中央通 (ちゅうおうどおり)
 ここではミニクラス会をやった記憶がない。やろうとしても店がない。長崎屋は経営破たんした。今後どうなるのだろう (2003/03)
中高年の定義 (ちゅうこうねんのていぎ)
 厚生労働省の定義では、中年は四十歳以上の者、高年は五十歳以上の者と決まっている。ついでに言うと六十五歳以上を老人としている。我々は四十台半ばだが、やはり中年の中に入ってしまう。ただし、これは身体上の話であって、精神的な年齢区分ではない。精神面で測ると、ミニクラス会に出席しているメンバーは年齢がばらばらだ。そしてかなり若い。年齢不詳の者もいる。(2004/01)
チューリップ1 (ちゅーりっぷ)
 富山の花である、という人は普通の人である。これを聞いたとたんに、あの懐かしいパチンコを想いだせる人は遊び人である。ただ、パチンコのチューリップは閉じたり開いたりして、けっこう忙しい。それをみている中年の口は開きっ放しであった。残念ながら、いまや、パチンコ産業ではチューリップは死語である。(2004/01)
チューリップ2 (ちゅーりっぷ)
 富山を代表する花といえばチューリップだろう。フォーク界を代表するグループのひとつといえばチューリップだろう。二十年前の学生時代の遊びを代表するものはパチンコのチューリップだろう。この中で今も残っているものは花くらいだが、今やあちらこちらで町おこしにチューリップ栽培が盛んで、チューリップといえば富山というわけにはいかなくなってきた。ところで、富山の本当の県花は何だろう。(2004/01)
追試 (ついし)
 中間試験や期末試験であまりにもひどい点を取ると、もう一度受験できる権利をもらえる。富山高校ではこのような試験があったのかどうか、残念ながら記憶にない。追試を受けても点数が悪いとやっぱり不合格となる。会社人生においても「追試」をしてもらうわけにはいかないだろうか。(2004/01)
通学バス (つうがくばす)
 市電または徒歩で富山高校に通った人はうらやましい。地方からはバスで通うことになる。バスは座れれば最高だが、途中から乗るものにはそんな特権はない。つり革につかまって、立ったままかなり揺れるのを我慢する。問題は冬だ。積雪が多いと、やっと来たバスが一時間前のバスだったということはざらだった。そして、高校には当然に遅刻だ。(2005/01)
つくば (つくば)
 つくばは、学術の先端を行っている。そして、ここで学問を学んだ元3年4組のメンバーは皆、優秀である。なにが優秀かって?それは本人に聞いてほしい。ホームページ管理人と、組長でさえもよく知らないのだから。でも、皆元気に勤めているらしい。辞めたっていうはなしは、いまのところ聞いていない。(2003/03)
DV (でぃーぶい)
 通常、泥酔して家族を殴るなどの家庭内暴力のことをさすが、拡大解釈すれば『限られた関係者内のでの暴力』ととることもできクラス会のなかでの振る舞いもDVである。幸い4組の連中はクラス会でも皆紳士淑女であり、泥酔はするが暴力をふるうことはない。ジャケットが破れたりボタンが取れたりするのはご愛敬だと言っておこう。(2003/03)
ディープな中華街 (でぃーぷなちゅうかがい)
「ディープ」というと、ヤ印にガンをつけられて“深い”闇にはまることを連想するのだが、斉藤トラベルサービスがプロデュースするとすばらしいミニクラス会となる。ディープの真意は、「こんな所、お店が中華街にあったの?」「しかも、安くておいし〜!!」というサプライズが味わえる所を紹介してくれることである。だから、滅多に中華街に来れない人、豪華な料理や部屋の内装等期待している人にはちょっとお勧めできない、B級グルメ指向の人には絶対お勧めである。(2004/01)
定年 (ていねん)
 まだほとんどの会社は定年が60歳だ。ということは、特殊な人を除いてはあとサラリーマン生活ができても約16年。それまで毎年ミニクラス会をやっても16回しかできない。皆さん、ぜひ毎年参加しよう。新たな発見があるかもしれない。(2003/03)
デコレーション (でこれーしょん)
 運動会の時に各団の後方に掲げられた巨大な絵。 畳9枚分の大きさがある。神島組長が製作責任者であったが、実際に製作を指揮していたのは1組の島田さんである。 青龍団は自転車小屋の前がそのテリトリーであった。 青龍の絵であるので当然青色が多く、組長はペンキ買い出し係りとして島田さんにこき使われていたとかいないとか。。。(2003/03)
デジカメ (でじかめ)
 写真の時代は変わってしまうのか。これをいつものミニクラス会で、ホームページ管理人はテクニックを駆使して写しまくる。そして後日、酔っ払いの醜態を見せられ、しばしがく然とする。が、それでもミニクラス会は延々と続く。いまだに、デジカメを亀の一種だと信じている上司がいるのは事実であるが、それを組長は笑えない。(2003/03)
哲学 (てつがく)
 物理の問題を解くときのM氏の横顔は哲学者そのものだった。時には苦悩の、時には歓喜の表情が印象的だった。 大阪に渡り、一度はクラス会に顔を出したものの、その後、行方はよく分からない。久しぶりに彼と哲学したい。 連絡を待ってまーす。(2003/03)
デビュー (でびゅー)
 ミニクラス会に初登場すること。04年は7人もの方々がデビューしてくれた。また、首都圏でもどうじん氏、ムヒ氏がデビューを飾っている。さて、05年は誰がデビューしてくれるだろうか? とっても楽しみである。(2005/01)
電機紙芝居 (でんきかみしばい)
 一年生のとき「おまえら、電機紙芝居ばっかり観とらんと勉強せんかい」と世界史の西川教諭に授業の度に言われた記憶がある。 当時の電機紙芝居とはテレビのことであったが、テクノロジーの進歩によっていろいろな「電機紙芝居」が我々の前に出現している。 このホームページもれっきとした「電機紙芝居」であり、3年4組の交流を行う上で欠かせないものになっている。 この状況について是非先生の意見をお聞きしたいものである。(2004/01)
てんしょく (てんしょく)
 ひとにより、「転職」を思い浮かべるだろうし、または腹が減ってるときには「天ぷら定食」を考えるかもしれない。サラリーマン人生の人は、あと20年間もないかもしれない。「天職」を探そうではないか。探せない人は、ミニクラス会でぐちろう。(2003/03)
頭狂と狂頭 (とうきょうときょうと)
 富山県人は、真面目、かたいなど、ありがたい評価をいただいているようだ。高校を卒業して富山を離れ、あちこちに散った同期はいまいずこ。我が3年4組の一番の親孝行者は、なんといっても富山または石川の大学に行き富山に就職して、かつ親と同居している人だろう。そんな人とは対照的に、最大の親不孝者は、富山を離れた大学に行き、結局、親を捨て富山に就職していない者だ。そして、そのようなものが多い地域はなんと言っても、頭狂(東京)と狂頭(京都)の間だろう。(2003/03)
動物園 (どうぶつえん)
 その当時、休憩時間になると、3年4組は動物園であった。それは今でも変わらない。ミニクラス会が始まる前は全員が飼育係のような顔をしているが、1時間もすると飼育される動物に変わる。3時間もすると、ある者は真っ赤なお猿さんに変身し、ある者は大トラに化ける。こうなると逃げるが勝ちだ。実に不思議な集団だ。(2003/03)
TOEIC (とーいっく)
 英語によるコミュニケーション能力を測定する世界統一テストのこと。日本人は英語の勉強期間が長いにもかかわらず、その成績は世界で最下位レベルだという。最近は会社での昇進の基準に使われることもあり、一部の得意な方を除いて我々の世代には頭の痛い問題である。しかし、海外で仕事をしてみると本当に必要なのは英語力ではないことがよくわかる。何のことはない、仕事はボディーランゲージと筆談でやり、あとは『飲んで・踊って・歌える』ことができれば海外出張など恐くはない。TOEICなぞくそくらえである.(2004/01)
図書館 (としょかん)
 う〜ん。 4組の大部分の連中にとっては3年間無縁の場所であった。(と思う) > まじめに活用していた皆様ごめんなさい(2003/03)
突撃電話 (とつげきでんわ)
 ミニクラス会において、宴もたけなわになってくると『さ〜て、いってみよう』と携帯電話が取り出され、電話番号が割れている連中にかけられる電話のこと。 完全にできあがった酔っぱらいがかけてくるので電話を受けた方や家族はたまったものではない。娘さんが出たのに、本人と思ってべらべらとしゃべり、だいぶたってから『え?違うの?ごめんごめん お母さんに代わってくれる?』というシチュエーションも存在する。 しかし、敵もされもの、突撃電話を見越して、既にできあがっている某組長や、怪しい英語で受け答えするMUHIなど受ける方もミニクラス会に参加しているのである。これまで被害に遭った方を列挙すると、斉藤・河上・月岡・太田・池田・西原・神島組長となる。え?一人欠けているんじゃないかって?そうじゃありません、電話をかける方の張本人であるHP管理人は突撃電話がはじまってからのミニクラス会に皆出席しており、突撃電話を受ける方には一度もなっていないのである。 尚、ミニクラス会へ出席できなかった連中がこちらの宴会中に電話をかけてくる『逆突撃電話』も存在する。時には、『はろ〜〜、ディスイズ○○スピーキング』と怪しい英語で電話をかけてくる輩もいる。(2003/03)
外山 (とやま)
 富山には山が沢山ある。つまり山に富むから富山という名が付いたのかと、つい最近まで思っていた。しかし、ひょんなことから、富山の以前の表記は「外山」であることを知った。その当時日本の中心は関東であり、そこから見ると、とやまはまさに山々の外側にあるように見える。差別用語の排除から、最近の社会科の教科書には裏日本なる言葉が消えていると聞いたが、実はこの当時からとやまはこのように見られていたのか。悔しいではないか、みんながんばろう。(2004/01)
富山駅 (とやまえき)
 夜9時台になると本当に淋しい光景となる。おじさんとおばさんはかなり少なくなる。若者は結構いるようだ。3年4組のおじさん、おばさんは、若者にまだ負けるわけには行かない。ミニクラス会で盛り上がらなければならない。ただし、小林と松森は盛り上がれない。最後の大沢野行きバスがもうすぐ終わってしまう。(2003/03)
富山からの海外旅行 (とやまからのかいがいりょこう)
 富山空港から海外旅行ができると当時聞いてワクワクした時期があったが、韓国とかロシアとかだったのでがっかりした記憶がある。三年四組のメンバーでこれらの国に行ってきたことがある人からそれに関する情報を聞きたい。年間に何人くらいの人がそこから海外に行っているのだろうか。海外でのミニクラス会も悪くないと思うが、どうですか?(2004/01)
富山賢人会 (とやまけんじんかい)
 富山を離れている富山県人が寂しさを紛らわすために、一時的または恒久的にこじんまりとつくる集まりを「富山県人会」と言う。これに対し、3年4組ミニクラス会に参加するたびにみんなの頭が賢くなっていく会のことを、別名「富山賢人会」と呼びたい。ただし、何をもって頭が賢くなるといえるのかは誰もわからない。(2004/01)
富山県の高校 (とやまけんのこうこう)
 富山県には現在、高校が四十五ある(らしい)。他の高校のことはいざ知らず、我が母校のレベルは今どの程度なのだろう。勉強だけがすべてでないことは明白だが、その後の富山高校の動向が少し気になる。皆さんはどうですか。(2004/01)
富山県の大学 (とやまけんのだいがく)
 富山県には現在、五つの大学がある(らしい)。その当時、富山大学と富山医科薬科大学しかなかったと思うが、それから三つもなぜ増えたのだろう。富山高校からも行っているのかは知らないが、県内ではそんなに生徒が増えているのだろうかと、つい余計な心配をしてしまう。(2004/01)
富山高校生の体力と痴力 (とやまこうこうせいとたいりょく)
 夏の甲子園に向けての富山地方大会が毎年あるが、我が母校の野球部にぜひがんばってもらいたい。御三家の富山中部と高岡はけっこう善戦していることを新聞で知ることになるが、その時点で富山の名前が消えていることがほとんどであり、やはり寂しい。でも富山高校は痴力では富山中部と高岡に負けないだろう。それはミニクラス会での痴行を見れば一目瞭然だ。(2004/01)
富山高校訪問 (とやまこうこうほうもん)
 たまに高校を訪問するのはいいものである。すでに、知った人はほとんどいないが、ぼけーと見て回るといいものだ。母校を歩くと、当時のイメージとは違い、こんなにも小さかったのかと思うに違いない。だが、六十五歳を超えてから再度訪問すると、今度は大きく写るに違いない。(2004/01)
富山港線 (とやまこうせん)
 富山駅と岩瀬浜駅の間8kmを走るJR(国鉄)の電車。 今は北陸線と同じ3両編成の電車(昼間は気動車1両)となってしまったが、我々のころはブスカイブルーの国電型車両(京浜東北線のお古)が走っていた。 富山市北部から通う、奥田中学・岩瀬中学出身の生徒にとっては富山駅の6番ホームといえば懐かしさがこみ上げて来るであろう。そういえば国鉄が民営化される直前、富山港線の車掌をしていた歌手の伊藤敏博が6番ホームでギターを弾きながら歌っているのをテレビで中継していた。しかしながら、この番組はテレビ朝日系で放映されたため、富山県では見ることができなかったという悲しい事実がある。 尚富山港線は2006年頃、路面電車化されるということである。(2003/03)
富山市科学文化センター (とやましかがくぶんかせんたー)
 ここと言えば、太田である。太田は科学者である。そして特に子どもたちへの自然科学の説明がうまい(うまかった。)前期組長は家族と一緒にここ2年間で2回行きました。個人的には、ナウマンゾウと恐竜がおもしろい。何時間見ていても飽きない。なぜかって?その理由は自分にも分からない。今度太田から詳しい説明をしてもらおう。富山にいる人は今度行こう。(2004/01)
富山女子高校 (とやまじょしこうこう)
 2002年から男女共学の『富山いずみ高校』に移行し、『富山女子高校』は消滅した。しかし、我々(特に男子生徒)にとってはミニクラス会の時には必ずといっていいほど話題に上る想い出深い存在であることは疑いの余地はない。 あの制服をもうみることができないとおもうと胸中せまりくるものがある。(2003/03)
富山中部と高岡 (とやまちゅうぶとたかおか)
 富山御三家の内の二校であるが、未だに知りあいがほとんどいない。最近ノーベル賞をとった田中氏は富山中部だったと思うが、何とか富山または高岡からも出て欲しい。そして三年四組からはノーベル賞はたぶん無理だが、ミニクラス会でベロベロ賞くらいは出るに違いない。(2004/01)
富山弁 (とやまべん)
 富山を離れて20数年にもなると日常会話で富山弁を使う機会はほとんどない。たまに実家の親と電話で話していると、子供が『何処の国の言葉なの?』とのたまうことがある。 しかし、ミニクラス会は、 飲まれ!食べられ!はよ歌われんかと富山弁全開。ちなみに、他県のひとからみると富山弁のnativeを聞くと、喧嘩をしているようにきこえるそうである。 また、メーリングリストでも富山弁が飛び交うことがあるが、ワープロの日本語変換システムが富山弁に対応していないため、変換しているとストレスがたまる。 そのうち、富山弁にカスタマイズできるATOKなどが出現しないものだろうか?(2003/03)  (2003年に発売されたATOK16は東北・北海道、関西、九州弁に対応している) そして、とうとう2004年発売のATOK17が「北陸・中部」対応となった。
トラウマ (とらうま)
 成長期に心に大きな傷を受け、ある事象に過敏に反応してしまう心理学的現象。積分記号(∫)をみると拒絶反応を起こしたりすることは我が3年4組のトラウマと言うことができよう。(2003/03)
ドラゴンへの道(1) (どらごんへのみち)
 これをいまの二十代は知らない。ドラゴンボールは知っているようだ。三十代はドラコンをとることための厳しい練習だと理解している者も実際にいるからおもしろい。おもしろいけど、おじさんとしては少し悲しい。ブルースリーはやっぱりかっこよかった。これをブルースウィルスと勘違いしたやつもいて、やっぱり悲しい。せめて3年4組への道は楽しいものにしよう。(2003/03)
ドラゴンへの道(2) (どらごんへのみち)
 言わずと知れた、あのブルース・リー主演の格闘技映画である。今で言えばK-1とでもいえるだろうか。当時、これを見て、ヌンチャクが流行った。そして怪我をしたという記事がよく新聞に載っていた。四十四を超えた今となっては、我々は「ほどほど酒席への道」を目指そう。(2004/01)
トリビア (とりびあ)
 ご存じ、人気番組“トリビアの泉”で紹介されている大いなる無駄知識のこと。 3年4組のミニクラス会やホームページにおいても様々な情報が紹介されているが、これらも全て“トリビア”である。ただし、これらのトリビアはまだ半分近くある長い人生を楽しく過ごすために有用であることは想像に難くない。(2004/01)
とんかつ (とんかつ)
 総曲輪からちょっとはずれたところにあるトンカツ専門店の老舗。昭和56年1月、第2回クラス会が挙行された場所。なぜここを当時の同窓会に選んだかというと、肉料理がうまいときいたから。だが、全員よっぱらっていて味のことは全然覚えていない。ということはミニクラス会にどの店を使っても一緒だと悟った。。幹事は勿論神島組長である。 昨年(平成14年)、富山に帰省した際、久々に総曲輪へいったところ、かの店はまだ昔のままで存在していた。クラス会をした2階の座敷も健在だった。いずれ、総曲輪には再開発ビルが建ち、大和が引っ越してくるとのことだが、この店は生き延びてくれるのだろうか?(ちなみに、とんかつの向かいにある純喫茶『チェリオ』も健在である)(2003/03)


な 行
内地と外地 (ないちとがいち)
 その昔、北海道のことを本州の人は外地と呼んだ。そして北海道の人は本州のことを内地と呼んだそうだ。そういえば、かつて内地米という言葉を覚えている人がいるかもしれない。今でもそう言う人はいるが、若い人はそうでもなくなってきているらしい。では富山はどうだろうか。日本全体からみて、富山は内地扱いだろうか、それてもまだ田舎という意味で外地だろうか。興味しんしんだ。(2005/01)
ながいくん (ながいくん)
 これはかっこいい彼のことである。すらっと背が高く、はじらんだ笑顔が素敵だった。冗談を言うのだが、周りはそうはとらずに、常に感心していたことを思い出す。2年7組では組長をやっていた。彼は文学青年であり、詩人であった。彼が作った詩にHP管理人が曲をつけ、合唱コンクールを闘い抜いたことは記憶に鮮明である。3年次は文系のクラスへいってしまったが、彼はいまいずこに?(2003/03)
涙そうそう (なだそうそう)
 ミニクラス会の間が空くと無性にみんなに会いたくなる。まさに「あいたくてあいたくてあなたのおもい涙そうそう」状態になるのである。最低2ヶ月に1回はミニクラス会をやることにしよう。(2004/01)
七越 (ななこし)
 東京で、ななこしといっても、誰も知らない。ましてや、あんこのたっぷり入った大判焼きとは想像もつかない。でも、ここのラーメンは割とあっさり系なので、今度のミニクラス会のあとお腹がすいたら一杯限定で食べよう。ただし、お腹がぷくっと出ている人には責任はもてない。 (2003/03)
鍋見張り係 (なべみはりかかり)
 某小学校のPTA行事で設けられた係の名前。毒を盛られるかもしれない危険があるので今は詳細は書かない。(2003/03)
なまくら (なまくら)
 このことばは富山県以外の者には通用しないようである。なんともいえない響きがある言葉である。この言葉を聞いて、雪でつくる「かまくら」から連想して、「生の雪でつくった出来たてのかまくら」に違いないと思っていた人がいて驚いたことがある。言葉の意味をよく確認する努力もしないで、生半可に使うことも「なまくら」という。(2004/01)
奈良女 (ならじょ)
 「ならおんな」とは読まない。「ならじょ」と読む。なら女子大学のことだ。組長が関西にいるとき、仲間と一緒に、熊野さんの寮に夜押しかけたが、あたたかく一緒に飲むことになった。飲んだ後、奈良公園で組長は、しかではなく犬のウンチを踏むことになる。それ以来、奈良女に行ったことはない。(2003/03)
西山ラーメンと8番ラーメン (にしやまらーめんとはちばんらーめん)
 最近では富山県にもいろいろな種類のラーメン屋があるが、けっこう前からあるチェーン店のラーメン屋といえばこれだろう。高校時代に食べた富山市内の西山ラーメンはおいしかった記憶があるが、つい最近食べたらぬるくてしょうもなかった。同様に8番ラーメンも最近食べたが、やたら濃すぎて辛かった。舌も年をとるのだろうか、それともラーメン自体の味が落ちたのだろうか。(2004/01)
22歳の別れ (にじゅうにさいのわかれ)
 これを聞いて、かぐや姫を想起できる人はその昔かなり凝った人であろう。次に、これを聞いて、風を思い出した人はそれなりにこの歌に凝った人であろう。そして、この歌がカラオケでかかった瞬間に消そうとする人はもしかして何か辛い思い出がある人かもしれない。(2004/01)
日本史 (にほんし)
 我々の学年は1年次に世界史が必修であり、2年次で日本史と地理から1科目を選択した。ということは、母国の歴史である日本史を学ばずに卒業した方々も多数存在するわけであり、カリキュラム上極めて珍しいことだそうである。(2004/01)
NyanNyanSoft (にゃんにゃんそふと)
 このホームページの運営・開発に携わっているベンチャー会社。管理人が勝手にCEOを名乗っているが実体は不明である。 神島組の系列との噂もさやかれているが、組の資金源にはほど遠い。 謎の猫マークは登録商標である。 しかし、決して冗談100%でやっているわけではなく、本当に科学技術分野で世の中に流通しているプログラムが存在している。これらのプログラムはダブルクリックと同時に“にゃんにゃん”と発音しなければ起動しないらしい。(2003/03)
入院 (にゅういん)
(1)体調を崩して泊まり込みで病院に滞在し、治療を受けなければならないこと。
(2)就職できないもしくはしたくないので、「学問を究める」と周囲に宣言し「遊びを究める」ために大学に残ること。このような輩は少なからず90回生に存在する。(2004/01)類義語:大学院
入室許可証 (にゅうしつきょかしょう)
 富山高校の始業時間は8時40分。 教科によってはチャイムと同時に教師が教室へ入ってくるため、『ぎりぎりアウト』で入室許可証を職員室へもらいに行く犠牲者が出る。 昔、遅刻の常連は『回数券』の如く入室許可証を所持していたのだが、敵も然る者、日替わりで許可証の色を変更するというテクニックを駆使し、遅刻者を見逃すことはなかったそうである。(2003/03)
ネーミング (ネーミング)
 “ミニクラス会”という名称は3年4組独特のものであるが、ただのミニクラス会では物足りないとばかり様々なネーミングが存在する。これらのネーミングを考える第一人者ははやはり組長でありその作品には「酔う誤字典」「遅年会」などがある。(2004/01)
ネギシ写真館 (ねぎししゃしんかん)
 前期組長と後期組長がその当時、総曲輪で密会した。と、なぜか大門さんに会いに行こうということになり、勇んで尋ねていった。しかし、反応はつれなく二人とも肩を落として安酒屋の中へ消えていったのであった。でも、その後、彼女はミニクラス会に参加しを果たし、やる気満々である。が、残念ながら、前期組長と後期組長ともに、彼女にはまだその後、会えていない。(2003/03) (註:'03年8月16日 組長は念願の再会を果たした)
狙い打ち (ねらいうち)
 『♪ウララ、ウララ、ウラウラデ ウララウララウラウラヨ♪』説明するまでもない、30年前山本リンダがへそを出して歌っていた曲である。 ミニクラス会のカラオケでは某常連が必ず歌う曲である。 これを歌うときは一次会が終わり、既にできあがっているのでヘソではないがいずれかの部分を露出しようとして『やめなさい』と制止されることもしばしばである。(2003/03)カラオケルームへ
のんだくれ (のんだくれ)
 広辞苑には「ひどく酔っぱらうこと、またその人」と定義されている。この酔う誤字典では、「同級生と飲んでいると、とっても気持ちが良くなり、つい飲み過ぎて記憶をなくすこと、またはその人」と定義したい。(2005/01)


は 行
ハードディスク (はーどでぃすく)
 巨大な記憶容量をもちコンピューターには必ず内蔵されている外部記憶装置のこと。HP管理人がミニクラス会の一部始終を記憶していおり、詳細をレポートすることができるのは、約10年前までこの仕事に従事していたときに頭部にインストールされたかららしい。しかし、最近、年齢と共にバグも目立ってきている。いずれの日にかクラッシュしてしまうのだろうか?(2004/01)
バイ貝 (ばいがい)
 都会では、富山ではよく食べたバイ貝にはあまりお目にかかれない。バイ貝のはらわた(いわゆる、くそと呼ばれている部分)は日本酒には最高だ。都会でお目にかかるのは、がんばって仕事をせよという、やり貝の強要だけだ。(2005/01)
はがき作戦 (はがきさくせん)
 ミニクラス会の開催&ホームページの宣伝を目的として「はがき」を使って行われた宣伝作戦。 はがきをみてミニクラス会へ復活してくれた方々も多く、極めて有効に活用されている。 90回生への広がりを期待して次の機会をねらっている。(2004/01)
爆弾発言 (ばくだんはつげん)
 ミニクラス会の出席者のうちの2名を夫婦と思いこむこと。思いこむ人は必ずしも出席者とは限らないという。たしかに何度も飲んでいると絶妙のコンビネーションが生まれ、それが夫婦の雰囲気を醸し出しているのかもしれない。間違われた人は極めて光栄なことだと思わなければならない。しかし、家庭不和の原因にもなりかねない話題ではある。(2005/01)
化学 (ばけがく)
 Chemistryのことではない。『平成狸合戦ぽんぽこ』に出てくる化学である。3年4組の連中の異常な行状は尋常ではない。たぶん、皆、様々な動物が化学を使って人間に化けているに違いない。そのうち化けの皮が剥がれるときがきっと来る(もう来ている?)(2004/01)
走れメロス (はしれめろす)
 これは、太宰だ。太宰といえば弘前だ。弘前といえば、コードネームYUMIKAしかいない。メロスは友情の大切さを守った。YUMIKA氏も友情の大切さを知っており、ミニクラス会への出席率が女性でナンバー1だ。ただし、ミニクラス会が終わった後、ふらつきながら家に着くまでの間、今度は他のメンバーが友情を大切にしている事実も忘れてはいけない。(2005/01)
花火大会 (はなびたいかい)
 卒業して4ヶ月、1978年7月31日、夏休みで帰省し昼寝を謳歌していた管理人の実家へ組長と斉藤哲くんが押しかけてきた。そしてなぜか男3人でその日に行われた納涼花火大会へいくことになった。無茶苦茶暑い日で、神通川の河原は人で一杯、ビールをしこたま飲んでの観賞だったため、花火よりも体中がかゆかったことしか覚えていない。しかし、なぜ、二人が押しかけてきたのかその謎は未だに解けていない。(2003/03)
馬肉 (ばにく)
 2002年4月に行われた東京・町田でのミニクラス会におけるメインディッシュ。 馬肉料理といっても奥が深く、 刺身、鍋、メンチ、大和煮、肉そばと何でもござれのオンパレード。焼酎をあおりながら味わうと、昼間から赤ら顔をしているアル中の気分に浸ることが出来る。 ちなみにこの店、休日は昼の12時から開店しており、テーブルの隅っこでは一人でふらっと現れ、刺身+鍋で焼酎をあおる人生の黄昏をおもわせる人々が出入りしている。きっと数十年後のわれわれのなかの何人かもあのようになるのであろうか?(2003/03)
はやし (はやし)
 林といえばいろんなことを想うが、高校時代での林さんといえばやはり彼しかいないだろう。当時は単なるおやじと思ったが、いま自分たちがその年齢になると大変に複雑な気分になる。みなさんはどうですか。いまだに、国語の問題で、この作者が本当に言いたいことは何かと聞かれて、そんなことは書いた本人にしか分からないと思ってしまうのは自分だけだろうか。だからいまだに、書いた文章の意味が分からないと言われる。とほほ・・・。(2003/03) 関連語:漢文
バレンタインデー (ばれんたいんでー)
 チョコレートメーカーの扇動により日本でバレンタインデーの風習が始まったのは1970年代である。ということは、われわれが中高生の頃はやり始めた風俗ということができる。当時のお堅い富山高校は男女比が2:1であり、チョコレートをもらえる確率が極めて低いことは自明の理であった。しかしながら、チョコが集中した輩のいたということであり。恥も外聞もなくなった不惑半ば、30年前の実態を調査して見たいものである。(2004/01)
反面教師 (はんめんきょうし)
 我が4組の担任は極めて立派な方だった。あのことと同じような年齢になった今でもその立派さには足下にも及ばない。我々はなんとかやっています。全て****先生のおかげです。****先生ありがとう!(2005/01)
ビールとウイスキー (びーるとうぃすきー)
 宴会は普通、ビールの乾杯で始まる。そして、次は日本酒、または焼酎、その割ったものが続く。そして2次会になると、なぜかウィスキーが相場となる。なぜか。ビールは麦芽の醸造酒であり、それゆえに食欲を刺激する。一方、ウィスキーは麦芽の蒸留酒であり、これはほあーんとした身体と心をここちよく刺激する。しかし、あえて3年4組のミニクラス会はこれに反しよう。乾杯はウィスキーで、2次会はぜひビールにしよう。そうすると、2次会のビールでさらに食欲を刺激して、もっと飲めるのでは?(2003/03)
ビールまつり (びーるまつり)
 とにかくビールを飲むことを目的として設定されたミニクラス会のタイトル名。 キリンビールの工場で見学と称してタダ酒を飲み、その後ヨコハマのビアホールへなだれ込むパターンは2年連続。しかし、03年はスーっと5分で通過できた見学コースは04年から監視つきになってしまった。これは我々の存在が原因であるか否かは定かではない。(2005/01)
ピエロ (ぴえろ)
 ムヒ氏と寺嶋氏は絶妙のコンビである。この関係は1年5組で机を並べ始めた当時から変わっていないようである。04年のあるミニクラス会では彼らは心理学者・石崎理恵さんのスルドイ突っ込みの前にピエロになるしかなかったのである。まあいいか。(2005/01)
美女軍団 (びじょぐんだん)
 04年3月に行われた“遅年会”に出席した女性陣4名の呼称、今後のミニクラス会では美女軍団が増殖することが確実視されている。迎え撃つ男性陣も増強が望まれる。(2004/01)
微積分 (びせきぶん)
 担任が数学の教師であるにも関わらず、4組の連中が最も苦手としていた数学の分野(であろう)。夏休みには必死に定積分の問題をやったのに結局9月模試では1題も解けなかった記憶がある。 しかし、仕事に必要となると話は別、昔の悲惨な記憶はなんだったのだろうと思ってしまうのである。(2005/01)
百人一首 (ひゃくにんいっしゅ)
 その昔、1年生の頃、H教諭が「覚えてこい」と宿題を出した。当時は解釈そっちのけで実力テストの点数のためにひたすら覚えたが、四十路も半ばを過ぎた今、各首の内容に深く共感する今日この頃である。「あ〜年取ったな」(2005/01)
4STEP(1) (ふぉーすてっぷ)
 高校時代の数学の問題集のネーミングだが、これをどう読むかで当時、議論になった。「フォーステップ」。いやこれがもし英語ならば、「4STEPS」のはずだ、したがって「よんすてっぷ」だと。そのとき、誰かが言った。「そんな暇があったら、一問でも多く解こうよ」。いま暇だから、もう少し議論したい気がするのだが・・・。(2003/03)
4STEP(2) (ふぉーすてっぷ)
 高校のときの数学の問題集の名前である。問題はこの読み方である。「よんすてっぷ」とよむのか、「ふぉーすてっぷ」と読むのかで、一時議論になったことがある。どちらもおかしいという結論になったような気がする。日本語と英語をおりまぜて読むのもおかしいが、すべて英語ならば「ふぉーすてっぷす」にならないとおかしいではないか。あなたは当時、どう読んでいましたか。そんなことどうでもいいよですって?確かにそうだ。(2004/01)
ブックオフ (ぶっくおふ)
 全国組織の中古本の安売り店だが、富山にもいくつかある。ただし、ハードカバー本の種類を多くして、そして値段をもう少し下げてもらえると嬉しい。昔は、貸本屋なるものがあって、一冊いくらで貸してくれる店があったと思うが、これは合理的な仕組みだった。ブックオフはその仕組みをうまく利用している。そして我々はうまく利用されている。が、資源の有効利用という観点からは褒められる方法だ(2004/01)
ブラス (ぶらす)
 吹奏楽部員を指し示す罵倒語。 先生方からは“勉強しない”“成績が悪い” 一般生徒からは“うるさい”とさんざんである。(一部、真面目で成績優秀な人もいました。しかし、悪貨は良貨を駆逐する) こんな調子なので、何か悪いことをしでかすと“またブラスか!”と悪口雑言の前の枕詞のように出てきてしまうのである。しかし、90回生の卒業後、吹奏楽部の卒業生は手のひらを返したように成績優秀者ばかりになり、数年後には、汚名は完全に返上されていたことを付記しておこう。(2003/03)
ブラックアウト (ぶらっくあうと)
 酒を飲み記憶をなくすこと。アルコールの作用により短期記憶が長期記憶に変わるのが阻害されるのが原因。3年4組のクラス会において、ブラックアウトを引き起こした人はこれまで約2名であり。二人とも翌日以降深く反省しているので、まあ大目にみやてることとしよう。(2003/03)(反対語:ホワイトイン)
不良 (ふりょう)
 その昔、不良といえば“不要中学生”や“不良高校生”のことであったが、これらは今では死語となりつつある。代わって対当してきたのが“不良中年”であろう。時々、夜の町で完全によっぱらって闊歩しているおじさん+おばさんのグループを見かけることがあるが、これらは今の我々の姿そのものであることを肝に銘じておかなければならない。(2004/01)
ふるさと (ふるさと)
 「ふるさとは遠きにありておもうもの そしてやさしくうたうもの」と室生犀星は詠んだ。我々のふるさとは富山であることは間違いないのだが、「こころのふるさと」はミニクラス会であるといってもいいのではないかと思う今日この頃である。(2004/01)
プロジェクトX (ぷろじぇくとえっくす)
 ご存じNHKの人気番組であるが、『苦難を乗り越えて成功へ』のワンパターンのストーリーを見て、中高年は自分と重ね合わせて涙するのである。だが、我々の周り成功体験などほとんどない、人生ほとんどがプロジェクト×(ペケ)の繰り返しであると思い知らされている今日このごろである。しかし、我々は負けない、3年4組のプロジェクトX(エックス)は全員参加の大クラス会開催である。きっといつの日かこロジェクトは実現することであろう。(2004/01) 関連語:地上の星
不惑 (ふわく)
 論語にある『四十而不惑』である.まだまだ人生半ば、仕事に・家庭にみんな大いに惑っていることであろう。ただし、これには帰り道も分からなくなるほどへべれけになり、家路に惑うことも含まれていることを忘れてはならない。(2004/01)
文活 (ぶんかつ)
 文化活動発表会の略称、3年生には縁がないと見る向きもあり、担任のA氏もそうみている一人であった。 しかし、ところがどっこい、意外な活躍をしている連中もいました。お茶をたてているひともいたとは恐れ入りました。(2003/03)
文系 (ぶんけい)
 5組、6組、7組といえば純文系のクラス、生徒の約半分を女子生徒が占め女性欠乏症の理系クラスからみれば垂涎の的であった。最近、4組の壁を越えた交流も活発化しており、HP管理人としては文系出身の方の「文学的」才能で是非ご支援を願いたいと常日頃考えている。(2004/01) 反対語:理系
ベクトル (べくとる)
 社会では方向性という意味で好んで使われるがもとは数学用語であり難しく言うと『線形代数』の用語であることを意識して使っている人は小数と思われる。3年4組の連中のベクトルは飲んだくれるために群れ集まって騒ぐということで皆一致しており、その大きさはである。(2003/03)
別荘計画 (べっそうけいかく)
 箱根の強羅で企業がリストラで手放した保養所を格安で手に入れ、クラス会の会場に使おうという計画。買収は神島組が担当する。資金の出し元はYUMIKA Enterprizeである。(2004/01)
ぺっぺふき (ぺっぺふき)
 1年生の時、5組担任のS先生から授かった管理人の卑称。 勉強せずにひたすらフルートを吹き、地べたを這う成績の管理人に対し。『ぺっぺばっかり吹いとらんと勉強せんかい』と日常的に教育的指導が行われていた。(2003/03)
勉強と学習(1) (べんきょうとがくしゅう)
 勉強は“勉めて強いる”、学習は“学んで習う”と書く。勉強したことは身に付かないが、学習したことはそう簡単には忘れることはない。受験勉強が今の生活にほとんど役立たないのは“学習”ではなかったことを如実に示していると言えよう。さて、人間は“学習”を繰り返して賢くなっていくのだが、3年4組の連中をみていると、飲んだくれて記憶を亡くしたり、同じパターンで何度も女性に振られたりと本能のままの行動が目立つ、人生の“学習”がなされているとはとてもいえない。(2003/03)
勉強と学習(2) (べんきょうとがくしゅう)
 高校での学びはまさに、勉め強いるという意味の勉強であった。だから苦痛で、ときとして嫌になることがあった。しかし、人生の本当の勉強は、自ら学び習うでないといけない。これは誰に強制されるわけでもなく、自分の興味や関心のままに学ぶのだから面白いしまた身につく。だから、三年四組のメンバーは社会学習と称してミニクラス会に出よう。まさに生きた生態学習の場だ。(2004/01)
『へんさ値』 (へんさち)
 頭の構造の「へん」な加減をあらわす不思議なモノサシのこと。この数値が高いほど「へん」な人間となる。ここ数年、3年4組のミニクラス会があちことで挙行されているが、高校時代のこの数値が高い者ほど「へん」なのは、いまのそれぞれのメンバーの奇行ぶりをみると一目瞭然だ。 ちなみに、世の中で一般に使用されている“偏差値”とは相関関係はない。(2003/03)
ホームページ (ほーむぺーじ)
 この3年4組ホームページは2000年1月、昼の1時から東京・新宿のビアホールで飲んだくれていた某3名の話がもとではじまった。原型のお目見えは2000年8月1日、しかし、掲示板しかなかったため、閑古鳥が鳴く始末。一念発起してその1年後、今のスタイルのホームページがお目見えした。そしていま、圧倒的なボリュームを誇るページへと成長した。今後の興隆は3年4組のみなさんの活躍にかかっている。(2003/03)
ホームページ(2) (ほーむぺーじ)
 3年4組ホームページは00年の開設以来増殖に増殖を重ねておりその情報量は相当なものである。いつも読んでくださっている常連の方はよいのだが、たまたま遭遇してしまった方はそうはいかない。読み出すと止まらなくなり、気がつくと3時間たっていてその間電話が使えなかったと家族に苦情を言われたとのお叱りを受けたことがある。3年4組ホームページを楽しむにはブロードバンドと体力(気力)が必要な時代となってきているのである。(2005/01)
ホクギン (ほくぎん)
 この銀行にお世話になっている人は多いと思うが、実は支店が東京・渋谷のけっこういい場所にある。そして、その支店の待合室には、なんと北日本新聞がおいてある。これはけっこう感動する。が、・・・当日の新聞ではなく、数日遅れの古新聞なのである。でも、周りの会話を聞いていると、店員の何人かは変な富山弁を喋っているところがかわゆい。(2003/03)
北辰 (ほくしん)
 富山高校の生徒会機関誌。各クラスの紹介記事が圧巻である。 卒業後25年が経過しているが、 3年4組の分を一体誰が書いたのかはクラス会でも判明していない。(2003/03)北辰のページへ
保健室 (ほけんしつ)
 休息用のベッドがあるため、眠たかったり、出たくない授業の時は『体調不良』と称して休むことができるすばらしい空間。 しかし、時折、先客が教師であることもあり、入室時には注意を要する。 因みに、神島組長とHP管理人は入学試験を共に保健室で受験した同士であることは、今のミニクラス会の興隆とは無関係ではなかろう。(2003/03)
補講 (ほこう)
 期末試験が終了してから行われた特別授業。 その昔は、希望者だけであったとのことであるが、我々の頃は毎日英語・国語・数学が1時間ずつの時間割であった。 3年の夏休みなど、これに理科・社会も加わり、期間も前期が8月3日まで、後期が8月21日からと、ほぼ夏休みはなかったに等しい。 この話を大学に入ってから他県出身の人に話すと、“教育県富山のキチガイ沙汰”と言われ、また、中部高校・高岡高校の連中からも“なんでそんなに勉強すんがよ”とバカにされた覚えがある。(2003/03)
ほたるいか (ほたるいか)
 妖しく光るあれです。ただ残念ながら、いまの子どもは本物のほたるを見たことがないことが多い。だから、ほたるいかといわれてもぴんと来ない。3年4組は是非、富山高校の「妖しく光れるほたるいか」を目指そう。(2004/01)
ほたるいか(2) (ほたるいか(2))
 初夏の産卵期になると、ほたるいかが海面近くまで上がってきて、薄暗いうちに見るとまさに黒い海に浮き沈みしているほたるだ。怪しい光を放ちつつ、海面で揺れれいるさまはなんとも神秘的だ。富山高校卒業生もほたるいかのように、どこにいても怪しく光を放つような存在をめざそう。(2005/01)
北海道計画 (ほっかいどうけいかく)
 神島組長が企てている北海道でミニクラス会を実行する計画。2002年夏に計画をぶち揚げたところ、河上君から『はよ、来られんか』と反応があり、実現するかにみえたが、残念ながら実現しなかった。しかし、その代わりに河上君が上京し、横浜中華街でミニクラス会が実施された。しかし、計画そのものは生きており、虎視眈々とその機会をねらっているのである。(2003/03)
ホッピー (ほっぴー)
 ミスタームヒ氏に教えてもらった変わったお酒。焼酎を苦味のないビールのようなもので割ったようなもの。20年以上前に東京の池袋で飲んだが、あまりにも美味しかったのでそれ以降飲んだことはもちろんない。でもムヒ氏は美味しそうに飲んでいたことを思い出す。好き嫌いの世界のことなので、これ以上はコメントしない。(2003/03)
堀川中学 (ほりかわちゅうがく)
 富山高校に一番近い大規模中学校。当時は各学年9クラスと奥田中学に次ぐ規模を誇っていた。当然、富山高校にも多数の生徒が進学していおり、クラスに5〜6人はザラにいる。 3年4組には6名の『堀川っ子』がいるが、ミニクラス会の常連はS君のみである。(2003/03) (追記:'03年8月に寺嶋氏が初参加. )
ホワイト (ほわいと)
 “ホワイト”と聞いて“サントリー”と答えられる方は少々は学生時代、少々はましな酒飲み生活を送った方である。もっと下層の酒飲みは“レッド”や“無名ウィスキー”を飲んでいたはずだ。
また、“ホワイト”と聞いて“第七”と答える人は金沢で学生生活を送った人である。90回生は金沢大学へ35名もが進学しているので、きっと懐かしい響きに思える方も多かろうと思う。ちなみに、“第七”とは貧乏学生の味方であった餃子屋の名前であり、そこの名物メニューが“ホワイトギョーザ”なのである。(2004/01)
ホワイトイン (ほわいといん)
 ブティックホテルでない。しかし、この言葉に深い意味はない。HP管理人がミニクラス会の一部始終を記憶している現象をいう。これには特殊な才能がいる。(2003/03) 関連用語:「ブラックアウト」。


ま 行
麻雀 (まーじゃん)
 皆、学生時代の必須科目として、“飲む・打つ・買う”にうつつを抜かしたことがあったはずだ。しかし、ミニクラス会では“打つ”の代表格である『麻雀』の話が出てきたことがない。なんでだろ〜♪ この話をさかなに、今度、2次会のあとに半雀だけ囲んでみませんか?(2004/01)
マイウェイ (まいうぇい)
 ホームページ管理人のフルート演奏はこの曲が得意だ。失礼!この曲も得意だ。彼がこの曲をやると、会場全体がしーんとする。 今度のクラス会では是非一曲演奏してもらおう。ただし、飲む前にしよう。酒が入ると手が震えてダメかもしれない。(2003/03)
マイルドセブン (まいるどせぶん)
 ハイライトもよかったが、この煙草は一世を風靡した。マイルドセブンを卒業すると、セブンスターに昇格でき、それを卒業すると缶ピという具合だった。煙草を辞めた人には懐かしい思いだろうが、この時代、煙草は吸いにくくなった。三年四組のメンバーで今なお煙草を吸っている人は半分もいるのだろうか。(2004/01)
前田藩 (まえだはん)
 言わずと知れた加賀百万石の藩主である。富山県民はこの県に苦しめられてきた。でも一方では権力に屈しながらも、ある意味では擁護されてきたといえるのかもしれない。富山と金沢の言葉はわりと近い気がするが、福井の言葉はかなり間延びして聞こえる。こんなところにも前田藩下の影響があるのか。(2004/01)
ますの寿司 (ますのすし)
 言わずと知れた富山が全国に誇る、おらが県の名物の押し寿司である。今ではけっこう多くの都市で新鮮なものも食えるが、当時は電車や飛行機で帰省するたびに買って持ち帰った記憶がある。いくつかの老舗があるが、源が一番いいという噂がある。あなたのご贔屓はどこ?(2004/01)
町田 (まちだ)
 HP管理人の勤め先がある町。一応東京都であるが、鉄道では神奈川県を通らないと行き着くことができない不思議なロケーションにある。人口規模は富山市とほぼ同じであるが、東京のベッドタウンとなっており、これといった産業はない。横浜線と小田急線の乗り換え駅ということもあり、駅周辺には飲食店がきわめて多く、ここはHP管理人のホームグラウンドでもある。実は、月岡嬢も町田市に在住しているのだが、町田ではあまり飲んでいないようなので幸か不幸か飲み屋で顔を合わせたことはない。(2003/03)
松尾芭蕉 (まつおばしょう)
 松尾芭蕉といえば奥の細道が有名であるが、彼はその道中で、富山の市振と有磯海を訪れていたようだ。始まりは「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅日となり・・・」で始まることは習ったが、富山では「一つ家 遊女もねたり 萩と月」と「早稲の香や 分け入る右は 有磯海」の二句があることを最近知った。今度は彼を肴に呑んでみたい。(2004/01)
マック (まっく)
 マクドナルドのハンバーガーではない、アップル社のマッキントッシュのことである。その昔、マックは極めて高価であり、これを買うことができるのは限られた職業の方々だけであった。いまでもミニクラス会で聞いてみるとマックを使っているのはお医者さんと芸術関係の方々だけである。NyanNyanSoftでもMACを買いたいのだがとてもそんな金はない。親会社のKAMISHIMA Enterpriseの組長が闇の世界から調達してくれないものだろうか?(2003/03)
ママゴト (ままごと)
 週に1回だけホームルームの時間があったが、その時間を使って繰り広げられた壮大な料理大会。戦いは家庭科のK教諭に調理室の使用許可を得るところから始まる。そして、前日は大挙してユニー、大和、西武へ買い出しに出かける。いざ当日、日頃は台所に立ったこともない女子生徒も見栄を張って料理にいそしむのである。奇跡的にうまくいった班、失敗の憂き目をみる班が出るのはご愛敬だが、料理に入れるはずのワインを飲むという暴挙に出る輩もおり、そんな連中を6時間目まで寝かせておいてくれたS先生はすばらしい先生であった。(2004/01)(註:これは2年7組での話である。かなり記憶が混濁している)
ミカド (みかど)
 その当時、東京・池袋にあった大人の社交場(観劇ともいう)の名称である。嫌がる本人を組長が無理やり連れて行ったのだが、出かけるときに本人は忘れたメガネを何気に取りに戻った姿を組長は見逃していない。この劇場はまだあるのだろうか。20年以上も前のことである。若かった。(2003/03)
南富山 (みなみとやま)
 富山高校の最寄り駅、市電の終着駅でもある。駅の周辺には手頃な飲食店がいくつかあり、放課後に寄り道した人も多いのではないだろうか。だが、油断していると、部活動の後輩が一緒の店にいたりして、「先輩!ごちそうさま」の一言でたかりの被害に遭うことにもなる、参考書を買う予定の金が消えてしまうのである。(2004/01)
ミニクラス会 (みにくらすかい)
 2001年から盛んにその活動が報告されている2名〜10名程度の出席者による飲み会のこと。 誰が言い出したのか定かではないが、2001年1月に富山で行われた飲み会のコメントに初めて登場する。(2003/03)
ミルクホール(1) (みるくほーる)
 売店やパン売り場があり昼間は一般生徒の憩いの場であるが、放課後や休日は吹奏楽部の練習場となる。ここは富山高校の中での“租界”であり、出来の悪いブラスの連中もここまで逃げ込めば、先生も追いかけてはこなかった。しかし、翌日以降、どんな報復が待ち受けているかはそのときには知るよしもない。(2003/03)
ミルクホール(2) (みるくほーる)
 なぜミルクホールなのか。その理由をその昔聞いたような気もするが、思い出せない。子どもに聞いたら、昔そこにぜったい牛が放牧されていたに違いないとの回答であった。ここで冷たい牛乳をきゅーと飲んだ記憶があるが、おなかの弱い者はそのあとトイレで苦しむことになる。 尚、幾多の富校生に親しまれてきたこのミルクホールも寄る年波には勝てず、2004年夏頃取り壊されるとのことである。 (2004/01)
民謡同好会 (みんようどうこうかい)
 富山高校にこの名のクラブがあったように記憶している。これを英語に訳すとフォークソングクラブとでもなるのだろうか。要するに、当時流行っていたフォークソングを楽しむ会なのである。この民謡同好会の担当教師があの安念様だったことは意外に知られていない。(2004/01)
ムヒ (むひ)
(1)富山を代表する製薬会社・池田模範堂の薬
(2)ムヒといえば池田、池田といえばムヒ これは1年生の時からの定説である。
(3)無比 これも実はムヒである。比べるものがない位すばらしい薬だという意味である。しかし、この漢字を当てたのは当の本人だからあてになるかどうか知らない。でも、この当て字にはやはり何ともいえない味がある。次の新薬には、ぜひ「世界のムッヒッヒ」とつけてもらいたい。風流を解する人はきっと新薬を買うに違いない。でも責任はもてない。(2003/03) (註;03年8月24日 朝日新聞土曜版で紹介された)
名簿 (めいぼ)
同窓会名簿は約5年ごとに刊行されている。名簿を手にすると、「あの人は何処?」の想いに思わずわくわくしてしまうひとも多いのでは。しかし、この名簿は正確さに欠ける。神島組長も「行方不明」扱いである。ここはやはり3年4組み名簿のスペシャル版である。クラスメイトの「今」がリアルにわかる。どうでもいいような情報も載っけてあるがご愛敬である。ただし、いつまでも古い記述では進歩がない。1年に1回は「ひとこと」を更新しよう。(2004/01)
メーリングリスト (めーりんぐりすと)
 クラスの連中の相互連絡をとるために開設した1カ所にメールを送るだけで登録者全員にメールが行き渡るという便利なシステム。ホームページ開設当初、『電子掲示板』が設置してあったが、なかなか書き込みが増えず、半年で8件という有様。 そのとき、東京に現れて飲んだくれていたおーた・どうじんからメーリングリストにしようという提案があり、早速開設したところ、これが大当たり!! 飲み会連絡専用の観もあるが、メーリングリストの中では『濃いキャラ』の会話が連日交わされている。(2003/03) (詳細はこちらへ)
メモリーグラスとブランデーグラス (めもりーぐらすとわいんぐらす)
 どちらもその当時流行った曲だ。そして、ブランデーなどの酒が好きだった裕次郎は今この世にはいない。堀江淳は当時からおかまっぽかったが、今はどこでどうしているだろうか。ちなみにメモリーグラスに入っていた酒は水割りだが、ウィスキーの水割りだったのだろうか。高校卒業のときの「だるま」だったのだろうか。できれば堀江淳に聞いてみたい。(2004/01)
目標と現実 (もくひょうとげんじつ)
 高校時代に自分は将来何になりたいと思っていたであろうか。そんなものないよという人もいるだろうが、何らかのイメージくらいはあったのでは?でも現実はどうだろう。このままでいいのだろうかという疑問を持つ人も多いのではないか。でもこれでいいのである。よかれと思った結果が今なのである。この世は友との僥倖によって決まるのかもれしれない。せいぜい自分が楽しめる人生を。※ミニクラス会はそのひとつだ。(2004/01)
模試(1) (もし)
 今の時代、模試といえば○○予備校や△△塾の実施するものが標準となっているが、我々のころは、お手製の実力試験が標準であった。そして、この試験(試験範囲がある)で偏差値を算出し、進学の目安としていたのだから、今から考えればなんとのどかなものだったのだろうと関心してしまう。(2003/03)
模試(2) (もし)
 高校時代にこの試験を受けた人はあまりいい感情を持っていないと思うが、社会人になってから資格試験の必要に迫られて受けると、以外におもしろい。どうせ結果が悪くても、高校時代とは違い、大して問題にはならない。二日酔いで受けるとなおおもしろい。バカらしくてやる気にならない。(2003/03)
文字化け (もじばけ)
 メーリングリストではみな様々なメールソフトを使用するため、時として文字化けが生じ一部の人がメールを読めないという事態が生ずる。この文字化けは書いてある内容が過激な時ほど起こりやすいという命題は危険率5%で真である。(2005/01)


や 行
ヤキヤマ (やきやま)
 何のことか分からないが、実は松森氏のメールアドレスである。大沢野小学校の先生をしているので、多分、そこの地名を借用しているのであろう。これにより闇の活動をしているのでは?先生が桜木町に出没する時は周りに気をつけなければならない。そうしないと、足元をすくわれる事態にもなりかねない。(2003/03)
ヤククレ (やくくれ)
 痛風患者はその痛みから逃れるために薬を飲まなければならない。しかし、この薬の入手には処方箋が必要なので、S君はなんとか裏ルートで入手しようと某女医さんに『ヤククレ』とささやくのである。(この薬には秘密の副作用がある。知りたい人は女医さんにお問い合わせ下さい)(2004/01)
安野屋の交差点 (やすのやのこうさてん)
 高校卒業後、北日本自動車学校に通った者は多いはず。仮免を受けた後の路上でたぶん、必ず通ったのがこの安野屋の交差点ではないか。どうかすると(運良く?)電車も通るし、自動車も多い、しかも信号が短い。練習場所としてはもってこいである。検定でたまたま電車に遭遇して、涙を呑んだ者もいるのではないだろうか。(2004/01)
雪景色 (ゆきげしき)
 富山県人なら冬といえば必ず雪をイメージする。しかも、いいイメージではなく、屋根雪おろしや、道路にたまった雪かきという、つらいイメージを思い出す人のほうが多い。しかし、都会の自称スキー大好き人間は、純白のゲレンデをイメージする。今年の冬の積雪量はどうであろうか。(2005/01)
行方不明者 (ゆくえふめいしゃ)
 ホームページ開設のはがきを出しているが、差出人である組長のところに戻ってきてしまう方のこと。2003年2月現在、以下の名の方の行方がわかりません。 ご存じの方、こちらへご連絡を!
『大浦由恵 岡田優子 加藤秀雄 鈴木ゆかり 森山千佳子』(2003/03)
YUMIKA Enterprise (ゆみか・えんたーぷらいず)
 酒飲み友達の会社。有限会社設立には最低300万円が必要なので、YUMIKAが296万円、その他のメンバーが1万円をそれぞれ出資する。この会社の定款には『善隣友好』や『健康増進』が記載されている。社長はもちろんコードネーム『YUMIKA』である。(2004/01)
夢分析 (ゆめぶんせき)
 元紅顔の美少年、美少女であった富山高校の仲間も、加齢につれて会社のこと、家庭のことなど悩みは絶えない。ましてや体力の衰えもある。精神科医によると、熟睡できない人は眠り続けるための体力がないということだそうだ。眠りが浅いと夢をよく覚えている。そんな時はフロイトかユングの夢分析を友にするといいかもしれない。ますます眠れなくなっても責任はもてない。(2005/01)
酔う誤字典 (ようごじてん)
 『つれづれなるままにひぐらし硯にむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつくればあやしうもの狂おしけれ』 と兼好法師の心境で執筆されたこの用語事典。語句を考えていると病みつきになってくるから不思議なものである。 みなさんも『こころにうつりゆくよしなしごと』を追加してみませんか?(2003/03)
ようすい (ようすい)
 昔もそうだが今でも「ようすい」は健在だ。これだけ息の長い歌手も少ないのではないだろうか。確か彼は歯医者の息子で、名前は陽水と書いて、よしみと読んだような気がする。浪人しても歯学部に入学できず、好きな歌で身を立てたわけだが、人間何が幸いするか分からないものだ。自分の本当に好きなことをするのを「ようすいする」という風にならないか。(2004/01)
横浜 (よこはま)
 富山以外では最も多くミニクラス会が開催されている街。酒飲み友達がこの付近に集中して住んでいるという事情もあるが、なんといってもミナトヨコハマの雰囲気が良いのである。特に中華街は斉藤哲くんのシマであり、店のチョイスは彼に任せておけば間違いはない。富山在住のみなさんも一度中華街でミニクラス会をやりに来ませんか?? (2003/03)
予餞会 (よせんかい)
 2月中旬に行われた3年生をお払い箱にするための行事。しかし、送られる方の3年生は入試のまっただ中であり、寒い体育館に何時間も座っている暇はないのである。いきおい、予餞会は1,2年生の芸能大会となり、2年7組がプロデュースした「金色夜叉」がやんややんやの喝采を浴びることになるのである。(2004/01)
よっぱらい (よっぱらい)
 ミニクラス会からへべれけになって帰宅すると。家族に酒臭いと苦情を言われる状態。時によってはn次会でのカラオケを歌い出すこともあり、極めて迷惑な存在である。そして翌日は悲惨な二日酔いに見舞われることもしばしばである。(2005/01)
喜び組 (よろこびぐみ)
 本来の意味はご存じ北朝鮮の美女軍団であるが、我が4組にも『喜び組』が存在することを忘れてはいけない。皆から喜び組と呼ばれるためにはケミカルピーリングだろうがレーザー照射であろうが受けて立つ気迫が必要なのである。(2004/01)
4組の教室 (よんくみのきょうしつ)
 我が4組の教室は理科館側から4つめでかつトイレのとなり。前のドアから1メートル先は男子トイレの入り口である。この位置は理数科と同様最も風の入りにくい位置であり、8月3日まで行われた夏期補講はホントに灼熱地獄であった。 夏休みの期間中****先生から逃れるために学校へ来ていた連中のなかにはトイレへ机といすを持ち込んで勉強していた剛の者もいたとかいないとか。(2003/03)


ら 行
ラーメンと中年脂肪 (らーめんとちゅうせいしぼう)
 ラーメンにもいろいろな種類があることを全国行脚のときに知った。それぞれの地方の独特のめん、スープ、具など、それこそ無限に近いほど種類が豊富である。特に、とんこつ味は一度はまると止められない。だが、内臓にたまる脂肪も止められない。(2004/01)
理系 (りけい)
 4組は理系のクラスであったため、今の職業は必然的に技術系の仕事をしている人が多い。しかし、柔軟な人間が多いようで社長も総務課長も医者(人間・動物)もカメラマンもいる。フリーランスもいる。 あと、坊主がいれば完璧なのだが。誰か世をはかなんで出家する人はいませんか?(2004/01) 反対語:文系
両国 (りょうごく)
 総曲輪の秋吉の近くにある一杯飲み屋のなまえ。ここでもかつてミニクラス会をやった。カウンターしかないが、寒い季節に飲む熱燗はうまかった。お金がないときは、ここでまたやりたい。行ったことがない人は今度どう?「神田川」時代の寂しさを体験できる。酔っ払いのおじさんにもからんでもらえるぞ。(2003/03)
倫社 (りんしゃ)
 『倫理社会』のことである。我々の学年は1年と3年で各1時間づつこの授業を受けているが、入試科目でなかったこともあり、授業の内容が何だったのかは殆ど記憶にない。ただ明白なのは授業を受け持たれていた先生はお二人とも「哲学者」然とした態度で我々に接していたことだけである。(2004/01)
歴史 (れきし)
 歴史は繰り返す。3年4組ミニクラス会も繰り返す。 (2003/03)
恋愛症候群 (れんあいしょうこうぐん)
 ごぞんじ、さだまさしの歌である。ミニクラス会のカラオケではどうじん氏が上手な節回しでうたってくれる。この歌詞の中で「血液型」について語るくだりがあるのだが、この内容がミョーに我々の性格を当てていると思うのは私だけではあるまい。(2005/01)
老眼 (ろうがん)
 四十路も半ばにはいると目に老眼が入り、思わず眼鏡を外してしまうことがある。通常の生活ではどうということはないのだが、一番困るのはミニクラス会の二次会でカラオケへ行ったとき、部屋が暗くて曲目リストの細かい字が読めず、リクエストを先に入れられてしまうことである。(2004/01)
浪人 (ろうにん)
 『ろうにん』である。昔のこの言葉が、受験界になぜ使用されだしたのだろう。浪人というのは、無責任でいていいので気楽である。一方で、とてつもなく、脱力感に襲われるときがある。義務もなければ、やっぱり権利もないのである。そして、今では、会社内の浪人、家庭内の浪人がいる。でもいいんだよ。3年4組はあたたかい。みんな浪人でいいんだよ。気楽だよ。(2003/03)
ローエングリン (ろーえんぐりん)
 組長が結婚式の司会を執り行ったホームページ管理人の、新郎新婦入場時の曲である。そのとき、司会者である組長は原稿を読むのに必死で、心労しらふのあげく、この曲がどういう感じだったのかを全然記憶していない。ただひとつ覚えているのは、通常は盛大な拍手の中を入場するはずが、静粛のなかをしずしずと進んだことだけだ。こんど、ミニクラス会でこの曲を流してもらおう。(2003/03)
ロックアップ (ろっくあっぷ)
 2002年5月、神島組長とその一味が****警察に逮捕された現場。2時間飲み放題で取り調べが行われたが、嫌疑不十分で無罪放免となった。 取調中には月岡先生が料理を作るというハプニングもあった。(2003/03)
ROM (ろむ)
 ホームページにはアクセスしているが、ただ読んでいるだけの方々のこと。是非、元気な姿をお知らせください。 『生きてま〜す』のご連絡をお待ちしています。(2003/03) 連絡帳へ 消息連絡のページ


わ 行
ワインの格付け (わいんのかくずけ)
 これは国によって異なるが、表示方法は異なっても、基本的な考え方は同じだ。値段の高い順に言うと、@限定された有名な畑からとれたぶどう、A限定された地方で取れたぶどう(この時点ですでにブレンドもの)、B国内のいろいろな地方で取れたぶどうのブレンド、C国内と国外のぶどうのブレンド、である。我々のミニクラス会では、@は高いので一本目はAにしよう。そして二本目以降はCにしよう、酔ったらどれも皆同じだ。だって飲む量が半端じゃないから。(2004/01)  (詳細はこちらを参照)
ワンパターン (わんぱたーん)
 ミニクラス会の二次会もカラオケ・そのカラオケにおける選曲・その選曲をメモる管理人・数日後にHPに掲載されるレポート いずれもワンパターンであるが、誰一人として文句は言わない。 みんな『今』を楽しむことができればそれでいいのである。 (2003/03)

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